第3節 小鬼と人間

 そんなことを繰り返して二千一日目のことだ。


 普段聞いている動物たちのとは違う声が洞窟の外から聞こえてきた。窪地の上を見上げると、そこには頭に甲羅を被った犬のような生き物がいて、バウバウとおれを見てさかんに吠えた。


「そう何度も何度も吠えなくたってわかってるさ」


 言葉だ。おれは胸の鼓動が高鳴るのを感じた。人間がいるのか。

 そう思ったのも束の間、窪地の端っこからひょっこりをおれを見下ろす者の顔を見て困惑した。

 そこにいたのは、おれの知るとは様子が違っていた。

 緑色の肌、ブルドッグみたいに垂れ下がった顔の皮膚に、瞼の上に大きく膨らむ瘤、体のどこにも毛は生えていないが、代わりに太陽の光に反射されて、体が蛇のような鱗でおおわれているのがわかった。


「こりゃ竜じゃねえかたまげたおい」


 俺を見下ろすはそう言って脇をポリポリと搔いた。

 彼が話すのは当然、おれの聞いたことのない言語だったが、何を言っているのかは理解できた。


「あなたは!?」


 おれは彼に問いかけた。ピイピイという鳴き声しか発したことのないはずのおれの喉から、はっきりと彼の話すのと同じ言語が発せられたことに驚いた。


「言葉がわかるのか」

「わかる!」

「待ってろそっちいくから。おいら食ったりすんなよ」

「食べないよ!」


 彼はコトプァと名乗った。蔦を編んだロープで窪地の中に入って来たコトプァは、おれの案内で興味深げに洞窟の中を探検した。まだコトプァと同じくらいの大きさだったおれは、久しぶりの他者との会話にテンションがあがり、コトプァのまわりをクルクルと回り、どうでもいい話ばかりした。そんなでも「おめえもひとり大変だったんだなあ」なんて言って、コトプァは嫌がることなく聞いてくれた。


 その日から、おれの日課には窪地の上から降りてくるコトプァを迎え、会話をすることが加わった。

 コトプァは彼らの言葉でヤママ陸の鰐と呼ばれる種族だという。肌に鱗がなく、頭に毛の生えた種族ペピピ、つまり人間に住処を追いやられて森を訪れたのだと。コトプァは他のヤママとは違い、人間ペピピとの交流を続けている奇特なヤママだとも聞いた。


人間ペピピはおいららのことを小鬼ゴブリンと呼ぶがね」


 コトプァが言うには、竜の住む洞窟にある魔素を含む石は貴重で、人間ペピピたちが取引を持ち掛けてくるというので儲けものと思ったらしい。


「石十個でヤママ一人が冬をしのぐのに十分な飯をくれるんだ。おいらの女房とガキどもら全部で四十、食わせるのに狩りをする必要もねえ」


 コトプァはこの世界のことについて、彼の知る限りで教えてくれた。

 昔は竜もたくさんいたけれど、急に来た終わらない冬ウィイエンギャッのために土地が冷え、多くが死に絶えたことなど。


 興味深いことに、コトプァには洞窟の靄は見えないようだった。ヤママ達の中にも靄を見ることができるものがいて、そうした者は氏族の中で占い師センチャタとして敬われるらしい。人間ペピピたちも似たようなもので、洞窟の石は彼らにとって欠かせないものだという。


 コトプァの語る世界の話は、洞窟で寂しさを感じていたおれにとって最高のものであったから、石なんていくらでも持って行って構わなかった。


 だが、そんな日々も終わりを迎えた。


 ある日、いつものようにコトプァが窪地に降りてきて外の話を聞いた帰り。

 洞窟の出口に立った瞬間、コトプァはピタリとその歩みを止め、コトプァはその場にドサリと倒れた。


 おれはギョッとしてコトプァに駆け寄った。見ると、コトプァの胸に小さく矢が刺さっていた。


 おれは窪地の上を睨む。そこにいたのは俺の知る姿の人間だった。

 手に筒状のものを持っている人間が四人、驚いた顔でおれを見た。おれの姿を認めると人間たちは互いに顔を見合わせて、窪地から顔を引っ込めた。


「ペピピめ……」


 おれは体中から血が沸き上がる想いだった。コトプァはぜぇぜぇと荒い息と合わせて、うわごとのように恨み言を吐いた。

 おれは窪地の坂を駆け上がった。この地に産まれてすぐの頃、一度窪地から出ようと試してからこの坂を登ろうと思ったことはなかったが、成長した竜の体は難なく窪地から脱した。

 初めての外を楽しむ余裕などなかった。人間ペピピ達を追い、おれは背中に生えた翼を羽ばたかせた。おれの体はふわりと浮き上がり、人間ペピピの頭上に躍り出る。おれは爪をたて、重力に任せて人間の喉元向かってし掛かった。


「ぐえ」


 間抜けな声と共に人間ペピピの頭が潰れた。残りの三人にも同じようにして圧し掛かり、顔を、腹を、喉を潰した。


 ぬらぬらと赤い人間ペピピの血を土で拭うと、おれはすぐにコトプァのもとに戻った。

 コトプァの体の下には血だまりが出来ていた。おれはコトプァに駆け寄る。気付くとおれの体は、人間になっていた。人間の体でコトプァを抱き上げ、肩に乗せる。


「おれだよ、コトプァ」

「……お、お前お前、竜か?」

「あいつらは死んだよ」

「そうかそうか。やつら、お前の巣を独り占めする気だったんだ。おい竜よ竜よ、おいらもう長くねえ。家族んとこに行きたい」

「わかった」


 おれは再び窪地から出て、コトプァの案内に従い、森の中を進んだ。ヤママの集落に着く頃には、コトプァは息を引き取っていた。

 コトプァの子ども達と一緒にコトプァを埋葬した。人間の姿に化けられるようになったおれは、その子どもたちと一緒に暮らすことにした。洞窟の中とは違って靄の少ない集落では、おれも食べ物を食べなくては生きていけなかったが、それでも半年は何も食わなくてよかった。

 コトプァと違い、ほとんどのヤママは商売や農耕などはせず、森の中にある木の実や小動物たちを狩ることで生きていた。コトプァはヤママ達の中でもだいぶ変わり者だったようで、コトプァの子どもたちの住む集落は他のヤママ達の住む場所からは山一つ分は離れた場所にあった。

 コトプァのおかげで食糧庫や畑、狩猟犬を飼育する小屋なども集落にはあり、おれはもっぱらその管理をする役割や、子ども達の世話を任せられた。子ども達の世話をしながら、おれは彼らにコトプァから聞いた世界のことや、おれの知っている元の世界の物語なんかを聞かせて集落に根付いた。


 そうしているうちに、百年が過ぎた。


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