第10話 消えゆく人、受け継がれる思い
「万物にはエーテルが宿る」
アデスは足元の小さな石を拾い上げ、それを胸元に掲げた。
「それらの性質はエーテルによって書き留められ、それらを紐解き理解することが錬金術の極意なのだ」
地面についた長いひげと、石の周りについた埃を払いながら大事そうにそれを両手で抱えあげ、弟子たちに質問を投げかけた。
「石、とはどういう性質を持つ?」
「硬い!」
「重い!」
「尖ってる?」
思いつく限りの特徴が次々に挙げられる。
「果たしてそうかな?」
弟子たちの様々な記憶と発想に満足したアデスは、石を優しく撫でてやると石はふわりと浮き上がった。
弟子たちからどよめきが上がる。
「ほれ、これはこんなに柔らかいぞ」
さらにアデスは浮かんだ石を摘んでみせた。ふにふにとまるで赤子のほっぺのように石は変化してみせた。
「それも錬金術ですか?」
弟子の一人、猫耳の装飾を施したフードの女の子がアデスに質問する。
「その通り。それに」
再度アデスは石をくるくると撫でてやると、まん丸できれいな形になった。
「相手の存在情報を書き換えることで、我々は色んなモノをまた別の色んなモノへ変えることができる。だがな、書き換えなくとも性質の変化を知ることで同じ結果をもたらすことが可能なのだ。例えば……」
アデスは水筒から水をコップに注いだ。
「この水を甘くするにはどうすればいい?」
「エーテルで甘くなる情報を足す?」
「
「甘い果物と混ぜる!」
「それもまた真理」
「砂糖を入れても甘くなります」
アデスはにこにこと笑顔を見せる。
「そう。エーテルを操作しなくとも、人は様々な方法を用いて目的を達成できる。その方法を見つけ、広く伝えることこそ、我ら錬金術師の本質なのだよ」
「でも、錬金術師じゃないと賢者の石は作れないんですよね?」
金髪の弟子の一人が声を上げる。
「はっはっは。賢者の石はエーテルの法則を捻じ曲げる物質だ。本来、賢者の石などなくても錬金術はあらゆる物を作り出せるし、あらゆる命を助けることができる」
アデスは手にしていた石をぐっと強く握りしめた。鈍く赤黒い光が一瞬灯り、消えたのを確認するとゆっくり手を開いた。すると石の表面にオレンジ色の宝石のようなかけらが浮き上がっているではないか。
「賢者の石の力を用いれば、万物の法則を超えて働きかけることができる。命を伸ばしたり、動かざるものに命を与えたり、時を超えたりだ。それらは人の想像が及ぶ限り可能になるだろうね」
Δ
「アデス…… 師匠?」
ローティアは貧民街から帰った翌朝、師匠であるアデスが行っていた授業を夢に見ていた。まだ弟子になって日も浅い頃、エーテルとは何か、賢者の石とは何かということを教わっていたころのものだ。
あの頃はまだ自分も幼く、小さな発見も大きな喜びになっていた。
「……何かしら、あの夢は」
確かあの頃はマルゾコも弟子になりたてで、他の兄弟子たちと一緒になって師匠の指導を聞いていた、そんな記憶が蘇る。
「思えば、兄弟子たちはみな名のある錬金術師になったな」
一人、また一人と思い出していくが、最後の一人を思い出そうとしたとき、激しい頭痛がローティアを襲った。
「っく! そういえば……」
昨日、ローティアは貧民街から帰ってからと言うもの軽いエーテル
エーテルを過度に使ったり吸収したりすると起こる症状なのだが本人には思い当たる事が無く、とりあえず布団に入ったものの起きた今も改善していない。
「むぅ、水でも飲むか」
ベッドから立ち上がると、それを見計らったかのタイミングでドアがノックされた。
「はいはい?」
がちゃりと扉が開くと、水が注がれたコップを手にプルクが廊下で待っていた。
「主が水をお持ちしろとのことで、よけれバ」
「……なんでわかったのかしら?」
汲まれた水はどこか不思議と懐かしい雰囲気をローティアに感じさせた。
「まさか、ね」
ありがとう、と礼を添えて受け取って一口飲む。
「んむ」
飲み込んだあとで仄かに残る甘い味。
「……エーテルの味がする」
実際にエーテルには味は存在しない。つまり、エーテルによって味付けされた甘さと言うことなのだろう。
あの夢とこの水は関連があるのだろうか。マルゾコは彼女が思い出せなかった弟子の名前を覚えているだろうか。そんな疑問がローティアの頭の中を埋め尽くした。
とはいえ、あの怪我人治療の騒動から妙に顔を合わせづらくなってしまった。
「そもそも、久し振りに会ったら体は
ならば、とローティアは水の提供者へ相まみえるため工房へと向かった。
「あ、おはよう。昨日は疲れてたみたいだね」
工房では既に日課のポーション造りの真っ最中だったマルゾコがいつもどおりの姿で挨拶をしてきた。
「……マルゾコ。兄姉弟子の名前を言えるか? 私を含めた五人の名前だ」
「もちろん。銀眼のレリジン、血霊のドフィー、盟命のローティア、素生のディックス」
ローティアはゴクリとつばを飲み込んだ。最後の一人、それが先程ローティアが思い出せなかった名前。
「光星のフォルザ」
その名を聞いた瞬間、ローティアの顔は真っ青になった。
「……顔が青い。大丈夫か?」
扉に体重を預けるも、ずるずると地面に引っ張られる。
「まだエーテル酔いが収まってないなら休んだほうが良い」
マルゾコはフラスコの中を限りなく透明にしてローティアに伝えた。
「そう、させてもらう」
彼女は力なく立ち上がると、そのまま工房を後にした。
「……そろそろ、記憶操作が解けてきたか」
「直接伝えれバ、よいのではないですカ?」
「姉弟子は、あれでプライドが高くてね。自分の記憶が操作されてるなんて知った日にはこちらの思惑を外れてくる可能性もある」
「ヒトは複雑でよく分かりませン」
「きっと君になら分かるようになるさ」
Δ
「どう? 直前まであった違和感が抜けてれば大まかに成功だと思うけど」
ローティアはフェクタの胸から手を離し、本人に状態を問診する。
「なんか不思議な感覚。重くなったというか、物足りないというか」
「ふふっ。強制的についてた筋肉がなくなったからかもね」
数日後、随分頭痛が良くなったローティアはフェクタの治療を再開した。何故かあの日から妙に頭が冴えわたり、いつも途中までしか浮かばなかった構築式の除外命令がスラスラと組み上がっていたということもある。
「このまま、ヒトにもどれるといいんだけど」
「誰が診てると思ってるの? 安心しなさい。賢者の石に組み込まれてた構築式の記述は複雑だけど、ちゃんと読み解けば元に戻れるのは錬金術師として当たり前の仕事なの。他人が作った
「まあ、私は元に戻ればそれで」
膨大な賢者の石の中身を一日やそこらで解読できないからと、今日の診察が終わって二人はまた店の方へと戻ろうとしたとき、マルゾコが何やらゴソゴソとバックヤードで荷物を漁っていた。
「どうしたんだ?」
「ああ、フェクタ。お、随分上半身が女の子っぽくなったんじゃないか?」
「ああ。あんたの姉弟子の腕はかなりすごい。元に戻るのも時間の問題だ」
「なら俺の方もそろそろ解析を始めないといけない…… んだが、またギルドの方で急患なんだ。もしかしたら帰りも遅くなる。時間になったら店じまいも頼む」
「ああ、わかった」
よほど危険な状態なのか、マルゾコは手の届く範囲の薬のみ掴んで裏から出ていった。
「あら、マルゾコは?」
「またギルドに急患らしい。急いで出ていった」
「お、どういうこと? プルクちゃん聞いてる?」
「はイ、北の山で山賊が出たとかデ、商隊の護衛についてた数名が怪我をしたトカデ」
「北?」
ケルダールの北部はなだらかではあるが深い森といくつかの谷がある。商隊が使う道はある程度開けた見通しのいい大通りを選んでいるはずなので怪我を追うほどの戦闘にはなりにくい。
「そう言えば、北の山への関所を運営しているのは『レスタハット連邦』だったわよね?」
「そうでス。ザナスも昔その連邦国家に属していましたガ、戦争が始まってから内部分裂してオカシクなってましたネ」
「じゃあ、そこが機能して無くて……」
「あるいは軍隊が国に帰れず、山賊まがいの事をしているとか……」
ローティアもフェクタも想像の域を出ない妄想をするも、結論は出ないことに気が付くとさっさと店の仕事にとりかかった。
だが、ローティアは胸の中に消しきれない不安がこびりついていた。
その不安を紛らわすために店頭商品の補充をしていると、新しい来客が扉を開けて入ってきた。
「いらっしゃい……」
その客の目をみた瞬間、ローティアは体が硬直した。
「いらっしゃいまセ」
「へえ、精巧な
グレーのコートを羽織ったその客は、ほとんど足音をさせずにカウンターのプルクがいるところまで近づいた。じっくりと
「いい顔だね。市販品だけでは作れない
客はペタペタとプルクを触りたくる。暴力行為を働いてるわけではないのでプルクはされるがままになっていた。
「そういうあなたも、珍しい瞳をお持ちのようで」
そんな失礼な様子についフェクタも失礼で返した。
「……ふーん、
「なっ!?」
だが今度はいきなりフェクタの胸ぐらに手を突っ込んだ。突然の事で驚いたフェクタは、しかし次の瞬間苦悶の表情を浮かべた。
ブチブチと嫌な音をさせながら客はフェクタの胸元から、何本も管の繋がった赤黒い結晶を引きちぎろうとしていた。
「っ! 賢者の石!!」
「混ざりモノが詰まった石に利用価値はないよ」
そう言うと一瞬賢者の石に組み込まれていた構築式が瞬間的に全展開し、一気に弾けた。
「ああああっ!!」
その衝撃でフェクタは倒れ、プルクもカウンターから吹っ飛ばされた。
「んー、やっぱりザナスの大量生産されたうちのひとつか。質が悪いなぁ」
「貴様……」
客はようやくローティアに向き直った。
「久しぶりだね、盟命のローティア。また命を
「ふざけるな! 早くその石を元に戻せっ!」
ローティアは両手を前後に構え、それぞれにエーテルを込める。
「レスタハットにある君の工房に寄ったら『ケルダールに行ったきり帰ってこない』と君の弟子に聞いてね」
客はにこりと笑いかけた。
とても冷たい笑顔で。
「フォ、ルン!」
ローティアは、その客の名前を口にした。
「おや、おかしいな」
「おかしいのはその左目だ! その銀色の瞳は…… レリジンの!」
「おやおや、観察力も鋭いね。さすがはアデス三番弟子と言われただけはある。俺とは大違いだ」
ため息をつきつつ、フォルザと呼ばれた男は銀色の左目でローティアを凝視する。
「み、見るな!」
「いつもながらエレーラ族は綺麗なエーテルを纏う。『観える』ようになってから良かったことは、やはりエーテルにも質があるということが知れたことだ」
フォルザは大きく息を吸い込み、肺の空気に自身のエーテルを纏わせた。
そして、そのエーテルに自身の構築式を絡ませたコトノハを紡ぎ吐き出した。
「『そはとあなりのせかいわたらせよ』」
次の瞬間彼を中心に世界が反転し、あらゆるものが静止した世界へと変換された。
「ふむ、様子がおかしいと見に来たものの、ローティア自身が主犯とは見えないが……」
だが彼は、自身が静止させた世界自体に違和感があることまで突きとめた。
「へえ、面白いね。もしかしたらあの人形の製作者かな? そんな錬金術師には会ったことはないはずなんだけど」
しかしこれ以上の情報収集は難しいと判断したフォルザは、そのまま店を後にした。
静寂が再び束縛より解き放たれたのは、それから少し経ったあとだった。
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