潜入
「あからさまね」
「怪しさ満点過ぎて、逆にヒクな」
深夜、元いた日本の時間で言えば三時頃。
北品川町外れ、材木問屋惣八郎の経営する八屋の材木倉庫前で、俺とハナはその場違いな光景に唖然としていた。
普通、材木問屋の倉庫は川岸か海辺にあるものだ。
というのも、重機もトラックもないこの時代。材木の運搬や一時保管は水面で行うのが当然のことで、陸揚げして乾燥作業をするための小屋は当然その近くにあるものなのだ。ところが、この小屋、だだ広い田んぼの真ん中にある。
近くに目黒川にかかる居木橋があるとは言え、そこから二百メートルは内陸にある小屋。
しかもそれは、木材を保存しておくには不釣り合いの作りをしていて、百人が見たら百人とも、それは「人の住んでいる建物だ」と断言してくれそうな見た目をしている。
「これがなんで材木小屋で通ってるのかな」
「そりゃまぁ、握るもん握らせてるんだろう」
「はぁ、どこの世界も同じね」
たしかに、それはアリエンテでもよく見た光景だった。
俺たち勇者パーティーの目的はあくまで魔王退治だったため、途中で色々と因果を含めて金を握ったり握らせたがる人間をいちいち成敗するようなことはなかったが、今まさに人類が魔族に滅ぼされようとしている最中に魔族から金をもらって人類を裏切る馬鹿もいた。
ま、そういうやつは、パーティーで最も正義感の強かった魔法使いのダリアに黒焦げにされて灰も残らない目にあっていたのだけどね。
とかく、人間とは、罪深い生き物である。
「ダリアがいたら、跡形も残らないでしょうね」
「まあ、人身売買がホントならな」
「あら、違うと思ってる?」
「いや、間違いないと思ってるけどな、でも」
俺たちは、アリエンテで数限りない命を奪ってきた。
知恵も感情もない魔物だけではなく、言葉の通う魔物も、人間と変わらない生活を営んでいた魔族も、魔族に与する人間も、たくさんだ。
だからこそ、慎重でいたい。
人殺しに慣れたら、俺は元の時代、令和の日本に帰れない気がする。
「慎重を期したい」
「ま、それはそうよね」
アリエンテは、令和の日本はもちろん、幕末の日本よりもなお、命の軽い世界だった。
そこかしこに飢えた人間の死体が転がる街は普通で、首にかさぶたを何重にもへばりつかせた奴隷の少女が半裸で街を歩く姿も普通に見られた。街中で平然と鞭打たれる子どもたちが、それこそ、最高に文化的であるはずの王都でも、だ。
「わたしも、タイガのおかげで優しくなれたしね」
「そうか、ハナは最初から優しかったけどな」
「ま、味方には、ね」
自分で否定したものの、たしかにそうだった。
同じく勇者パーティーの剣士アルガスほどでもなかったが、ハナもまた敵対勢力には微塵の容赦もなく、それが子供であろうと敵対勢力の一味であるという理由だけで殺すことになんの躊躇もなかった。それが、生きていく上で当然だと主張していた。
「助けた敵に後ろから刺されたいわけ?」
「子供に刺されても、死ぬときは死ぬわよ」
「慈悲?あんた、神様にでもなったつもり?」
最初の頃、殺しを過剰に嫌っていた俺に、ハナはこんな事をよく言っていた。
そして長い年月の中で、俺はハナに寄り、ハナは俺に寄り、なんとなく中間地点の価値観で一致したように今は感じている。
「ま、子供さらって人身売買してると分かれば」
「殺すわよね」
「ああ、背後関係を吐かせてからね」
「吐くかなぁ」
「アリエンテじゃないんだ、拷問耐性なんか普通の人間にはねえよ」
「そっか」
そんな事を言いながらも、音を殺して建物の周囲を探る。
見た感じ、中に人の気配は感じるものの周りに見張りを立てている様子もなければ、警戒しているようなピリピリしたものもない。こんな時、透視の魔法である<シークリヤル>をかけることができれば、仲間で丸見えなんだけどな。
「魔法使えないの、ホントもどかしいわよね」
「仕方ない、この世界に魔力はないんだ」
そう、この世界、つまり日本では魔法は使えない。
というのも、アリエンテで習得した魔法の素である魔力は自分の中から湧いて出てくるのではなく、空気中の精霊に由来する精霊の生命力を借りて使っているからだ。なので、いわゆる魔力残量を示すMPというのは、どれくらいの魔力を借用したら精神がイカれるかという指標にしかすぎない。
よって、この世界ではMP4000という規格外の俺も魔法は使えない。
「透視スキル取っておけばよかったなぁ」
「MP2しか使わない魔法で透視できるんだから、普通はとんないだろ」
「だよね」
そう、魔法は使えないが、スキルは違う。
スキルは、自分の体の中にあるマナリアルという生体由来の力を使って発動するので、体の組成がアリエンテにいる頃と変わらなければいける。同時に、ほとんど身体の組成が変わらない地球人でも行ける。
ソースは、俺だ。
「じゃ、そろそろ行く?」
「そうだな、ハナは隠密スキルを、俺は透明化スキルを動かしておくか」
「見つかっても問題ないけどね」
「乱戦になると困るし、人質取られたら厄介だ」
「はーい」
言うが早いか、ハナは完全に気配を消して風のように走る。
俺もまた、そんなハナに遅れることなく、完全に透明になった状態でその後に続いた。
ちなみに、ハナには俺の姿は見えるようになっている。これは、ハナだけには見えるようにしているのではなく、単純に高レベルの斥候であるハナには透明化看破のスキルが常時展開型としてついているからだ。
つまりこういう仕事、ハナのほうが、圧倒的の上位者なのだ。
「まったく、素敵な奥さんだね」
と、建物に近づいたハナが上を指差している。
見れば、屋根と壁の間に隙間が空いているようだ。パッと見、とても入れそうな隙間ではないが、ハナが自信満々で指さしているのだ、きっと入れるのだろう。
俺はうなずいて、合図を送る。
するとハナは、それを確認してすぐに垂直に飛び上がり、隙間に手をかけるとそのままスルスルと中に入って行ってしまった。こんな時になんだが、ある程度体つきの豊満な女性が狭い隙間に入っていくのってエッチですよね。
眼福眼福。
とか言っている場合ではなく、俺も即座にあとに続く。
と、ちょうど天井裏の梁によじ登った所で、ハナがこっちを睨んで待っていた。
「お尻、見てたでしょ」
「はい」
「いつでも見れるじゃん」
「男心の分からないやつよのぉ」
――ゴスッ
「いたっ」
「仕事中ですよ、勇者様」
「はい、すいません」
というわけで、殴られた頭を擦りつつ、息を殺して梁の上を進む。
と、向こうの方に天井板から漏れた光で明かりのさす場所が見えた。
「あそこね」
「ああ」
いちおう、事前に大島から聞いてはいた。
材木小屋から逃げ出した少女が言うには、建物のちょうど中央に六畳前後ほどの狭い部屋があって、そこには窓もなにもなく、寝ずの番が一日中灯りを灯して子どもたちを見張っているのだそうだ。
「一日中灯りをとぼすなんて、えらく贅沢な野郎だぜ」
ともすをとぼすというのは金遣いの荒い江戸っ子の特徴だが、そんな生粋の江戸っ子である大島がもったいないなんて言葉を使うくらいには、一日中火を灯したままにしているのは贅沢極まりないことだといえる。
「ほんと贅沢ね」
「だな、うちに分けてほしいぜ」
しかもこれは……。
「ねえ、魚の匂いしなくない?」
「ああ、この匂い菜種だ」
「……儲かりすぎてない?」
「ああ、こりゃ」
黒だな。
庶民が使う魚脂の灯油。これは、腹が減って仕方がない時ならば、それで飯が食えるというくらいに魚臭い。言うなれば、部屋の中で秋刀魚の塩焼きをやった時の匂いだ。なので、ここまで匂いがしないのならばそれは菜種油で決まりなのだろう、が。
真っ当なやり口で、材木問屋ごときが、常時菜種油で灯りを灯せるはずがない。
「もしかするとだぜ、もしかすると、恵まれねぇ子供らを匿ってるってこともあるかもしれねと思ってはいるんだ」
ああ見えて、というか見たまんま、心根の優しい大島はそう言っていたが。
残念ながら、これは慈善事業で使える金の範疇を大きく越している。何らかの莫大な利益が見込める状況でなければ、商売人がこんな贅沢をするはずがないのだ。
「殺す?」
「ああ、そうだな、子供を眠らせたらな」
「ほんと優しいね、タイガは」
「普通だよ」
ハナとの会話に、かなり近づいていたはずの価値観の齟齬を感じながらも、俺は静かに梁の上を進む。
この後に待つのは、一方的な拷問と虐殺。
それでも、俺は。
それをやらねばならないのだ。
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