08



「別行動?」


 車の荷を入れ替え、少し移動して立ち寄ったダイナーで俺がそう切り出すと、ニックが大袈裟に目を大きくして声を漏らす。俺とシェリー、ニックで座った席の向こう側で、残りの二人がこちらを振り返るが、ニックが手を振り「何でもない」とジェスチャーする。


「……済まねぇ。まぁ、察しはつくが……連絡はどうする?」

「……P.O.BOX私書箱を使う。詳細はそちらに、手帳を使って行う」


 街の郵便局ならば誰もが使う。そこにはP.O.BOXも併設されているから、大きな都市部であれば特定など出来ないだろう。そこに手帳を置き、交換し合えば細かなやり取りが可能だ。最初のやり取りは密にし、その後は日にちを決めて。それを行えば顔を合わせる必要もなく、手紙のように途中で誰かに見られるという可能性も潰せるのだから。それを聞いたニックも俺の話に頷き、起点となる都市部を決めてその街へと向けて再出発した。



~・~・~・~・~・~



 見える全ての道が舗装され、大きな交差点には信号機が設置されている。車道は車が途切れずにすれ違い、石畳になった歩道には様々な人種の人間が行き交っている。ふと目線を上げれば空ではなくビルの窓が見え、その隙間から切り取られたように小さく雲が見える。男達はスーツを着込み、女性は原色を使った華やかな柄のワンピースを着こなしていた。


 そんな華やかな人通りの中、デニムのワーキングウェアを着込み、片手に大きな作業鞄をぶら下げて、背にはホースの繋がったボンベを担ぎ、俺とバディのジョニーは目的のビルに向かって歩いていた。


「なぁにまた頼んでくれよ」

「……またかよ、こないだの娘はどうしたんだ?」

「あぁ、メリッサの事? デートには付き合ってくれたんだけど――」


 この街に落ち着いてすぐ、俺とシェリーは名を変えた。ジャック・ファーガス、それが今の俺の名。そして、シェリーはシャロン・ファーガスと……。そう、籍を入れる事にしたのだ。偽装の意味もあったが、この街で俺は出来ることならきちんと彼女と人生をやり直したいと思った。その事を彼女に話すと、彼女は間を開けずに頷き俺にキスをしてくれた。そうしてこの都市で結婚し、証明と供に新たな身分として名を変えたのだ。……就職は学がなかった為に苦労したが、大戦時に受けた工兵訓練が役に立ち、なんとか水道工事の会社に入る事が出来た。シェリーも小さな食料品店に就職し、二人で街中に小さなアパートを借りて新しい生活を始めている。暮らし始めて最初の頃こそ名を変えたことも有り、色々と戸惑う事も多かったが、ここでの生活も2年を過ぎる頃には、季節の分かりづらいこの都市であっても月の行事程度は分かるようになっていた。


 目的地のビルに入り、警備の人間に話をしてから排水設備の地下室へと案内してもらう。狭い階段を降りていく中、警備員が愚痴を漏らしてくる。


「……ここは何時来ても色んな臭いが混ざって堪んねぇ、お陰で鼻がひん曲がりそうだ。兄さん達も仕事とは言えよくこんな臭い耐えられるなぁ」

「いやぁ、俺達もキツイですよ。なのでほら、コレ」


 警備員のすぐ後ろを行くジョニーが、そう言いながら腰につけた防毒マスクの面部分を見せる。地下ピットで作業する人間にとってこのマスクは必需品だ。戦後間もないこの時代、急速に進んだ都市化の弊害が地下に埋められた配管の漏洩だった。地下には下水道は勿論、ガスや水路などが混在している。元々あった地下水路を活用したのだから当然ではあるが、逆に言えばその所為で配管は新旧入り交じったものがそこら中で繋がれ、見えない場所で朽ちて漏れていたりした。常時そう言った配管の入れ替え作業は行われているが、全く人手が足りていない。このビルも例に漏れず築100年はとうに過ぎている。故にこう言うメンテナンス作業が頻繁に起きるのだ。


「……そりゃアレかい? 軍からの」

「まぁ、余ってるんでしょうね。それに――」


 前を行く二人の話を聞き流し、天井部分を見上げてみる。ぶら下がった裸電球が、配線を垂れ下がりながらも階段の最後にまで続いていた。



◇  ◆  ◇



「なぁジャック、頼むよ~」

「……うるせぇ奴だなぁ。口よりも先に手を動かせ、そこの配管抑えてくれ」

「ヘイヘイ……それにしても手際が良いっつうか、仕事が早いよな」

「……兵役訓練の時に工兵科で叩き込まれたからな」

「あぁ、なるほどぉ。俺は通信課程だったから、こっちは全然だ」


 二人、薄暗い地下の狭い通路の奥で、ともすれば息が詰まりそうな防毒マスクからの空気を無理やり吸い込みながら、曇るマスクの面を偶に拭きながら作業を進める。目線を動かせば数メートル先は真っ暗で、聴こえるのは俺の呼吸とジョニーの喧しい声だけだ。カチャカチャとパイプを締め上げ、ボルトを閉める作業音だけがBGMとなり、二人でつまらない昔話などを垂れ流していると、いつの間にか締めるボルトはなくなっていた。





「……はい、確かに」


 警備室で作業完了のサインを貰い、ビルの裏口へと向かう。サインを貰う間もそうだったが、俺達の側に近づく者は誰も居なかった。ある者はあからさまに顔を顰め、さっさと消えてくれと言わんばかりに、忌々しげにこちらを見ている。そう言った視線や悪感情にはもう慣れた。汚水や下水の匂いが嫌でも染み付いた作業着、誰だって嗅いでいたい等とは思わないだろう。俺達だってそうだ、でも俺達がそんな仕事をしているからこそ、アンタ達はこの嫌な思いをしなくて済んでいるんだぞと心の中だけで垂れ流しておく。



「……っかぁ、やっぱ地上の空気は旨いねぇ! さっさと事務所に帰ってシャワー浴びようぜ」

「それについては賛成だ。体中にカビが生える前にさっさとこの服を脱ぎたい」


 路地の狭い通りを歩きながら、二人でそんな話をしながら進む。防毒マスクのお陰で気分が悪くまではならないが、精神的にはやはり辛い。仕事としては底辺になるのだろうと思ってはいるが、給料を考えると文句は言えなかった。それでも今この時だけは否が応でも愚痴が溢れる。


「このあとはやっぱ飲みに行かねぇとな! なぁジャック!」

「すまん、今日はこの後行かなきゃならねぇところがあるんだ」

「なんだよ?! ビール以外に大事なものなんて――」



~・~・~・~・~・~



 会社に戻り、シャワーを浴びてコレでもかと体を洗う。作業着は専門の業者が洗浄するため、リネンルームで自分の名が書かれた袋に詰める。着替えを済ませて別のルートから事務所に入ると、書類を纏めて上長に渡す。


「ご苦労さん。ジョニーが何時もの酒場に行くと言ってたが、お前は――」

「いや、少し用があるんで」


 二言、三言交わした後、タイムカードを打刻して事務所を出ると、日はまだ高いのか表通りには沢山の人が行き交っている。小さく息を一つ吐いてから、俺もその波に乗るように目線を少し下げてから歩き始めた。



 大通りを進み、市役所を通り過ぎた対面にその郵便局はある。通りに面して入り口は3箇所存在し、その中の1箇所がP.O.BOXの入り口だ。そこには鍵付き扉がずらりと並んでおり、全ての扉に番号が振られている。本来の使い方は郵便局員に配達を頼み、荷物をこのボックスに入れてもらう。ただそれとは別に、他人に見せたくない物や、知られたくない物を送る場合、その番号さえわかっていれば、当人同士が直接鍵を使って遣り取りをするという方法があった。そこでニックと俺は手帳で近況報告のやり取りを行っていたのだ。



 ――予め決めた日にちにそのやり取りは続いている。もしこれが止まれば互いに姿を消せば良い、あの日そうして取り決めた。



 いつものようにそのボックスを開けると、黒い手帳と布袋が一つ置かれていた。それをそのままバッグに詰め込むと、そのまま鍵をかけて郵便局を後にした。




~・~・~・~・~・~



『相棒、調子はどうだい? こっちは今デカい街でをさせて貰っている。おかげで「ブツ」の販路も出来上がりそうだ。ダニエルとトミーもこっちで落ち着いてきた、そろそろオンナの話も出て――』


 暗くなる前にアパートに戻り、バッグの中から手帳を取り出して中身を読み進めると、ニックの調子のいい言葉が下手くそな文字で並んでいた。ダラダラと書かれたそれを半ば呆れた目で追いかけていると、どうやらまた街を移動したという事が分かった。その街でとうとうあのを捌く判断をつけたらしい。


 ……そろそろこの街に来て3年か。


 ニックの手帳をテーブルに置き、しょぼついた目を指で抑えながら、そんな事をふと考える。


 あの街を出てもう何年経った?


 マフィア達の抗争はまだ続いているのか?


 ――俺達はまだ、追われているのか?


 目を閉じて思うのはいつもそんな事ばかりだ。仕事をしていても、飯を食っている間も。窓の向こうの暗闇を見ると頭が冷える。



 何故俺はこんな事に手を出したんだ? どうして……。




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