第7話

 

 「吾郎くん、出口まで送ってよ」


 ベロベロに酔った小太りの中年男が、両脇を若い女に支えられて席から立つ。

 近くに待機していた五郎は暗い店内を慣れた足取りで横切った。


 キャバクラ『OLive』に来る客の多くはサラリーマンや自営業といった一般人がほとんどで、トラブルのたぐいはほとんどなかった。

 吾郎は暴走族上がりの用心棒として雇われていた。


 高校を中退した五郎は建設現場で働いたこともあったが長続きはせず、暴走族時代の仲間のつてで歓楽街で夜の仕事を見つけていた。

 肩書こそ用心棒だったが、実際には女性スタッフや店に来る客に、合成ドラッグ、合成ハーブを斡旋していた。

 酒と女に囲まれた席で勧めると、半分の人間が買っていく。その中で味を占めた客は、2度目、3度目からは目をつぶっていても売れた。

 娯楽に貪欲どんよくな時代ともマッチしていたため、馬鹿みたいに儲かった。


 吾郎のファッションは特攻服から派手なブランド物に変わった。シルバーやゴールドのアクセサリーを身に着け、体にはいくつもタトゥーを彫った。


 「こちらからお帰り下さい」

 店の出口に着くとドアを開けて男を待った。

 男の両脇を支えた女がドアを通り過ぎる間に、吾郎はドラッグの入った小袋を女のバッグに忍び込ませる。女は中身を確認もせず、サイフケースごと吾郎に渡した。


 「今からこいつらを犯しまくるのに欠かせないんだよ」

 酒焼けした赤い顔が下品に笑いながら、ふらふらの足取りで女たちと出て行った。


(醜いジジイめ)——  心の中でそうつぶやいた吾郎は、煙草を買いに店を出た。

 外に出た瞬間、大柄な男2人に両手首をつかまれる。


 「なっ、なんだよ、お前ら!」


 抵抗する間もなく、路肩に駐車したバンの後部座席に押し込まれる。

 人通りの多い歓楽街なのに誰一人気付いていない。

 バンはすぐに走り出し、郊外に抜ける田舎道へと向かう。


 「おい、何か説明しろよ!」

 両脇を挟まれた吾郎がようやく口を開いた。


 即座に助手席からパンチが飛んでくる。一瞬で吾郎の鼻を折った。

 背中を丸めてかがみ込むと、鼻血が手の平に溜まっていく。

 大柄な男からタオルが手渡された。


 「クソッ! いったい —— 」

 

 すぐに助手席の男が振り向きかけたので言葉を飲み込んだ。


 30分ほど走ったバンは、真っ暗な建設現場に入っていくとエンジンを切った。

 突然の静寂と虫の鳴く声に、五郎は自分が孤立したことを悟った。コンクリートに囲まれた現場はじめじめと蒸し、土ぼこりで視界も悪い。

 車外に放り出された吾郎は、そこで信じられない光景を見た。


 ヘッドライトに照らされた先に、暴走族仲間やOLiveの用心棒、ヒロや岡本たちが地面に転がっている。みんな顔中が血まみれで、うめき声ひとつ聞こえない。

 事態がみ込めず茫然と立ち尽くす。


 バンとは別に駐車された白のベンツから、すらりとした男が降りると、こちらに歩いてくる。ベージュ色の麻スーツを身に着け、痩せて背が高い。


「ごろうくん?」

 タバコに火をつけながら目を向けてきた。


「 …… はい」

 雰囲気に呑まれて敬語を使ったことに、自身でも気づいていなかった。


「俺の名前は登丸とうまる。二代目金城組の若頭補佐」

 色眼鏡越しの黒目が異常に小さい気がした。


「 …… はい」


「どいして呼ばれたか、判る?」


「 …… いえ」


「最近、くすりがさっぱり売れなくてね」


「 …… 」

 横隔膜がひくひくと痙攣を始めた。


「地元のチンピラがウチの店を荒らしてる。そして君がリーダーなんだって?」


「そんな …… 違います」


 否定した途端、背中にドスンと衝撃が走り地面に這いつくばっていた。金属バットを握りしめた大柄な男が頭上から見下ろしていた。


 男はプラスチックのバットを扱うように、軽々と金属バットを振った。

 吾郎は自分の肋骨、鎖骨、ひざ関節の骨が砕ける音を聞いた。痛みで意識が飛びそうになる。


 「そこの死人たちは君がリーダーだと言ったよ」


 登丸はしゃがみ込むと、小型の電動ドリルを取り出した。レバーを引くと五郎の眼上でドリルがヴゥィーーンと高速回転した。

 朦朧もうろうとする意識をどうにかつなぎ止めようと、下唇を力一杯噛む。


 「……まっ…て、くださぃ……おえぇッっ……」

 ブランドのシャツに黄色い胃液をまき散らした。


 登丸は吾郎のほほにドリルを突き立てるとレバーを引いた。


 〝 ヴヴヴヴゥィーーン 〟


 「ゔがぎぎぎぎぎっぎっ!!!」


 鮮血を飛び散らせて肉に穴を穿うがった後、ほほ骨を削りながらドリルの先端が頭蓋骨の内側に貫通するのがわかった。


 「金属バットより痛いでしょ?」

 逆回転させて引き抜いたドリルを、今後はひたいの中央に突き立てた。


 〝 ヴヴヴヴゥィーーン 〟


 顔中、血で真っ赤に染まる。

 あと少しで前頭骨を貫通するのを感じた吾郎の絶叫は声にはならず、呻き声となって夜の建設現場に消えた。

 

                 *


 29歳になった今なら判ることもある。あの時、登丸は自分たちを殺すつもりはなかった。その気ならもっと簡単にれていた。

 事件の後、人目を避けるように身を潜め、何年も死んだように生きてきた。

 そして突然の登丸からの呼びかけでナイブスを結成した。自分たちを殺したのが登丸なら、よみがえらせたのも登丸だ。

 

 自分を含めたヒロ、帰郷、岡本が不安で落ち着かないのは無理もない。

 何しろ今夜は登丸を裏切る計画を実行に移すからだ。

 4年間、登丸の下で忠犬にように働いた。ただただ恐怖に駆られて闇雲に従った。そろそろ自分たちのやり方で自立する頃合いだ。


 「大丈夫だ。トラブルになったらチョウさんがかばってくれる」

 みんなを安心させようとして吾郎は言った。


 「チョウさんと俺たちの関係 ……、登丸さんは本当に知らないんだな?」

 岡本が確認するように聞く。


 「間違いない。そもそも黒天童(ヘイ・ティエン・ダオ)の存在すら知られていない」


 —— 黒天童は最近、南方から流れてきたアジア系の犯罪組織。

 この地方での勢力は微弱だが、後ろ盾には本国の本物の裏組織が控えている。

 半年前、組織の一人、チョウがナイブスに取り引を持ち掛けてきた。取引するのはコカイン。1グラムあたりの金額は合成麻薬の約5倍。


 合成麻薬を扱う商売自体はすでに3年ほど前から行っていた。元売である金城組と付き合いのある「中卸」から、MDMAやパーティードラッグを仕入れ、一般人に売る。ナイブスのポジションは売人である。釜辺町の歓楽街や隣町のキャバクラ、風俗店、時には地元の中高生にまで斡旋した。


 国内の違法薬物流通経路には強固な決まりがあり、元売り、大卸、中卸、売人と、段階によって利ザヤが決まっている。従って登丸から入ってくる上がりは、アルバイト並みの金額だった。


 黒天童とのコカイン取り引きは、中卸への利ザヤも、金城組へのキックバックも、登丸のピンハネもない真水の儲けになる。

 4人で相談した結果、こちらの取り引き方法に従うならという条件付きで黒天童に返事をした。

 吾郎は自分が考えた『薬物商売』に絶対の自信をもっていたからだ。


 今夜、黒天童との初取引きが行われる 。

 新たな一歩を踏み出せば二度と引き返せないのがこの世界の掟である。ナイブスの未来はまだ何も見えていないが、今のままでは暗い部屋で片足し立ちしているようなものだ。どんな結果になろうと今夜、1歩を踏み出してやる。


 「うまくいくよなぁ」

 帰郷ききょうがみんなを鼓舞するように言う。


 「半年間、何もかも準備したからな」


 「吾郎は〝 家族 〟まで準備したもんな」

 ヒロの冗談に帰郷、岡本が笑った。


 「久美子ちゃんには計画のこと話したんか?」


 「話してねえよ。ただのキャバ嬢だぞ」


 「警察の目、あざむくための結婚ってのは知ってんだろぅ?」

 

 「いや、それも言ってねえ」


 「マジか? じゃあ本気でお前に惚れたんか?」


 「あいつは薬がもらえるなら犬とでも結婚する女だ」


 「ひでえやつだねぇ」

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