第4話 誘拐の種類

「指紋が、自分をいろいろな、一見関係のない事件との間を結びつけている」

 というのは、何か気持ち悪い気がしたが、逆にいうと、

「これは、自分に与えられたミッションのようなものではないか?」

 とも思えたのだ。

 それを思った時、

「こういう考え方が、ひょっとすると、元々自分が警察官になろうとしたきっかけと結びついているのかも知れない」

 と感じたことと、関わってくるのか知れないと思った。

 普通、誰かから、

「どうして、あなたは警察官になりたいと思ったんですか?」

 と聞かれたとすると、

「正義を守りたいから」

 などという、ベタな回答は、聞いた本人も、

「そんな聞き飽きた回答を求めているのではない」

 と思い、聞いていて、腹が立ってくるかも知れないレベルである。

 もし、自分がその立場だったとすれば、間違いなくそう思うに違いない。

 ということは、どういうことを考えているのかというと、まずは、

「やりがい」

 というところから来るであろう。

 そうでない場合に考えられることとしては、今まで生きてきた経験から、目の前で犯罪が行われ、それに対して無力だったということが証明されるようなトラウマを持った経験をしていると、

「二度とあの時のような後悔や、悔しさを感じたくない」

 という思いから、

「腹が立つ」

 という自然な感情が沸き上がってきて、それを表現すると、

「正義感」

 という言葉になったのだとすれば、分からなくもないが、普通にこの言葉を聞いた人がそこまで相手の考えていることを推理してくれるだろうかと思うと、まずできるわけがない。

 何しろ、その人が密かに抱えているトラウマなのだから、超能力があったり、その人が神様でもない限り、ありえることではないであろう。

 そういう意味で、

「どうして警察官になったのか?」

 といきなり聞かれると、すぐに答えられないのが普通の人間というものだ。

 絶えずそのことが頭の中にあるのであれば、無理なく出てくるだろうが、それこそ余計な発想であり、普段からそのことを考えていると、却って、毎日の業務の障害になってしまうと考えた方がいいだろう。

 それでも、即答できるとすれば、定型文のような、

「正義感」

 というベタな言葉しか出てこないだろう。

 だから、ベタな答えを聞き飽きたと思うのは当たり前のことで、聞かれた相手が、絞り出すようにして出てきた答えこそが、その人の本心なのだと思うのだった。

 そういう意味で、

「前向きでポジティブなことが重要である」

 ということに、絞り出す時に気づくはずなのだ。

 だから、与えられたことを、自分のやりがいなどに対するミッションと捉えることができれば、それが、その人の、

「警察官になった意義」

 なのではないだろうか。

 それは人それぞれにあるだろう。

 警察官の数だけあると言っても過言ではない。だから、答える時も絞り出すように答えるわけだから、簡単に出てくるわけではないということで、

「それだけ言葉に重みがある」

 と言ってもいいのではないだろうか?

 それを思うと、

「今の自分は、そのことを

 思い出そうとしているんだろうな?」

 と、松島は感じていた。

 一口に人の身柄を拘束するという意味で、誘拐、略取などがある。

 略取というのは、暴力や脅迫によっての強制的なものであるのに対し、誘拐は、欺罔、誘惑などの間接的な手段を用いて、人の自由を奪い、自己または、第三者の管理下に置くというものである。

 そういう意味で、誘拐というと、基本的にそれだけにとどまらない場合が多い。

 つまり、誘拐することで、利害関係のある人に対して優位性を持ち、その相手に、何らかのいうことを聞かせることを目的とするものだろう。

 目的によって言われる誘拐として、

「営利目的の誘拐」

 あるいは、

「身代金目的の誘拐」

 とに、大きく別れることになるだろう。

 前者は、営利だけではなく、猥褻、結婚目的もこれに入るので、本人に対しての加害を目的とし、身代金目的の場合は、その名の通り、金銭と誘拐した相手の交換を目的としたものになるのだ。

 そういう意味では、営利目的の誘拐は、拉致と言ってもいいかも知れない。

 そういう意味で、営利目的の場合の、猥褻、結構目的の誘拐の場合は、あまり表沙汰になることは犯人の意図するところではないだろう。事件として表にでることは少ないかも知れない。

 逆に身代金目的となると、犯人が、今回のように、誘拐を予告するというのは、あまり考えにくい、なぜなら、誘拐が最終目的でなく、あくまでも、誘拐した相手を交換条件として、金銭を得ることが最終目的になるのだから、当然犯人側とすれば、

「警察には知らせるな。知らせると、人質の命はない」

 というのは当たり前のことである。

 誘拐犯としても、誘拐だけならまだしも、殺人犯などにはなりたくないだろう。目的は殺人ではないのだ。金さえ入れば、あとは、身の安全さえ保障されればそれでいいということになる。

 ただ、誘拐というのは、結構難しいものではないだろうか。

 まず、誘拐するには、基本的には一人では難しい。誘拐するだけで、数人の手を煩わせることになるだろう。

 相手が睡眠薬で眠っていたり、自由を奪われていれば、一人でもできるだろうが、相手だって、自由を奪われようとすれば、必死で抵抗するはずなので、そう考えると、1対1というのは、実に無謀だと言ってもいいだろう。

 さらに、監禁するための、場所の確保、その場所が人には知られないような厳重な場所っであったり、そこに誘拐した人がいるということを人にバレないようにしないといけない。

 それを思うと、誘拐という犯罪は、結構なリスクを伴うことだろう。共犯者が必要なわけなので、当然のことながら、彼らに対して、金銭的な見返りが必要になる。そうなると、誘拐を企てた時点で、成功した時に得られる金銭は、すべてが自分のものになるわけではなく、最初から半分あるいは、それ以下になってしまうのが分かっている。

 当然、誘拐は成功しなければ、すべてを失うという意味で、中途半端なことはできない。

 復讐にしても、身代金目的にしても、

「成功することありき」

 なのであった。

 そういう意味で、今回の犯罪は、なぜ最初に予告があったのか、よく分からない。しかも、半年前には同じように誘拐したと電話がかかってきたり、脅迫状が届いたりしたにもかかわらず、

「実は誘拐などという事実はなかった」

 ということで、

「人騒がせないたずら」

 ということになったのだ。

 もちろん、それだって相手に対しての脅迫ということで、脅迫罪が成立するだろう。当然、形式的かも知れないが捜査が行われ、指紋等の物証というのは証拠として残り、調書も残されているのである。

 ただ、真剣に捜査をしていたわけではないし、それ以降、何も起こらなかったわけなので、犯人が逮捕されることはなかった。

 だから、捜査員の中には、今回も、

「前の時と同じで、愉快犯か、前の事件を知っていての、模倣犯のようなものかも知れない」

 と思っている人もいるだろう。

 だが、実際に警察の目を盗んで、誘拐などできるのかどうか、不思議だった。

 まるで、昔の探偵小説を読んでいるかのような、誇大演出による、カウントダウン。それこそ、小説を模倣したという意味で、愉快犯のイメージが強かったのだ。

 だから、カウントダウンがゼロに近づいて行っても、警察の方では緊張感はさほどなかった。

 それよりも、

「早くゼロになって、何もなかったことでホッとした気分になれればいい」

 と、却って、カウントダウンがゼロになるのを待ちわびているくらいであった。

 誘拐されると予告された女の子は、高校2年生の女の子で、眼鏡をかけた、実に静かな女の子で、クラスでも目立たない存在だった。

「家が金持ちだ」

 ということを知っているクラスメイトも少なく、昔であれば、女王様扱いされるくらいだったのだが、本人がおとなしい性格ということからなのか、それとも、今の時代は、近所づきあいと同じで、クラスメイトであっても、別に仲良くもない相手のことは、どうでもいいと思っているからなのか、ほぼ誰も気にしていないというのが、本音であろう。

 だから、警察が、学校近くで張り込んでいても、誰も何もいうことはない。目ざとい人は、当然気づいているだろうが、自分に関係のないことでは、何も言わない。

 下手に先生に言って、もし、それが何でもないことだったら、先生から、

「余計なことをいうんじゃない」

 と、生徒が勇気をもって連絡してくれたことであっても、自分が煩わしいことに巻き込まれたとでも思うのか、生徒のせっかくの親切を踏みにじることになるのが先生なのではないだろうか?

 生徒が思っているほど、先生は生徒のことを考えていないだろう。

 といっても、

「先生が生徒のことを思ってくれている」

 などという殊勝な生徒は、ほとんどいないだろう。

 もっとも、そういう生徒でもなければ、学校のまわりで怪しい人物が徘徊していたとしても、先生に話すことはない。

 かと言って、直接警察に話すこともないので、ほぼ誰も怪しいことがあったとしても、見て見ぬふりをするに違いない。

 そんな生徒と先生の間に、信頼関係などが生まれるはずもない。それはクラスメイトに対しても同じことで、結局、

「自分の損益にしか、関心がない」

 ということであり、

「自分のことしか考えていない」

 という社会と同じ構造が、学校という小さな社会でも、縮図となっていることだろう。

 いや、

「学校という社会が、社会全体の縮図という形で君臨しているのかも知れない。時系列から考えると、成長の過程において、学校が存在するのだから、まず学校というところにいることで、自分のことしか考えない社会が出来上がるのだろう」

 つまりは、社会に出てから、

「学生時代はよかった」

 と思うのは。目に見えた形のものであり、

「学生なら許される」

 というものが、多かったからだろう。

 社会構造が、学生時代の方がよかったわけでも何でもなく、卒業する頃には社会人になってからも変わらぬ社会が広がっているというものなのではないだろうか。

 むしろ、会社にいる時は、まわりに気を遣ったり、まわりの秩序を守ろうという風潮からの、

「大人の世界」

 が存在するが、子供の世界には、そのような秩序はほとんどないので、学生時代の方が、あまりまわりに気を遣うことのない人は多いのかも知れない。

 だから、露骨な苛めなどが、集団意識の中で起こっていて、それを隠そうとしないのが学生時代である。

 大人になって苛めがないわけではない。それは大人の世界ということで秩序を重んじようという体裁ばかりを気にすることで、第三者が見ていて分からない部分が多いのだろう。そうなると、本人たちにしか分からない世界が成立していて、派閥のようなものがあったりするのも当然のことであろう。

 その子が誘拐された日、最初、彼女が誘拐されたことを誰にも分からなかった。

 見張っている人も、まさか誘拐されていると思わずに、正直油断していた。

 というのは、カウントダウンということに、あまりにも意識が行っていたので、

「まだ、あと3日ある」

 と誰もが思っていたのに、その3日を残して、その子は誘拐されてしまったわけだ。

 まるで、ルパンが予告道理に犯行を行う犯人で、表に大きな時計台があるところでの犯行を行ったのだが、警備の人間も、誰かもが、表にある時計台の時計を目印にしていたのだ、

 その時、時計を5分進めてておいたので、犯人は、ちょうど12時になって、電気を消して、すぐにつけたとすると、実際に目の前には狙われたものは存在した。

 元々、それを狙うために近づくこともできなかった。なぜなら、赤外線のようなレーザー光線のようなものが張り巡らせていて、下手に触ると、焼け死んでしまうという仕掛けがあった。

 犯人は、それを知っていて、12時になった時点で、

「物はもらった」

 というので、物はあるように見えるが、てっきり入れ替えられていると思い、急いで警備を時、それを、確かめようと、蓋を開けるのであった。

 すると、犯人は磁石のついた糸を上から垂らし、速やかに奪い取ることに成功した。

「必ず約束を守ると言ったお前が、こんな卑怯な真似をするなんて」

 と言って、警察は地団駄を踏んだが、考えてみれば、相手は泥棒なのであって、別にルールのあるスポーツのような競技をしているわけではない。

 それを、勝手に警察が、

「やつは、ルールを守ることをモットーにした犯人である」

 という先入観があったのが一つ。

 さらに、犯人は約束を破ったわけではなかった。何しろ、前述のように、時計を早めていただけなので、それを皆が信じただけだ。

 犯人にとって、柱時計が表にあるということが、この事件を計画するに至った一番の理由だったのだ。

 人間の心理として、

「一番見やすいところにあるものを見てしまう」

 という発想と、

「皆同じものを見ている」

 という集団意識による安心感が、勘を鈍らせた、あるいは、狂わせたといってもいいだろう。

 つまり、このようなことが犯人にとっての心理戦であり、まんまと警察は心理戦に敗れたということであった。

 そして、これこそが、アリバイトリックの基礎になるものだといえるのではないか?

 探偵小説の起源には、シャーロックホームズのようなものや、犯人が泥棒であり、その犯人自体が主人公たりえるということでもある、いわゆる、

「ルパンもの」

 というものも存在したのだ。

 そういう意味では、ルパンによるトリックが警察を手玉に取るという話も、探偵が、犯人を手玉に取るような話と同じで、読んでいる人間を爽快な気分にさせるものではないだろうか?

 そういう意味で、今度の犯人は、あとまだ3あるのに、その日に誘拐してしまったというところに何か理由があるのかどうか、今のところ分からないが、

「そもそも、送られてきた数字が、誘拐までの日付のカウントダウンだ」

 ということを、誰が言っているのだろうか?

 別に犯人が、

「誘拐まであと何日だ」

 と断言しているわけではない。

 ただ、数字が入っているだけで、カウントダウンであるという証拠でもない。それを勝手に被害者側も警察も思い込んでいるだけで、犯人側からすれば、相手を欺いているわけでも何でもない。

「警察は、どうせバカだから、こういう演出をすれば、カウントが0になるまでは、大丈夫だ」

 と、犯人は思ったことだろう。

 警備も完全に油断していたのだろうが、これも、ひょっとすると、被害者側が数字がカウントダウンだといって、警察に強烈な印象を与え、そう思い込ませたのかも知れない。犯人による洗脳ではなく、何と被害者側が過剰に判断してしまったことでの洗脳だったのだ。

 被害者とすれば、これほど愚弄されたことはないと思ったことはないだろう。だが、被害者側からすれば、無理もないこと、肉親が誘拐されようとしているのだから、当然気が気ではないはずだ。そして、もし誘拐されたとすれば、自分の無能さを思い知ることになるのだからである。

 そういうことで、犯人はまんまと誘拐をやってのけた。見張っていた警察も、かなりあたりを探してみたは、完全に忽然と消えてしまったのだ。

 そもそも、彼女の行動パターンは決まっていた。いわゆる、ルーティンが決まっていたということである。

 それも、警察が甘く見ていた証拠だ。そのため、犯人に悟られないようにするという目的で、念のためということで、パスワードを定期的に変える感覚で、見張っている刑事を距離で分けてやっていたのだ。

 その日に限って、ルーティンが少しずれてしまった。そのため、刑事は普段はいかない場所へといざなわれたのだが、その時、待っている方の尾行者が、まだ、来ないということで探し恥じえた。

 その時、もう一方の尾行者とかち合わせしたことで、

「どうしてだ? 今日は行動が違うではないか?」

 と言って、そこで呼び止めて聞くことにあった。

 そこで、尾行者の間に大きな隙ができたのだ。

 尾行者としても、まさか、その隙に誘拐されるなど思ってもみなかったので、しばし、尾行者同士で、事情を説明する時間ができたのだ。

 それが油断とも重なって、本当にいなくなったことに気づくまでに、さらに時間が掛かってしまった。

 尾行者側も、指揮していた側も混乱してしまった。

 最初は、警察も密かに捜査をしていたが、カウントダウンがあまりにも露骨だったので、尾行の専門家を数名派遣することになった。

「捜査員は避けないが、尾行員くらいなら、出すことができる」

 ということで、昨日くらいから、今回のような、

「数人による尾行」

 が行われるようになったのだ。

 そのおかげで、警察も、

「これで、万全だ」

 と思っていたのだが、蓋を開けると、まんまとしてやられたことになった。

 もちろん、警察も気を付けていたのだろうが、犯人側のカウントダウンがあまりにも鮮やかな手口で、手が込んでいるのを感じると、騙されてしまうのも、無理もないかも知れない。 さすがに、犯人側を、

「卑怯だ」

 とまでは思わなかっただろうが、逆にそれだけ自分たちの無能さが証明されたことが、これほど悔しいものかと思ったことだろう。

 昔だったら、切腹ものだったに違いない。

 それにしても、犯人の手口はあまりにも鮮やかだった。いくら警察が無能だったとしても、ここまで鮮やかなことができるはずがないと思われた。

 実は刑事として、怪しんでいることがあったのだが、

「今の自分の立場からは、決して言えない」

 という思いがあるからか、どうしても、口にできなかった。

 下手に口にしたとしても、

「そんなものは、自分の落ち度に対しての言い訳でしかない」

 と思われるに違いなかったからである。

 それを考えると、

「実に犯人側が最初から鮮やかに、そして周到に計画された事件」

 だといってもいいだろう。

 思わず刑事としても、苦笑いをせずにいられない。

 ここまでの屈辱を味わされたはずなのに、なぜか相手をあっぱれだと思えてくる自分が情けない。

 それにしても、どこまでが犯人の計算通りのことなのかが分からない気がした。だが、これで刑事の頭の中には、

「犯人側は単独犯ではなく、共犯者と言われる人が、少なくとも一人はいることが決定した」

 ということは分かった。

 それも、言えないくらいの屈辱感と敗北感に苛まれた刑事は、今は頭に血が上っているが、次第に冷静になっていくのを待つしかないのだった。

 そんな中で、一連の事件を思い返してみると、

「何か、手玉に取られているような気がする」

 と感じた。

 この手玉に取られている感覚が、

「前にも味わったことがある感覚だ」

 ということを思い出した。

 すると、松島刑事は自分が子供の頃から学生時代までを思い出すのだった。

 松島刑事というのは、よく友達から、

「惜しい男だ」

 と言われていた。

 それは、最近よくある皮肉として言われることで、

「残念な」

 というような意味ではなく、正直、

「ガチな」

 という意味での、惜しいということだったのだ。

 なぜそのような言われ方をするのかというと、それは、

「いつも、次点だからだ」

 という意味である。

 要するに、いつも1番は変わっているにも関わらず、2番目という位置は絶対に譲らないという意味であり、1番にはなれないが、3番以下ということもない。だから、1番の人が落ちるのは、2番ではなく、3番ということになるのであった。

 自分でもなぜ、こんなことになるのか分からなかった。まわりからは、

「神掛かっている」

 といわれてきた。

 1番はいつも違うのに、2番だけが変わらないというのは、奇跡に近かった。なぜ、そんなことになるのか、最初は分からなかったが、大学生になった頃に、ふと感じた思いが、自分の中で、

「間違いない」

 という発想になったのだ。

 それはなぜかというと、

「松島という男は、天邪鬼だ」

 と言われることに由来していた。

 他人とは、いつも違う発想をする。逆に言えば、他人と同じであることが嫌だったのだ。

 他人と同じことを発想するのが嫌なので、逆に正反対のことを何とか理由をつけて、強引にでも。正当に持ってこようとする。それには、正反対のことでなければ、成り立たないのだった。

 まったく正反対であれば、その中間に、相手が見えないものが存在することであり、相手にも自分のことは分からないが、自分も相手のことが分からない。相手はそんな意識はまったくないので、無心で戦う相手には絶対に勝てないのだ。

 自分には、相手のことが見えないということが分かっているからだ。その分、どうしても相手に気後れしてしまう。それはどうしようもない。逆にそれが分かっていなければ、気後れはしないが、相手も自分を分からないということによる自信がつかめないので、相手に対して優位になれる可能性もあるが、それ以上に2位よりも下に落ちるというリスクの方がはるかに高いのだ。

 それを思うからこそ、どうしても、他人と同じでは嫌だと思うことから逃げられない。だが、これがずっと今までの自分の性格を作っていることに間違いはなく、そのおかげで今の自分があるのだと思っている。そのことが、自分を2位でも、世の中に君臨しているということにさせてもらえたのだ。

「1番になってしまうと、自分ではなくなってしまう」

 と思っていた。

 ポジティブに考えると、1番になると、それ以上を求めることができなくなり、大げさであるが、生きる意味を見失ってしまうのではないだろうか?

 しかし、2番であれば、

「いつかは1番になれることを夢見て頑張れる」

 と思うことで、モチベーションを保つことができる。

 無意識ではあるが、目標を失うことが、最高に怖いことなのだろう。

 そして、さらに考えることとして、

「5分先を歩いている自分が見える」

 という暗示でもあるのだった。

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