03
翌日、夜明け前にアパートを出た俺達はニックの運転する年季の入ったフォードに乗り込み、一路郊外のハイウェイを目指していた。
「……良くもまぁロッカールームのいる場所なんて知っているな」
市街地を出てから数分、ハイウェイ連絡通路になった一本道をニックが機嫌よく走らせている中、ふと思ったことを聞いてみる。
「おいおいジェイムス、一応これでもその界隈じゃ、ちったぁ知られているんだぜ」
フロントウインドウを眺めながらも、片眉を
「……コイツにしたって、簡単にすり替えできたもんだな」
そう言いながら紙袋の中身をしげしげ眺めていると、ニックはそこでも「おいおいジェイムス!」と落胆の声を上げ、今度はその顔をフロントウインドウからこちらへ向けた。「アブねぇから前見ろ!」と伝えると、渋々視線を戻しながら、ついでとばかりに灰皿からシケモクを引っ張り出して、口に喰わえてシガーソケットを押し込んだ。
「俺ぁ、元々タタキで食ってたんだぜ? スリや置き引きなんざ、瞬きの間に出来るってもんさ! それに昨日も言ったが、奴らはおつむがホントに子猿並みだ。フレーム部に彫られた装飾文字なんて気にもしてなかったぜ」
そう言ってシケモクをふかしながら「『memento mori』ラテン語だったか。ハンドガンにそんな文字って、皮肉のつもりかよ」とぼやいて窓からタバコを捨てた。
紙袋に放り込まれていたのは1丁のハンドガン「ベレッタM1934」第2次世界大戦時、イタリア軍が正式採用していた物だ。こちらでは「M934」と言う名で販売され、今でも簡単に手に入る。ギャングの下っ端や、金のない
――memento mori
ラテン語でそう彫られた文字の意味は、「死は常にそばにある事を忘れるな」みたいなものだったと思う。人殺しの道具にこの文言とは、確かにニックの言う通り皮肉にしか聞こえない。トッテリア・ファミリーは確かにイタリア系譜のマフィア。だから宗教的にそんな戒めの文言をなどと独りぼんやり夢想していると、耳にニックの声が突然聴こえた。
「相棒、着いたぜ」
言われてフロントガラスに目を向けると、道路脇に一軒のガススタンド併設型のダイナーが有る。周りには何もなく、ただ一本のアスファルトが左右に伸びているだけだ。空が晴れていれば気分も少しは踊ったろうが、今の時期は雲が多くて、朝だと言うのに気持ちはそこまで晴れなかった。大体、俺たちが今からするのは横紙破りも良いところだ。それでなくともヤバい連中が絡んでいるのに、ソイツらの上前を跳ねようって言うのだから。昨夜はそれで結局朝まで話し合って寝ずにここまで来たのだから。
「……本当にやるのか?」
「相棒! ここまで来て今更蒸し返すのは野暮だぜ! 大丈夫だ。物さえ手に入ったらこのままハイウェイを突っ切って、この腐った街ともオサラバだ! 州さえ跨いじまえば奴らの手は追い駆けて来ねぇ。行き先も決まってる、そこで2~3年大人しくしてれば
……俺もニックもこの街には流れて来ただけの余所者だ。終戦とともに引き揚げて国に戻ってみれば、彼女はとっくに別の男と結婚していた。両親だって居ない俺にとって故郷などと言えるような場所でもない、だからそれを知った時すぐにバスへ乗り込みその街を離れた。そうして何年もの間フラフラしてゴミ溜めになったこの街で、気の合うコイツと出会った。聞けば彼もこの街には流れてきただけの余所者だ。彼にはこことは別にホームタウンが有り、そこには昔なじみが居るという。だから今回の計画は物さえ回収できれば、後はどうとでも出来るという事だった。
「その話は昨日散々聞いた……。ニックにとっては馴染みだろうが、俺は――」
「じゃぁ、降りるか? この街で俺が消えて、物が無くなれば、真っ先に疑われるのは俺だ。当然連中は俺を探すだろう、そうなれば当然だが俺と関係のあるやつだって洗われる。俺と仲がいい奴となりゃ……」
間違いなく俺もその捜索リストの上の方に名を連ねる。
クソッタレ、ハメられた気分だ。ニックの事は信用しているが信頼はしていない。いや、そもそも誰のことも信じちゃいない。クズで卑怯で上っ面ばかりのクソな連中しか居ないこの街で、信じられるのは自分自身だけだ。コイツにしたって、今まで約束だけは守ってきたからってだけだ。
「……約束は守れよ」
ボソリと零した俺の言葉に「当たり前だ! 俺が今まで約束を破ったことがあるか?」と胸を張ってニックは言う。その言葉を聞いた俺は返事をすることなく、助手席のドアハンドルを握った。
――選択肢なんてハナから無かったんだ。
~・~・~・~・~・~
二人で揃ってダイナーに入ると、カウンター席には誰も座っておらず、窓側に並んだボックス席の奥には昨晩からそこに居るのか、二人の大柄な男が座ってこちらをチラと見た。テーブルの上にはパンケーキの入っていたであろう皿と、飲みかけの珈琲が彼らの前にそれぞれ置かれているが、マグカップからは湯気は上がっていなかった。勝手がわからない俺がニックの方に目線をやると、奴はそのままカウンターテーブルに付き、隣に座れと合図してくる。座った途端にウェイトレスが近づいて、「食事? それとも――」と言いかけた所で、ニックが紙袋を見せる。
「受け取りだ。シルバーのアタッシュケース」
それだけ言って彼女にそれを手渡すと、ニックは奥の二人に手を振った。仕草につられてそちらを見やると、大柄の二人はすでに立ち上がっており、一人はカウンターからバックヤードへウェイトレスと消え、もう一方が近づいてくる。無言で傍まで近づくと、そいつは俺たち二人をじっくり見回し「……使いっぱしりか」と小声で言うと、少し離れた場所で俺たちを監視し始めた。
「おぉ、怖いボディーガードだねぇ、まぁ、たしかに腕っぷしじゃぁ、あんたにゃ敵いそうもねぇな」
身の丈は2メートルを優に超え、二の腕だけで俺の太腿くらい有りそうな筋骨たくましい黒人に、ニックはおどけてそう言うが、そいつは興味もないのか全く動じることもなく、ただその場に佇んで、俺たちを見据えていた。暫くニックがそいつに話しかけたりしていると、バックヤードのドアが開き、先程消えたもう一人が現れ、手にはアタッシュケースを携えていた。
「――これが荷だ」
カウンターに置かれたそれをニックがすぐさま手に持つが、男もすぐには離さない。
「……なんのつもりだ?」
「……」
ニックが男に顔を近づけ、少し嫌な雰囲気がする。男は黙ったままじっとニックを見詰めた後、ぱっと両手をホールドアップして、左右にゆっくり首を振った。
「……いや、なんでもねぇ。荷は渡した」
それだけ言うと、男はカウンターから一歩下がる。いつの間にか後ろに手を回していた黒人も、男の合図で奥のボックス席へと歩き始めた。その様子をゆっくり眺めてからニックは「オーケー、取引は終わった。行こうぜ相棒」と俺の肩を叩くと、アタッシュケースを小脇に抱え、そのまま振り返らずに店を出る。続いて俺がドアを潜ろうとした時、カウンターの男が小さく、俺にだけ聴こえるようにぼそっと話しかけてきた。
――イタリアン・マフィアってのはしつけぇからな『memento mori』って言葉、忘れるな。
それは扉が閉まると同時、俺の耳にはっきりと残った。
――その日、ダウンタウンでイタリアン・マフィアのトッテリア・ファミリーとアメリカ移民系ギャングのメディスン・ファミリーとの間に、血で血を洗う長い抗争が勃発した。
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