割烹着

「いっただきまーす!」


 陽汰が元気よく手を合わせる。


 それから、ドレス・ド・オムライスにそっとスプーンを入れた。ビーフシチューのごろっとしたじゃがいもと一緒にオムライスを口に運ぶ。


「ん~~っ! 卵がとろとろ。ビーフシチューもすっごく濃厚で美味しいよ!」


「……ありがとうございます」


「肉がごろごろしててデカい! でもほろほろで柔らかいー!」


 もぐもぐと咀嚼しながら、陽汰は感想を伝えてくれる。


 おいしいと言ってもらえるのは嬉しい。彼の感想にもっと耳を傾けていたかったけど、そうもいかなくなった。社員たちが次々と帰宅してくるので、その対応に千影は追われた。


 各々が好きなだけ盛ったバターライスに、ドレスに仕立てた卵を乗せていく。


 心なしか、社員たちに手元を見られている気がする。


 卵をくるくるする瞬間は、特に視線を感じる。物珍しいのだろうか。緊張しながらも、千影はひとつひとつのドレスをていねいに仕上げていった。


 予想以上のスピードでご飯が減っていくので、慌ててバターライスをこしらえる。


 しばらくはご飯を多めに炊いて、必要な分を見極めなければ。


 玉ねぎを炒めながら、となりのコンロで卵をくるくる巻いていると、結野の声がした。


「器用だねぇ」


「慣れたら簡単です」


「俺は絶対にできる気がしない」


 貫井が真剣な眼差しで、じーっと千影の手元に集中している。


「……フライパンを回転させながら揺すると、うまく出来ます」


 卵がフライパンに引っ付くことなく仕上がるのだ。


「なるほど」


 興味深そうにつぶやく貫井に、陽汰の声がかぶさる。


「結野さんと貫井さん、今日は遅かったですね」


「ちょっと寄り道してたから」


 そう言って笑う結野の皿に、フライパンからスライドさせて卵をのせる。


「うわ! きれいだなー! すごいすごい」


 結野が目を輝かせている。


「バターの香りに食欲をそそられるな」


 貫井がごくりと唾を飲み込む。


 二人の皿にビーフシチューをかけて、リーフレタスのサラダも添えて、出来上がり。


「このビーフシチュー好きだな。すっごくコクがあって美味しい!」


 そう言って、もりもり食べる結野の横で貫井が「うんうん」と唸る。


「赤ワインが入ってるのが分かるぞ。やっぱりビーフシチューには赤ワインだ」


 どうしても貫井は「大人の味」にこだわりたいらしい。口元にビーフシチューを付けながらガツガツ食べる様子は、どちらかといえば子供っぽい気がするのだけど。


「寄り道って、どこに行ってたんですか?」


 陽汰がトレーを配膳台に置きながら、二人に問う。


「本町通り商店街だよ」


 結野がリーフレタスの粉チーズサラダに箸をつけながら答える。本町通り商店街は、宮川を渡ったところにある昔ながらの商店街だ。


「あ、このサラダも美味しい。粉チーズの味がしっかりついてるのにさっぱりしてる」


 結野がぱくぱくとおいしそうにサラダを食べる。


「商店街に用事でもあったんですか?」


「洋品店に行ったんだ。エプロン買いに」


「エプロン? 結野さん、料理でもするんですか?」


「違うよ。千影ちゃんに」


 いきなり自分の名前が話題に出てきて焦る。


「わ、私ですか……?」


「うん。そのエプロン、少し古くなってるじゃない? せっかくだから新しいのを買ってプレゼントしようってことになって」


「そんなの俺、聞いてないんですけど!」


「定時で上がって、すぐにお前のいる企画広報課に行ったんだぞ。もう帰った後だったが」


 貫井がちらりと陽汰を見る。


「夕食が楽しみ過ぎて、ソッコーで寮に帰りました……」


 ははは、と陽汰が笑う。


「いや、でもこれはエプロンっていうか……」


 ガサガサと袋から取り出し、陽汰がエプロンらしきものを広げた。

 

「おばあちゃんのエプロン?」


「割烹着だ」


 首をかしげる陽汰に貫井がツッコむ。


「なんで割烹着なんですか」


「風景に馴染むかなと思って。古い町並の一角にある、町屋を改装した寮。その寮のまかないさんには、普通のエプロンよりそっちかなってことになってさ」


「まぁ、それは確かに。雰囲気は合ってるかも」


 陽汰が納得したように頷いている。


「今のシンプルなエプロンは似合ってるし、嫌だったらそのままでいいんだけど」


 結野がにこにこと笑いながら「一応渡しておくね」と言って、千影に割烹着を手渡してくれる。


 千影は身に付けている黒のエプロンは、伯母が営むお好み焼き屋でアルバイトしていたときのものだ。


 まかない係の仕事には制服はなく、エプロンも支給されなかったので、むかし使っていたものを引っ張り出してきたのだった。


 古いだけあって、よく見るとほつれている箇所がある。


「……あ、ありがとうございます」


 なんだか、急に鼻の奥が痛いような感覚になった。


 うれしそうな顔をしなければ。


 そう思うのに、痛みがぎゅんと激しくなってうまくいかない。


 うれしいときに、うれしい顔ができない自分にきっと皆はがっかりしている。


 そう思って恐る恐る顔を上げると、貫井と結野は食べることに夢中らしく、千影の反応を気にしている様子はなかった。 


 反応を求めているわけではないと知って、余計に有り難いような申し訳ないような気持ちになる。 


「ありがとうございます……」


 ぽつりとつぶやくと、そばにいた陽汰が反応した。


「うん? なにか言った?」


「あ、い、いえ……」


「そういえば、千影さんって夕食はいつ食べてるの」


「仕事の合間に、いただくことになっています」


 そう言いながら、まだ口にしていなかったことに気づく。作りながら少し味見をしただけだった。


 ……でも、もう今日は食べられないと思う。


 何だか胸がいっぱいで、まるで食べられる気がしないのだ。


 とても不思議な感じがする。


 食べていないのに、すごくお腹が空いているはずなのに、まるでおいしいものをお腹いっぱい食べたあとみたいな感じになっている。


 心と体がじんわりと温もって、満たされているような、そんな感覚になっていた。

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