第5話 今度の殺人

 今度の誘拐が本当の誘拐であることは、犯人から送られてきたCD映像で見ることができた。

 そこには、どこかの廃業倉庫と言ってもいいようなところで、縛られているのが見えた。それを見た松島刑事は、二つのことを感じた。

 一つは、普通の感想で、もう一つは疑問だった。

 最初に感じたのは、

「この場所、どこかで見たことがあるな」

 という思いと、もう一つは、

「なぜ、こんな広いところで、わざわざ映像を映したのだろう?」

 ということであった。

 そもそも、どこかで見たことがあると思ったのは、その場所が、

「無駄に広い」

 と感じたからであった。

 その場所が無駄に広いという疑問から、

「どこかで見たことがある」

 と感じたのは、まるで、犯人が何かのヒントを与えてくれているのではないか?

 と感じたくらいである。

 何かに翻弄されながら、相手はヒントを与えてくれているというのは、

「相手は翻弄しているつもりだが、それが却って、ヒントを与えることになった」

 ということなのか、それとも、

「ヒントを与えることで、翻弄していることになるのか?」

 どちらにしても、目に映る効果とはまったく逆の効果を生んでいるとすれば、それは、犯人のやり方いかんが、松島刑事の中にあるアンテナに反応して、ヒントをつかみかけているのかも知れないということであった。

 それだけ、もろ刃の剣を持っているのだということになり、自分でも、それが、今までにおける、

「次点の男」

 という宿命から逃れられない運命だと思っていた。

 だが、次点であるということは、優勝はできないが、準優勝、つまり、メダルは確実にもらえるということであり、

「1度でもいいからトップになるのがいいか、それとも、長く、銀メダルでいられるのがいいか」

 ということであった。

「けがをせずに、いつまでも、選手でいられる」

 という細く長い競技人生を続けられることが、若いうちでは分からなかったが、長く続けられることを、評価してくれるようになる。

 表彰はしてくれなくとも、通算成績、つまり積み上げてきた成績は通算で、いつの間にか1位になっているというのも、当たり前のことである。

 人はそれを、

「いぶし銀」

 と呼び、努力家に対しての、これ以上ないというほどの賞賛というべきであろう。

 同じ読み方に、

「勝算」

 というものがあるが、そんなもの、最初からなくとも、長く続けられる人間は、最初から、いや、生まれ持っていたものだったといってもいいだろう。

 相撲取りなども、そうではないか。

 番付によって、その場所が終わってからの成績によって、その立場がまったく変わってくる。

 三役と言われる、関脇、小結の枠は、ある程度決まっていて、負け越せば、陥落、開いたところに、前頭からの勝ち越し力士の成績によって、這い上がってくる。ただ、これも枠が開く、開かないで決まってくる。

 大関や横綱に昇進するには、3場所の合計勝ち星などによって、審議委員会によって、推挙するしないが決まり、それを力士に訊ね、

「謹んでお受けします」

 ということになれば、昇進となる。

 負け越した時が、これまた違ってくる。

 大関が負け越すことになると、次の場所は、

「カド番」

 と呼ばれ、ここで負け越せば、大関が陥落することになる。

 ただ、横綱の場合は、どんなに負け越しても陥落することはない、残っている道は、

「引退」

 しかないのだ。

 そのままの成績で生き残ろうとするか、それとも、潔く引退するかということで、それだけ横綱というのは、まるで神のような存在でなければいけないのだ。

 これが、相撲の番付に対する決まりであり、神聖な国技と言われるゆえんなのであった。

 国技と言われるそんな特殊な競技である相撲と、今の自分を頭に描いていくことで、自分が、

「次点の男だ」

 と言われても、悪い方には考えないようになってきた。

 そのおかげか、捜査をする時も、いつも人と違った考えを出して、最初の頃は、

「松島さん、その考え方は、いくら何でも無理があるんじゃないですか?」

 と言われていたが、事件捜査が進むうちに、松島の考えている通りに捜査が進んだり、事件の背景の裏に見え隠れしていたものを、ズバリ見抜くようなところがあったりしてくると、さすがにまわりも、一目置くようにはなってきた。

 しかし、

「それはあくまでも、松島さんだからできることであって、自分たちには、そんな真似は決してできないですね」

 とは言われてきた。

 松島としても、

「そりゃあ、そうさ。俺のやり方を真似しようなんて、10年早いというもんだ」

 と言って、笑っていたものだった。

 そんな話をしていると、後輩の中には、

「こういう事件こそ、松島さんにはうってつけですね」

 というやつがいたが、それは褒められているのだろうか?

 痛烈な皮肉にしか聞こえないので、それなりにショックなのだが、今ではそれをショックだという顔はしなくなった。

 ニンマリとした表情を浮かべるようになり、四面楚歌になっても、ひるまないような表情は、無敵な顔をさぞ、していることであろう。

「人と同じでは嫌だ」

 と、ずっと昔から言い続けてきた。

 だから、まわりの人も、

「だから、松島さんは、いつも次点なんだよ」

 と言われ、

「皆分かっているじゃないか」

 と思っていたのだが、それも、個性だと思うと、

「自分こそが、影の一番なんだ」

 と思うようになっていた。

「人と同じでは嫌だ」

 ということは、逆にいえば、

「人が考えそうなことが分かる」

 ということである。

 それを分かったうえで、敢えて人と違う結果や考え方から入ることで、目指す場所は同じでもプロセスが違うと見えていなかった部分が見えるということでもある。

 ただし、それでも1番に絶対になれないということは、皆が考えていることが一番だということの裏返しでもあるが、それも1番になるには、完璧さが必要だと考えれば、普通なら2番になりそうな人よりも、人の見えない部分を見ている人間の方が上だといえるだろう。

 ということは、次点でありがなら、

「自分の方向から見ている自分はあくまでも一番であって、本当は、比較対象にしてはいけないことなのかも知れない」

 と思うようになってきた。

 次点というものを、続けていける間は、自分で誇りを持ってもいいという考えは、誰もが認めるものであろうと感じるのだ。

 世の中にいるたくさんの天邪鬼の人を見ていると、

「きっと彼らには、他の人には見えないものが見えている」

 と感じると、意外と犯人というのは、

「俺と似たような考えを持っている人なのかも知れない」

 と感じるようになったのだ。

 そんな中で、今度は、もう一人が殺されることになった。

 工場で作業員が殺されてから、1カ月ほどが経ってのことだった。

 今度殺されたその人は、実は、最初の工場作業員殺人事件の重要参考人の一人だったのだ。

 その人には動機はあったのだが、その人にはアリバイがあったのだ。

 そしていろいろ調べているうちに、実はその男の指紋が奇妙な指紋であるということが分かった。

 例のそれぞれの現場に残っていた指紋のように、指がこすれらような指紋だったのだ。

「やっぱり、メッキ工場だけのことはあるな。こういう指紋の人は結構いあるんだろうな」

 ということであった。

 これで、少し事件が複雑になってきた。

 殺された男は確かに重要容疑者であったが、第1の事件の被害者は、捜査をすればするほど、どんどん彼を恨んでいる人がたくさん出てきた。

 あの男は、結構な悪党で、人のウワサばかりを気にしていて、何かあれば、いつもそれをチェックしていて、脅迫のネタにしていたようだ。

 だから、

「殺されるほどの恨みを受けるわけではないが、とにかく、被害者を恨んでいる人というのは、相当数いたと思っていいだろう」

 ということであった。

「一人一人当っていてもキリがない」

 というほど、結構いたので、手当たり次第に当たっている間に、なかなか捜査も進まなかった。その間に、そのうちの一人が死体で発見されたのだ。

「最初の事件では、刺殺だったが、今回の殺人は毒殺ですよね? 同一犯の犯行だとみていいんでしょうか?」

 と他の刑事が言ったが、

「うーん、何とも言えないな。第1の殺人をこの男と、他に共犯者がいたりすると、その件で何かトラブルが起きたと考えることもできるし、何とも言えないな」

 というと、今度は鑑識の人が口を挟んできた。

「刺殺と毒殺の違いなんですが、刺殺の場合は、アリバイというものが重要になってくると思うんですが、毒殺の場合は、犯人がその場にいる必要はないんですよ。例えば常用している薬のカプセルの中に、毒薬を仕込んでおくということもできますからね。それに、何かの飲み物などに仕込んでおいたとしても、いつ飲むか分からないわけでしょう? そういう意味では、アリバイは、あまり意味のないことになりますよね?」

 ということであった。

「そういう意味で、最初の殺人は、却ってアリバイがしっかりしているのも、何か怪しいという思いがしていたんですよ。何らかのトリックでも使ったのではないかってね。でも、あの被害者は、たくさん容疑者になりそうな人がいたので、それも犯人の狙い目だったのかとも思ったんだよ。だって、容疑者が多ければ多いほど時間が掛かる。時間稼ぎをするには十分だからね」

 と松島刑事は言った。

「毒殺と刺殺の違いで、もう一つ大きなこととして、凶器の入手方法という意味で違いますよね? 視察に使うナイフや包丁などは、そんなに入手が難しいわけではない。ホームセンターや雑貨屋で普通に手に入るものですよね? でも、毒薬というとそうもいかない。青酸カリであれば、メッキ工場のようなところで手に入れることもできるでしょうが、一般人が薬局で手に入れるなどということは、ほぼ不可能ですからね」

 と鑑識が言った。

「もちろん、そうですよね。でも、第1の殺人では、板金工場の作業員が被害者だったわけでしょう? 今回の事件の被害者を殺した犯人が、もし板金工場に関係があったとすれば、どうなんだろうね?」

 と松島が言った。

「私は刑事ではないので何とも言えないですが、板金工場は閉鎖になったわけですよね? 犯人は、それでも、その凶器になりそうなものを、こっそりくすねていたということでしょうか?」

「それはできないことではないと思うよ。閉鎖のどさくさで少しくらいくすねるくらいのことはできたかも知れないが、そのあたりは、元の工場長に聞いてみないと分からないけどね」

 そんな会話が繰り広げられていた。

 今度の殺人が見つかったのは、被害者のマンションからだった。

 被害者はマンション住まいで、発見したのは、隣人の奥さんだったという。

 早朝の6時頃に、マンションの自分の部屋の入口前を清掃するのが日課になっていたという。

 その日も、他の住人とあまり顔を合わせたくないという理由で6時前から掃除をしようと、玄関先に出たのであった。

 まだ、この時期、6時前というと、あたりは暗い時間で、通路の電気は、深夜対応で、一つ置きにしか点灯していないので、ちょうど、隣の部屋の入口あたりは、暗かったのだった。

 いつものことのように掃除をしていたところで、隣の玄関から光が漏れていることに気づいた奥さんだったが、勝手に覗くわけにもいかないと思って気にはなったが、少しの間自分の玄関前をいつものように掃除をしていた。

 しかし、5分経っても、まったく様子が変わらない。とにかく、玄関が半開きになっているのが不思議だった。

 ドアチェーンが、チェーンではなく、まるで音叉に似た棒を扉のひっかけるところに、あてがうようにしておけば、半開き状態になるのだろうが、それをしているのかと思ったが、よく見ると、扉の足元のところに、靴が引っかかっているではないか。

 そして近付いてみると、同じように音叉の形のものが、扉の隙間から見えた。

「といことは、念入りに閉まらないようにしていたということか?」

 と感じて、中を覗き込んでみた。

 この細工は明らかに、

「中を覗いてくれ」

 と言わんばかりのもので、この様子は不気味でしかなかったのだ。

 奥さんも不気味に感じ、冷静になって、

「指紋を残してはいけない」

 と思いながら、タオルで右手と左手を撒くような形で、不自由ではあるが、両手で扉を挟むようにして、中に入ってみた。

「そうかされたんですか? 玄関が開いてますけど」

 と言って声を掛けながら中に入ってみた。

 扉が閉まらないように元通りにして、ゆっくり声を掛けながら中に入ったが、奥からまったく返事が返ってこない。

「おかしい」

 と感じた奥さんは、リビングの方に近づいていった。

 すると、何か、ツンとくる嫌な臭いがした。

「何なのかしら? この臭い」

 と思い、臭いを感じていたが、その臭いが、金属のような臭いであったので、

「まさか、血の臭い?」

 と思った。

 だが、それもちょっと違う気がした。それ以外に何かの薬品のような臭いがしたのだが、気のせいだったのだろうか?

 ただ、その薬品の臭いを感じた時、奥さんは、ふと、

「死んでいるとすれば、毒殺?」

 と感じたのだという。

 後で警察にもそのことを話すつもりだったが、どうしてそんな風に感じたのか、自分でもハッキリと分からないようだった。

 毒殺を疑ってみたせいもあってか、さっきまでの勢いはどこえやら、進むのが怖くなった。足が一歩も前に進まなかったのだ。

 その間がどれくらい続いたのだろう? 本人としては、

「永遠に続くのでは?」

 という恐ろしさに震えが止まらなかったが、意外とすぐに震えは止まった。

 何かのきっかけがあったのだろうが、その理由は分からずに、すぐに金縛りは解けて、また前進するのだった。

 そこには、想像通り、うつ伏せになって、顔を横に向けて倒れている被害者がいた。横から見ると、口から血が流れていて、さらによく見ると、その血が、フローリングの上に浮いていて、まるで血の池を見ているようで、今度は完全に、むせてしまった。

 被害者の顔は、断末魔に歪み、虚空を見つめている。

「こんな恐ろしい光景は、最初で最後なんだろうな?」

 と思うほどだった。

 一瞬、あっけにとられていたが、すぐに冷静さを取り戻し、警察に連絡した。すぐに来てくれるということであるが、さすがにここに死体と一緒にいるのは、耐えがたいと思ったが、今度は、身体を動かすことが億劫であり、その億劫さは、金縛りと変わらないくらいに、身体にまとわりついていたのだった。

 警察が、鑑識を伴ってやってきた。

 奥さんは知らないが、例の松島刑事と、いつも議論している鑑識官であった。

 今回の被害者は、ハッキリとは分からない。だが、かなりかかってのことだが、被害者のことが分かると、

「まさか、あの人が殺されるとは思ってもみなかったな」

 と、松島刑事がいうと、

「松島刑事は、彼のことをご存じなんですか?」

 と鑑識に言われて、

「ああ、この間、ほら、ちょうど1カ月くらい前に、板金工場で作業員の橋立という男が殺されたのを覚えているだろう? あの事件の容疑者の一人だったので。一度会ったことがあったんだけど、別に普通の会話をしただけだったんだ」

 と松島刑事がいう。

「じゃあ、同じ人が犯人なんですかね?」

 と鑑識が聞いてからの話は、前述のような会話になったわけだった。

「とりあえず、死亡推定時刻としては、日付が変わったことくらいだと思います。先ほども言いましたように、毒殺の場合は、この場所に犯人がいなくても、成立するということですね」

 と鑑識が言った。

「それは分かっているんだけど、私が気になったのは、そんなことではないんだ」

 というと、松島刑事は、今度第一発見者の奥さんのところに来て、

「奥さん、詳しいお話は後程伺うことになりますが、まず確認したいのは、あなたが、この死体を発見した時、表の扉は半開き状態で、閉まらないようにしていたということでしたね?」

 と聞かれた奥さんは、

「ええ、このマンションは、オートロックになっているので、扉が閉まってしまうと、そのままカギも閉まってしまうんですよ。だから、カギが閉まらないようにするには、ドアチェーンの代わりの、ちょうど音叉のような形の金具を扉のつっかえ棒のようにするか、靴か何かで、閉まらないようにするかしかないんですが、ご丁寧に、両方されていたんです」

 という。

「ということは、犯人、あるいは誰かが、この状態を早く発見してほしいと思ったんでしょうね。幸い、奥さんがこの時間、玄関先を掃除するということを知っていた人がいたとすれば、奥さんが最初に発見することになるんでしょうね?」

 と言われ、

「私が掃除をしているのを知っている人は、それほどいないと思いますが?」

 と奥さんが言ったが、奥さんが知らないだけで、意外と知っている人はいるのかも知れない。

 まわりをあまり気にしすぎて、コソコソしていると、意外と目立ったりするものだからである。

「そうですか。ただ、奥さんが発見してくれたおかげで、この時間という比較的早く死体を発見することができたわけだ」

 と松島がいうと、

「でも、それだったら、何も深夜である必要はないのでは?」

 と鑑識がいうと、

「あなたが自分で言ったではないですか。毒をいつ飲むかは、誰にも分からないってね」

 というと、鑑識は黙ってしまった。

「ただ、そうなると気になることがあるんだ」

 と松島が言った。

「どういうことですか?」

「玄関先のことなんだよ。誰がどういう目的で扉を半開きにしておいたかということだね? 犯人がすぐに発見されるようにしたのだとすれば、それは死亡推定時刻をハッキリさせて、アリバイがあるのを証明させるということには使えそうだが、毒殺ではそれも違う。しかも、被害者が苦しみ出した時、この場にいた人間の細工であるとすれば、何のために? 犯人なのか、犯人ではないかということだよね? それを考えると、何かこの事件には引っかかるところがあるんだ。しかもだよ。この被害者が、1カ月前の被害者と、関係があったということも非常に気になる。あの時はアリバイがあって、捜査線上から消えた人物だったんだけどな。今回の事件と、前の事件が繋がっているかどうか、それもハッキリとしないじゃないか?」

 と、松島刑事が言った。

「毒殺されたということで考えると、普通は、犯人が別だということで、連続殺人ではないと思わせるためなのか、本当に犯人が別なのか、結果的には犯人が違うということであっても、殺害方法を変えたということが、意味のあることなのかどうかが犯人にとって、何か意味があることなのかって考えるんですよね」

 と、鑑識員が言った。

「犯人が違っていれば、連続殺人ではないのだけど、それぞれの被害者にかかわりがあるということになると、どこまでが偶然なのか、それとも、すべてが偶然だということはないだろうから、あとの犯人が、前の殺人には関係ないと思わせた可能性もあるよな」

 と松島刑事がいうと。

「犯人を別だと思わせたいのは、このままだと連続殺人ということにされてしまうのが怖いということですよね? ということになると、今回の犯人は、前の時の犯罪において、自分にはアリバイがないと思っているのではないでしょうか? だから、今回の犯罪で自分が疑われれば、前の殺人も犯人にされると思っているのかも知れませんよ?」

 と鑑識がいうと、

「それはありえないことではないが、果たして、どうして、前の殺人と今回の殺人が結びついていると、今回の犯人が分かるんだい? この二つのつながりは、あくまでも警察は捜査したうえで分かったことで、よほど、被害者二人に近い人間でもなければ、そこまでは思わないと思うんだ。そのあたりから、捜査してみる必要があるのだろうか?」

 と、松島は言った。

「確かにその通りですね。それを思うと、今回の犯人が何か必要以上なことを知っているか、あるいは、まったく前の殺人と意識することがないかという判断になりますね」

 と鑑識は言った。

「そうなんだ。だから、その違いによって、事件の見る方向がまったく違ってくることになる。それが今回の事件の問題だといってもいいだろう」

 と、松島は言った。

 松島は、まず、第一発見者である、隣の奥さんに話を聞いてみた。

「奥さんは、いつも。この時間に掃除をされるんですか?」

「ええ、他の人と会うのが気に入らないので、なるべく、人と会わない、6時前くらいに掃除を始めるんです。中には早く出て行かれるご主人さんもいらっしゃいますが、そういうご主人は、ほとんど会話もありませんから、気にすることもないんです。どうしても、近所の奥さんとの顔を合わせるのが嫌なものでね」

 というのであった。

「なるほど、奥さんによっては、こんなに早い時間に掃除をする人はあまりいませんからね」

 ということだった。

「昨日から今日にかけての日付が変わる頃、何か物音を聞かれませんでしたか?」

 と松島に聞かれて、

「いいえ、何も気づきませんでした。誰かと争っているという意味でですか?」

 と聞かれた松島は、

「ええ、そうです」

 というと、

「そんなのは聞こえませんでしたね? でも、これって毒殺なんでしょう? 口から血を吐いているのと、フローリングについた血を見ると、それはよく分かります」

 というのを聞いて、刑事は少しビックリした。

「あなたが気づくくらいに血がべっとりとついていたということですか?」

 と聞かれて、

「ええ、そうですけど、べったりとついていましたよ」

 と言われ、第一発見者をもう一度、事件現場に連れていった。

「これではどうですか?」

 と聞くと、

「まったく違いますね」

 と言った。

 先ほど見た時は、まるで、血の海のようになっていて、真っ赤な鮮血であることは分かった。それに、少しどす黒さもあったので、吐血であることは、素人にも分かるというものだった。

 しかも、あの生臭い金属臭。まさしく吐血で間違いない。薬物による毒殺であることは、見ての通りだった。

「あれだけの臭いがしたのだから、吐血だということは、ハッキリと分かりますよ。何しろ口から、血が流れていましたしね」

 というのだった。

「これはどういうことなのだろう?」

 鑑識も少し、戸惑っているようだった。

 自分では、

「よく分からない」

 とでもいうかのように、目の焦点が合っていなかったのだ。

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