第13話

 気分が悪くて今にも吐きそう ——

 

 ブルーシートをめくり、外の空気を掻き入れる。外の空気も大して違いはない。じんくんの秘密基地は日中、暑さを伴って猛烈な臭気に覆われていた。

 軽トラックの荷台の中、ポリカーボネイトのなみ板に背中を預けて、知子とモモは並んで座っていた。足元にはお菓子がたくさん散乱していた。

 モモはレジスターのおもちゃで遊んでいる。


 「のど、乾いた?」

 「ううん」


 「お腹、すいた?」

 「ううん」


 「昨日は何してたの?」

 「 …… じんくん 」


 「じんくん? 団地にいつも来る男の子?」

 「うん」


 「彼がどうかしたの?」

 「おばけになってた」


 レジスターから顔を上げたので視線が合った。


 「昨日のこと、最初から話してくれる?」

 正直にいえば聞くのが怖かったが、確かめなければならない。


 「どこから話せばいいの?」

 「団地の部屋から。部屋に入るまでは見てたから」


 —— モモは思い出せる限りを話した。


 「じんくんとはそれきり会ってないの?」

 「うん」


 「部屋ではいつも何してるの?」

  「じんくんとお菓子を作るの」


 「どんなお菓子?」

 

 モモはランドセルを開けると中からお菓子の袋を取り出した。小さな丸いラムネの詰め合わせ。色はピンクとブルーの2色。

 (これか!) 知子は嫌悪のため息を漏らした。

 母親のハンドバッグにいつも入っていたやつだ。

 彼女がラムネを口にした時の、思い出したくもない記憶がよみがえった。


         *


 「 —— ここが久美子ハウスか? 噂よりもせまいのう」


 太った男を伴って母親が家に入ってきた時、知子は寝支度の最中だった。母親が男を家に連れ込むのは珍しいことではなかった。


 男は上着と帽子を床に投げるとテーブルに着いた。母親は体を添わせて、男の隣りに座る。2人とも既に泥酔していたが、男が持参したワインボトルの栓を抜いた。


 「チコ、グラス!」

 ぶっきらぼうな命令。ワイングラスを2つテーブルに置く。

 —— 早く寝室に消えてくれればいいのに。


 男の頭は禿げていたが、グレーの髭だけは立派に手入れされていた。

部屋に入るなりチラチラと自分を見るので落ち着かない。


 「ねぇー、あたしも飲んでいぃ?」

 「好きにせえよ」


 母親はグラスに白ワインを並々注ぐと、ガブ飲みをはじめた。


 「こいつは久美子の娘なんか?」

 「最悪でしょ、何やってもトロいんだよ」


 「名前 …… おまえの好きなチンコから取ったんか?」

 「バカ言わないで。こいつ産んだ時、麦焼酎ばっか飲んでたからよ」


 「親父はおらんのか?」

 「とっくに追い出したわ」


 「追い出した?」

 「金の稼げない若造。酒瓶で頭をかち割ってやったの。そしたらそれっきり」


 「はっはっはっ! お前は最低のビッチやな」

 「そうょ、ビッチ好きでしょぅ?」


 母親は立ち上がると服を脱ぎはじめた。


 「あたしの面倒見てくんない? 何でもするわよ」

 「強気なビッチめ。わしも強欲やぞ」


 母親がハンドバッグから2粒のラムネを取り出す。1粒を自分が舐め、残りを男の口に挿入する。グラスにワインを注ぎ、乾杯をして飲み干した。


 母親の体は急に赤みが増し、はだけた胸元には玉の汗が滲み出てきた。キッチンは蒸し暑く、窓ガラスは水滴に覆われていた。


 「ねぇ、もう触って」

 男の手を取り自分の股間へと導く 。歓喜の声を上げながら、立ったまま下半身をくねらせた。


 「さぁさぁチコ、あんらもおいでよぉ。いっしょに楽しくなろぅ」

 母親の呂律がおかしくなり、別人のように馴れ馴れしくなった。

 知子は寒気がしてその場から逃げ出した。トイレに逃げ込もうと廊下を駆ける。


 「くぉらぁ! くそチンコ ——っ !」


 振り返ると、目を吊り上げ鬼の形相に変貌した母親が廊下を走ってきた。


「いやぁぁ!」


 腕を掴まれ、廊下を引きずられて戻される。

 キッチンでは男が全裸になっていた。

 知子は体を弓のように強張らせて母親の手を振りきった。四つん這いで進み寝室へと駆け込んだ。


 「お願いだから、やめてッ!」

 叫んでみたところで効果はなく、母親と男が力ずくで寝室に入ってくる。

 2人は歓喜極まる表情で寝室のドアを塞いだ。


 —— 逃げられない!

 知子は素早くパイプベッドの下に潜り込んだ。


「出れおいでよ、あたしのチコちゃん」


 両手で耳を塞ぐ。


「出てこらないんかい?」

 覗き込んできた母親と目が合う —— 狂っている! 目をぎゅっと閉じた。


「ならっ、なら、死ねぇぇぇぇぇ—— !」

 母親がベッドに飛び乗った。たわんだ床板に体が挟まれる。


 男もベッドに乗るのがわかった。二人の体重で上半身が圧迫され、潰される恐怖に慄いた。知子は床に頬をすりつけながら、早く意識が果てることを切望した。


 ベッドの上では2人が互いの性器をむさぼった。

 何回も何回も、延々と行為が続く。

 男が上になり母親の下半身に執拗に腰を打ちつける。くりかえし、くりかえし。

 知子の背骨がみしみしと音をたてて折れそうになる。

 男に馬乗りになった母親は、おぞましい声を発しながら壊れていった。


 「チコ、いいよぅ、いいよぅ、お前の苦しむ顔が見えるよぅ」


 —— 自分は母親に犯されているのだ。そして彼女はそれを楽しんでいる。

 知子は痛みを感じなくなった。悲しみも感じなくなった。なんにも感じなくなった。


 延々続いた行為が終わり、2人のいびきが聞こえてきた。

 下から這い出ようとするが動けない。動けないのか、気持ちが動こうとしないのか判らなかった。


 —— 自分は愛されてない。霧が晴れるように突然、理解した。

 親は子供を愛するものだと、当たり前に思ってきたことが違った。

 薄々感じてはいたが、それでもショックだった。


 病院に運ばれたのは翌日の昼過ぎだった。診察の結果は打撲傷。

 動けなかった理由はそんな易しいものではないことは判っていた。


 その後も母親は仕事と称して次々と男を招き入れた。ラムネを使う時は知子をベッドの下に潜らせるようになった。その方が気分が乗るようだったからだ。

 知子は抗うこともなくなっていった。



 「チコちゃん? チコちゃん?・・・」

 体を揺さぶられ、記憶が雲散うんさん霧消むしょうした。


 「ごめん …… 」

  モモの不安そうな顔を見て我に返った。


 「このラムネ、あんたが作ってるの?」

 「じんくんがいっぱい持ってくるの。それから1粒ずつ袋に分けて持って帰るの」


 「家でお父さんに渡すの?」

 「ちがうよ、学校で配るんだよ」


 「だれに?」

 「えっと、2組の白木くん、陽介くんでしょ、3組の岬ちゃん、奈央ちゃん、それに……」


 「みんなで食べちゃうの?」

 「ううん。家でお父さんに渡さないと、ひどい目にあうんだよ」


 危ない仕事はすべて子供にさせて、大人は家で待っているだけだ。

 五郎に対する怒りが湧いてきた。


 「この白いのは? これもラムネ?」

 別の袋には、いびつな形の白いラムネが入っていた。ラムネにしては表面が岩塩のようにざらざらしている。


「白いのはきのうが初めて。とくべつなラムネだから、もし無くしたら山に捨てるぞって言われた」


 吾郎から、昨日は念入りに付き添いを言いつけられた。

 この白いラムネと関係があるだろうか?

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