02
訝しがる俺に、益々笑みを深めながら、ニックはその内容を俺に語ってきた。
今夜、ハンチングが連れてきた二人は所謂『ジャパニーズ・ヤクザ』の下っ端連中だった。彼らの本体はこのダウンタウンの中心部に居て、高級ホテルに寝泊まりしているという。奴らの目的は最近流行りの「薬物売買」が目的らしい。一昔前ならば、ジャパンのほうがアヘンやモルヒネなどの生産で国家事業として裏で大儲けしたのを知っている。それが大戦後、上手く回らなくなったのか、それとも物を変えたのか、最近は「ヘロイン」や、「コカイン」等と言った、特殊な覚醒剤を主に取り扱うようになっていた。……色んなお国事情が絡んだ結果か、様々な組織でそれらは売買され、特にチャイニーズ・マフィアや、イタリア系などはほぼ毎日のようにその「ブツ」の売り手と買い手を競ってシマの取り合いをしている程になっている。
「……っ! そう言えばさっき、メディスンファミリーがどうのって」
そこで、ニックがハンチングに大声を出したときのことを思い出す。それを聞いたニックはにやりと口の端を持ち上げ、ゆっくりと頷いた。
「そうさ。イエロー共にゃ、イタリア人と移民系アメリカ人の区別なんてつくわけがねぇ……あのお猿さん達はヘマしちまったって訳だ」
……そう、本来二人はメディスン・ファミリーと言う、移民系アメリカ人のギャングから依頼を受け、ヘロインを持ち込んだのだが、それをイタリア系マフィアの下っ端が嗅ぎつけ、通訳を装い、まんまと掠め取られたらしい。直後、メディスンはその報告を受け、その下っ端を潰したが、その下っ端の一人がどうもファミリーの幹部の息子だったらしい。俺たちのような移民系にはよく解らないが、イタリア系マフィアって連中は、事「家族」の揉め事にはかなり執着するらしい。……ただ、他所のシマのしかもギャングのシノギを横取りしたのは確かにトッテリア・ファミリーが発端だ。そこで、奴らは今回の件ではどうしても手出しができなかった。だが不幸中の幸いか、彼らが掠め取った「ヘロイン」は掠め取った連中のヤサにはなかった。ヤクザはそれを取り返したい。メディスンはメンツを潰され、シノギを掠め取られている。……トッテリアは息子の仇を取りたい。
――こうして三つ巴のヘロイン争奪戦が始まった。
「……ちょっと待て」
「なんだ?」
まるで、語り部のように抑揚をつけ、身振り手振りで大袈裟な態度で見せびらかすように話していたニックに俺は聞く。
「いや、なんでそのイエロー達は、ハンチングなんかにそんな話を持ち込んだんだ? 大体、奴らはなんで仕事を受けに来た?」
そう聞くと、ニックはさもその通り! と言わんばかりに指を鳴らし、ウインクをしてから話をする。
「イエア! そこだよジェイムス! 本来なら上にすぐ報告しなきゃならねぇ案件だ、何しろメディスンにはもう話が行ってるからな。だが奴らの思考回路は俺たちとはどうも違うらしいんだ」
――「ニンキョウドウ」って知ってるか?
ニックが臭い息を吐きながら、眼前まで近づいて、そんな言葉を言ってきた。「ニンキョウドウ」? 何だそれは? キョトンとした顔を続けていると、対面に在る角が破れて中身の見える一人がけのソファにドサリと腰を落としたニックが答えてくれる。
「『男の面目を立てとおし、信義を重んじること』だとさ。つまり、テメェのケツはテメェで拭くって事らしいぜ。だから、その「物」を取り戻すために自分たちも参加するんだと」
その言葉を聞いて、俺は空いた口が塞がらなかった。
「……ジャパニーズってのは馬鹿なのか?」
空いた口から次に溢れたのはそんな言葉だった。何が自分のケツを拭くだ、拭けてねぇから掠められたんだろうに。大体二人を見たが、どう見たって二十歳を過ぎたかどうかも怪しいボーイだった。一人はガリガリに細く、目も落ち窪んでいた。もう一方は中肉中背だったが、あんなの俺にだって一発で伸す自信がある。派手な開襟シャツを着て、薄っぺらい格好をしたちびの若造が、ストリートギャングにでも会えば一瞬で路地のダストボックスに捨てられちまうぞ。
そんな俺の考えが透けて見えたんだろう、ニックもニヤリと笑ってふぅと息を吐くと、両手を結んで膝に乗せる。
「……確かにあのお猿さん達は分かっちゃ居ねぇんだろうな。この街がどういう場所で、どんな連中が居て、どれだけ危険かなんて」
「なら――」
「だけど奴さん達は聞かねぇんだよ。それに……」
そこまで言って、ニックは勿体つけたいのか目を閉じ頭を下げて左右に振った。
「さっき言った下っ端をバラしたのはあの二人組なんだよ。「カタナ」でバッサリと首を切り落としたそうだぜ」
――っ!!
その言葉を聞いた瞬間、俺は自分の背にある古傷がズキリと傷んだ。……思い出したくもない、過去の思い出。大戦末期の苦く辛い思い出だ。俺が所属した部隊はとある島での作戦に従事した。亜熱帯地方での戦闘は、ジャングルに潜む敵だけではなく、猛獣や、疫病との戦いもあって、それはもう凄惨なものになっていた。それでも奴らは潜み、木の陰、茂る薮の中からその爛々と光る相貌で俺たちを背後から狙い続けた。十代後半だった俺は当時最も儲かる仕事と思った事に後悔しながら、国に残した彼女との事だけを考えて泥に塗れていた。
その日も前線基地の簡易テントの夜間哨戒は、俺たちの様な新兵上がりの任務だった。目の前に広がった真っ暗なジャングルを望みながら、腰高も有る雑草を踏み分け、二人一組になってガストーチをぶら下げて、小銃を抱えて歩いていた。隣にいる黒人の名は何だったか、今はもう思い出せないけれど、気さくで気の良い奴だったことは今も覚えている。既にここに陣を張って6日が過ぎている。逃げ込んだ敵兵は何度も銃撃で撃ち殺した。その為か少し気も緩んでいた。
「……聞いたか、このジャングル、虎も居るらしいぜ」
「ホントかよ?! 良くもそんな場所に奴さんら逃げ込んだな」
「あぁ。水だって禄にないのに、こんな鬱蒼とした場所、俺なら絶対捕虜になるぜ」
「……あぁ、そうだよな。飯だって貰える、夜には眠る事だって出来るってのに……あいつら、その事信じてねぇんだろ」
「らしいぜ。ジャパニーズってのは、頭がおかしい連中ばっかりだ……」
二人一組と言っても、常に寄り添って歩いているわけじゃない。互いが視認できる程度なら数メートル離れた場所で周りを監視することも有る。そんな距離で俺たちは事もあろうに声を出して二人で話していた。
「――おい、そっちはどうだ? 問題なければそろそろ――」
言いながら、そいつの方に振り向いた時、何かがガサリと音を立てた。脊椎反射で小銃を構えると、明かりに使っていたガストーチが揺れている。なんだと思って目を凝らした瞬間、彼が俺に向かって何かを言い募ろうと口を開いたのが見えた。
「て――」
慌ててガストーチの明かりをそちらに向けると、そこまで言った彼の顔が、何故か数メートルほど宙に浮く。次いで見えたのは、剣閃の煌めきだった。
「……っ!!」
瞬間、辺り構わず、俺は小銃のトリガーを引き絞っていた。マズルフラッシュのせいで目の前の光景はフラッシュラグ効果で疎らに見え、彼の首がゆっくり草に沈んでいく。倒れていく彼の胴は首とは離れた場所で、それはまるで現実味がない。俺の弾が当たったのか、彼の胴はうねり、結果肝心の敵を見失った。
「敵襲! てきしゅぅぅぅぅ!」
大声で叫びながら、俺は小銃を前に向けたまま、ガストーチで前方を照らして身体を捻り周囲を警戒する。銃の音と俺の声が聞こえたのだろう、テントの方もすぐに慌ただしくなり、揺れる光が幾つもこちらに向かうのが見えた。
「どこだ!? 敵はどこだ!」
向かってくる応援の声が聞こえ、返事をしようとそちらに顔を向けた時、俺の背後で何かが跳ねた。瞬間顧みようと首を捻ったと同時、その部分に何かが通り過ぎた。
「キエェェェ!」
その声は奇声とでも言うのか、それとも何かを込めているのか。上段に剣を構えたその男の目はぎょろりとして、衣服を全く身につけていない。体中に泥を塗りたくり、草を身体に巻いている。一体何の為にと場違いなことを考えてしまう。それでもどうにか切っ先を躱そうと、銃を持ち上げようとした時、泥濘んだ地面に足を取られてしまう。つんのめり、思わずその態勢のまま膝を付き、不味いと脳が自覚した時、背中を焼かれるような感覚が襲って気を失った。
「――ムス! おい、ジェイムス!」
目の前でニックがかなり慌てた表情で、俺の肩を揺すっている。一瞬なんだと思ったが、自分の体の異変に気づいた。体中が震え、手足の先が異常なほどに冷えている。喉がひりつくほどに乾き、額にはびっしょりと汗が吹き出していた。
「……すまん、悪いが水を一杯くれ」
俺の言葉に「ちょっと待ってろ」とニックはすぐさまキッチンへ向かい、「くそ! コップはどこだ?!」と騒ぎながら流し台を覗き込んで、薄汚れたコップになみなみと注がれ、何かが浮いた水道水を持ってきてくれた。受け取ったコップと、スーツのポケットにねじ込んだ抗生物質を何錠かを、一緒くたにして一気に煽る。キツく目頭を押さえてソファに深く凭れ掛かる。未だ、背に刻まれた刀傷がジクジクと痛みを訴える気がしたが、全ては過去だと言い聞かせ、奥歯をきしりと噛み締めた。
そうして暫くじっとしていると、ニックが心配そうに声を掛けてくる。
「……フラッシュバックか?」
「……あぁ。よくわかったな」
「そりゃぁ、同年代だ。そんな症状を起こす奴らなら嫌というほど見てきたからな……俺も兵役時代にゃ――」
薬を飲みソファに凭れ込んだ俺を見て、少しは落ち着いたと思ったニックはそこから、昔話を聞かせてくれる。耳には音が鳴っているが、意味としては理解せず、ぼんやりと天井を見詰めていると、かなり気分も落ち着いた。
「……だから俺ぁ言ってやった――」
「ニック、もう落ち着いたから大丈夫だ。そろそろ本題に入ってくれ」
「……あ、あぁ、分かった」
自分の話に酔い始めていたのか声がワントーン上がった処で俺が言葉をかけると、一瞬眉尻を上げ「え?! 最後まで聞かないのか?」と抗議の目線を寄越す。俺が側においていたウイスキーを煽ったのを見ると、咳払いを一つして、浮かせてしまった腰を再度ソファに押し付けて、トーンを戻して話し出す。
「奴らが持ち込んだ話では、今回渡し――」
ニックの話によると、今回イエロー達が持ち込んだ「物」はかなり純度の高い代物で、それがアタッシュケース一個にきっちり詰められていたそうだ。……
「一体いくらになるんだ?」
思わず俺が漏らした声に、ニックはニヤリと笑いこう言う。
「恐らくだが、
「……そりゃぁ、下っ端程度が扱えるものじゃねぇな」
だろう? とニックは笑いながらも話を続ける。掠めたはいいが、奴らもそこで行き詰まった。純度が高いうえに量も多い、もしこのまま下手に売っぱらったとしても、すぐに足がつくのは明白だ。そこで出てきたのが幹部の息子だ。奴らはそいつのオヤジ経由でなんとかこの物を市場に回してもらい、自分たちのシマを持つ権利とその分け前をもらおうと考えたらしい。
「……なるほど。ん? ならそこでそいつに渡して終わりじゃねぇのか?」
「何いってんだよ、そんな事しちまったら、そこでそいつら
「――ロッカールームか?」
俺の言葉にニックが「ザッツ・ライㇳ!」と指を鳴らして応えた。――ロッカールーム。勿論名前は唯の通称でしかない。元々コイツラはトランスポーターと呼ばれる運び屋連中だった。荷物を受け取り、A地点からB地点へ、金さえ渡せばどんな「モノ」でも誰からであろうと運ぶ専門の人間達。そんな連中を仲介して居た中の誰が始めたのか知らないが、そんな「モノ」を預かり、引き渡しを行う連中がいつの間にか出来ていた。運び屋を運送業とするなら、ロッカールームは預かり所の様な所。ただしコイツラは決まった場所にはおらず、またとある「引換証」と呼ばれる「鍵」がなければ絶対荷物を渡さない。引換証はその都度違い、必ず受取人の証明になる「一点もの」でなければならない。例えそれがどんな「モノ」であろうとも。
「……で、その「引換証」は?」
そう聞いた俺の目の前に、ニックはポケットから取り出したものをぶら下げて「コレがそうだ」と見せつけてきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます