第14話 湯田との出会い

 戦争が日本の無条件降伏で終結して、丸二年になろうとする日の昼下がり、ここ福島では、三十度を超える暑い夏が続いていましたが、一人の子供が、何か鞄のようなものを持って走ってきて修道院の中に逃げ込んで来たのです。その子を追ってきたのか、一人の大人も走ってきました。

 その男の人は、修道院の玄関で、

「その鞄を返せ」

と怒鳴っていました。私は、何が起きたのかわからずに、その日本人に、つい、

「Pardon, Mon enfant a-t-il fait quelque chose de mal ? 」

(すみません、子どもが、何かしたのですか)

と言ってしまいました。

 後から思えば、それが、私とあの日本人との最初の出会いだったのです。 

 その日本人は、くたびれた軍服を着ていましたが、知的な印象でした。怪訝そうに私を見たのは、私が、ついこの間まで、敵性外国人として排斥してきた白人の女性だったからでしょうか。

 彼は、英語は流暢に話せますが、フランス語は、簡単な会話程度しか話せなかったそうです。

「Merci de rendre mon sac volé , Or in english, Can you understand my English? If so, return my stolen bag」

(盗まれた鞄を返してくれ)

 この人は、英語だけでなく、フランス語も話せるのかと、私は感心しました。しかし、私も、日本に滞在すること、十数年、日常的なことは、すべて日本語で用が足ります。

「どうぞ、日本語でおっしゃてください」

と私が言うと、その男は、ほっとしたように、

「何だ、日本が話せるじゃないか。俺の鞄を盗んだ子供がここに逃げ込んだ。それを返してもらわなければ、こちらが困るんだ」

と言いました。私は、玄関の外で待つように、その男に言い、鞄を持った子供が隠れた部屋に行きました。私に怒られることを恐れてか、ただ、じっと下を向いているだけです。

「何をしたのですか。もし、あなたが、あの人の鞄を盗んだのなら、それは悪いことです。謝りましょう。私も、謝ります」

そう言うと、男の子はついて来ました。

 男は、修道院を上から下まで眺めてから、私に、

「基督の教えを、よーく教えさせてくれ。泥棒はよくないとな」

「申し訳ありませんでした。念のため、中身を改めてください」

 言われてその男は、鞄に手を入れました。鞄には、薬品、注射器、血圧計、それに聴診器などがありました。

 それを見た私は、

「あなたの持っているものからすると、お医者様なのですか」

と尋ねたのです。

その男は、少し照れくさそうに、頭に手をやりながら、 

「医者、まあ医者と言えば医者だが、それがどうかしたかな」

と言いました。

「お医者様なら、もしよろしければ、ここにいる子供たちを診てください。子供たちは、栄養不足で、皆病気にかかっています」 

「薬品が殆どないから、ろくな治療はできないよ」

と言いながら、その男は、了承してくれました。

 私は、自分が マルグリットという名であることを告げ、その男の名を聞くと、湯田と言いました。

 彼を子供たちのところに案内すると、もう一人の修道女が、容態の悪い子の看病をしていました。

「早速ですみませんが、この子を診てください」

そう言われて、彼は、お湯を求め、消毒薬を入れて両手を清めました。そして、その子のそばに座り、先ず額に手を当てると、

「熱は」

と聞きました。体温計がないと言うと、鞄から体温計を取り出し、その子の脇にはさんで、しばらくしてから体温計を見ていました。

「九度か。かなりあるな」

次に、聴診器を胸にあて、気管支と肺の音を聞き、

「ラッセル・ゲロウシェだ、肺炎になっている。どうして、ここまで放っておいた」

と怒ったように聞きました。私は、この医師は、ほかの日本の医師のように独逸医学の教育を受けたことを理解しました。

「放っておいたわけではありません。お医者様が来てくれなかったのです」

と言うと、彼は、

「ペニシリンがあればな」

と残念そうに言いました。そんなものが、あるはずがありません。

「米軍は、終戦前に、ペニシリンという特効薬を開発したそうだ。それがあれば、何とかなるかもしれん」

「どこでそれは手に入るのですか」

「さあ、闇市でなら手に入るらしいが。ただ、かなり高いとは聞いている」

それを聞いて、看病をしていた修道女が、

「米軍に直接お願いしましょう」

と言った。

 私も湯田も、思わず顔を見合わせたほどでした。そうだ。米軍に頼めばよかったのでした。

 彼は、

「米軍に話がつけられるなら、ペニシリンは大丈夫だろう。悪いが、それがないとどうしようもない」

 翌日、米軍からペニシリンが届けられると、彼は、慣れた手つきで、アンプルをカットし、注射器に吸引しました。

「これを一日、四回ほど筋肉内注射する。明日になっても熱が下がらなければ、一大事だ。筋肉注射は痛いから尻にうつよ」

 アルコール綿で注射箇所を消毒し注射するまでの一連の動きも、手慣れたものでした。子供のやせた尻を見て、湯田は、何かを思い出したようでした。

 翌日、心配していたその子の容態は、見違えるほどよくなりました。神と新しい薬ペニシリンに感謝すると同時に、そのとき、私は、何か風変わりな彼を頼もしく思ったのでした。

 院長は、その医師の価値を認識したようです。彼に、しばらく戦災孤児のために働いてくれないかと依頼すると、彼はしばらく考えた後で了承してくれました。

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