おしゃべりな胸
@ramia294
おしゃべりな胸
肋骨が、折れた。
通勤途中、段差の無いところで、つまずきコケたのだ。
そろそろ、年齢の壁が……。
そういえば。
最近、夏の暑さが、過酷だと思うのも年齢か?
そう、夏の通勤時間は暑く辛い。
この夏、僕は念願の空調服を手に入れた。
そう、あの服にファンを付ける発想の面白い服。
僕は、新しいモノに、手を出してしまうタイプなのだ。
その日、僕は空調服を着ていた。
あまり通勤列車内で着ている人は、いないので、得意になって、足どり軽く会社へ向かっていると、コケてしまったのだ。
その時、体重が胸下にまでズレたファンに乗ったのだろう。
大切な肋骨が、ポキンと折れてしまった。
「大丈夫ですか?」
痛みに、しばらく立てずにいると、通りがかりの、女性の方が、声をかけてくれた。
その時は、彼女が本物の天使に見えた。
「何とか」
恥ずかしくて、アドレナリンいっぱいの僕は、立ち上がり、その場を去ったが、五分後には、気分が悪くなるほど痛みだした。
社内で、上司に連絡すると、総務の方が病院に連れて行ってくれた。
折れていると医者に、告げられた。
小さなショックと共に、会社に戻る。
三日間の安静の後、痛み止めをカバンに忍ばせ、出社する。
痛み止めが効いているのか、強い痛みはない。
痛みの代わりに、骨折部分に穴が空いた様な違和感がある。
その日は、全社あげての朝礼。
社長以下、役員様方のありがたいお話が、ダラダラと続く。
ようやく、最近常務になったばかりの彼の順番が、やって来た。
年齢が若い割には、頭部がスッキリし過ぎている彼。
長くて、ありがたいお話を始めた。
「鬱陶しい」
誰かの声が、聞こえた。
一瞬周囲が、ざわついた。
僕だってそう思うが、そこは、サラリーマン。
おマヌケな役員のありがたくないお話に、付き合ってあげるのもお仕事。
「ふぁ〜、あくびが出るぜ。何だ?社内の和が大切だと?バッカじゃないの。ここは、仕事の場だ。仕事がいちばん大切に決まってんだろ、このバカ」
まあ、その通り。
なかなか、優秀な社員だ。
しかし、声にあげる事ではないなと、思っていると気がついた。
皆んなの視線が、僕に集中していることを。
『あれ?』
常務が、こちらを睨んでいる。
「田中くん。役員のこの僕に、何か意見でもあるのかね?」
田中?
僕の名前だ。
ありふれた名前だが、この会社には、僕ひとり。
僕では、ありません。
と、言いたかったが、再びあの声。
「役員だ?お前は、仕事が出来ない仲良しグループの末端。パシリじゃないか。笑わせるな、そんな、お友達人事ばかりしているから、この会社は、ジリ貧なんだよ。そんな事も分からないのか、このハ◯」
分かった。
僕の胸から声が、出ている。
肋骨が折れて、胸に穴の空いた様な違和感があるが、そこから僕の本音が漏れているらしい。
「いや、僕が、言っているわけではありません」
「君から、聞こえるぞ」
頭が、キラリと光った。
僕は、慌てた。
「これは、この前ケガをした胸から本音が漏れているだけで……」
しまった。
と、気づいた時は、遅かった。
😥😥😥😥😥
その日は、退職の手続きに忙しかった。
翌日からの就職活動。
ハローワークに通うことになる。
「12番の方」
僕だ。
胸の痛みを我慢しつつ、呼び出された席へ。
信じては貰えないだろうと思いつつ、退職までの過程を言ってみた。
「あなたは、SF作家ですか?それとも妄想癖でも?」
やはり、信じては貰えないようだ。
「あなたの言っている事が事実なら、この先、胸の穴が話し出す限り、退職、求職を繰り返しますよ」
どんな仕事にも不満は、あるものですよと、ハローワークの職員が付け足した。
彼の言う通りだ。
その場で、胸の穴が、話し出す事を期待したのだが、残念ながら、その時は無口だった。
その場は、必要な手続きだけして帰った。
『さて、これからどうする』
考えてしまう。
この先、この胸の穴がある限り、ハローワークの職員の言う通りになりそうな気がする。
とりあえず、昼ご飯でも食べるか。
あまり訪れる事のないその駅のサービスランチの看板の出ている喫茶店に入った。
客は少ない。
まだ、正午になっていないからか?
「大丈夫でしたか?」
いらっしゃいませと言われると思っていた僕は、驚いた。
椅子に座った僕が見上げると、女性がメニューを差し出していた。
彼女は、僕が骨折したときに、心配してくれた天使の様に見えた女性だった。
そして、このお店の店長さんでもあった。
僕は、骨折後どうなったのかを彼女に、話した。
「本当ですか?」
そう言いながら、可笑しそうに聞いていた彼女。
「でも、お仕事が無いのは困りますよね。よければ、お怪我が治るまで、ここでアルバイトされますか?」
ありがたい申し入れだった。僕は、その日から彼女のお店で仕事を始めた。
そのお店では、僕の胸の穴は、必ずしも100%の本音を言うとは限らない事に、気づいた。
お客さんへサービストークも得意の様だ。
毎日、ランチを食べに通ってくれる、年配の女性には、
「コーヒーの抗酸化作用かな?それとも恋の魔法かな?美しい肌ですね」
(と、言えなくもない)
年配のオシャレな紳士には、
「どうすればそんな素敵な歳の取り方か、出来るのですか?教えてください」
(と、少しは思う)
若い女の子には、
「えっ!あの大学の学生ですか。てっきり、アイドルがお忍びで、来店されているのかと……」
(そんな状況が、あれば良いな)
とても小さな可能性を胸の穴は、拾うようだ。
嘘ではないが、本当でもない。
そんな事でも、言われる側は、嬉しいのか、徐々に客足が伸びて来た。
もちろん、店長にも胸の穴のお喋りは、止まらない。
「あなたは、天使だ」
「運命の人だ」
「あなたが淹れるコーヒーは、砂糖無しでも甘く、せつない」
「あなたが作るのだから、天使のランチと名前を変えよう」
店長は、ただ笑って聞いていた。
二週間が過ぎる頃、胸の穴のお喋りは、少なくなってきた。
そして、ひと月もすると、全くお喋りしなくなった。
おそらく、骨折部位が、完治したのだろう。
「店長。ありがとうございました。おかげさまで、傷が完治したようです」
この時間帯には、お客様がいない。
いつまでも、彼女に甘えているわけにもいかない。
仕事も探さなければ、いけないだろう。
「良かったですね。これからどうされますか?お客様から人気を考えれば、私はもう少し居てほしいけど」
ありがたい言葉ではあるが、胸の穴はもう存在しない。
元々、お喋りは苦手だ。
お客様へのサービストークは、僕には無理だ。
今までのお礼を言って、その日は帰った。
ひとりの部屋で、コーヒーを淹れていると、良い香りに、楽しかったお店を思いだした。
店長の笑顔を思い出すと、完治したはずの胸が痛む。
「12番の方」
翌日のハローワークでの呼び出しに、席に付き
職種の希望を訊ねられた。
「喫茶店」
担当者は、怪訝そうな顔をした。
胸の穴が、喋ったのかと思ったが、それは僕の口から出た言葉だった。
「僕は、行かないと……」
担当者にそう言って、フラフラと立ち上がると、僕はハローワークを出て行った。
『カランコロン』
僕が、彼女の喫茶店のドアを開ける。
「僕には、新しい胸の穴が出来たようです。あなたしか、この穴を塞ぐ事は出来ません」
新しい胸の穴は、喋る事はなかったが、僕の気持ちの後押しはしてくれた様だ。
😍😍😍😍😍
あれから、ひと月が、過ぎた。
僕は、コーヒーを美味しく淹れる特訓中だ。
隣には、彼女が笑っている。
昨日の夜、お店が終わった後、僕たちは、星を見ていた。
不意に彼女は、僕に話しかけた。
「あなたの新しい胸の穴。これからも私が塞ぎ続けるわ」
(✿^‿^)(◠‿◕)
おしゃべりな胸 @ramia294
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