第34話 ハットギリル教会

 ミルズ商店から少女達の売り先を聞き出した翌日、ノワに残っていたペルセウス達からハットギリル教会のダニエルを捕まえたという報告が入った。


 ダニエルから聞き出した話では少女達は未だ教会の中にいるらしかった。


エルマーはサイードやジョシュアと相談し、少女救出のためグレッグをハットギリル教会に潜入させることになった。


 その後、丸一日かけてサイードによるユーラ教の講義を受けたグレッグは、偽の紹介状と奉納金を携えてハットギリル教会を訪れた。


−−−


ハットギリル教会に到着したグレッグは、背の高い金色の鉄柵に囲まれたその豪奢な門をくぐった。朱色に金の装飾が施されたその門は入る者を威圧するかのような佇まいをしていた。


 ユーラ教の見習い司祭として怪しまれないように切り揃えた前髪を気にしながらグレッグは控え室で待っていた。


 前髪を切った後のジョシュアの反応を思い出してグレッグはため息をついた。

「ますます子供だな」、そうジョシュアは大笑いしていた。


 背負ったリュックにはニャンコ氏を忍ばせていた。リュックの紐を解き中の様子を確認する。

「大丈夫ですか。」

グレッグは小声でリュックの中に話しかけた。

「大丈夫だ。気にするな。」

リュックから素っ気ない答えが返ってきた。


 しばらくすると、頭に小さな頭巾を乗せた男が現れた。繊細な刺繍が施された頭巾と無表情を突き詰めたような顔の対比が滑稽に見える。グレッグは頭巾の男について行く。男は部屋の扉を開ける。


 朱色の壁に囲まれたあまり広くない部屋の正面には金の仏像が置かれていた。

(怖い顔だ。)

グレッグは仏像の顔を眺める。


「ここは真理の間です。ひざまずき、祈りなさい。」

そう言われてグレッグは仏像の前に跪き、練習した通りに祈りの姿勢をとると、古代語が混ざる祈りの言葉を暗唱する。


長い祈りを終えたグレッグが目を開けた。

「よろしい、こちらに来なさい。説明します。」

頭巾の男はそういうとグレッグを次の部屋に連れて行った。


「イユヒンの教会から司祭を志して修行に来たそうですね。」

「はい、よろしくお願いします。」

「手紙によると、誓約をなしてからまだ半年だとか。ここでは助祭見習いという扱いになります。ケンに色々教わりなさい。」


 しばらくすると部屋の戸を3回ほど小さくノックして若い男が入ってきた。

その若い男がケンだとグレッグは紹介された。ケンは人の良さそうな少年だった。


「僕のことはケンでいいからね。僕も去年田舎から出て来たんだ。最初は色々戸惑うと思うけど、わかんないことがあったら僕に聞いてね。」

ケンは教会の中を案内した後、宿舎の様な建物にグレッグを連れて来た。

「ここが君の部屋だよ。使っていなかった部屋だからまずは掃除から始めたほうがいいね。」

机とベッドが置かれただけの狭い部屋にグレッグは案内された。


ケンが出て行くと、窓を開けてグレッグは部屋の掃除をし始めた。


掃除が終わってリュックの口を開けると、「もう出てきてもいいですよ。」とグレッグは話しかける。

ニャンコ氏はリュックから部屋の様子をうかがっていた。


(俺は信仰とは無縁の世界で生きてきたのにな。)


グレッグは深いため息をつく。


「ここでうまくやっていかないと。」

グレッグはニャンコ氏に話しかける。


ニャンコ氏は粗末な布団が敷かれているベッドに上がると、腰掛けていたグレッグの横で丸くなった。



「案内してもらった限り教会の本殿の中には怪しい様子はなかったよ。夜中に宿舎の中を見回ってみようか。」

グレッグはニャンコ氏に言った。


 質素な夕食を終えて部屋に戻ると、ケンが訪ねてきた。


 「黒い頭巾を載せているのが司祭様、紫は司教様だよ。で、赤いのは大司教様。僕たちが口をきいていいのは、頭巾無しか黒い頭巾の方達だからね。」

「紫と赤は口をきいちゃ行けないのか?」

「そう。自分から話しかけてはいけないんだ。ここはどこよりも階級を重んじるからね。」

ケンは曇った声で言った。


「ケンはどうしてここに来たんだ?」

グレッグは聞いた。

「司祭になるにはここで修行をして階位を与えられるほか無いからね。」

「司祭になりたいのか?」

「君もそうじゃないのかい?」

「ああ、そうだね。」

グレッグは笑ってごまかした。


「僕は生まれた時に教会の前に捨てられてたんだ。そこの神父様が僕を育ててくれて、こうして修行に出してくれた。田舎の教会で人手もお金もないのに。」

ケンは少し寂しそうな表情で言った。

「そうか。じゃあ頑張らないとな。」

グレッグが言った。

「うん、そうだね。」

ケンの笑顔はどこか憂いを帯びていた。



 皆が寝静まった夜中、ニャンコ氏が宿舎内の各部屋を見回って聞き耳を立てたが、怪しい部屋はなかった。


 翌日、グレッグは助祭見習いの仕事を開始した。


朝は5時に起床、井戸の水を大量にくんで厨房や風呂場、そのほか教会内に置かれている水瓶に運ぶ。


「これだけ立派な教会だから水泉機でも買えばいいいのに。」

一緒に水を運ぶケンにグレッグは言った。

水泉機は貴族や商人などの家には設置されている雨水を溜めて浄化する魔道具だ。


「教会の井戸は神聖な魂が湧き出すって言われていて、これは大事な修行でもあるんだよ。」

ケンは笑顔で言った。

「この修行、一人でやってたの?」

グレッグは聞いた。


この教会に助祭見習いはケンとグレッグの2人だけだった。教会内の雑用は助祭の仕事だが、助祭見習いはさらにその下働きが仕事だった。


「そうだよ。最初は大変だったけど、今は水を汲むスピードも上がったんだ。」


グレッグはケンの後をついて教会内の水瓶の位置を確認しながら、複数ある建物内を見回った。



「ここは司教様、大司教様のいらっしゃる建物だよ。」

廊下には美しい絨毯が敷かれ、内装の装飾も煌びやかで部屋の一つ一つが大きかった。

グレッグは一つ一つの部屋の主をケンに聞きながら、自分にあてがわれた部屋とは随分違うなと思った。


 水汲みが終わった後、大聖堂の掃除をこなし、漸く朝食にありつく。


 食堂でも席順は決まっていて、グレッグとケンの席に置かれた食器は司祭や司教のものとは違って粗末なものだった。心なしかお皿に盛られた食事の量も少ない様だった。

(階級でここまでいちいち差をつけるなんで逆に面倒なだけじゃないのか。)

グレッグはそう思いながら黙ってお祈りに手を合わせた。


 朝食を終えると、グレッグとケンは素肌に白い薄布を着て托鉢に出かけた。

街の片隅で経を唱える。


 たまにお布施をしてくれる人もいるがほとんどの人は素通りだ。


「これ、いつまでやるの?」

人通りが途切れたところでグレッグはケンに聞く。

「夕方までだよ。」

「えー・・」

「人々の救いを願いながらお経を唱えて集中するんだよ。」

ケンはそう言って再び目を瞑って経を唱え始めた。


(人々の救いって言われてもなあ。)

集中できないグレッグは行き交う人を見ながら丸暗記した経を小声で唱える。


そのうちに一人の子どもが近づいてきた。

(お布施に来たわけじゃないよな。)

グレッグが子どもの様子をうかがう。


「おい、今あの子がケンの鉢から銅貨を盗んだぞ。」

「いいんだ。人から施されたものを分け与えただけだ。」

ケンは目を開けると穏やかな顔で言った。



「ケンー、これ毎日やってるの?」

帰り道、グレッグは疲れた様子でケンに言った。

「そうだよ。日曜日以外は毎日ね。とても大事な修行だよ。」

ケンは純粋な笑顔で笑った。

「ケンは修行が苦じゃないんだな。」

「苦じゃないって言ったら嘘になるかも知れないけど、沢山修行して早く田舎の神父様の役に立てる様になりたいんだ。」

ケンは笑顔でそう言った。


 一日中休み無く働いて疲れたグレッグは、エルマーに頼まれている捜査を忘れてぐっすりと寝てしまった。


 翌日もケンと一緒に日課をこなす。


その間にニャンコ氏に教会内を探るように頼んでいたが今日もこれといって怪しいものは見つけられなかったという。


 パンとスープだけの質素な夕食を済ませると、グレッグはケンの部屋を訪れた。


「田舎から持ってきたお菓子があるんだ。夕飯足りないだろう?一緒に食べないか?」

グレッグが聞くとケンは首を横に降った。

「お腹空いてないのか?」

「いや、確かにお腹は空いているがこれも修行だよ。空腹に耐えないと。」

「我慢強いんだな。尊敬するよ。」

「僕はそんな尊敬されるような人じゃないよ。」

ケンはうつむいた。

「どうした、疲れてるのか。」

「いや、グレッグが来てくれて、僕はすごく嬉しいんだ。こうして普通に話せる相手がいるっていいなって。」

すぐさまケンは笑顔を向けた。


グレッグはその笑顔に後ろめたい気持ちになった。

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