第16話 ジョージ・ヴァッセ
翌日、アレックスは濃紺の開襟のジャケットに白いシャツ、黒のアスコットタイという騎士服の正装で現れた。左胸の胸ポケット縁に赤や黄色の略章が並んでいる。その手には大きな布袋を抱えていた。
「なんだ、その袋は。」
サイードが聞いた。
「これは、君たちが魔獣討伐した後に北の砦付近一体に残されていた魔石だ。エルマーに聞いたら騎士団がもらっていいということだったので、スーリに行って換金したい。頑張ってくれた兵士達に褒賞金を出したいんだ。少しでも彼らの頑張りに報いたい。」
アレックスは嬉しそうに言った。
「わかった。では馬車に乗ろう。」
騎士団の馬車に乗り込むとアレックスはサイードに聞いた。
「本当に馬車ごと転移することなんてできるのか?」
「大丈夫だ。何度か試している。それと、スーリに着いたら私のことはエルームのメンバーとだけ呼んでほしい。名前を伏せておきたいんだ。」
サイードは真剣な顔で言った。
「何が事情があるのか。メガネもその為か?」
サイードはいつもしていない黒縁のメガネをかけ、普段エルマーがしているような、ひと目で冒険者の剣士だとわかるような格好、膝上までのサイブーツに革の胸当て、そして腰からロングソードを下げていた。
「ああ、念のため名乗る必要があれば偽名をを名乗る。」
「そうか、事情は聞かせてくれないのか。」
「ああ。」
そういうとサイードは黙った。
「話せないのなら詮索するつもりはない。そのようにする。」
アレックスは不思議に思いながらも、スーリで領主のヴァッセに状況を伝える役割に気持ちを向けた。
−−−
「よくやった、アレックス。」
話を聞いたヴァッセの領主、ジョージ・ヴァッセは笑った。
「お言葉、痛み入ります。しかしこの討伐は我が団の力ではなく、ここにいる冒険者のチーム、エルームによって果たされました。援軍は来ず、我々の力が尽きようとしたとき、エルームが現れ、ヴァッセ領を救ってくれました。」
アレックスは感情を抑えながら話した。
ジョージ・ヴァッセは隣にいるサイードを無視するかのように見ようとしなかった。
「まあ、ともかく、魔獣の脅威が去って良かった。私から各所に知らせておこう。アレックスは大儀であったな。スーリでゆっくりしてから戻るといい。」
ジョージ・ヴァッセはそう言うと、長椅子の背にもたれかかった。
「ヴァッセ卿、恐れながらお伺いしたいことがございます。」
アレックスが言った。
「なんだ。」
「なぜ援軍は来なかったのでしょうか。」
「ああ、それか。私も国王に直訴したんだが、なにぶん去年から納税も免除してもらっていてな、あまり強く訴えることができなかった。援軍の派遣に伴う費用負担をヴァッセがするのであればとの条件付きだったのだ。」
ヴァッセの言葉はアレックスを
「良い知らせを国王へ報告もしなければな。これでヴァッセ領は元の通り安泰だ。」
ヴァッセはアレックスの顔が強張ったことを気にもしない様子で言い、この場での話を終えるそぶりを見せた。
「ヴァッセ卿、一つお願いがございます。」
アレックスは言った。
「願いとはなんだ。」
ヴァッセは面倒くさそうに返す。
「今回の件で、長きにわたって魔獣の侵入を食い止めた兵士達、それに窮状を救った冒険者のエルームに褒美をだしていただけないでしょうか。」
ヴァッセの顔が曇る。
「そうしたいのは山々だが、余裕のある金は今無いんだ。それに兵士達には俸給を払っているのだからな。」
ヴァッセが言った。
「恐れながら、この度の魔獣討伐で多くの魔石が手に入りました。それを売って、兵士達とエルームに褒賞金を出したいと思います。」
「なんだと。魔石があるならよこしなさい。」
アレックスは持ってきた布袋を見せた。
「ほう、素晴らしい。怪我の功名だな。これは私が預かろう、価値がわかったらその褒賞金を検討しよう。」
ヴァッセは袋を取り上げると横に立っていた従者に渡した。
「実は先ほど
アレックスが食い下がった。
買取価格は全部で47万ギリーにもなる。エルームにその半分を渡したとしても、残りは23万ギリー。これを30等分したとしても一人当たりおおよそ3ヶ月分の俸給を超える額になる。アレックスは事前に計算していた。
「アレックス、君はなにか勘違いをしているな。あそこは我がヴァッセ家の領土だ。そして君たちはヴァッセ家に雇われている。それがどういうことかわかるか。」
ヴァッセはうんざりしたというような様子で言った。
「はい、存じております。しかし…」
「もう良い。下がれ。私は国王に報告しなければならない。」
ヴァッセは後ろに控えていた執事に合図してこの場を切り上げようとする。
「私からも一つ良いですか。」
これまで黙っていたサイードが言った。
「なんだ、冒険者風情が。私と面会出来ただけでも名誉だぞ。何を言うつもりだ。」
「実はアンデッドモンスターの脅威はまだ続いています。」
「なに、倒したのでは無いのか。」
「ヴァッセ領へ襲撃していたモンスターは全て討伐しております。しかし、北の砦の先にある森の中に古代の遺跡のような場所がありました。我々はその遺跡の入り口を封じ、ひとまずモンスターの出現は抑えられました。しかし、あの遺跡に巣食うアンデッドをすべて討伐しなければ、今後も今回のような襲撃が再び発生するでしょう。」
「なんだと。」
「今後もヴァッセ領は警備のさらなる強化が必要です。関わった冒険者として、お伝えしておきます。」
「その遺跡の魔獣は討伐できんのか。」
「相当の数のモンスターがいると思われます。討伐には二千名ほどの兵士の派遣が必要でしょう。」
「二千だと。全くなんてこった。本当にひどい場所を領土として与えられたもんだ。」
−−−
ジョージ・ヴァッセの王都の館を出ると、アレックスがサイードに頭を下げた。
「すまない。」
「なにを謝っている。」
「君たちがいなければ、ヴァッセ領は人が住む場所ではなくなっていただろう。我が領主ながら非礼をお詫びする。」
「アレックスが詫びることでは無い。それなら私も謝らなければならないことがある。ヴァッセ領へのアンデッドの脅威は去っている。」
「ではなぜあの様なことを…。」
「反応を確かめたかった。あのジョージ・ヴァッセという男は領主の役割を果たしていない。これからも同じだろう。」
サイードが言うとアレックスは緊張を解いたように言った。
「ああ、確かにそうかもしれない。君が横にいなければ、私は怒りをぶつけていただろう。」
アレックスは唇を噛んだ。
「ところで、アレックスはこの後どうするんだ。すぐに帰るか?」
「王国騎士団に知り合いがいる。挨拶をしていきたいのだが待っていてもらえるだろうか。」
「わかった。では私も少しスーリを観光する。明日の朝、馬車の停泊場で待ち合わせしよう。」
サイードはアレックスと別れると、先にスーリに入っていたグレッグと宿で落ち合った。
「カール・ロウエはどうだった。」
「はい、本店のロウエ商店に長年いる女中の話だと、どうやらカールはジョージ・ヴァッセに不満を持っているようです。ポロリと愚痴が出たのを聞いたことがあると言っていました。昨年、ヴァッセ領の商店会が税率を引き下げるよう要請したこともあったみたいです。街の人々の意見を取りまとめて陳情したのがカールだとのことです。カールは人柄のいいお爺ちゃんで、ヴァッセが領主になる前からあの街で商売をしていて、街の人や使用人達からの信頼も厚い人物のようでした。」
「そうか、それは朗報だ。」
サイードは口角を上げた。
「そうですか。」
グレッグは釣られて笑顔を向けた。
「それと、例の件はどうだ。」
「はい、スーリに知り合いの吟遊詩人がいましたのでその者に話をしました。役人や商人が贔屓ひいきにしているレストランからちょうどお呼びがかかっているとの事で、早速歌を作って披露すると言っておりました。冒険者が集まる酒場や人通の多い広場でも歌うように伝えてあります。」
「助かる。短い時間に急がせてすまなかったな。ありがとう。」
「いえ、このくらい何でもありません。」
グレッグはサイードの期待に応えられたと理解し嬉しそうに言った。
「後は芽吹くのを待とう。」
サイードが言った。
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