第11話 運命の楔

 まだ静寂に包まれたままの大霊堂の野外広場に、二人の錬金術師が佇んでいた。


「お久しぶりです、兄弟子フォルザ」


 空気の濃さすら均一でない今のこの場所では、マルゾコの声も歪に響いた。


「意外だなぁ。この次元に生身のエーテル人形がなんの制限もなしに活動してるなんて」


 マルゾコはたじろぐ。


「それはこっちのセリフですよ。わざわざ生身のままの体で、馴染ませた別次元の接続を裏返す錬金術師がいるなんて」


 それを聞いてフォルザは高笑いで返す。


「くっくっく。だっておかしいだろう? わざわざ人形ごときに普通の生活をさせるため、街全体を覆うほどの容れ物フラスコを用意するやつがいるなんてな」


 もやり、とフラスコのエーテルが色を失う。


「これだけの規模だ、構築主は常に観測し続ける必要がある。しかしそれには?」

盟命ローティアすら未だに気がついてないってのに、兄弟子らにはまったく追いつける気がしませんね」

「ふむ、そういえば先程も俺のことを『兄弟子』と」


 フォルザの左眼が鈍い光を放つ。その瞳にはマルゾコが緑色のエーテルを纏っているように見えた。緑は魂魄こんぱく霊素子エーテルであり、生き物が持つ一般的なエーテルであることを示す。つまり、マルゾコはその構成物に一切の生体物質を用いていないのに、魂だけが生物のそれを纏っているのだ。


 ――賢者の石を通さずに。


「……なるほど、聞き慣れた声の割に見たことのない風貌、お前、ボートレスか」


 銀眼からの情報と自身の記憶を統合し、一つの可能性を呟いた。


「その眼、兄弟子レリジンの!?」

「くくくっ。ローティアはすぐに気がついたぞ。お前も錬金術師なら観察を常に怠るな」


 フォルザは左手を差し出し指をこすり合わせる。粉のようなものが舞い上がったかと思うとそれらがキラキラと光りだした。


「ふむう、やはりこの辺なんだが今ひとつ場所が特定できんな」


 光の粒がパチパチと弾けては霧散する。だがマルゾコはそこから二つの事実を読み取った。


「店に行ったな…… ローティアたちに何をした!」


 マルゾコは半歩下がり、人形の手にエーテルを纏わせる。空気中の濃度と温度を逆算して水分を低圧凝固させ、別の構築式からフォルザに向けて静電気を放つ。それが導線となって組み上げられた氷結の魔弾がとてつもない速度を与えられ、彼に向かって何発も射出された。

 しかし、彼に着弾することなく魔弾は激しい蒸発音とともに再び水蒸気に還る。まるで『そうなることがわかっていたかのように』。


「言ったろう? 『観察を怠るな』と。何もないところから繰り出される錬金術師の行動パターンは決まりきっている」


 錬金術師がその職を追われる理由のひとつに『緊急事態、とりわけ戦闘への対応力のなさ』がある。

 魔法を扱えるほどのエーテルを持たず、かといって体が頑丈なほどでもない。自然摂理を捻じ曲げるにしても、元となる物質がなければ意味がない。なにより同じ錬金術師同士が戦った場合、攻撃のネタが割れた際のアドバンテージは開く一方なのだ。


(やはり、目的はアレか!? もしかして……)


 マルゾコ自身もその例に漏れず、戦闘は得意ではない。しかし、ここには彼にとって譲れないモノがある。はいそうですかと立ち去るわけにはいかないのだ。


「……ふん、やはり人間相手ではないというのが問題だな。酸素が無くなっても活動に支障がないのは困ったものだ」

「! まさか」


 マルゾコは周囲の環境を調査すると、自分を中心とした活動範囲からほぼ酸素が失われていた。普通の人間なら数分もせず倒れるだろう。その気になれば毒ガスを発生させることもできたはずである。


「だが安心しろ。ただの無機物相手でもきちんと始末することくらい可能だ」


 フォルザは両手を大きく広げ、僅かに言葉を紡いだ後に手を一度叩いた。


「おぁ、むっ!?」


 今まで違和感のなか立っていた空間が突如動きづらくなる。


「よかったな、その身体で。生身ならもっと見るに堪えない様になっていたぞ」

「ま、さかっぁ、ねじ、まげ!?」

「師も兄たちも、エーテルの運用基準が狭すぎたんだよ。もっと世界のために、神に届く技術だという俺の訴えも聞かずに……」


 人形の腕がひしゃげる。

 足が曲がってはいけない方向に曲がり、そのまま無限に折りたたまれていく。

 体が頭のフラスコより小さくなり、そのままガラスの筒を通るほどのサイズになる。


「ふむ、やはりそのガラス、なかなか骨が折れるな」


 しかしその言葉の後で、表面にびっしりとひびが入る。


「あああぁぁぁぁ!!!」


 たちまちガラスは破壊音をも巻き添えに空洞を残さず球状へと形を変えていく。

 そして、すべてが親指ほどのサイズに圧縮されると地面に落ちて動かなくなってしまった。


「……おや?」


 マルゾコが機能を停止すると同時に、フォルザは場の違和感に気が付いた。


「くっくっく、なるほどな。これほど巧妙に隠してあったのか」


 彼は振り返り、大霊堂の鐘を見上げる。


「それでは、再び開戦の狼煙をあげるとしよう」


 ……


『……め、姫』

「えっ? どなたですの?」


 アルセリナは誰もいないはずの自室にて、自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。


『こちらです、姫。緊急事態ゆえ声だけで失礼いたします』

「え、この声…… マルゾコ様? どちらに?」


 声の先を探すため部屋の中をあちこち探すも、どこから聞こえるわけでもない。常に自分の身体から聞こえてきていた。


『賢者の石に、少し細工を。懐中時計です』


 言われてアルセリナは懐の時計を取り出し盤面を開くと、赤く仄かに輝いていることに気が付いた。


「これは…… いったいどういうことでしょうか」

『説明は省きます。お力添えをいただきたい』

「と、言われましても私は何をすれば?」

『私が今から唱えるのと同じ言霊パスワードを唱えてください』

「わ、わかりました」


 アルセリナは深呼吸し、マルゾコの言葉を待った。


『我は時を超えるもなり』

「われは、ときをこえるものなり」

『数多の歴史を跳び塗り越えて』

「あまたのれきしを、とび、ぬりこえて」

『求めるは歪みなき世界律へと正すもの也』

「もとめるは、ゆがみなきせかいりつへ、とただすもの、なり」

『血族のご協力、感謝いたします』

「けつぞくのご」

『ああ、もう大丈夫です! 失礼しました』

「あ、そうなんですの? 力になれましたでしょうか?」

『ええ。大変助かりました。またお会いしましょう』

「え、はあ、それでは……」


 懐中時計は、その輝きが一瞬強くなった後、また元の姿に戻った。


 ……


「マ…… ボートレスさん」

「アルメリーさん……」


 アルメリーが訪れた大鐘楼の地下には、もう鐘を鳴らす装置すらなくなっていた。

 その代わり、大きなフラスコが場を占領し、その中に誰かが立っていた。アルメリーはフラスコに張り付き、中に居る人物に向かって叫ぶような口調で話しかけた。


「また、行ってしまうんですね」


 黒髪に黒縁眼鏡、緑のローブをただ羽織っただけのようなぞんざいな着方をしただけの、疲れた顔をしている以外はどこにでもいる普通の男。


 マルゾコことフラスコをはずしたボートレスは、その眼に苦しみと後悔をにじませていた。


「俺に失敗は許されませんから」

「何度目なのですか?」


 ボートレスは首を振る。


「回数なんかじゃあないんです」


 そして、なけなしの表情筋で笑顔を作った。


「次は、きっと成功して見せます。姫の協力も今もらったところです」

「どうして!? 街のみなさんも、決してボートレスさんを恨んだりしません!」

「大丈夫です、うまくいけば、みんな元通りになりますから」


 ふっ、と部屋の照明が消える。

 僅かな間を置いて、ボートレスの足元が淡く輝きだした。

 ボートレスは目を閉じ、すっと上を向く。その身体は足元から徐々に光の粒へと姿を変え、自身の周囲を回り始める。


(慣れないな、自分の身体がエーテル粒子に変わっていくのは)


 目は開けない。

 開ければ、悲しみに暮れるアルメリーの顔が目に入るからだ。


(大丈夫、次こそうまくいく)



   Δ



 まだ各地での戦争が激化する中、ボートレスは自身の経験と技術を役立てようと野戦病院を渡り歩いていた時期があった。

 戦争を仕掛けたのはレスタハット連邦。

 世界に先駆けて賢者の石を軍事利用に転換した矢先の国際禁止条約発動へ異を唱えた形での宣戦布告だった。

 しかし、軍隊火力のほとんどを賢者の石で補っていたレスタハット連邦は、その消耗の速度と石の追加確保に追われ次々に陥落。残ったのはザナスを筆頭に数か国いくかいかないかまで追い詰められた。


 そこでザナスはどこからともなく賢者の石を調達し、一転戦線を押し返した。

 だが最後の最後でザナスはある作戦に失敗し、それ以降敗走の一途をたどった。

 それが『ケルダール占領作戦』である。

 とても単純な作戦で、街に住む人々をまとめて賢者の石へと変換し、そのエーテルを軍事力転換して攻め込むと言うものだった。


 誰が実行したか、もはや分からない。

 ボートレスはそれを『故郷に帰ったタイミングで知った』ことが、彼の運命の歯車を狂わせた。

 エーテルを奪われ、ヒトの形をしたナニカになっていく住人。

 彼は病気でも怪我でもない相手に自分では何もできず、ただ目の前でただ石の材料にされていくのを見続けるしかなかった。


「せめて、誰か生き残りがいないか探さないと」


 街を探す。

 あちこちを走り回るうちにある法則に気が付いた。

 これだけ巨大なエーテル質量を保存するには、それなりの器が必要だ。


人造人間ホムンクルスを形成する賢者の石ですら、人とまた別のエーテルを混ぜるだけで出る拒絶反応を抑えるのに必死なんだ。そもそも動物ですらない明確な意思を持った霊素子をまとめようものなら、それを可能にする技術があるに違いない)


 ボートレスは自論を証明すべく、エーテルの流れを観察し始めた。

 既に人からエーテルを抽出する論理式は街中いたるところに書きこまれており、痕跡を探すのは割と簡単だった。一度空気中に抜き出されたそれらは、ある場所へと向かっていた。


「……孤児院」


 大霊堂に隣接する孤児院の食堂。

 そこには、数人の人がいた形跡があった。


(くそっ!)


 かつて彼自身が育った孤児院は相変わらず質素な生活をしていたようで、しかし誰も彼を出迎える者はいなかった。


「う…… ん」


 かすれるような、小さなうめき声。

 ボートレスはその声を聞き逃さなかった。全神経を集中し、呼吸がする方向を全力で探し、その方向にある人影へ駆け寄った。

 シスター・アルメリーだった。


「アルメリーさん! しっかり!!」

「う…… ああ……」


 目が開く。それだけがボートレスの心を溶かした。


「ああ…… よかった……」


 ボートレスは一瞬迷った。

 このまま人命救助のためこの場を離れるか、エーテルの器を探すべく観測を続けるか。

 しかし次の瞬間、その心配はなくなった。

 がたっ! と食堂中央から椅子を蹴りあげるような音が響いた。


「なっ…… え、エンリーナ!!?」


 見覚えのある女性。

 しかし、その眼は、肌は、既に生きている人間のそれとは大きく異なる様相をしていた。

 そして、その胸から赤銅色の結晶が飛び出してくるのに、そう時間はかからなかった。

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