07
「署長、向こうとの渡りはついたのか?」
「……もう少し辛抱してくれ。こちらとしても――」
「1週間だ! もう1週間も待っているんだぞ?!」
ダウンタウンの警察署長室で、セヴィリオの大きな声が響き渡る。ドアの向こうには何人もの署員が居るにも関わらず、座ったソファ前のテーブルを叩くと、上に置かれた大きな灰皿がその振動に負けて滑った。ハンチングからの話でニックという男の潜伏先には目星がついたが、奴は州を跨いでしまっている。州が変われば当然自分たちの思うようには動けない、そこでセヴィリオはこの街で伝手のある警察署長に話を持ち込んだ。「コソ泥を捕まえる間だけ、こちらから兵隊を送りたい。贈り物をするので見逃せ」と。
「アンタにだってそれなりの贈り物をしているはずだ! 便宜だって図っている。電話一本で済む話だろう?!」
怒り心頭でがなり散らす彼をこの街の警察署長である、ダルトン・コールマンはどうしたものかと額に汗して困惑していた。確かに彼の言うことは分かる。だがそれはこの街だからこそ通用する事でしかない。何しろこの街では自分はおろか、知事や判事に至るまで、マフィアやギャング達からの賄賂で潤っている腐りきった街なのだ。それをコイツはどの街も同じだというように……。
「……ドン=セヴィリオ。この州内なら、どこの街にでもアンタの言う通り電話一本だったさ。だが今回は州が違う。なら知事も判事もアンタを知らないんだ、そう簡単には行かない」
「おいおい! そりゃ話が違うだろう?! その為に幾ら払ったと思ってんだ?! 知事や判事にも渡しただろう!」
「だからだよ。知事や判事がすぐに話を通せるわけがないだろう? 先ずは
苦虫を噛み潰したような顔で署長がそう言い放つと、セヴィリオの太い眉が跳ねる。それを見咎めた手下の一人が「ボス、不味いです」と言って二人の間に立ちはだかった。何がと思った署長が手下の背から覗き見ると、セヴィリオが懐に手を突っ込んでいた。ダルトンもその状況に応じて机の下に手を入れ、何時でも撃てるようにと愛銃を握り、撃鉄を起こす準備をしていた。
「はぁ?! ……馬鹿野郎。これだ、これ」
言いながら彼が懐から手を引き抜くと、その手には太い葉巻が握られていた。手下の男は(確実に銃を握っていたじゃねぇか)と心の中で愚痴りながらも、出てきた物が変わっていた事にほっと小さく息を吐き、彼の葉巻に火を点けると体をずらして、ソファの背後に回る。ダルトンもそれに合わせて銃から手を離すと、机に置いた煙草に手を伸ばした。
「……コールマン署長、アンタの言い分は理解した。だが今回の話は俺の一存じゃねぇ、これは始まりなんだ。分かるか? 我がファミリーはこの街だけで収まらねぇ、ドンはすでに先を読んでいる。――これだけは忘れるなよ、俺達の関係はコインの表と裏みてぇなもんだ。アンタ達は表、俺たちが裏。……一皮むけば同じ穴の
独り言のようにテーブルを見つめて、深く吸い込んだ煙をゆっくり吐き出しながらセヴィリオはそう言うと、ズレた灰皿に持った葉巻を押し付けると「今の言葉を忘れるな」とだけ言い、立ち上がってスーツの
「……署長、ボスの言った話は嘘じゃない。各街のボスが今週末に集められる、それまでになんとか話だけでも通しておいてくれ」
セヴィリオの側近である手下の一人が去り際にそれだけ言うと、部屋に居た全員が署長室を後にする。彼らが出て行って暫く後、副署長と署員連中が入れ替わりに入ってくると、安堵したのかフツフツと怒りが湧いたのか、右手でこめかみを押さえて大きく息を吐いた。
警察署の前に停められた大きなキャデラックに乗り込むと、署長室で見せた不機嫌なそれとは全く違う声音で横に座った側近に声を掛ける。
「ニックのヤサにアタリが付いたのは本当か?」
「……はい、どうやらここから北へ4つほど街を越えた先にある駅前の廃棄された倉庫街だと」
「それで、人数は?」
「ニックの方は常に3人、恐らくは
「それから?」
手下の男はそこで一旦話を切ると、一瞬考えるように目をつぶってから、それでもボスには逆らえないと話し始めた。
――ジェイムスの方も見つけました。どうやら女の所へ転がり込んだようです。
~・~・~・~・~・~
倉庫の奥にあるプレハブでは重苦しい空気が垂れ込めていた。時間的にはまだ朝の出勤時間にもなっていないだろうに、ダニエルは俯き、ニックは煙草を吹かすように吸っている。扉の側に立っている男は苛ついているのか爪を噛み、厳しい視線を外に向けていた。
「物が出来上がったのは理解した。……だがどうする? このままじゃ捌くにしてももうこの街は使えねぇぞ」
そんな3人を見ながら、俺だけはどんどん頭が冷えていった。何しろ相手は組織だ。それも中途半端じゃない、きちんと統制の取れたイタリアンマフィア。これがもしアメリカ・ギャングだったなら、少しは話が違ったかも知れない。ギャングは横の繋がりは大きいが、結束力としてはイタリアンマフィア程ではないからだ。ギャングの連中は野心が大きくて何時でも上を取ろうと躍起になる。だから情報を上手くばら撒けば、奴らは身内同士の潰し合いさえ
「――彼女と落ち合う場所は決まっているのか?」
「……今日の昼、この街の手前の俺達が前に使ったモーテルに来る」
「了解だ。車の荷は全て出しておいてくれ。別の車を用意して迎えに行く」
その言葉を聞いて移動については了解したが、これから先のことはどうするんだと尋ねると伝手のある場所に向かうと言う。――知り合いのいる場所……伝手のある場所……。そこは本当に大丈夫なのか? 心に湧いた小さな疑念はやがて大きく膨らんで、否が応でも顔に出てしまう。
「大丈夫だ相棒、そこはここよりもっと都会だ。そんな場所なら奴らも迂闊に手が出せねぇ。それに……」
「……?」
――木を隠すなら森の中って言うだろ?
~・~・~・~・~・~
シェリー・ウィキンズはジェイムスと別れてすぐ、ダイナーの店主に早退すると伝え、着替えもせずにロッカーの物を引っ掴んで車に放り込み帰宅した。寝室のクローゼットから大型のキャリーバッグを引き摺り出すと、ドレッサーに向かって引き出しを開ける。化粧道具を全て放り出して引き出しを抜き、その奥に手を突っ込んで
板張りになった廊下を、ギシギシと誰かがゆっくり歩いてくる。恐らく部屋番号を確かめて居るのだろう。そう思って扉の傍まで近づくと、ちょうど部屋の前でその足音は止まる。少しの間が空いてから、ドアに近い場所で小さく連続ノックの音がした。
「……ジェイムス?」
少し間を開けてから「シェリーよ」と聴こえてくる。ロックを外し、ゆっくりドアを開けると少しやつれた彼女の顔が見え、彼女が滑り込むように部屋へと入ってくる。思わず彼女を抱きしめ、その重みに安堵し、額にそっと口づけする。
「……すまない。先ずはゆっくりしてくれ」
「……えぇ、熱いシャワーを浴びたいわ」
シャワーを浴び、出てきた彼女にこれからの動きを話していると、夜通し起きて運転した疲れが出たのだろう、うつらうつらとし始めたので、ベッドで横にしてやるとそのまま彼女は寝息を立てる。そんな彼女の寝顔を眺めていると、彼女への想いが募っていくのが今更ながらに実感できる。幼い頃に父を失い、母まで目の前で死んだ。施設を嫌って逃げ出して、路地裏で日陰を生きる人生。7才で盗みを覚え、12で少年刑務所に送られた。3年間の矯正プログラムの後、15の時に初めて移り住んだ施設でシェリーと出逢い、それから18で徴兵されるまでの短い間が俺にとっての幸せな時間だ。その後すれ違いで彼女と疎遠になってから、結局は元の糞みたいな生き方しか出来なかった俺。そうして巡り合わせのように再会できたこのチャンスをもう二度と手放したくはない。
――これからの人生を彼女と一緒に歩んでいきたい。
彼女の艷やかな髪をそっと撫でながら、決意を新たにしていると、ギシギシとまた、板張りの床の軋む音が聞こえてきた。
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