そういえば、リンゴ飴って食べたことないよな

北見崇史

そういえば、リンゴ飴って食べたことないよな

「そういえば、リンゴ飴って食べたことないよな」

「言われてみれば、そうね。チョコバナナだったら食べてるけど」

「俺はタコ焼きばっかりだなあ」

「裕ちゃん、おかずにならないものは買わない主義だものね」

 夕暮れ時の夏祭り会場、左右に夜店を見ながらカップルが歩いている。

「じゃあ、買ってみようか。ほら、ちょうどあそこにある。すいてるよ」

 リンゴ飴売りの屋台があったが、ほかの店と比べて客があまりいなかった。付近は発電機が唸る音、明りに集まる虫けら、そして行き交う人々の喧噪で、いかにもお祭りらしい雰囲気である。

「わたしは、お腹へってないから食べきれないと思う。あれってけっこう大きいし」

「そうでもないんじゃないか。なんなら、俺が余った分を食ってやるよ」

「今度でいいんじゃないの。お腹をすかせたときに食べようよ」

「ああ、うん」

 男は名残惜しそうな表情をチラッと見せるが、女と一緒でなければ楽しめないと思い、諦めたようだ。

「来月、神社のお祭りがあるから、その時に食べようか」

「そうね」

 一か月が経って神社のお祭りとなった。裕也がケイタイを耳にあてる。文字のやり取りではなく、相手の声を聞くのが彼の流儀だ。

「明日お祭りだけど、何時にする」

「ごめんなさい。あしたは仕事が立て込んでて行けそうにない」

「夜に行こうと思ってんだけど」

「夜までかかるわ。残業だもの」

「絵里とリンゴ飴食べたいんだよ」

「だから、ムリよ。次のお祭りにしましょう」

「わかったよ。また今度な」

 絵里は仕事がいそがしくて来られないという。しかたなく裕也は一人で出かけた。

「あれえ、リンゴ飴ないのか」

 だが神社の露店にリンゴ飴屋はなかった。イチゴ飴やチョコバナナの店はあったが、リンゴ飴はどこにも並べられていなかった。

「まあ、どうせ絵里と一緒じゃなければ食べないしな」

 たとえリンゴ飴があっても、恋人と一緒じゃなければ食べないと、なんとなくではあるが心に縛りをかけていた。だから、もし店があっても買うことはない。ただリンゴ飴の存在は確認したかった。それがこの世に存在することに安堵を見出していた。その晩は、タコ焼きと焼きそばを食べて帰った。


 最近、裕也は絵里と会えていない。お互いのスケジュールが絶妙に合わなくて、すれ違いになることばかりだった。彼女はとくに気にしていない様子だったが、裕也の心中はざわついていた。その感情は寂しさというより焦りに近いものだった。

 絵里は美人であり、人見知りすることなく誰とでもおしゃべりする。奔放さもあって、なかなかにモテる女性だ。

 たいして裕也は、顔はいい部類に入るが性格にクセがあった。万事気にしすぎで対人関係には消極的であり、逆に仲の良い者にはやや粘着傾向にあった。

「今週末に暁町の河川敷で花火大会があるだろう。久しぶりに行かないか。近くの温泉に泊まってもいいし」

 二人にとって久しぶりの通話である。

「でも、あそこまでは遠いでしょう。泊りならお金もかかるし」

「最近会ってないからいいだろう。俺が奮発してやるよ。リンゴ飴を二人で食べるんだ。一個じゃ足りないから、二個も三個も買ってやるぞ」

「リンゴ飴に、ずいぶんこだわっているのね。いいわ」  

 それほど乗り気でなかった絵里だが、裕也の押しに根負けしてOKを出した。久しぶりで、お泊りのデートとなる。

 だが当日になって台風が急接近してきて、花火大会は中止となってしまった。昂っていた裕也は諦めきれず、どこかの菓子店でリンゴ飴を探そうと言うが、絵里の気持ちが萎えてしまっていた。

「また今度にしましょう」

「リンゴ飴がなくなっちまうよ」

「嵐の中を運転したら危ないでしょう。リンゴ飴は逃げないわよ」

「いやでも、リンゴ飴を食べないとだめなんだ」

「ネットで注文したらいいじゃないの」

「バカ言うな。一緒じゃなきゃ意味がないんだ。絶対にリンゴ飴を食べるんだ」

「なんか、しつこいっ」

 通話が切られてしまった。裕也がすぐにかけ直すが、カラの呼び出しコールが延々と続くだけで、絵里の声が来ることはなかった。メールやSNSも試してみるが返事はなかった。

 イヤな予感がして、裕也の不安が募る。リンゴ飴を食べなければ絵里との関係が終わってしまうのではとの強迫的な思いが沸き上がってきた。

 日が経つにつれ、時間が流れ去るにつれて、その無意味な思い込みのために息苦しくなってゆく。そんな悶々とした気持ちを持て余していると、よくない噂を耳にしてしまう。

 絵里が見知らぬ男とレストランで食事をしていた、とのことだ。友人の相沢なる人物が証言した。

「この前の山の日だよ。なんか、すごく楽しそうだったぞ。おまえら、ひょっとして別れたのか」

 心配しているというよりも、ひやかし半分だったが、いちおう神妙な表情だと裕也は判断した。

「いや、大丈夫だ。今度リンゴ飴を食べるんだよ。二人っきりでさ」

「リンゴ飴ってなんだよ。言っている意味がわからんけど、まあ、がんばれや」

 絵里と連絡することが憚られた。ほんの少し避けられただけでも心が奈落の底へ落ちてしまいそうなほど、裕也は自信を喪失していた。ヘタに触って取り返しのつかない傷を負いたくない。とにかくリスクを徹底的に排除する、という本能が過剰に働いてしまった。

 何度も何度も、絵里から着信がきていた。別れの宣告かもしれないと、裕也は怯えてしまい、一度も応答しようとしなかった。SNSも然りである。毛布を頭から被って、ただスマホを見つめていた。玄関のチャイムが鳴ろうとも、ドアを開けることはなかった。居留守を使い、自らを縛り続けていた。

「リンゴ飴を食べればいいんだ。リンゴ飴さえあれば、俺たちは元通りになる」

 ほんのささいな事柄に固執することで、自らの弱気を誤魔化し正当化していた。その思い込みは弱まることなく、どんどん先鋭化してしまう。

「そうだ、絵里と俺とでリンゴ飴を作ればいいんだ。俺たちだけのリンゴ飴があれば、なんにも問題ない」との結論に達するが、裕也には自分たちだけのリンゴ飴がどういうものなのかわからない。思い出せるのは真紅のイメージだけだ。それは鮮やかな赤であり、脈打つ鼓動が聞こえてきそうなほどの朱であった。

「相沢だけど」

 友人からである。

「夜遅くに、たまたまホテルの前を通りかかったんだ。そうしたら、絵里さんが男と一緒だったんだよ。やっぱりよう、おまえら別れていたんだな。そうだと思ったんだ」楽しそうな口調だと、裕也は思った。

「俺たちのリンゴ飴がハッキリした」

「またリンゴ飴か。おまえは子供かよ」

 やるべきことが明瞭となった。スマホを放り投げた裕也は絵里のアパートへと向かう。途中、道具を揃えるために買い物をしたために夜遅くの到着となった。

「やっときた。しかもこんな時間に。何度も連絡してるし、そっちにも行ってるんだけど、どうして私を避けるの。ほかに好きな女でもできた?」

 裕也の顔を見るなり、絵里はいかにも怒っているという顔で言った。

「ほかに男を作ったのは見逃してやる。俺は気にもしていない。リンゴ飴さえ食べたら、元通りになるのだからな」

「男って、なんのことよ。ひょっとして私が浮気したと思っているの」

「山の日に、レストランで男とメシを食ってただろう」

「部署のみんなが上司におごってもらったのよ。二人っきりじゃない」 

「夜に、ホテルに男といたな」

「当り前じゃないの。私の仕事はフロント係よ。ホテルが仕事場なのよ。シフト次第で夜勤にもなる。よく知ってるでしょう」

「相沢はウソをつかないんだ」

「相沢って、裕也じゃないの」

「・・・」

「ぎゃっ」

 殴った。

 裕也が放ったゲンコツを左頬に受けて、絵里が崩れ落ちた。

「や、やめて」

 裕也は殴り続けた。馬乗りになると彼女の長い頭髪を掴んで、力の限り何度も何度も殴った。初めのうちは防御や抵抗を見せていたが、無茶苦茶な勢いに押されて力尽きてしまう。顔が風船みたいに膨らんで、もはや人か豚かの判別がつかないほど腫れあがっていた。

「俺たちは、リンゴ飴を食べなかったら離れ離れになったんだ。気持ちが通じなくなったんだ」

 血が付いた拳を見せつけながら、裕也が言う。

「いまからリンゴ飴を作るよ。絵里と俺だけの、甘くて真っ赤なリンゴ飴なんだ」

 殴られて意識朦朧な絵里をベッドまで運んだ。布団やマットレスを取り去ると、彼女を大の字に寝かせた。無意識に浮き上がろうとするが、今度は花瓶で殴られた。鼻が八割がた千切れてしまい、皮一枚でフガフガとぶら下がっていた。 

 絵里を固定したのはヒモやロープではなく針金だった。腕や足、首や胴体、額にまでも巻き付けられた。ラチェットの取っ手の部分を使って、グルグルと締め上げた。切れることのない鋼鉄の輪が肉に食い込む。タコ糸で縛られた焼き豚など問題にならないほどのトルクであり、絵里の皮膚が切れて方々から血が滲み出ていた。

「リンゴ飴なんだ。もう、二人のリンゴ飴しかないんだ」

 裕也は台所に行き、鍋に大量のグラニュー糖と水を入れて火にかけた。恋人の鮮血を数滴たらして薄い朱色をつける。それからベッドに戻り、ナイフや金切り鋸、ペンチや電動の枝切りバサミを並べた。

「絵里のリンゴをもらうな。少し痛いけど我慢するんだ。きっと、すごくきれいなリンゴ飴になるよ」

 豊満というには控えめなバストにナイフが入る。グリグリと抉られている間、悲鳴は沈黙を余儀なくされた。口の中にキッチンタオルがねじ込まれている。もちろん、針金で厳重に縛り付けられているので、どんなに激痛だろうとも一センチたりとも体を動かすことはできない。その完璧な桎梏は地獄の責め苦に等しかった。

 おもいのほか出血がひどかったが、裕也は突き進んだ。やらなければ二人の将来はなくなってしまうとの強迫が天を突き抜けていた。彼の行動にもはや目的などない。腐るほどに熟成された観念だけで走っていた。

 胸部の肉を剥ぎ取り肋骨に金切り鋸をあてるが、道具が大きすぎて挽けなかった。だから特殊な枝切りバサミを使用した。電動のそれは非常に強力であり、ボキンボキンと小気味よい音を響かせながら肋骨が取り除かれた。

「ほら、リンゴが見えたよ。絵里のリンゴだ。きれいだなあ」

 絵里の心臓が露わになった。裕也が話しかけるが、鼻がもげて内出血だらけの豚顔は返事を示さない。骨を断つついでに大きな血管を切断されて、すでに出血多量でショック死していた。

「ちょっと待っててな。すぐに飴を持ってくるから」

 急ぎ台所に行き、火にかけていた鍋を持って戻ってきた。ベッドの周囲が血だまりとなっていて、滑ってズッコケそうになったが、なんとか体勢を整えた。グツグツと煮立った飴は少しもこぼれていない。裕也が見つめる目線が、さも愛おしそうだった。

 熱くたぎったジェルが絵里の心臓に流し落とされた。脂と溢れた血液のせいでうまく絡まなかったが、裕也の手が添えられて塗り込むように広げた。ひどい熱傷を負ったが気にしていない。愛した女の心臓をまさぐり、まだ固まらぬ前に包み込もうとしていた。

「うまくいったよ。経験がなかったけれど、絵里が初めての女でよかった」

 最後に箸を一本差し込んだ。使い捨ての割り箸などではなく、絵里が毎日使っているものだ。

 飴が頃合いに固まってきたので、太い血管を切ってから心臓ごと箸を抜いた。まるでリンゴ飴のように出来上がったそれを、裕也は満足げに眺めていた。

 水のペットボトルに絵里の飴を差し込んだ。屋台で陳列されているリンゴ飴のように倒れることなく、しっかりと屹立している。

「よーし、次は俺の番だな」

 己の胸にナイフの刃をあてて、奥歯が砕けるほど嚙みしめながら、ゆっくりと引く。途端に血が噴き出して、猛烈な痛みが脊髄をぶっ叩いた。目頭が焼け焦げてしまいそうな痛みである。

「ぐぐぐっ」

 裕也は耐えた。

 ナイフをしっかりと握り、歯を食いしばって四角形に切り込みを入れた。一呼吸おいてから肉の端をつまみ、ためらうことなくベリッと剥した。

 痛みの地平を突破した。声に出せる言葉は皆無であり、目玉を上下左右に振り切りまくり、膀胱に溜まっていたレモン色の水分をだだ漏らして倒れそうになる。

 だが前傾したのは、電動枝切りバサミを手にするためであった。それを拾い上げると胸に突き立てて、グッと握った。モーターが唸ると瞬時に肋骨が切られた。絵里よりもいい音がした。

 そうやって機械仕掛けの切腹を何度か繰り返すと、裕也の心臓が露わになった。ひどく血まみれだが、ドクンドクンと脈を打っている。ただし、鍋に残っていた飴が固まりかけていた。

「あ、飴を」

 もはや台所へ行く生命力はなかった、傍にあったボックスティッシュに火をつけて鍋を温めるが、雑にやったためか周囲に飛び火してしまい部屋が燃え始めた。鍋の中身がグツグツと煮え出す。

「俺のリンゴ飴」

 ドロドロと熱い飴を露出した心臓に塗りたくった。痛みは極限の地平をさまよっている。ある種の凝り固まった意志だけが、裕也を悪魔の飴職人に変えていた。

 狭い室内にあっという間に煙が充満し、あちこちで火がパチパチと爆ぜていた。あとは飴まみれの心臓に箸を突き刺すだけである。   

 裕也の左手が箸を握ると、ペットボトルに差し込んでいた恋人の心臓飴を右手に持った。

 甘く生臭いそれにかぶりつくと同時に左の手を押し込んだ。ガリガリと音を立てながら飴を剥して、そして柔らかな恋人に達した時、ペアのもう一方だった切っ先が心筋を深々と貫いた。彼の鼓動が止まり、業火が渦を巻いてカップルを包み込んだ。まだ溶けきらない飴を、ジリジリと焦がしていた。  

 

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