第24話 ヨハナの死
家柄が絶対的な重みを持っていた時代です。クリスティーネは、ある貴族の家の娘で修道院に入っていたこととされ、婚姻の一年前に我が家を旅立ちました。
それから一年がたって、六月の夏至の日が結婚の日です。それに合わせるようにホルツとヨハナは、馬車に乗り、何日もかけて、遠い北の侯国に着きました。久しぶりに会ったクリスティーネは、全く別人のようでしたが、気立てがやさしい、彼らの娘に違いはありませんでした。
クリスティーネの結婚式の日、空は晴れ、天もクリスティーネと青年貴族の結婚を祝ってくれているようです。ホルツとヨハナは、壮大な教会の遠くの席から、クリスティーネを見つめていました。白いバージンロードを歩くのは、養親の貴族とクリスティーネです。ああ、あそこで、娘の腕を支えてやりたかったとホルツは、ため息をつきました。
しかし、娘は、これで幸せになれるのだからと、ホルツとヨハナに悔いはありませんでした。クリスティーネの結婚式が終わり、ホルツとヨハナは、又、馬車の人となりました。
帰りの旅の間、ホルツは、ヨハナの変化が気になりました。ヨハナは、クリスティーネの婚礼が終わってから、魂が抜けた人のようになっていったのです。
何日もかかって、ようやく、自分の家に到着すると、今までの重荷をおろしたかのように、ヨハナは床につきました。医者が呼ばれましたが、どこが悪いのかわからず、首をひねるばかりです。それは、かろうじて燃えていたろうそくの火が消え尽きるかのようでした。
そうして、クリスティーネの結婚式の日から、一年が経とうとした頃、ヨハナは、己の死の近いことを悟りました。
もう幾日ももたないと医者から宣告された日の夜、ヨハナの思いを痛いほど感じていたホルツは、ヨハナが亡くなる今こそ、約束しておいた心の扉を開こうとしました。
苦しげに息をしていたヨハナが、今は、静かに目を閉じています。ホルツが、ヨハナが目覚めることを待っていると、その気配に気づいたのか、ヨハナは、目を開け、ホルツをじっと見つめました。
ホルツは、苦しくはないかと尋ねました。言葉のかわりに、ヨハナがかすかに、うなづきます。ヨハナに苦しさは、ありませんでした。あったのは、ホルツへの気がかりでした。
死の直前のベッドで、ホルツは、ヨハナに、
「私の罪を聞いてほしい」
と頼みました。本来であれば、むしろヨハナが、告白したかったでしょう。
ホルツの「度を越した施し」に、どうしても納得できなかったヨハナは、夫が、今際の際に、告白してくれることに喜びました。
「夫婦の間に、隠し事があっては、なりません。たとえ、あなたが、罪を犯したとしても、その償いには、私もお供します」
ヨハナが、絶え絶えに言うのを聞いて、ホルツは嬉しく思いました。もっと早くに話していればとも。
ホルツは、奉公が開けて村に着く前日に、泊まった宿の壁の穴にあったお金を盗んだことを告白しました。
それを見ていたのは、煤けた天井、とっくに火の消えた炉、テーブルにおかれたろうそくと、いつ付いたのかもわからないテーブルの古い傷、天井から壁に沿って映る自分の黒い影、そして、壁のいびつな穴の中のマリア様の像、影ぼうしの中にいる鳴かないコオロギだけだったと。
「あなたが戦っていた自分の中の悪とは、それだったのですね。それを聞いて安心しました。ホルツ、今まで、ありがとう」
とヨハナが、ホルツにお礼の言葉を言いました。その目には、涙が浮かんでいました。
その時、母の死に目に会いたいと、夜を日に継いでクリスティーネが、婚礼いらい、初めて家に戻ってきました。八頭立ての豪華な馬車が、ホルツの家の前に停まると、
「侯爵夫人のお着きだ」
という声が、聞こえます。
「クリスティーネ、間に合ってよかった」
ホルツが、涙にくれて娘を迎えました。
ヨハナは、ホルツとクリスティーネに見守られて、旅立ちました。それは、静かな死に顔でした。
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