第4話 メリッサの思い出

 それから数日、サイードは賢者の書と向き合った。


(こんな風に時間を使えることなんていつぶりだろうか。)


地位も立場も失ったが、苦しみや悲しみを忘れて安らかな気持ちで書を読んでいた。


 書の後半になると、これまでの記述と指向が変わり、ノワ王家に伝わる魔法とローブにまつわる逸話が綴られていた。このローブを身につけることで引き出される魔力と、様々な古代の術式が書かれていた。離れた場所に転移するための術式、そして特殊な状況で使う術式。


「果たしてこれを使うことができるのだろうか。」

サイードはそう呟いた。


 武術や魔法に関して、サイードは幼いころワーズ家の方針で、山奥の道場で1年ほど訓練を受けた。だがそれ以降はそう言った訓練は行ってこなかった。


 サイードは部屋を出るとエルマーに道場の使用許可をもらいに行った。道場は誰でも自由に使って良いとエルマーは笑った。



 メリッサが息を上げて武術の形を練習していた。


「サイード。何か用が?」


「いや、邪魔してすまない。賢者の書に書かれている魔法の術式を試そうと思ったのだが、またにするよ。」

「まて、ちょうど一息入れようと思っていたところなんだ。使ってくれ。」

メリッサはそういうと道場をサイードに譲って出て行った。



 サイードは魔法の授業を思い出し、精神の集中を図る。書に書かれた術式をくうに描き、唱えた。

体がふっと宙に浮き、気づくとサラサラと勢いよく流れる小川の音、水面に反射するキラキラした光が目に入るのを感じる。


サイードは飛空艇の外、平原の小川にいた。


「うわぁ。なんだよ、びっくりした。サイードか、今、突然現れなかった??」


ちょうど魔獣退治から戻ってきたらしいリゲルとその場で鉢合わせた。


「で、できたみたいだな。」

サイードは興奮気味に言ってリゲルを見た。

「できたって何が?」

リゲルは仕留めた魔獣を背負ったまま不思議そうにサイードを見る。


「すまない、今魔法を練習している。」


サイードはリゲルに見守られながらもう一度精神を集中して先程と同じように術式を空に描き唱えた。

すると次の瞬間に元いた飛空艇の道場に戻っていた。


「サイード。」

道場にはメリッサが戻っていた。

「成功だ!」

サイードはとても嬉しくて思わずメリッサの手を取った。

「サイード、一体…」

握られた手を見てメリッサが真っ赤になって慌てている。

「すまない、つい嬉しくて。あ、気を悪くしてしまったか。」

サイードは女性の手を取ってしまった事に気付き手を離した。


「そんな、べ、べつに気を悪くするとか、そうじゃないが、どうなっているんだ。」

メリッサは離された手を胸の前で重ねながら聞いた。


「ああ、『転移』という魔法なんだ。賢者の書に記されていた。瞬時に別の場所に移動ができる。もう一度やってみるよ。」

そういうとサイードは先ほどの小川を思い浮かべて集中した。


目を開けると小川の中で体を洗っているリゲルが見えた。


「おい、サイード、一体どこに消えてたんだ?」

再び現れたサイードを見つけ、大きな尻尾をピンと立たせながらリゲルが小川の中から聞いた。


「古代魔法の実験だよ。」

「突然現れるっていう魔法なのか?」

「ああそうだ。ではまた飛空挺に戻るよ。」

そういうと飛空艇まで転移した。


道場にはメリッサが待っていた。

「どこへ行ってきたんだ?」

「昨日散歩で行って来た小川までだ。」

「何処にでも行けるのか?」

「一度訪れて記憶している場所ならこの魔法で行けると書かれている。うまくいった。」

「そうか、良かったな。」

メリッサは微笑んだ。


すると、突然サイードはふらふらと、その場にひざまずいた。


「どうした、大丈夫か。」

「少し立ちくらみがする。」

サイードは右手をこめかみに当てた。


「ちょっと待っていろ。」

メリッサは走って何処かへ行くと、お茶の入ったグラスを持ってきた。

「飲んで。」

サイードは差し出されたお茶をのんだ。

しばらくすると気分が良くなってきた。そこにエルマーもやってきた。


「大丈夫ですか。最初から無理しないほうがいいですよ。」

「ああ、体力には自信があったのだが、急に立ちくらみがしてしまった。」


「魔力を使いすぎると起こる現象かも知れません。魔法の授業で習いませんでしたか。」

「ああ、そんなことを教わった気がするな。」


その当時は子供だったが習った魔法を使っても、気分が悪くなることはなかったので気にしていなかった。


「侮らないほうがいいですよ。若い魔術士がこのために命を落とすこともあるみたいですから。」

「そうなのか。」

「魔力も筋力と同じで徐々にトレーニングして力をつけていかないと、ダメなんです。」

「魔力のトレーニング?」

サイードは聞き返した。


「魔法を教える本には、人の魔力量には個人差があって、限界が決まってるって書いてあることが多いんですが、鍛えれば限界が上がって行くことは僕たちが実証してます。」


「そうなのか。気をつけるよ。ところで、このお茶は何のお茶なんだ。健康にいいと言っていたが。」

「これですか。これは独自に調合した薬草を煎じたものに、体力と魔力を高める回復薬ヒールポーションを混ぜたものです。トレーニングの後に飲むと疲れが取れるってみんなに評判なんですよ。」

「そうか。回復薬か。随分高価なものだと聞くが。」

「ええ、巷では高価なので、自分たちで作ってるんです。レシピも巷で売っているものと違って効果が高いんですよ。このレシピはメリッサが以前いた寺に納められていた古い経典の中に書いてあったんです。」

「それも古代の遺産なのか。」

「僕たちがいう古代遺産とは正式には違うかもしれません。古いけど、そこまで古くなくて、昔の僧侶が自ら編み出したとして描かれていました。材料が今では見つかりづらいので、試す人もいなかったみたいです。」

「そうか。」

そういうとサイードはグラスに残っていたお茶を飲み干した。



 翌日からサイードはメリッサに朝稽古をつけてもらうことになった。小さい時に剣術の基礎はやっていたが、もうずっと体を動かしてこなかった。

メリッサは様々な武器の扱いに精通していて、武術は目で追うのがやっとなほどだった。そんなサイードに基礎の型や受け身の仕方などをメリッサは教えた。


 サイードがメリッサに丁寧に教えてくれてありがとう、と笑顔を向けるとメリッサは視線を背けて下を向いた。

「覚えていないか。」

メリッサが小さな声で言った。

「何をだ?」

サイードが不思議そうな顔をすると、メリッサは何でもない、と言って稽古を終えて道場から出て行った。


−−−


 メリッサは自分の部屋に戻ると、引き出しから古いメモを取り出してじっと眺める。メモには昔の恩人の署名がされており、大切に持っていた。


 メリッサは9つの時に両親を相次いで亡くした。疫病によるものだった。

 両親が死んだ後、遠縁にあたる家に引き取られたのだが、そこでは召使いのような扱いを受けていた。毎日家族の世話をして過ごすだけの惨めな生活だった。必要なものすら何も買い与えられず、小さくなった服を縫い直しながら着たり、食事も家族の残り物を食べた。当然学校にも行かせては貰えない。死んだ両親と過ごした時を思い出して毎日泣き暮らす日々が続いた。


 12歳になった日に、メリッサは街にある大きな商店に奉公に出されることになった。その時は家を出ることができるなら構わないと思って喜んでさえいた。わずかばかりの荷物をまとめ、迎えにきた馬車に乗せられた。


 馬車の荷台にはメリッサの他に同じくらいの年だと思われる数人の子供が乗っていた。話を聞くとみな同じようにその商店に奉公に行くと言った。一度にこんなに子供を奉公に受け入れる店があるのかと不思議に思って馬車の運転手に尋ねると、向かうのは聞いていた商店ではなく港だと言った。そこでメリッサは奴隷として売られるのではないかと気付いたが見張りもいる馬車の荷台に座ったまま、ただ運ばれて行くことしかできなかった。


 数時間走った後、馬車が溝にはまったのか大きく揺れて止まった。外に出た見張りの男の隙をついて、メリッサは馬車から逃げ出した。だが、すぐにつかまってしまい、手を縛られて鞭で打たれた。


 ちょうどその時に別の馬車が通りかかった。ひと目で貴族が乗っていると分かるような美しい装飾が施された白塗りの綺麗な馬車だった。


「何をしているんだ。」 


貴族の馬車が止まり、その御者台に乗っていた騎士服を着た男が声をかけてきた。


メリッサは鞭で打たれた衝撃で地面に倒れ、動けなかった。


鞭で打った野卑な男が猫なで声を出した。

「これはこれは、侯爵様ですか。立派な馬車ですなあ。いや、なに、この子が悪さをするんでね、お仕置きしていたんですよ。」

「小さな少女を鞭で打つのか。」

「いや、何、この子は奴隷なんですよ。奴隷は優しくするとつけあがりますんで、仕方ないんですよ。」

猫撫で声が続く。

「私は奴隷じゃない。騙されたんだ。」

メリッサが力を振り絞って声をあげた。


 馬車から背の高い青年がおりて来た。


「こんなか弱い女の子に酷いことを。」

青年はメリッサの縛られた手首を見た。縛られた部分が赤黒く鬱血していた。


「大丈夫か。」

そう言った青年はメリッサを起こして縄を解くと、鞭で打った男に向き直った。


「彼女は騙されたと言っている。ここは侯爵家の領地だ。侯爵の権限で確認させてもらう。」

そういうと青年は部下と思しき男達と荷台にいた子供達を下ろした。


「子供達は皆、奴隷になるとは言っていない。ミルズ商店に奉公に行くと言っているが。」

御者と見張りの男達は言い訳に必死になる。

「よくわかった。このまま役所に来てもらおう。子供達は一旦私が預かる。」


その後、子供達は侯爵の屋敷に預かられ、連絡がついた家から返されることになった。


「帰りたくない。」

メリッサは、助けてくれた青年に言った。

「うちに帰りたくないのか。」

「両親は死んだ。今の家は私のことを厄介者だと思っている。私が奴隷になっても気にもしないと思う。」

涙をこらえながら絞り出すように話すメリッサに青年は優しく頭を撫でた。

その暖かな手のぬくもりにメリッサは我慢できずに泣き出した。

泣き止むのを待って、青年はメリッサの話を聞いた。

「そうか、わかった。君を家に返すことはしないでおこう。だが君はこれからどうしたいんだ。」

優しい目で見つめた。

「強くなりたい。」


 その後、青年はメリッサをある山寺に連れて来た。


「暫くの間、ここで君を預かってくれるからね。同い年ぐらいの子もたくさんいるし、武術や魔法、それ以外の学問も学べるんだ。」


 山寺の僧侶と思しき強靭そうな老人が出迎える。

「なんだ、また拾って来たのか。今度は女の子じゃないか。」

暖かい笑顔で言った。

「随分とか細い子じゃのう。お前さん、ここで暮らすのは大変じゃぞ。大丈夫か。」

「はい、強くなりたいんです。」

「ほう、意志の強そうな綺麗な目をしているな。」


「では宜しくお願いします。」

青年は老人に頭を下げた。


「ここは私も学んだ山寺だよ。辛いことがあったらいつでも私サイード・ワーズを尋ねなさい。」

そういうと青年は署名をしたメモを渡して去って行った。



 メリッサはしばらくメモ見つめ恩人への思いを辿った後、再び引き出しに戻した。


−−−


 サイードはそれから毎日、朝の武術稽古のあと、昼までは魔法の訓練をした。魔力の限界点をあげるための特訓だ。賢者の書に書かれている魔法は大きな魔力を使うことがわかり、火魔法や水魔法の基礎からやり直している。午後は賢者の書の解読にあてた。

そんな生活を1ヶ月ほど続けた。



 「随分腕が上がっている。」

朝稽古のあと、メリッサが言った。


サイードは防具をつけての格闘実戦ができるまでになっていた。


「そうか、メリッサにそう言われると嬉しいな。」

サイードは笑顔で言った。

「基本の型ができてきたから、これからの訓練は武器は何か一つに絞った方がいいと思う。」

メリッサは向けられた笑顔から慌てて目を背けながら言った。


「そうか、何がいいかな。」

「このチームの中ではサイードは戦闘の後方支援になるだろう。そのため距離をとって攻撃するものがいいんじゃないかな。」

「そうか、となると弓かな。実は剣より弓の方が得意で、これまでも弓の鍛錬はしていたんだ。」

「なら明日からは弓の稽古をするといい。」


そう言ってメリッサは笑った。

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