09
――一体何時から間違っていたんだ?
ふと寒さを感じて目を開けると、いつの間にかストーブの火は消え、小屋の入り口ではガタガタと今にも外れそうな音を立てて扉が揺れている。突っ伏していたテーブルから顔を上げ、同じようにガタガタとうるさい窓を眺めると、酷くなった雨粒が、その薄い窓ガラスを叩き続けていた。疲労で疲れ切った身体に鞭を打ち、消えたストーブにまた火を入れると、粗末なキャビネットからウイスキーを取り出して、そのまま瓶を煽って椅子に腰掛けた。
――長い夢を見ていた。
ここに来る前のほんの僅かの幸せだった頃の夢を……。
揺れる炎を眺めていると、冷え切った身体がゆっくりと熱を帯び、飲んだウイスキーの酒精が頭を少しはっきりさせる。そうして五月蝿い外の環境を忘れていると、自分の置かれた現状にフツフツと怒りが湧き上がってくる。
全てが順調に進み始めていたのに。あの時あのまま姿をくらませていれば――。
残ったウイスキーを一気に煽ると、空になった瓶を投げ捨ててきつく目を瞑る。空腹にストレートの安酒は流石に効いたのか、直ぐに目の前が揺らめき、気を失うようにまた眠ってしまった。
~・~・~・~・~・~
ニックから「ブツ」の販路が決まったと連絡が来てから少し。この街で3度目になる彼女の誕生日を祝いに、街のレストランで夕食を摂った帰り道、雑踏の向こうに視線を感じてふと周りを見回すと、派手な赤い車に乗った男がハットを目深に被ったまま、こちらに手招きをしている。一瞬誰だと思ったが、ニヤけた口元を見てすぐに見当がついた。
「……悪い、先に部屋に戻っておいてくれ」
「どうしたの?」
「……ニックだ」
「え?!」
「大丈夫だ、すぐに戻るから」
そう話して彼女の額にキスをしてから、彼女と別れて道路を渡る。彼女は俺の背を追っていたが、片手を上げて大丈夫とジェスチャーすると、名残惜しげに視線を残し、そのまま夜の雑踏に呑まれて行った。
「よう相棒! 久しぶりだな」
「……随分といい車に乗るようになったんだな」
道を渡ってその車に近づくと、後部座席のドアが開く。覗いてみれば一人の男が奥にずれ、こちらに目線を寄越していた。促されるままその車に乗り込むと、助手席に座ったニックが「出せ」とダニエルに言ってからこちらに振り向き、いつもの挨拶をしてきた。
「急にどうしたんだ? 何かあれば手帳に――」
「流石にコイツを渡すにはP.O.BOXは使えねぇからな」
そう言うと、隣に座ったダニエルが紙袋を手渡してくる。なんだと思って覗いてみると、中にはぎっしりと札束が詰まっていた。
「――っ!?」
「ハハハ! どうだ? 驚いたか? それが相棒の取り分だ、あぁ、勘違いするなよ。初回の取り分って事だぜ」
ニックの話によると、今いる街のギャングに話をした所、まずは試しにと「ブツ」の一部を売ったという。純度については混ぜ物をしたが、薬剤師の手により創られたそれは、かなりの出来が良いものだったらしい。お陰で口コミですぐに話は広まり、向こうもどんどん売ってくれと言ってきたそうだ。そうして話をつけた結果、毎月一定量を売るという事で決まったらしい。
「最初の取引だけで
話はずっと続いていたが、その殆どは聞き流していた。紙袋の中を覗いて見れば100ドル札が束になって詰まっている。それが2つも……。自分が今の稼ぎでこれだけの額を稼ぐのにはどれだけ掛かるんだ? 頭の中で何かがぷつんと切れた気がし、同時に顔がにやけていく。
「は……はは! スゲェ!」
俺はつい大きな声でそう言い、そのまま大声で笑ってしまう。
金ができた! このまま行けばすぐにもっと金が入ってきて――。
――そうして笑う俺の顔を、ニックはニヒルな笑顔で見続けていた。
街中をぐるりと回った後、真っ赤な車を自宅の1ブロック手前で停めると、ニックは「また手帳で連絡する」と言って俺を降ろし、そのまま車を発進させる。紙袋を抱きかかえるように歩き始めると、足取りはいつの間にか少し早くなっていた。
~・~・~・~・~・~
「上手くいったな?」
「……あぁ、狂ったように喜んでいたよ」
――今は良い夢を見せてやろうじゃねぇか、なぁ相棒――。
~・~・~・~・~・~
部屋に戻った俺を心配そうに出迎えたシェリーを抱きしめる。目一杯抱きしめて持ち上げると彼女は少し息苦しそうにしながらも、俺の笑顔を見て安心したのかどうしたのと聞いてくる。それに俺は笑顔で応え、「もう大丈夫だ! 俺達はここからなんだ! やり直せるんだ!」持ち上げた彼女と部屋を回りながらそう答えると、彼女は意味が分からずキョトンとする。その顔が愛しくて、ついニヤけた顔で回っていると、リビングのソファに躓いて倒れ込んでしまう。
「イテテ……。ハハハ!」
「……もう! 一体何がそんなにおかしいのよ?」
「コレだよ」
そう言って彼女にその紙袋を手渡すと、それを覗いた彼女は思わず口に手を当てて目をパチクリさせる。すぐに訝しげな視線をこちらに寄越すと「一体どういう事?」と聞いてくる。元の事情を知っている彼女に、「ブツ」が捌け始めたと伝えると、初めは「大丈夫なの?」と心配していたが、問題ないと伝えると、半べそになって抱きついて来た。そのまま彼女をそっと抱きしめると、キスを重ねてベッドへ向かった。
情熱をぶつけ合った後、腕枕の中で彼女は聞いてくる。
「ねぇ、あのお金だけで満足じゃない?」
「……どうして?」
「2万ドルよ?! 二人で必死に働いても何年掛かるか分からない金額じゃない、ならいっそあのお金でもっと別の街に行って、今度こそ一から始めない?」
腕枕の中から見上げる彼女の目は真剣だった。ついその言葉に俺も頷きそうになったが、頭にニックの言葉が蘇る。
『次回はもう少し行けると思う』
ニックは確かにそう言った、取引はまだ始まったばかり。回数にして最低でも5回は行うと言っている。……だとすれば、10万ドルは確実だ。それを捨てて良いのか? それだけあれば別の国にでも行ける金額だ。……だが彼女の不安な気持ちも理解できる。ならば――。
「……確かに気持ちはわかるが、もう一度だけは受け取りたい。そうすれば別の街で家だって買えるかも知れねぇ、なぁそうだろ? 俺達はもう名前すら変えたんだ。生まれ変わって全て最初からやり直そう。だから――」
俺の言葉に彼女は一瞬考えたが、生まれ変わると言う言葉に感化されたのか、最終的には「わかった」と言って腕に顔を埋めた。
~・~・~・~・~・~
その街で既に雌雄は決して居た。街の至る場所にあったイタリア系の店は既にシャッターを下ろし、昼は若いストリートギャング達がそこかしこで薬の売り場で揉め事を起こしている。決まった時間に現れるパトカーを見ると蜘蛛の子を散らすように消え、まるでそれまでの喧騒とは全く違った雰囲気に街は包まれる。
いつものように巡回中のパトカーが、とある一軒のコーヒーショップの前に停車すると、二人一組になった制服警官がパトカーを降りる。一人はそのまま店内に向かい、もう一人はショットガンを携え、周りを威嚇するかのように車の後部で仁王立ちする。
「……10分で戻る」
「了解しました」
店内に向かう一人がそう言うと、ショットガンを持ったもう一人が大きな声で返事をし、周囲はその声を聴こえないふりをしてやり過ごす。
コーヒーショップのドアを引くと、小気味いい音を立ててドアベルが鳴る。が、誰もその客に対して振り返りもしなければ、挨拶もしない。店員達はカウンターの向こうで無表情を決め込み、カウンター席の客も黙ったまま振り向きもしない。窓側にある幾つか並んだボックス席の一番奥に、一人の男が座り、傍には物々しく大袈裟なほどの大男が二人立っていた。
「テイクアウトで2セット頼む。あぁ、パンケーキのホイップは惜しむなよ」
このブロックの責任者であるマーゴット・デニス巡査長は、こちらに見向きもしない店員にそう言いながら、奥に座った男に笑いかけると「よぉ! 今日もこんな場所でご休憩かい?」偶然友人を見つけたような軽い言葉で話しかけた。
「……白々しい」
傍に立つ大男の一人が小さく溢しながらマーゴットを睨みつけると、座った男が「やめろ」と声をかけ、さも今気がついたように、巡査長に向けて笑みを返す。
「あぁ、マーゴット巡査長。ここのパンケーキはお気に入りだからね」
「ハハハ! 確かにそれは間違いない!」
そう言いながら彼の対面の席に腰を下ろすと、チラと二人の大男を見上げ、「ここは日当たりが悪いのか、影になってよく見えないな」と向かいに座った男に人払いを催促する。「おい、表で待っていろ」と男が言うと二人は「ですが!」「ボス!」と反論するが、「良いから行け」と言われた二人は黙ってその場を離れる。
「……あぁ、ついでにそのテイクアウトを表で待っている奴に渡してやってくれ」
そう言ったマーゴットを射殺さんばかりに睨み返すが、ボスと呼ばれた男が手を振ると、憤懣やる方ないと言った表情をしながらも、紙袋を持ってきた店員からそれを受け取り、カランとドアベルを鳴らして店を後にした。
「……今日はどういった用件で?」
――まぁそう慌てるなよ、今やこの街のギャング総纏め役、メディスンファミリー、ナンバー2のレオナード・エイブラムスさん――。
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