第6話 自宅

「あー、ようやく解放された」


 自室のベッドに体を預ける。


 高校2年生になったのだから、少しは落ち着くだろうと思いきや、俺に言いよる淫魔の数が増えやがった。


 信じられるかよ。

 曽根崎や燈だけでも厄介だったって言うのに、先生に後輩までセットできやがった。


 どんだけ白鳥先輩に辿り着くまでの障壁を増やすつもりだよ。

 ……まぁ、仮に阻む者がいなかったとしても、相手にされてないような気がしないでもないが……。


 いやいや、そんな弱気ではダメだ!

 今年こそはなんとしても白鳥先輩のハートを射抜かなければならんのだ。


 なんたって先輩はもう3年生。

 大学生になってしまえばもう手出しはできなくなる。


 この1年は勝負の年なんだ!



 ――コンコン。

 


 扉をノックする音が聞こえた。

 俺はのそりと上半身だけ起こして扉の奥にいる人物に声をかけた。


「分かったよ母さん。すぐ下に行くから」


 そう言うと幽霊のような母さんの気配が消え去った。


 もう母さんとは何年もこんな付き合い方だ。

 父さんと離婚してから、父の血を引く俺が憎いのか、直接会話することはない。


 父さんのことはよく知らないけど、なにか一悶着あったことだけは理解できる。

 できるけど納得はいかない。


 俺は父さんとは違うのに、なんでこんな嫌われなきゃいけないんだ。

 

 そりゃあ他の淫魔のように来られても怖いけど、いくらなんでも極端過ぎる。


 まったく、なんでこんなことで悩まなければいけないのか。

 俺が考えていたいことは1にも2にも白鳥先輩のことだけだっていうのに。


 ◇


 会話のない夕食を終えて、俺はお風呂場に向かった。

 母さんは俺が入り終わったのを見計らって風呂に入っている。ここでも当然意思の疎通に会話は用いられない。


「ま、いつものことだから考えたって仕方ない」


 俺は服を脱いで洗濯機に放り込み、お風呂場の中折れ戸を開けた。


「おっすー、アラポン遅いよー」

「………………」


 ガラガラピシャン。

 俺は中折れ戸を閉めた。


 この家は母さんという目の上のたんこぶはあるものの、俺にとっては聖域に等しい。

 誰も犯すことのできないサンクチュアリ。

 そう、白鳥先輩がいないことを除けば、最高の憩いの場である。


「ちょっとー! 無視しないでよー!」


 ――だが、風呂場からは絶えず曽根崎の叫び声が聞こえてくる。

 俺と会話をしない母さんでも、これにはさすがにコメントをしてしまう。

 ああ、いったい俺の休まる場所はどこへ……。


「分かったから静かにしろ!」


 俺はタオルで下半身を隠し、仕方なく風呂場に入った。

 

 曽根崎は風呂に浸かって口元に手を添えていた。

 当たり前だが素っ裸である。

 小麦色の肌が俺の目に焼き付く。加えて綺麗な金髪を結わえて上げている姿は非常に艶めかしく見えた。

 

 く……俺はこんなもので騙されたりはしないぞ。

 たしかにすべすべもちもちの肌だろうけど、白鳥先輩の何者にも触れさせたことのない肌のほうがいいに決まっている!


「……もう喋っていいぞ。けど、静かに喋れよ」

「あいあいさー」


 曽根崎は両手を上に伸ばした。

 入浴剤を使っていなければ見えてはいけないところまですべて見えてしまう。

 

 いかん。

 これでは曽根崎のペースだ。

 落ち着け……ここは俺の領域。

 いざとなればこいつは警察に突き出せる。


「……どうやって入ったんだよ」


 俺はシャワーを浴びながら曽根崎に言った。


「そんなん、窓の鍵を開けたに決まってるっしょ」

「胸を張って不法侵入したことを言うな」

「えーなになにアラポン、あたしの胸見てたの? エッチー」


 ……だめだ。

 このままでは埒が明かない。

 かといって警察を呼ぶにも、その前に母さんに事情を話さないといけない。

 前門の虎後門の狼とはまさにこのことか。


「よし分かった。ここまで侵入されては俺もどうしようもない。だから一つだけお前の言うことを聞いてやる。その代わりそれが終わったらとっとと出て行くこと。それでどうだ?」

「えー、それであたしが出て行かなきゃいけない理由なんてないしぃ」


 ぐぬぅ、こいつ、頭が回りやがる。

 

「けど……あんまりアラポンを困らせるのも考え物だしぃ? いいよ、吞んであげる」


 そう言うと曽根崎がザバンと音を立てて浴槽から上がった。


「ちょ……おま……」

「じゃあ、好きって言って? あたしが一番乗りで言われたいの」


 なんだ、そんなことか。

 いきなり乳房を見せつけたからどんなことを要求されるかと思ったけど、それなら容易い。


「……分かったよ。す……」


 …………待て。

 そんな軽い気持ちで言っていいのか?

 そもそも俺が一番好きなのは白鳥先輩。それは間違いない。

 それに心のこもっていない言葉で曾根崎をぬか喜びさせていいものか。


 チクリ、と胸が痛んだ気がした。


「やっぱり、ダメだー!!!」


 俺は風呂場から素っ裸で逃げ出した。

 なんか、なんかダメな気がするんだ。

 必死になって逃げていると、リビングでテレビを見ている母さんと鉢合わせる。

 俺、ノーウェア。

 故に、ノーホープ。


「………………」

「………………」


 俺はいそいそと風呂場に戻った。


「おい曽根崎……!」


 マジでエライ目にあった。

 今回ばかりは一言言ってやらんと気が済まない。

 いきりたって中折れ戸を開けると、既に曽根崎はいなくなっていた。


「……あいつ、魔法使いかなにかかよ」


 どっと疲れが押し寄せてきて、俺はいつもより長めに風呂に浸かることにした。

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