第6話
知子たちが登校するよりも前に家を出た吾郎は、カーオーディオを操作しながら、愛車の黒いアルファードを走らせた。低音が太鼓のように響くヒップホップが車外まで漏れ聞こえた。
吾郎は久美子と結婚した後も住んでいたアパートの部屋を手放さなかった。仕事部屋と偽っていたが、事実、仲間連中はアパートに集まってきた。
久美子の家からアパートまで車で20分ほど。吾郎の仕事は夜が多いので夕方、家を出ると帰宅は深夜か明け方が多かった。久美子も夜の仕事を続けたので、2人で過ごす時間は少なかった。
ローダウンしたアルファードには相応しくない田舎道を走りながら、母校の高校に近づいたので速度を落とす。見慣れた制服の男女が、せまい道の両脇に溢れていた。
〝 ファァァーン! 〟
クラクションを長めに鳴らすと、学生たちはゆっくりとした動作で
吾郎は気分がよかった。子供の頃から他人を威圧することが好きだった。
校門の近くで男が一人、助手席に乗り込んできた。高校時代の同級生で、仕事仲間の
「 —— ったく伊藤のやろう、ヘマばっかしやがって!」
新しくメンバーに加わった新人に対する愚痴だった。
吾郎とヒロは釜辺町で結成されたグループ『ナイブス』の中心メンバーだ。構成員十名ほどの組織で、後ろ盾に金城組暴力団組織が付いている。
「なぁ、吾郎、いよいよだな。抜かりはねぇか?」
ヒロは両手を頭の後ろに組むと、通学中の生徒たちに視線を向けた。
「何も心配ねえよ」
ヒロの声に緊張の色が紛れ込んでいるのを吾郎は見逃さなかった。
学生の時から大勝負の前にビビるのは変わってない。景気付けに自分の合成麻薬を一錠分けてやった。
ナイブスは今夜限りでチンピラ組織を卒業する。ガキの遊びはもう終わりだ。
吾郎は学生だったころの自分を思い返した。
*
「 —— もう死んでんじゃねェ?」
背中越しに声をかけられた吾郎は振り下ろす手を止めた。ぜいぜいと息を切らて立ち上がると、学ランのしわを伸ばそうと全身をはたいた。
正午の体育館裏は人気がなく、時々通る車の音以外は何も聞こえない。
ヒロは吾郎に缶コーラを手渡しながら、足元に横たわる人間を覗き込んだ。
「よぅセンコウ、逆らうのはやめとけよ、なぁ?」
昨日、赴任してきた英語教師の鼻と口元からは血が流れていた。周囲には血痕が点々と広がり、画面を破壊されたノートパソコンが投げ捨てられていた。
ヒロは教師の腰からベルトを抜き取り、ズボンを脱がせにかかる。
教師が抵抗したので、脇腹に蹴りが加えられた。体を丸めた姿勢で呻く教師から、力任せにズボンを引き抜いた。
吾郎は血の付いた拳をコーラ缶で冷やしながらタバコを吸った。
周りの人間が自分を怖がっていることに満足していた。
「
ヒロは白いブリーフを脱がせにかかった。
引っ張られた白い生地がビリリッと裂け、むき出しの尻がどしんと地面に落ちた。
両手で隠した教師の股間にまたしても蹴りが入る。
「ぐぅぅぅッ」
食いしばった歯の隙間から、押し殺した教師の声が漏れ出た。
「手、どけろや!」
威嚇する言い方にビクッと反応した教師は、観念して両手の力を抜いた。
貧相な一物が露わになり、ヒロと吾郎は声を上げて笑った。哀れな姿の下半身を写メに収めると、ズボンとブリーフを柵の向こうに投げ捨てた。
—— まだ授業は残っていたが、学校を後にすると2人はゲーセンに向かった。
「なあ吾郎、土曜の集会には行くんだろ?」
2人は釜辺町と近隣の不良グループから構成される暴走族に所属している。
「あぁ、行くかもな」
吾郎はシューティングゲームに興じながら興奮している。
「頼みあんだけど …… 」
ヒロはゲームの画面に視線を向けたまま続けた。
「土曜、おまえの単コロ二尻していいか?」
「はぁ? この前もじゃねーか。俺の三段シート、おまえ用じゃねーぞ!」
「俺の単車、修理から戻らねぇんだよ …… いいだろう?」
『GAME OVER』と表示されたアクリル板を殴りつけた吾郎は、コインを両替えしに席を立った。コインを抱えて戻ってくるとヒロに言った。
「俺の頼み聞いたら考えてやる」
「なんだよ頼みって、言えよ」
「2組の
「園田? …… あのガリ勉女か? 趣味悪すぎだろう」
交換条件の内容よりも選んだ女に驚いたヒロは思わず聞き返した。
「クソ真面目な女を、めちゃくちゃな目に合わしてやるんだよ」
シューティングゲームにコインを入れると『CONTINUE』を選択した。
「 …… わかんねェな~、お前の趣味」
「どうなんだよ、連れて来れんのかよ?」
ヒロは射撃に使う武器を銃からミサイルに変更した。
「オッケー、金曜の夕方、拉致してくる。俺にも見物させろよ」
「ふんっ、センコウに見つかんなよ」
—— 土曜の集会に集まったメンバーは百人を超えていた。
いつも走る田舎道を離れ、都市部の幹線道路を爆走した。吾郎とヒロは最高に楽しい夜を過ごした。
優等生の園田美香は翌週から学校に来なくなり、いつの間にか釜辺町から姿を消した。
*
あれから12年、釜辺高校の制服はまったく変わっていない。釜辺町そのものが何も変わっていなかった。
2人を乗せたアルファードは町の西側、農地が続く田舎道を進んでいく。10分ほど進むと、小さな森に差し掛かった。
竹林に隠れるように建つアパート『カーサミア』の駐車場に入る。ベージュ色の外観は風景に溶け込んでいて目立たない。
2階建ての4部屋すべてをナイブスが借りており、1部屋は吾郎の私部屋だった。
「おい伊藤! ”モシモシ” は成功したんだょな ?」
部屋に入るなり、ヒロは金髪の若者に詰め寄った。
「えぇッ、あ、はい。間違いなく振り込むと言うてました」
高校生の伊藤はあわてて立ち上がり答える。
「じゃあ何で口座に金が入ってねぇんだよ!」
ヒロが伊藤の金髪を引っ張る。
「すんません、自分にもわかりません」
伊藤は頭を叩かれながら言い訳をした。
「すぐ電話しろ。振り込まんと学校を退学になるって言え!」
伊藤は慌てて携帯を取り出し電話をかけ始めた。
ナイブスは吾郎とヒロの他、
結成されたのは4年前、暴力団組織 二代目金城組の若頭、
登丸と幹部4人は、それよりも前から因縁があり、ナイブス結成は登丸からの誘いを断われなかったというのが真相だった。
ナイブス結成1年目は寝る間もないほど多忙だった。登丸から下りてくる割りの良くない仕事をこなす毎日だったが、生き残るためにひたすら耐えた。
せまいアパートの部屋で、成りすまし詐欺、偽造カード販売、借金取立て、家屋侵入、キャバクラや風俗店のみかじめ料取立て、金城組会長の運転手や接待など、何でもやった。時には敵対組織を襲撃するなど、危険な仕事も断れずに引き受けた。
—— やがて気付いたことは、どれだけ働いても登丸から受けとる金では、ナイブスを大きくしていくことはできないという事実だった。
「 —— ちょっといいか?」
幹部の一人、岡本は吾郎を外の駐車場に連れ出すとタバコに火をつけた。
「登丸さんは本当に問題ないんだな?」
「何も問題ねえよ」
吾郎は顔にある傷を撫でながら答えた。
岡本を含む幹部4人に共通する特徴 —— 顔に数ヵ所、直径1センチほどの丸い刺し傷がある。過去、登丸に殺されかけた、通称『登丸事件』の烙印だった。
「2人で何を話してんだよ?」
帰郷とヒロも部屋からでてきた。
「だから、何でもねぇんだって!」
自分でも驚くくらいに語気が荒くなった。思わず他のメンバーが顔を見合わせる。
4人の間では隠しようもない。白状すると朝から不安が波のようにうねっていた。
登丸事件からはや9年が過ぎようとしているのに、あいつの顔を見ただけで気持ちが悪くなる。きっとみんなも同じ心境にちがいない。
ナイブス結成の立役者、登丸。—— 彼との出会いは穏やかなものではなかった。
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