05



 ――後は俺に任せてくれ、準備ができたら連絡する。




 結局、ニックや他の連中の案を受け入れるしか俺にはなかった。よくよく考えてみれば、俺自体はあの「ブツ」に関してなんのも犯していないのだ。話を持ってきたのも奴だったし、その後の受け取りの為の「引換証」を手に入れたのもアイツだ。……俺はただその場に一緒に居ただけ。話に乗り、ただ横にくっついて居た付き添いのような者。


 ……あぁ、ただ流されただけだな。


 そんな気持ちが過ぎり、自嘲の笑みがこみ上げる。結局のところ俺は自分で何もしていない事に今更のように気がついた。父が仕事に追われて死んだ後、母は自業自得で真冬の凍える川に身を投げた……。幼くして一人になってからも、自分から孤児院に行く事を選ばずに意地を張った結果、ストリートチルドレンになって日陰の道を進んでしまった。


 ――幼かったから? 知らなかったから?


 確かにそういえばそうなのかも知れない。……だが、母は俺を孤児院にまで連れて行ってくれたのも事実だ。……そこに居た園長の、母を責め立てるような口調がムカついただけの理由で、彼女を追って孤児院を抜け出し走っていくと、すぐ先にあった橋の欄干に立つ、母の姿が今も脳裏に焼き付いている。


 ――彼女が最期に見せたあの笑顔を。


「……ゴメンねジムジェイムス、愛しているわ」


「ママ! 待ってよ!」


 橋の欄干の隙間から眼下の川を覗き見ると、冬の真っ黒な川が流れている。慌てて橋から回り込み川に降りようと駆け出したが、追いついた孤児院の職員に抱きとめられて、泣き叫んだ挙げ句、意識を失った。



「……ハッ!? ハァ、ハァ、ハァ……」

「……どうかしたの?」


 夢見が悪かったのか、だるい頭を揺すっていると、ベッドの振動が伝わったのか、隣で寝ていたシェリーが寝ぼけた声で聞いてくる。「いや、何でもない」と応えたがベッドに戻る気分ではなくなったので、そのまま立ち上がってキッチンへ向かう。途中、リビングの窓から見える外はまだ暗く、夜空の星も見えなかった。沸かした湯で珈琲を淹れていると彼女も起きてしまったのか、下着姿のままリビングに出てくると「本当に大丈夫なの?」と声を掛けてくる。「少し夢見が悪かっただけだ」と答え、彼女の分と二つ、マグを持ってソファへ向かう。

 

「嫌な夢でもみた?」

「……昔の事を少しな」

「……そう」


 彼女はそれだけを言うと、受け取ったマグを一口啜ってから俺の隣へ身体を滑り込ませてくる。一人がけのソファに二人で座ると流石に窮屈に感じるが、密着した彼女の体温が自身の冷えてしまった心の何かを溶かしてくれていくような気がして、そのまま彼女の腰を抱えて見つめ合ったまま顔の距離を詰めていく。何度かキスを繰り返した後、彼女は俺の首に腕を回して耳元で囁くように呟く。


「少しは落ち着いた?」


 少し蠱惑的なその声音に幾分か嗜虐心が芽生え「まだだ」と言って、胸に顔を埋めた。



~・~・~・~・~・~



 シェリーの家に転がり込んでから少し。彼女の車でダイナーまで同乗すると、その足で俺は紹介で入った仕事場へと向かう。彼女の仕事場からは徒歩で10分程度の小さな工場が、今の俺の勤務先だった。


「ようジェイムス! 今日もの車でご出勤かい?」

「フランク。あぁそうだよ、良い身分だろ?!」

「っかぁ、言ってくれるじゃねぇか! 後10年もしたら、ぜってぇ後悔するぜ」

「……おはようゼニス! 旦那がお前さんの自慢をしているぜ」

「おい! ばっ! アハハハハ! そうさ! ハニーの可愛さを――って誰も居ねぇじゃねぇか!」


 事務所でタイムカードを打刻し、社長でも有るフランクにカウンターを打ち込んだ後、笑いながらロッカーへと足を向ける。この工場はフランク一家が一族経営でやっている小さな町工場。彼の妻であり、経理関係を仕切るゼニス夫人がシェリーと仲が良かった為に俺を紹介してくれた。造っているのは小さな金属部品、それをプレス射出機で打ち出している。どこにでも有る、零細工場だった。朝から夕方まで、ガッチャンガッチャンと規則的になる音が、今では聞き慣れたBGMになっている。イヤーマフは着けているが目の前に機械がある以上、全くの無音とは程遠い環境だと言わざるを得ない。


 始業前という事でうるさい音はまだしていないが、作業場に入ると数人の作業員がでかい声で駄弁っていた。


「おはよう、マーク」

「おう! 来たか、ジェイムス」

「「おはようジェイムス!」」


 中心にいたのはこの工場の社長フランクの息子で、工場長でもあるマークに声を掛けると、口々に朝の挨拶をしてきてくれる同僚達、それらに笑顔で応えて皆の話の輪に入っていると、始業のベルが鳴る。それを合図に皆は自分の持ち場へと散っていく。ヘルメットとゴーグルを被りイヤーマフとマスクを首にかけ、革製のゴツい手袋を嵌めると、自分の担当になっている機械の前へと進んで行く。



 ――もう3ヶ月か。



 ふと、頭の隅にずっと有るニックとの別れてからの期間が思い出される。奴が俺に伝えたのは「準備ができたら連絡する」とだけ。あの日、車に乗らなかった俺はその足でUターンするようにシェリーのダイナーへと戻った。そうしてまた流されて気がつけば、健全に働けるようになっている。ずっと日陰しか歩いてこなかった俺に、流されてきただけの俺に……。こんなまともな職につけるなんて思っても見なかった。フランクに話しかけてくれる仕事仲間に、冗談を言える間柄。なにより、周りの目を気にしなくても良くなったのが嬉しかった……。




 ――だから、その街に現れた日陰に気がつくのが遅れてしまった。



~・~・~・~・~・~



 その車は何時からそこに停まっていたのか。


 気がついた時には既にそこに居た。空は曇っているというのに車内でサングラスを掛け、目線がどこに向いているのかを悟らせないようにしている。乗車しているのは現在二人だが、その確信は出来なかった。


「……あの車、妙な場所に停めてやがるな。まるで、この工場でも張ってやがるみてぇだ」


 昼の休憩時間にマークが休憩室の窓から道路の反対側を覗き込んでそんな事を言う。その言葉に皆がこぞって窓際に近づくと相手もそれに気づいたのか、暫くしてノロノロと出発していく。


「なんなんだ一体?」


 小さく呟いた俺の言葉がマークに聴こえたのか、隣にいた彼も俺にだけ聞かせるように小さく言葉を溢した。


「ありゃ、間違いなくマフィアかギャングの下っ端だろうな」


 その言葉が聞こえた瞬間、ギシリと奥歯を噛み締める。次いで湧き上がるのはまさかと思う気持ちと、もしやと考える疑念が同時。慌てて見送ったその車は既に後部のテール部分しか見えなかったが、黒光りしたその車体は到底この街には似つかわしくない威容を振りまきながら、交差点を過ぎていった。



~・~・~・~・~・~



「……黒の新型フォード?」

「あぁ、この街で新型のフォードなんて中心街以外で見たこともなかったからな」


 その日の夜、彼女のダイナーで夕食を摂りながら、昼に見た車の話をしてみる。実際、この街は小さな住宅街と小さな工場や商店街しかない。そんな小さな街に住む住民ならば、大抵の事は知っている。そんな街中で新型の車を乗り回す人間が居るならば、情報が集まるこのダイナーなら、すぐに噂になると思っていた。


「確かに最近このハイウェイ付近で見たっていう話は聞いたわ。でも多分、この街の人じゃないと思うわよ」


 彼女が言うには、その車が現れたのは今から1週間ほど前だったという。初めは何台かの車で南から来たとの事だった。街のあちこちに散らばった後、台数が減っていき、最終的にあの1台がこの街をウロウロするようになったという。


「乗っている人間も間違いなく裏稼業マフィアの人間ね。スーツのボタンは留めていないし、脇や腰が膨れているもの。せっかくのオーダーメイドが台無しよ」


 そこまではおどけたように話していた彼女だが、次の瞬間、息がかかるほどに顔を近づけると真剣な眼差しで小さく呟いてきた。


「……工場を探っていたなら、恐らく」


 そこまで言って、口籠る。その先は言われなくとも解っていた。


 ――南から現れたマフィア……。それが俺を探していると言う事は、間違いなくトッテリア・ファミリーかその関連だ。俺の考えに彼女も気がついたのだろう、段々とその端正な眉が垂れ下がり、段々と潤み始めるその眼差しを真正面から受け止めて、口に含んだものを嚥下するとコップの水を一口飲んで、無理に口角を上げて彼女に応える。


「心配するな、問題ない。少しニックの野郎と連絡を取って動く。……悪いが、2~3日休むとフランクに話しておいてくれ。それから――」



 ――シェリーにこの街での事を頼むと、そのままダイナーを後にした俺は夜行バスに飛び乗り、ニックたちの居る街へと向かった。

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