第9話 それは命をつなぐもの
「高っ…… とはいえ、命には変えられない」
「その通り。材料や精製の手間を考えたら安いもんだ」
フェクタはどんどんとカウンターに積み上がるルード札の高さに手が震え始めていた。
「9、10、間違いなく。フェクタ、再確認頼む」
「あ、ああ」
雑にマルゾコは山と積まれたルード札をフェクタの前に引きずり渡す。ざっと見積もっても150万ルードはある。
「あれから体の調子は?」
「むしろよくなってますよ。前の探索でちょっと背中の筋肉が傷んでたのかな? それごと治ってくれたみたいで」
「俺は前より飯が旨く感じるんですよ。呑みすぎって言われてから止めてた酒も飲めるようになってありがたい限りでさ」
「冗談じゃないわよ。お前たちの治療代でウチの財政がどれだけ傾いたか、最低十年はダンジョンに潜ってもらうわ」
先日の緊急手術の薬代と治療費が用意できたと鷹羽の帽子から連絡があり、ケランとヘイメルがリーダーのエピネスを伴って店を訪れていた。二人とも軽口を叩けるほどに回復し、その経過をマルゾコに伝えていた。
「はい、ありました…… 220万ルード」
「よーし全額。さすが鷹羽の帽子サマだな。これはサービス」
そう言ってマルゾコはカードを一枚エピネスに手渡した。
「これは?」
「うちの商品を半額で買えるチケットだ。何度でも見せれば割引してやる」
「は、えぇえ!?」
エピネスたちはともかく、フェクタまで目を丸くした。
「っと、き、期限とかあるよな?」
「いや、特に設けてない」
「店頭に並んでるもの限定、だよなぁ」
「材料を調達して来れば、適応してやるぞ」
「待って待って。なんでこんな事してくれるの?」
「そりゃあ…… ウチの薬で命が繋がったって証拠が歩いてりゃあ、最高の宣伝になる。さらにウチに再度来てくれれば他の冒険者も来るようになるだろ?」
「……なるほど、そう来たか」
「つまり、命の恩人の店に行かず他の店の薬を使えば、それだけで
これにはフェクタも納得した。
「でも、錬金術師が作った薬がこんなに怪我に効くとは思わなかったけどなぁ」
ケランは自分の腹をさすりながら店内を見回す。見える範囲にはせいぜい四桁程度の薬が所狭しと並んでいる。だが、自分に処方された薬は見当たらなかった。
「あれは特別性で、普段店頭に並べない。医療知識と錬金術の知識が揃わないとろくな使い方にならないからな」
「え、そうなのか!? また酒で内臓やらかしたときにもらおうと思ってたのに」
「ヘイメル!」
「ぅおっと。ウチのリーダーもお怒りだ」
「そもそも、売れるほど
「いやいや、うちのメンバーを救ってもらって感謝している。もちろん、引き続きこの店も愛用させていただくわ」
Δ
「話には聞いていたが、そんなにすごい怪我だったのか?」
フェクタはプルクと一緒に店頭へ品出しをしながら、レジにいるマルゾコに話を振った。簡単な内容はローティアから聞いてはいたが、彼女はここ数日工房とは別の場所で何やら籠っているようで状況を聞けず、それからなんとなく数日経っていたので気になっていたようだ。
「どうも転送罠で大型の怪物が飛び出してきて、虚をつかれて二人が致命傷。それを繋いだんだ。普通のポーション類は生きてこそ使えるものだから、薬じゃなくて組織を複製して体の機能を戻したんだよ」
「え、治したわけじゃあないのか?」
「治療する時間がなかったんだよ。んー、簡単に言うと駆けつけたときは二人とも数分の遅れすら許されない状態だったから、遅らせても許される状態に持っていったんだよ。治療と言うか、物質の復元に近いかな?」
「復元……?」
「錬金術の極意の一つに『同物質の複製』って言うのがあってね。
「つまり『肉体を再設計した』ってことなのか」
「お、近い近い。そんな感じ。その複製に用いる薬、っていうか組成の術式を薬品として作るのがめちゃくちゃ難しいんだよ。だから費用対効果が割に合わないし、結果的に高価なものになる」
「すごい金額だったよな」
「本来はもっと時間をかけて複製素体を解析して、作業台で組成式を組みあげて行う作業だから端折る部分が多くってね。在庫もあと二個くらいしか残ってない」
「むしろ、まだそんなにあるんだ……」
「使わないで済めばいいんだよ。あんなの」
そんな会話をしていると、プルクから声が上がった。
「主、麻痺治療薬の在庫があわなイ。他の薬も在庫と齟齬がありまス」
「え、万引きかなぁ? ちょっとリスト作っておいて」
「了解しましタ。品出し終わりまス」
ほどなくしてマルゾコ商店は営業を開始した。
鷹羽の帽子メンバー負傷の件から数日経った今、店の売り上げは以前の倍程度まで上がった。彼らの復活劇をギルドで語る人間が増え、店の商品の信頼的価値が上がったからだ。他にも何店舗か似たような薬を販売している店はあるが、製作者であるマルゾコらの評判がさらに商品の信頼に繋がっているようだ。
「ありがとうございましタ!」
加えてプルクやフェクタの接客がまた別の方向でいい噂になり、客を呼んでいる。
カウンターが二人体制になり、事実上生産サイドも二人になったが、それでもまだ忙しさは増すばかりだ。だから最初はプルクの在庫齟齬もどちらかの記入ミスかなにかだと思っていた。
――現場を見るまでは。
Δ
「おい、お前っ!」
バックヤードでマルゾコが新しいポーションの精製をしていると、突然フェクタが大声を上げた。
その直後店が若干騒がしくなり、重いものが壁か何かに強く衝突するような音が響いた。
「っぐ! 離せぇ!」
「なんだ、何があった!?」
急いでマルゾコは売り場に出ると、フェクタが十歳くらいの男の子を床に押さえつけているところだった。男の子の手にはプルクから帳簿が合わないと言っていた薬品らが握られていた。
「やれやれ、ウチみたいな小さい商店で盗みはすぐバレるんだ…… おや?」
マルゾコはその男の子をよく見るとあることに気がついた。服は垢や汗でギトギト、髪もろくに整っていない。恐らく『
貧民街からなら、むしろこの店は一番近い。そんな単純な理由で盗みを働いたに違いないだろう。
「とはいえ、犯罪は犯罪だ。奥で話を聞くか」
マルゾコはフェクタに頼んで、一緒に彼をバックヤードへとお迎えした。
「さっきのは何だったの?」
更に奥の工房からローティアがやってきた。
「万引きだよ。この男の子がね」
マルゾコが簡単に状況を説明する。その流れがどこか他人行儀だなとフェクタは横目で思いながら手近な椅子に男の子を座らせた。
「あら、こんな歳からそんな事覚えちゃダメよ」
「だって…… お金ないし」
ローティアはしゃがみ込み、同じ目線になって笑顔で話しかけた。もとの身長が低いせいで若干見上げる形にはなったが。
「なんでこんなことを?」
すると男の子は涙目になり、嗚咽を漏らし始めた。
「うぐ…… ずずっ」
「あ、ちょ、泣かないでよ」
「姉ちゃんが…… 姉ちゃんが」
「……よくあることだ」
いくら街全体が裕福とはいえ、なんらかの理由で収入を失い生計が立たなくなった者は生まれてしまう。
マルゾコは知る限りはそういった者たちにも何らかの援助と言う形でいくらかの仕事をギルド経由で流しているが、このような小さい子にできるものはそう多くない。
「この間から、なにも、食べ、ないグスっ、ひっく、話し、ないしズズっ、ああぁぁーー!!」
「こら、泣くな! 男の子だろ!?」
ローティアは泣き叫ぶ男の子に檄を飛ばす。だが逆効果だった。大事な家族が一大事だと言うのに彼は泣くことしかできない自分に泣いているのだ。
「だって! だって! なんか、生きてないみたいに! 『人形みたいに』!!」
「!!」
その言葉に、ローティアは何かを察した。
「おい少年、私をお前の家に連れて行け」
「ローティア!」
「
「え? 行くのか?」
フェクタは今のやり取りでローティアが動くことが奇妙に映った。
「ああ。ちょっと出かけてくる」
そう言っていくつか薬を持ちだすと、男の子を連れてローティアはさっと工房を後にした。
「……いいのか? なんだかよくわからないが」
「はあ、そうだな。任せるしかない。とはいっても、俺たちが行ってできることは少なそうだけど」
Δ
「少年、名前は?」
「ムーカ」
「よしムーカ。もう泣くな。どこまでできるか分からんが、出来る限りの事はしてやる。ただし、もう盗みなんかするんじゃない」
ローティアはフードを深く被り、ムーカの手を強く握った。
「うん」
気持ち先を走るムーカに連れられ、ローティアは貧民街へと向かう。
中央通りから離れるにつれ、ケルダールの街並みはまず建造物が質素になる。レンガ造りから木製の壁になり、土壁へと変わっていく。様々な民族・階級持ちが通る際に放つ香りはどんどん薄まり、人の体臭が強く感じる匂いから排泄物や腐った土壌の匂いにローティアは思わず顔をしかめた。
そこそこ店から離れると建物同士の距離が狭まり、また増築の後が目立つようになるのは貧しい集落へと変わっていく証拠である。
「こっち」
徐々に通路へと建物などが広がって道が狭くなったり、ひどい時には行き止まりになったりする道をあちこち曲がりくねった先に、ムーカの家があった。
「ここ」
赤い土に申し訳程度に立てかけられた木製の扉。そこそこ歩かされて疲れが見え始めた頃二人はようやく到着した。
「割と遠かったな…… 邪魔するよ」
明かりも何もない、雨風をしのぐだけの建物の奥には布をかぶせただけの藁束があり、そこに何かが横たわっていた。
「これは…… なんだ?」
ローティアは『それ』を見た途端、背中の筋肉が無意識に締まるのを感じた。本能がその異様さを感じ取っているかのように。
一目で分かることがある。『これは人間ではない』ことだ。
だが、同時に『人間だった可能性がある』とも感じたのだ。
目の前の、
と、人の形をしたものではあるもののこれといった病気らしい症状が見えない。息はかろうじてしているようだが、脈を打っているように見えないのだ。
「姉ちゃん…… 治せる?」
「まあ、見てみる」
まずは衣服をはいでエーテルを観る。
(まただ)
昨晩、あの冒険者の体内を覗いた時のような違和感。症状を見るために放った自分のエーテルが相手の体の中へ無限に落ちて行くような喪失感。
これは『
相手が生物なら他者がエーテルを流し込むと、それらが患者の持つエーテルと共鳴し体内の情報をある程度共有できるのだが、人造人間にエーテルを流し込んで内臓を診察しようとすると、それを賢者の石が取り込もうとするのだ。
(どこかに、賢者の石があるのか?)
ヒトでないなら、あるはずの賢者の石。
つまり、これが病気でなく『不具合』なら。
それはローティアの得意分野でもある。むしろ自分がこっちに来て正解だと確信したのだが、一向にそれらしきものは見つからない。
「そんな、馬鹿な」
診断方法を人造人間のものに変える。
ゴローン…… ゴローン……
「あ、もうそんな時間か」
ローティアは大鐘楼から響く鐘の音が夕方を知らせるものだと最近ようやく覚えた。これが鳴ったら店じまいを始めるという合図になっている。
だが、目の前の患者には何一つ手を――。
「んんっ……」
突然、体に
「姉ちゃん!」
「あら、ムーカ。どうした…… って、どなたですか?」
「姉ちゃん! 姉ちゃん!! わああああぁぁぁぁーーーー!!」
「……何が、起こった!?」
状況が飲み込めない。だがムーカの姉は息を吹き返し、事態はいったん収束した。
彼女も突然自宅に湧いた不審者の謎も解決し、ローティアは礼を言われたのち煮え切らないまま彼らの家を後にした。
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