第2節 転生したら竜だった

 人生の終わりってのは大抵しょうもない。それを最初に実感したのは、自動車の運転でスリップして街頭にぶつかり、そのまま意識を失った時だ。


 そう。竜としての今世を始める前、おれは普通の人間だった。


 待ちに待った新作映画が封切りの日、おれは会社の有給を取り、逸る気持ちを抑えようとしながら車を運転して映画館へ向かっていた。

 だが、浮かれ気分が災いしたのだろう。季節は冬、雪の日。おれは少しでも早く映画館に着きたいと、人通りの少ない道を通って近道をしようとした。しかし道路はものの見事に凍結していて、一応スタッドレスだったはずのタイヤはスリップ。おれは制御を失ったハンドルを思わず反対側にきり、車体は転倒。


 死んだ。

 物語のように劇的でも何でもない、ただ単純にいかれポンチな気持ちと不注意がもとで、おれは人生を終えた。


 それが目を覚ました時には、見知らぬ洞窟の中にいた。


 暑さ寒さは何も感じなかった。その代わり、空気中を漂うキラキラとしたもやのようなものがくっきり見える。それがこの世界で魔力と呼ばれるものだと知るのはだいぶ後のことだが、目を覚ましたおれにはその靄はまるで連休中に行った流行りの店のケーキみたいに魅力的に見えて、衝動的にパクリと口にした。口の中に広がる芳醇な甘みにおれはくらりと魅了され、漂う靄を首を伸ばしてパクパクと食べて腹を満たした。

 お腹がいっぱいになる頃に、ようやくおれは自分の身体の様子がおかしいことに気付いた。おれのいた場所は洞窟の天井から落ちてくる水滴のために湿っていて、ところどころ水たまりができていた。その水たまりのうちの一つを覗くと、そこには小さな竜が映っていた。


「ピィィィ!」


 おれは驚き、声をあげた。だがその喉元から出てくるのは、誰か笛でも吹いたのかと思うような甲高い音で、それで再びおれは叫んだ。


「ピイイイイ!」


 さすがにおれはこの音がどこからか聞こえてくる笛の音なんかではなく、おれの声だということに気付いた。


 おれは竜になっていた。それもまだ卵から孵化したばかりの幼い竜だ。トカゲのような体の背に小さな翼が生えている。

 おれの周りには卵の殻のような白い粉々としたものが散乱していて、まだ割れていない自分と同じ大きさの細長い卵が何個か転がっていた。

 自動車事故で人生を終えたはずのおれは、なぜか洞窟の中に産まれた竜の卵から孵化したのだった。


 竜ってお前。じゃあここはどこなんだよ。自分が幼竜であることも正直呑み込めなかったが、それはとりあえず仕方がない。

 辺りに人は一人もいない。それどころか、生き物の気配すらしなかった。これも後から知ったことだが、竜は洞窟に卵を産む際に、そこにいる生物すべてを魔力の爆発によって死に絶えさせるそうだ。おれを産んだ母竜もまた、この大きな洞窟を産卵の場と決め、全ての生き物を殺しておれの宿る卵をうんだのだろう。


 外の様子を知りたい。おれは体の動かし方を学びながら洞窟の外に出た。だが洞窟は深い窪地の下にできていて、ほとんど崖のその坂を登ることは不可能だった。試しに翼もはためかせてみたがうんともすんとも言わない。

 それでも誰かに声が届くかもしれないと思い、毎日洞窟の外に出てピイピイと鳴くことが日課になった。

 これまた後に知ったことだが、竜はその幼体を百年で成長させるのが普通らしい。そうした種族として生まれ変わった影響か、そんな繰り返しの毎日もおれには苦にならなかった。きっと人間のままの精神であれば、ものの数日で発狂していたのではないかと思う。そもそも食べ物にありつけないか。

 敢えて言うなら、ここには本も映画もない。人間として生きていた頃は毎日のように楽しんだ物語がないことだけが一抹の寂しさだった。

 おれは夜、元の世界では見たことのないような満点の星空を毎晩のように見上げ、おれが竜として生れ落ちてから何日経ったのかわかるように、おれのうまれた洞窟の壁に毎日爪で傷をつけた。

 たまにおれの鳴き声につられて窪地を見下ろすリスや狼に似た小動物を見たり、日々変わる窪地の上の丸い空を見るだけでも十分楽しめた。動物たちは母竜の残した魔力の影響か、窪地の中に入ってくることはなく、ただおれをじっと見るのみだった。

 おれ以外の竜は、ついぞ卵から孵化することはなかった。皆、卵から孵る前に死に絶えたらしい。生まれる前から無常に死ぬとは、人間だった頃に間抜けにも自分の運転する車で事故ったおれはまだマシな命だったのだな、とおれは改めて感じた。


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