第3話『む、無視しないで……えっと────浮気されてる、後輩くん』
僕の質問が耳に届くと、菜々美の表情は強張り、肩に力が入った────……緊張、焦り、動揺、そんなところだろう。
「わ、私一人っ子だよ、前に言わなかったっけ?それとお母さんも若くはないんだから、私のお姉ちゃんだと思うことは無いと思うよ」
「そっか、じゃあ、他人の空似か」
「……ちなみにさ、どこで見たの?その私に似てる人」
「え、ああ、アニメショップでな。店員さんなんだけど、あの店、名札が下の名前かあだ名だから、苗字わかんなくて」
「そ、そうなんだ」
見逃さなかった、見逃せなかった。強張った表情が緩んだのも、肩の力が抜けたのも────安心して、緊張の糸が解けた、か。
くだらない。
ただ、それらしい人を見たというだけで、恋人を疑い、その一つ一つの言動を怪しむ。普段と何も変わらない事でも、些細な変化でも、何でも、違和感として脳が反応してしまう────……ダメだな、本当に。
自分を戒め、昨日見た光景を一度忘れ、いつも通りの距離感で、菜々美と向き合う────向き合いたい。
大切で、大好きな菜々美の事を疑いたくなんて、ない。
彼氏なら、そう思うはずだ。
「ほら、綾芽を追いかけようぜ」
そう言って、菜々美に手を差し出す。
「うん!」
菜々美がそれに応じてくれて、手を握り、二人で綾芽を追いかける。
綾芽は、僕たちを待っているのか足を止め、上り坂だから、少し高い位置から僕たちを見下ろしている────……違う、あれは、僕の事しか見ていない。だって、憐みの目を向けてきているのだから。
*
教室で二人の空気を作ると茶化されたり、気まずくしたり、嫉妬されたりするかもってことで、僕と菜々美は一緒に昼休みを過ごすときは、屋上や空き教室を利用している。
「トイレ行くから先戻ってて」
空き教室からの帰り、僕がそう言うと、「分かった」と言って、一人で教室へと向かう菜々美を見送り、用を足す。
ハンカチで濡れた手を拭きながらトイレから出て、僕も教室に戻ろうとすると────。
「あの、そこの────後輩くん」
背後からそんな声が聞こえた。が、僕は立ち止まらない。
理由は簡単だ、『後輩くん』というのが、僕じゃないからだ。
手を振られて振り返したら、僕の背後に居る人だった、みたいな。そういう恥ずかしい目に遭いたくないだけだ。
「む、無視しないで……えっと────浮気されてる、後輩くん」
足を止め、振り返ると、そこにはしっかりと僕の目を見て、目を合わせて、「やっぱり」と言う見知らぬ女子生徒が立っていた。
「もしかして僕のこと呼んでました?」
「う、うん」
身長は僕の肩くらいで、腰まで伸びる長く綺麗な黒髪。
首元に付いているリボンの色は、僕らの一個上で、つまりは高校三年生。
僕に何の用だろうか、気になるけど、その前に……。
「浮気なんてされてないんですけど」
そう言うと、首を傾げて見せる先輩。
その仕草一つだけで、僕の胸が高鳴るのを感じた。
「でも、昨日……あれ?」
まさか、見たのだろうか。菜々美が僕以外の男と歩いているところを。
「用が無いなら、失礼しますね」
それだけ言って、彼女に背を向けて歩き出す。
そうして止められることなく、教室に辿り着くことに成功した。
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