第15話 夫婦の旅職人
婚礼の日の翌日、ヨハナがホルツに尋ねました。
「ホルツ、これからどこに住むの。どこで仕事をするの」
ホルツには、考えていたことがありました。
「おいらは、木ぐつ師だ。木ぐつつくりなら、誰にも負けない」
そう言って、ホルツは、自分の考えを打ち明けました。ホルツは、「旅職人」になって、諸国をまわって修行し、最後に奉公をしたあの親方のところで雇ってもらおうというのです。
「大丈夫だよ。親方は、おいらのことを腕がいいとほめてくれたし、手放したくないとまで言ってくれたんだ」 ヨハナは、ホルツの考えを聞いても、怖いとは思いませんでした。なぜなら、ヨハナにもホルツにも、失うものがなかったからです。
その翌日、ホルツは、ヨハナと二人で、南の国イタリアをめざしました。厳しい冬が迫っていたので、暖かいイタリアで冬を過ごしてから、念願のスイスに向かおうと計画したのです。
ホルツには、ヨハナと一緒に旅をすることは、一生でこれが最初で最後だという思いがありました。ですから、自分がなりたかったオルゴール職人が多く住むというスイスも、南の国もひと目見たいと考えていたのです。
話に聞いていた地中海やアドリア海の美しさに息を呑み、頂きが、雪に覆われたアルプスの険しい峰々や、谷を埋める氷河を眺めた時のときのホルツの胸に去来したものは想像すらできません。
ベルンの街では、きらびやかなオルゴールの奏でる様々な曲に、幼いときに聴いた教会のオルゴールの音が重なり、ホルツとヨハナは、至福の一時を過ごしました。。
しかし、楽しい時ばかりではありません。何よりお金がないので、木ぐつを作って、それを売った金で、宿賃を支払うからと頼んで、旅籠に泊まる日が続きました。
その旅籠で、何日か、過ごした後は、また別の町に行きます。旅籠に泊まる前には、道道の農家で野菜を買い、それを旅籠の炉を借りて、ヨハナが食事を作ります。ヨハナは、小さいときから、病気がちなお母さんにかわって食事を作ってきたので、料理には自信がありました。
ホルツは、立派な「旅職人」となっていました。それを、ドイツ語で、ゲツェル(職人)と言います。「旅職人」には、厳格な掟があり、未婚であることというきまりもありました。
残念ながら、ホルツには、もう妻がいたので、正式には、この掟を満たしていませんが、立ち寄った旅籠や村々では、そんなことを気にする者はなく、ホルツの手わざの素晴らしさに、木ぐつの注文はいくらでも入ってきました。
旅の最中は、「旅職人」は、白いシャツ以外は、黒づくめの格好をしなければなりません。木の杖には、身の回り品が入った袋を結びつけ、誰でもが、ひとめで「旅職人」とわかるような装いをします。
もちろん、ヨハナは、そんな格好をする必要はありませんが、娘時代の華やかな衣服を着ることは、許されませんでした。それが、当時のならわしだったのです。
「旅職人」は、炎天下の夏も、雪で覆われる冬も、歩いて村々を訪れます。しかし、親切な村人がいて、真夏の昼下がりには、道沿いの家から、冷たい水が、冬には、温かい飲み物が振る舞われました。
旅籠がないところでは、自宅に泊めてくれ、粗末なものでしたが食事も出してくれます。こうしてみると、ドイツの「旅職人」というものは、日本の「四国八十八ヶ所のお遍路」と似ていると言えるでしょう。
「旅職人」の遍歴の旅は、三年と一日と決まっています。しかし、ヨハナには、全く苦になりませんでした。ヨハナは、生まれてはじめて村を離れたので、見るもの聞くものが目新しく、驚きの連続でした。時には、美しい湖のほとりを歩くことも、ありました。
そんなところには、恋人たちが、手をつないだり、接吻をしていました。ホルツとヨハナが、どうだったかは、皆様の想像におまかせします。
現在であれば、蜜月旅行といったところでしょうか。いささか、長い蜜月旅行となりましたが、二人は、川のふちのにぎやかな町にある、親方の家がある町まで、もう一歩と言えるところまで来ました。
故郷の村を離れて三年近くがたち、ヨハナは、お腹が大きくなっていました。季節は、秋から冬に向かう頃で、ヨハナは、歩くのが苦しそうです。
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