バカンスサラウンドポップ

.六条河原おにびんびn

第1話

 時刻は夜。海辺の港町だった。いつもであれば、すでに寝静まっている頃合いである。町娘は騒々しさに眠れず、飛び込んできた顔見知りの近隣住民に叩き起こされる。暗闇に覆われていてもおかしくない時間帯でありながら、彼女の目に映るのは揺らめく炎と、羽虫めいた緋色の粉である。

 外へと出ると、星空の見えた空は真っ黒くかぎろい、焦げ臭さが鼻をついた。

 最近噂になっていた魔物の襲撃である。近場の祠で他所者を見かけたという話を聞いたのは記憶に新しい。町民たちの危惧は、祠の周辺に出る凶暴な魔物を刺激されはしないかということだった。しかしその危惧が、実現してしまったに違いない。

 赫赫明明と燃え盛る故郷に巨大な陰が浮かぶ。逃げ惑う町民にぶつかりそうになりながら、町娘はそこに佇立(ちょりつ)していた。恐ろしい怪物が迫っている。地を揺るがす低い咆哮を上げた。町娘は怯み、下肢から力が抜けた。地べたを這った。這って逃げようとした。

 長い爪が彼女に襲いかかる。その鋭い先端が、女の肉を裂こうとしたとき、目の前で焔とはまた別の一閃が駆けた。見知らぬ風貌の若者が大剣を手に立っている。

 見知らぬ風貌の人物は、この者一人ではなかった。町娘の周りを若い男女が3人ほど囲む。最も近くにきた、同年代ほどの若い女が町娘に手を翳す。その掌は煌々と焼かれていく郷(ふるさと)の背景の中でも一際輝き、触れた途端、腰に温かみを感じた。関節を抜かれたようであったのが自力で立てるようになる。

 礼を言い、逃げようとした。

「君は若い。逃げずに戦え」

 大きな魔物の前に立つ若い男が背を向けてそう言った。

 気付けば、魔物は一体だけではない。大きなものは1体だけだった。しかし人と同じくらいの大きさの魔物は複数体、そこにいる。町娘は、見知らぬ風貌の若者たちと共に囲まれていた。それを認めると、彼女の前には剣が投げられた。金属が軋る。

「町のみんなを守るんだ」

 それは鼓舞であったのかも知れない。鼓舞であったのだろう。町娘の手は包丁や小刀しか知らない。薪割りで使う斧、収穫や除草に用いる鉈が精々だった。

 町娘を囲んでいた、彼の仲間と思しき者たちはすでに魔物相手に散り散りになっている。

 町を守れ。町民を守れ。戦え。

 それは威圧であった。町娘は握ったこともない剣の柄を握る。巻かれた布の固い質感が、裕福で、あまり苦労を知らない彼女の柔らかな掌には痛い。

 町を守るには戦うしかない。

 見渡すところすべてが燦然として、すでに知らない場所と化している。危険に身を投じてまで、守るべきものであろうか。

 彼女は剣を構えた。二の腕にずしりと重みがやってくる。こちらにやってくる魔物に、他に選択はなかった。剣がぶかっこうに宙を掻く。魔物を切りつける。だが相手はびくともしなかった。発達した長く鋭い爪に弾かれ、剣を振った後の反動を突かれ、町娘の腹は抉られた。風に靡く襤褸布の如く、彼女は転がる。新鮮な血の匂いを嗅ぎ付けた親玉と思われる巨大な魔物が、この惨劇を引き起こした張本人といって差し支えない余所者を躱し、横たわる町娘を摘みあげた。その拍子に、長く鋭い爪がまたもや柔らかな皮膚を突き破る。彼女は朧げな意識の中、まだ剣を放してはいなかった。魔物の牙の生え揃った口が開いた。町娘は噛み潰されながら、絶命するまで剣を魔物の親玉の喉に突き立てていた。



 紺碧の海を望む崖裾に小さな家が立っている。開け放たれた窓からレースカーテンが程良く風を含んで踊る。

 快晴と凪いだ海原に点綴する陽光と比べてしまうと薄暗い部屋で、人形の如く美しい少年が自身の前に座る人物の長い髪を梳(くしけず)っていた。黒髪というには焦茶を帯び、焦茶というにはいくらか暗い、微妙な色合いながらも艶のある、綺麗な質感の毛だった。高く左右に結び、日輪花を思わせるリボンで飾る。少年はアクヴァルユンといって、身寄りも近所付き合いもなく、年齢不詳だが身形や内装からいって書生めいている。推定するならば16、17歳くらいが妥当かもしれない。髪を梳かされていたほうのは、マグナカルタという、アクヴァルユンとそう変わらない年頃の娘である。2人とも表情がなく、会話もない。

 マグナカルタはある意味でアクヴァルユンの娘といえたが、かといってアクヴァルユンの胤(たね)というわけでもなかった。マグナカルタはアクヴァルユンによって作られたのである。

 彼女は髪色に近い微妙な色合いの布地と、リボンと似た色味のワッフル生地の継ぎ接ぎ、螺旋状に縫い付けたフリルが特徴的なワンピースを身に纏い、これから出掛ける様子だ。

「パパ」

 マグナカルタには表情がない。自分とそう変わらない、もしくは自分よりも年下の可能性さえある相手を父と呼ぶ。

「パパは行かないの」

 無表情な娘は、無表情な父親の縦巻きの長い髪に手を伸ばし、耳にかける。

「パパは行きません。楽しんできてください」

 マグナカルタは生まれて7日目である。アクヴァルユンに手塩にかけて育てられた。口数は少なく、所作も幼いが、すでに市井(しせい)の若者とそう変わらないだろう。アクヴァルユンは娘に外へ出ることを勧めた。ちょうどこの家の南東に大きな都市がある。彼は自らの脚で遠い街へ買いに行った衣類を着せ、娘を見送る。






 水の都メア=ゼ・ラメールは観光地として賑わっていた。運河によって区画整理され、車よりも小さな渡し船が主な交通手段である。

 この地は200年ほど前まで魔物が闊歩し、人々を襲ったが、ある旅人一行が神聖な儀式のもと、魔物を殱滅してからというもの、魔物の脅威が無くなったことによって人々の暮らしは豊かになった。家屋を壊されることも、焼かれることも、家畜や農作物を奪われることもなくなり、夜間の行動に怯えることもなくなった。

 水の都メア=ゼ・ラメールが特に発展しているのは海辺に面し、海産資源が豊富というだけでなく、人々の暮らしを魔物から救った英雄のひとりが、この都市の前身となった町に多額の寄付をしたことも関係しているだろう。

 この都市は確かに住宅地もあったけれど、娯楽施設、アミューズメントパークに近かった。表通りは運河も少なく、大規模な遊歩道が設けられて、観光客用のホテルやレストラン、雑貨屋などが並んでいる。しかし最もメア=ゼ・ラメールらしさを味わうとしたら、裏通りこそこの街の醍醐味であろう。洒落た外壁や外構、渡し船を見送る小さな架橋、煉瓦敷の遊歩道など、雑誌で紹介される場所は主にこの区画である。

 街の東側にこのような観光客向けの店や、別荘、寺院などが集中するのに反して、西側は主に住宅地として使われていた。

 マグナカルタが紛れ込んだのはこの西側の住宅地だった。最西端まで向かうと、メア=ゼ・ラメールの北に位置する山の崖裾に自分たちの住む小さな家が点となって見える。繁華街の観光客を迎える陽気な音楽が遠く聞こえる。住宅地ともなると瀟洒(しょうしゃ)な建物は少なく、実用性に特化した家屋ばかりが目に入り、最西端は殺風景であるけれど、碧い海と澄んだ空に、緑の生(む)した岩山だけで、随分と長閑(のどか)である。穏やかな風も行楽日和に違いなかった。

 脛の半分まであるワンピースの裾が風を含み、自宅のレースカーテンのようだった。

 マグナカルタはこの街で何をしたいのか分からなかった。アクヴァルユンは人の暮らしを見てくるように言っていたが、その意味が彼女には分からない。彼女はアクヴァルユンが物を書く音を背に、窓から海と空、雲の流れを見ているのが好きだった。

 だから急に外出してみようと思ったところで、行くあてもなければ興味もなかった。いいや、それ以前に彼女は何も知らなかった。アクヴァルユンに着せられた可愛らしい衣装で満足してしまった。衣装に満足したのではない。アクヴァルユンの満足そうな顔に満足したのだ。満たされた。豊かさを知ったのである。恋しくなってしまった。家が。父が。まだ離れてそう時間も経っていないというのに。

 観光地に出てきたはいいが、彼女のやることは、そこから自宅を遠く望むことばかりである。

 彼女はおそらく本音をいえば、家にいたかったのであろう。しかし大好きな父の無表情の奥にあるものを読み取ることはできなくとも、彼女なりに優しく穏やかな心遣いを感じたのだった。ゆえにマグナカルタは外へと出てきた。

帰りたくなってしまっても帰れない。父みたいなのがどういう反応を示すのか、彼女は分かっていた。表情こそ変わらず、愛想こそないけれど。

 そういう父親と同じくまったく外(はた)からすると表情のないように見える顔で、彼女は潮風に吹かれていた。離れたところで人々の喧騒を聞いているだけで十分、楽しかった。潮騒も悪くない。

茫然と立ち尽くしているようで、彼女は何か考えているふうであった。だが何について考えているのか、彼女自身はっきりしていない。

 あらかじめ持たされていたパンフレットを開いた。主な観光ルートとしては、ゲートに入ってから合流する大通りに沿えばよかったのだった。そうすれば、まず住宅地に繋がる脇道には行かない。マグナカルタのように。

 もし、本格的に住所登録としてもメア=ゼ・ラメールへと切り替わるゲートを通っていたならば、晶棺と呼ばれる巨大な赤い石のオブジェを目にすることができただろう。パンフレットにも写真が載っていた。説明書きにはこう書いてある。天候によっては内部には英雄が眠っているのが見えるだろう―と。


 彼女はやがて、この風景に飽きてきた大回りをして。パステルカラーの建物が並ぶ、広場へ入っていった。結局晶棺は見られずじまいだったが、大した興味もなかった。

広場といえども建物と海に挟まれた広い遊歩道といったほうがふさわしかった。陸側に向かって凹むかたちで湾曲した地形で、三日月型に刳り貫いたように海を囲っている。海に面して設けられたベンチに腰を下ろし、揺蕩う波を眺望していた。ドリンクの販売員が声を掛ける。その者は単にドリンクを売りつけたかっただけであろう。しかし彼女はすぐに立ち上がり、またあてもなく歩き出した。

 入り組んだ水路や、それを利用したゴンドラが観光地たる所以(ゆえん)であったが、マグナカルタは水路がなければゴンドラもありようのない、ただひたすらに建物が綺麗なだけの脇道へ入っていってしまった。白くのっぺりとしたチーズケーキみたいな壁に淡い色味のレンガ敷、赤い花や青い空が映える。

 街中に観光地を盛り上げる演出家たちがいた。彼等は演奏家でもあれば、舞踏家でもあり、また大道芸人でもあった。すれ違いざまに、または能動的にマグナカルタへ声をかけ、各区画の催事に誘ったりする、この街は賑々しく、人懐こかった。そうして発展してきたのだろう。

 彼等は愛想もなく表情もなく寡黙なマグカルタに対して困惑することもなく、苦りきることもなかった。来る者は大歓迎し、去る者は丁重に見送るというのがこのメア=ゼ・ラメールの標語らしい。今現在、そこかしこで流れている歌にもそういう一節が入っている。

 ここは観光地である。様々な人が出入りし、そして必ずしもそれが本人の意思だとは限らない。演出家たちはそれをよく心得ていた。金色や銀色のテープを長く括ったタンバリンを手にした演出家は、彼女へロゼットをひとつくれた。

 響き渡る放送に従い大通りを覗いてみるとパレードがはじまっていた。人垣の奥に演出家たちの大行列が見え、大演奏が聞こえた。遠目からだが、それでよかった。彼女は人混みが苦手だった。この地に辿り着いたとき、人の流れから外れ、住宅街へ入っていったのはこのためだ。

 パレードは徐々に盛り上っていった。水が噴射され、紙吹雪が舞い、火柱が上がる。そのとき、マグナカルタの鏡面のような双眸にも一筋の炎が迸った。眩暈に似た浮遊感を覚え、半歩、一歩ほど後退(あとずさ)る。

 炎の揺曳(ようえい)を目にした途端、彼女の彫刻のような眉がわずかに動いた。眉根を寄せる様は、あまり心地良い気分とはいえないようだ。

 一体彼女の身に何が起こったのだろう。

 パレードを観るのはやめにした。マグナカルタはまたあてもなく、優雅な街衢(がいく)を彷徨った。砂糖菓子やニンニク料理の香りが漂っているそこは、飲食店が多く集まっているらしい。けれど腹が減るわけでもなかった。パレードの音はもうあまり聞こえなくなっていた。代わりに飲食店の客の声がする。

 とうとう、疲れてしまった。立ち止まったのは閑散として街角。商売している様子のない建物には生活感が垣間見える。

 道の端に寄り、真上をゆったり流れていく雲を眺めていた。結局は、この景色が好きなのだった。どこへ行こうとも。

 景色は良いのだ。街並みも悪くない。人々も洗練され、空気も澱んではいない。風当たりも好みだった。だがマグナカルタのような者にとっては、目的もなしに来るところではなかった。

 そろそろ、父のもとに帰ってもいいのではなかろうか……

「迷子?」

 彼女に声をかける者があった。彼女は空を仰ぐのをやめる。風貌だけならば歳は近げな少年だった。いくらか態度がぶっきらぼうな感じのするのは否めない。だがそれはマグナカルタもそうだった。

 問いかけに対して無表情で反応も薄い相手に、少年は露骨な困惑と嫌気を示す。

「パレードならあっち。ここからは住宅街。これ以上行っても何もないぜ」

 マグナカルタが来た方角を指して彼は話しを進めた。だが反応のないことについて、徐々に怒りはじめる。

「言っとくけど、ナンパじゃねぇからな。迷子になって困ってると思って、教えてやったんだ。本当だぞ」

 少年は彼女を睨む。彼女も少年の目を見た。視線が搗(か)ち合うと、彼は逃げるように一瞬で逸らしてしまった。

「ここから先はオレたちの地元。観光客たちなんかに踏み荒らされたくないんだ」

 語気は弱まっていた。相変わらず視線も逸らしたままである。

「帰りたい」

 彼女は目を側めている少年を、鏡面のような眸子(ぼうし)に映す。

「帰り道ならやっぱりあっち……こっちは逆方向だし……―ああ!もう!案内してやるよ。来な」

 少年はマグカルタの来た道を行こうとする。

「でも、帰れないの」

 彼は急停止し、踵を持ち上げたまま振り返る。

「なんで」

 これは面倒事に関わってしまったとばかりの顔をしていた。

「分からない」

 今度は彼女が、視線を合わせてきた少年の瞳から逃げたくなった。


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