第19話 ホルツ マイスターとなる
ドアの前に立つと、ホルツの部屋から、声が聞こえてきます。どうやら、ホルツの声のようです。それは、独り言というよりも、誰かが、そこにいて互いに話をしているようでした。
ヨハナは、そっとドアに耳をつけました。
「コツコツとドアを叩くのは、なみだ指さんかい」
とホルツが呼びかけると、別の声が、
「そうです、私です。なみだ指です。あなたの心の扉を開けに来ました」
と返事をしました。
しかし、その声を本当に聞いたのかと問われたら、ヨハナは、間違いありませんと答えるのは、難しいように思われました。そう言っているような、言っていないような、聞こえる人には、確かに聞こえるというものだったからです。
それにしても、なみだ指という言葉にヨハナは、なつかしさを覚えました。それは、ヨハナが、小さかったとき、村のすみにある石垣のそばで、ぼんやりと立っていた時のことでした。
ホルツが、大きなドングリのぼうしのかぶさった右手の親指をくねらせて、蛇だ蛇だと言ったり、なみだ指がぼうしをかぶって、お通りだと言って、面白おかしく指を曲げたりのばしたりしてくれました。その時、ヨハナは、ホルツの本当の優しさにふれた想いがしたことを思い出しました。
しかし、なみだ指には、悲しい思い出があったことも確かです。ホルツは、気にしていないと言っていましたが、やはり、亡くした親指のことが、気になっているのでしょうか。
心の扉とは、何でしょうか。何か、ホルツには、恐ろしい秘密があるのか。ヨハナは、そっとホルツの部屋の前から立ち去りました。
ホルツは、自分の施しについては、絶対、他人には話しませんでした。しかし、そういうことは、特に善いことは、すぐに広まるものです。
そうして代官や王様の知るところとなりました。先ず、代官から、褒美があり、王様からは、おほめの言葉がありました。ホルツは、親方の名前を汚さないようにと、今まで以上に働きました。
ホルツの働きを見て、親方は感じ入りました。ただの小僧かと思っていたら、立派な木ぐつ師になり、木ぐつ師になったと思ったら、今度は、えらい働きようだ。こいつは、人の上に立つ人間だ。
二人の間に、子供が生まれたのを喜び、さらに王様からおほめの言葉まで、もらったホルツこそ、跡継ぎがいないことを不安に感じていた親方にとって、人に誇れる跡継ぎでした。
親方は、ホルツ夫婦にあとを継いでくれるようにと頼みました。ホルツにとっては、夢のような話です。ホルツは、自分がなぜ、それほど働くのかは、親方に黙っていました。
それから、何年が過ぎたでしょう。親方夫婦は、亡くなって、ホルツが、新しい親方となりました。ホルツの木ぐつは、丁寧に作られて、はきやすかったので、飛ぶように売れていきます。
今や、ホルツは、何人もの職人を雇い、見習の弟子たちを数多く抱える、代官にも顔が効く町のマイスターとなりました。
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