エピソード8 謎の組織

〈エピソード8 謎の組織〉


 勇也とイリアは駅前にあるオフィス街のビルの二階に来ていた。


 そこには弁護士の事務所のような清潔さや小奇麗さを感じさせる空間があり、その応接室に勇也とイリアは通された。


 この応接室を見る限り、身の危険に通じるような気配は感じ取れない。


 むしろ、大事な客人として迎えられているような気分にさえなるし、話をするだけが目的というのは本当のようだった。


 勇也とイリアが来客用のソファーに腰をかけていると事務員のような女性がテーブルの上に紅茶の入ったティーカップとお菓子のスコーンを運んで来る。


 勇也は毒でも入っているかもしれないと警戒したが、耐えがたいほど喉が渇いていたので誘惑には勝てずティーカップに口をつける。


 すると、忌憚なく美味しいと思える味が口の中に広がった。無理な緊張を強いられていた心が弛緩するのを感じる。


 イリアが現れるまで紅茶にはあまり縁がなかったが、本当に美味しい紅茶は精神を安定させる力があるということをこの時、知った。


「そういえば私の自己紹介がまだだったな。私の名前はソフィア・アーガス。君たちを襲った構成員を束ねる組織、ダーク・エイジの幹部だ」


 ソフィアは威圧する風でもなく、淡々と自らの素性を明かした。


「ダーク・エイジなんて実在したんですか。確か、欧州で最も小さい独立国、セインドリクス公国の暗部を体現している組織だと聞いていますけど」


 その手の話を勇也もミステリーやオカルト好きの親友、武弘から聞いたことがあった。


 ちなみに、セインドリクス公国というのは十八世紀になって欧州で建国された国で、特に独立を支援した英国とは強い結びつきがある。


 セインドリクス公国は表向きは戦争には絶対に参加しないという旨を掲げている平和な国だ。


 が、その裏では魔術だの悪魔だのという怪異かつ、時代錯誤な力を信奉するきな臭さもある国だった。


 そんなセインドリクス公国の裏の実態は各国の諜報機関でも把握できていない部分が多いらしく、魔術や悪魔の力で何か後ろ暗いことをしているのではないかと、もっぱらに噂されることも多い。


 取り分け、陰謀論のネタとして扱われやすい国でもあるのだ。


 それだけに、オカルトに詳しい人間なら一度は《魔術国家》の異名を取るセインドリクス公国の名前は聞いたことがあるはずだった。


「どんなに良いこと掲げている国にも汚れ役を担当する影の部分は存在しているものだよ。人間の国である以上、全てにおいて潔白でいられるはずはない」


 ソフィアはリアリストのようなことを言って自嘲気味に笑った。


「なるほど。では、あなたたちのことを詳しく教えてください。そのために俺たちはここに来たんですから」


 あれだけのことがあった後なのだ。


 ここまで来て無駄足を踏んだとは思いたくないし、与えられる情報はその真偽に関わらず手に入れておきたい。


 それがイリアと自分の今後を占うことにも繋がるだろうから。


「分かった。できるだけ分かりやすく説明するつもりだから頑張って話についてきてくれ」


 そう言うと、ソフィアは滔々と説明を始める。


 この上八木市は人間の信仰を一定以上集めると神が生まれる町なのだ。神たちは頻繁に生まれていて、この町の至るところで強い影響力を誇示している。


 上八木市以外ではこのような現象は起こらない。


 もちろん、他の町でも神が生まれないわけではないが、この町とは比較にならないほど、その数は少ない。

 また神が生まれるために必要になる時間も途方もなく長い。


 故に短い期間で頻繁に神を生み出すことができる上八木市は二つとない特殊な性質を持った町と言える。


 その情報をどこかから聞きつけた宗教団体やカルト教団はこの町の力を利用しようと企んでいる。


 この町に支部施設を建てているのもそれが理由で、宗教団体やカルト教団は自分たちが崇める神を誕生、または顕現させようとしているのだ。


 宗教団体がこの町にこぞって支部を作ろうとしている原因はそこにある。


 ただし、神を誕生させるには全国ではなく、あくまで上八木市の住民の信仰心が必要になるのだ。


 だからこそ、この町に支部を作った宗教団体は上八木市の住民の心を掴んで信仰を集めようと躍起になっている。


 そもそも、上八木市の住民から信仰を集めるとなぜ神が頻繁に誕生するのか、その詳しい仕組みは今のところ分かっていない。


 上八木市は霊的に優れた地なので、それが関係しているのではと言われているが、はっきりとした要因は未だ持って不明だ。


 なので、ソフィアの属する組織も懸命に調査をしている。


 一方、ダーク・エイジとはセインドリクス公国の表沙汰にはできない暗部を体現してきた組織で、魔術や悪魔の力を駆使し、世界中に影響力を持っている。


 その上、ソーサリストという極めて攻撃的な魔術を使う人間を構成員として抱えているのだ。


 組織は力のない人間でも魔術を使ったり、ゴーレムやホムンクルス、ボーン・ソルジャーなどを使役できる魔導具を持たせている。


 中には強大な存在である神や悪魔を使役している者もいるがそれはごく少数だ。


 誰にでも使える魔導具の性能程度ではあまりにも強大すぎる力を持つ神や悪魔を制御することなど到底、無理な話だからだ。


 それだけに、神や悪魔を使役できる者は組織の中でも高い地位を得ているソーサリストに限られている。


 そんなダーク・エイジだが、現在の目的はこの町に生まれた神たちを取り込むことだ。

 

 より多くの神たちを味方につけ、組織の力を増大させようとしているのだ。


 神がいるのはこの町に限ったことではないが、この町はとにかく神の数が多い。なので、組織も積極的に動いてあらゆる神たちを自分たちのものにしようと企んでいる。


 そこまでして力を欲して、組織が何を成し遂げたいのかは幹部のソフィアにも知らされてはいない。


 おそらく、他の幹部たちも知らないだろう。知っているとすれば、ほとんど正体が知られていない組織のトップだけだ。


「とまあ、掻い摘んで説明するとこんなところだ。もちろん、他にも語りたいことはたくさんあるが、それだとキリがなくなるので割愛しておく」


 ソフィアは黒のストッキングを履いている足を色っぽく組みなおしながら言った。


「はあ……」


 ソフィアの話を鵜呑みにしてしまった勇也は薄ら寒いものを感じながら相槌を打つ。


 随分とスケールの大きい話になってきたなと怯えながら。


 だが、彼女の話に欺瞞はないし、それは分かる。


「私が君たちに求めるのは一つで、それは組織と衝突するような行動は極力、控えて欲しいということだ」


 そう言って、ソフィアは上品な所作で紅茶の入ったティーカップに口をつける。それを見ていると勇也も唐突に怒りが沸々と込み上げてくるのを感じる。


 勇也とイリアは普通に暮らしていただけだし、人殺しも辞さないような組織に敵対することは何もしていない。


 にもかかわらず、ダーク・エイジの構成員は勇也やイリアの都合など全く無視して襲ってきた。


 態度を改めるべきなのはそちらではないかと勇也は不満をぶちまけたくなった。


「イリアが狙われたのはどういう理由なんですか?」


 そこが一番、肝心なのだ。それを教えてもらえない内は勇也も引き下がれない。


「上八木イリアは、この町で誕生した神の中でも一際、強い神気を放っている。それは隠し通せるものではないし、組織の構成員も何日も前からイリアを監視していたのだよ」


 勇也はそんな気配は微塵も感じ取れなかったので忸怩たるものを感じた。


「神気って何ですか?」


「神を生み出したり、神の力を増大させるエネルギーのようなものだと考えてくれれば良い。個々の信仰の強さや、信仰を寄せる人間の数の多さで神気の量も変わってくるし、その点も憶えておいた方が良いだろうな」


「なるほど」


 勇也は今一つピンとこなかったが話の腰を折るのも嫌だったので余計な質問はしなかった。


「とにかく、君にはお詫びのしるしに、幾つか役に立つものをくれてやろう」


 ソフィアはソファーのテーブルの前に小さなオルゴールのような箱を置く。


 あと見覚えのあるグローブのようなものに少し変わった形の眼鏡と耳栓のような物も置いた。


「役に立つものですか?」


「ああ。今から私が渡すものを持っていれば、戦いの場でただ突っ立っているだけということもなくなるだろうよ」


「それはありがたいです」


 自分もイリアのように戦えるようになれるとしたら、それは心躍ることと言って良いだろう。

 

 超常的な力に憧れるのは、普通の人間なら別におかしくもなんともない。


 もちろん、その力がより大きな危険を招く可能性を孕んでいるのも理解できていた。


 剣を取るものは剣によって滅びるというのは有名な聖書の成句だったな。


「最初に渡すのは護封箱だ。この中にはネコマタという式神が入っている。傷を癒せる簡単な法術も使えるから用途によっては役に立つかもしれん」


 ネコマタという名前を聞いて、明らかに強くない奴だなと勇也は思った。


「式神ですか。普通の人間の俺にも使いこなせますか?」


「ああ。ネコマタくらいなら何とか大丈夫だろう。あと本当に簡単な魔術が行使できるようになる魔導具も渡す」


 黒い色をしたグローブの掌の部分には透明感のある水晶のようなものが付いていた。


 黒服の男たちが、その水晶を光らせていたのを勇也も思い出す。


「このグローブには見覚えがありますよ」


 イリアを襲った黒服の男たちが装着していたもので、火球を出したりしていた。これを装着すれば自分も魔術を使えるようになるのか、と勇也も手に汗握るものを感じる。


「なら話は早いな。最後に神や悪魔を肉眼で見ることができるようになる千里の眼鏡と声が聞こえるようになる補聴器も渡そう。基本的には神や悪魔は霊体で普通の人間にはまず見えないし、声も聞こえない。中には実体をもって人目に触れられるようにできる神や悪魔もいるが、そういう輩は多いとは言えないな」


 ソフィアはかなり変わった形のフレームの眼鏡を指さした。


「色々とありがとうございます」


 勇也は礼を言わなければいけない筋合いはないと思ったが、一応、感謝の意は示しておく。

 それから、眼鏡と補聴器を手に取ると、それを矯めつ眇めつする。


 これを身に着ければ自分を取り巻く世界は一変するかもしれないし、それは途轍もなく怖い。


 でも、自分は裏の世界の深淵を覗き込んでしまったのだから、もう、引き返すことはできないのだ。


 なら、ありのままの全てを、しっかりと受け入れるしかない。


 勇也は後戻りは許されない人生の岐路のような場所に立たされていることを正確に把捉した。


「他にも分からないことがあったら、ダーク・エイジのサイトにアクセスしてくれ。パスワードを教えておくから、スマホがあればいつでも簡単にこの手の情報を閲覧できる」


 ソフィアは胸ポケットにしまってあった手帳を取り出すと、ページを一枚、破ってそこにペンで数字の羅列を書き込む。

 それから、不安を感じているような勇也にその紙を差し出した。


 その紙を受け取ると、勇也も裏の世界の匂いをふんだんに感じ取ることができるようになる。


 できれば、この匂いに慣れてしまうことがないようにしたい。


 自分はまだ表の世界の住人でいたいから。


「分かりました。なら、俺たちはそろそろ家に帰ることにします。もう俺たちが襲われることはないんでしょ?」


 今日は本当に生きた心地がしなかったし、さっさと家に帰って眠りたい。そうすれば、心の整理もつくことだろう。


「それは保証しかねるな。組織も一枚岩というわけではなくて、上の幹部が考え方を変えればまた一悶着あるかもしれん」


 ソフィアは難しい顔をしながらティーカップの中身を空にする。すると、黙って話に耳を傾けていたイリアが口を挟んできた。


「次に襲ってきたら私も手加減などせずに問答無用で叩き潰しちゃいますよ。それは覚悟しておいてくださいね」


 一人、出されたスコーンを何の警戒感もなく美味しそうに食べていたイリアは笑顔のまま脅迫めいたこと宣う。


 その目は決して笑っていないし、イリアの破天荒な行動にブレーキをかけるのは自分の役目なのだろう。


気の重くなるような役目だが。


「ああ。ま、私も幹部の一人だし、私の権限で君たちの平穏な生活を脅かさないようにはできるはずだ。少なくとも、私個人は君たちの敵ではないし、そこは信頼して欲しいものだな」


 ソフィアの言葉に勇也はほっと胸を撫で下ろすと、時計を見る。

 それから、そろそろ家に帰りたいと思い、ちょうど話が一区切りついたところでソファーから立ち上がった。


ソフィアも引き留めるような言葉は発しなかったので、話はここまでということだろう。


 その後、勇也とイリアは応接室から出るとダーク・エイジの支部拠点になっているというビルを後にした。


                  ☆★☆


 一人、応接室で紅茶のお代わりを飲んでいたソフィアは重々しく息を吐く。


 イリアを強引に捕縛するよう命じた幹部に対して、どう出るべきか思案していたのだ。

 

 ソフィアも組織の幹部とはいえ、他の幹部の行動を掣肘できるだけの力はない。


 ましてや自分は女だ。


 荒事に慣れている男の幹部たちを窘めるのは容易なことではない。


 とはいえ、勇也とイリアには平穏な生活を脅かさないようにすると言ってしまったので、その約束は絶対に守らなければならない。


 でなければ、次は確実に死人が出る。


 それが自分の直属の部下だったりしたら目も当てられない。


 ソフィアが悩ましげな顔をしていると、組織の構成員である黒いスーツにサングラスをかけた男が話しかけてきた。


「あそこまでする必要はなかったのではないですか?」


 イリアを襲った男の一人は力の籠らない声で問いかけた。


「あそこまでしなければ、信頼は勝ち取れんさ。お前ももう一度、上八木イリアを襲えと命じられるのは嫌だろう? なら、私のやり方に口を出すんじゃない」


 ソフィアは先程までの余裕を脱ぎ捨てたように苛立たしげに言った。


「ですが……」


「それにあの二人は何かの餌に使えるかもしれない。利用価値がある内は親身に接して損ということはないだろう」


 ソフィアも本当に厄介なのはあの二人ではないと考えていた。


 重要視すべきなのは上八木市に特殊な力と性質を与えた存在だ。


 それを突き止めるまでは、下手な動きは見せない方が良い。


 でないと、巨大な組織をバックにしているとはいえ、何らかの形で足を掬われかねないし、迂闊に動いてその責任を取らされるのは御免だ。


「そうですか。なら、私から言うことは何もありませんが、今回の一件はあなたの上役であるゼルガウスト卿に報告させてもらいますよ」


 そう言うと、男は不本意な顔をしつつも、踵を返してソフィアの前から去って行った。


 ちなみに、この支部には、現在、二人の大幹部がいる。


 一人はソフィアの上役であるゼルガウスト卿で、もう一人はイリアを襲ったサングラスの男たちの上役であるドルザガート卿だ。


 策略家のゼルガウスト卿と武闘派のドルザガート卿は対立していて、極めて不仲の関係だ。


 それだけに、ソフィアとしてもイリアには手を出すなとサングラスの男たちに強く言い含めることはできない。


 そこがまた辛いところなのだが、死人すら出かけたこの件で弱腰な対応を取るのは得策とは言えない。


 全ては組織全体の安寧のためだし、そのためには、やるべきことはやらないと。


 そんな煩わしいことを考えていたソフィアはふと組織のことなど全く知らずに普通の生活をしている弟の顔を思い浮かべる。


 記憶の中の弟は屈託なく笑っていた。


 その笑みは実に眩しくソフィアの暗い心に染み渡る。


「こんな世界に足を突っ込んでおきながら家族の思い出に縋るなんて、私もとんだ甘ちゃんだな……」


 ソフィアは歪めた唇を噛みながら呟く。


 自分の弟は勇也と同じくらいの年齢で、姿形もどこか彼と重なるものがあった。だから、あそこまで親身になってしまったのかもしれないとソフィアも自嘲する。


 自分はまだまだ甘い。


 その甘えは幹部や構成員同士の足の引っ張り合いが日常茶飯事となっている組織の中で生きていくには隙となる。


 それは到底、許されることではない。


 自分は紛いなりにも組織のために人生を捧げると誓ってしまった身なのだから、もう泣き言は口にできないのだ。


 ソフィアはこんなことで懊悩しているようでは組織の幹部を務めていくことはできないと思い、胸に燻ぶる甘い感情を断ち切るように厳しい顔をして見せた。

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