memento mori

トム

01




 男は小屋の出口に置いてある、古びたスコップを手に持つと、レインコートの襟を起こし、錆びたドアノブを回してその扉を開いた。



 ざく、ざく……ざくっ。ざくざく……。

 

 降り続く雨の影響で、地面はそこらじゅうが泥濘ぬかるみ、先程から一層激しくなった雨粒は、男を引き倒さんばかりの勢いで体中を叩いている。今はまだ風が吹き付けていない為、辛うじてその場に立って、作業を行うことは出来ているが、時間的に、いや男の体力的にもうその作業を行うことは難しいだろう。それ程にひどい雨量だというのにも関わらず、男は一心不乱に、古びたスコップを使い、掘っては水溜りになるその場所を、ただひたすらに掘り起こす。やがてその行為は土を掘っているのか泥水を掬っているのか分からなくなった頃、男はその場で手を止める。


「……糞、ここも違う」


 持ったスコップから手を離し、汚泥の底を漁って見るが、目的のものは無かったのか、そう呟くとスコップを拾い上げ、泥に埋まった足を持ち上げるように移動する。そんな事を二度、三度、場所を移しては繰り返し、やがて体力が尽きたのか、その場に男は突っ伏した。


 ざあぁぁぁぁぁぁ、ざあぁぁぁあ。


 雨脚はどんどん激しくなり、周りはほぼ水面のようになったその場所で、なんとか男は立ち上がると、スコップだけは手放さず、引き摺りながらも小屋へと戻っていく。



 小屋に戻って、ずぶ濡れになったレインコートを脱ぐ。既に下着まで濡れてしまっているが、そこまで着替えるつもりはないのか、小屋の隅に備え付けられた薪ストーブの前へ歩いて行く。


 ガサゴソとストーブの脇に積まれた薪を選別し、細い木屑を纏めると、火口ほくちを作り、ストーブの投入口へと放り込む。フェザースティックを一つ取り、傍にあったマッチを擦る。独特の匂いをさせるそれをスティックへと燃え移らせ、やがて小さな火を灯したそれを、男はぼうっと眺めながら、投入口へ静かに置く。するとスティックの火はすぐに木屑を燃やし始め、小さかった炎は煌々と、暗がりだった部屋をわずかに明るくし始めた。


 


 パチ……パチ。

 

 ストーブの中で薪が弾け、音を立てながら部屋をじっくり温め始める。男はおもむろに皮のブーツを脱ぎ、小さなテーブルにあった椅子を引き寄せて、その上に載せストーブへ寄せる。ずぶ濡れになったジャケットを脱ぐとそれも椅子の背もたれに掛け、シャツはボタンだけを外して、もう一方の椅子に腰掛けた。


 ボタボタと髪から雫が流れ落ち、床にはズボンから滴った水滴で、小さな水溜りを作っているが、そんな事には全く構わず、男はテーブルにどんと拳を叩きつける。


「……クソッタレ! ニックの野郎、一体どこに隠しやがったんだ! 手帳にあった場所は此処で間違いねぇってのに、なんで1セントも見つからねぇんだ!」


 そう言った彼の顔はやつれ、既に疲弊しきっていた。何日も碌な食事をとらず、日がな一日小屋の周りを掘っては探しの繰り返し。長雨が続く所為ですぐに中断せねばならず、最後は何時もずぶ濡れだ。目は落ち窪み、大きな隈は皺すら刻み始めている。無精髭はいつの間にか顔中に広がって、口を開けばボソボソと邪魔になるばかり。身体は痩せこけ、気付けばあばらが浮いている。




◆ ◆ ◆




 もういい加減うんざりだった。楽に儲かると聞いて話に乗っただけなのに。……いつの間にかその当人は死んでしまい、自分の身も今や危うい状態になっている。


 切っ掛けはダウンタウンに有る小さなバーでの与太話。薄汚れたジャケットの襟を立て、ハンチング帽を被った男が、シケモクをくゆらせながらテーブルに両肘を乗せて呟く。


「小耳に挟んだんだがよ――」


 大体いつも話の切り出し方はこんな具合。噂に聞いた……。誰それが聞いたらしい、等など。日毎流れてくるそう言ったたぐいの話は、大抵がギャングかマフィアのどちらかが絡んだヤベェ話だ。上手い話ならソイツがやれば良いのに、話をして引っ掛かった連中を連れ出していく。結局ソイツ達もわかっているんだ、上手い話にゃ裏があるって事を。だからソイツの話を聞く奴は大抵がこのあたりに詳しくないよそ者か、流れ者、はたまた話だけを聞いて集める変わり者のどれかだ。入り口から入って三席目のスタンドテーブル、いつものハンチングはそこでカモを募っている。


「マスター、ショットで頼む」


 俺はカウンター席の端にもたれ、聞くとはなしに様々な話を小耳に入れていると、どでかい腕が小さなショットグラスに、いつものウイスキーを淹れて持ってきた。


「……」


 腕の持ち主は、ショットグラスを持つ反対の手のひらをこちらに差し出すと、無言で俺を見下ろす。ポケットからなけなしの札を掴み、テーブルに置けばその手が掴み、入れ替わるようにショットグラスがお目見えした。


「ジェイムス、お前もこんな安酒ばっか呑んでないで、偶にはでもしていい酒頼んでくれよなぁ」


 金を握ったマスターは、途端に饒舌になってそんな嫌味を零した後、振り返りもせずに上客の常連がいる場所へと戻っていった。


「……分かっているさ。まぁ金が出来たら、こんな店では絶てぇ飲まねぇがな」


 眼前に置かれた小さなグラスを持ち上げると、グラスの向こうに揺れる琥珀色を覗きながら小さく呟き、一気にそれを煽って顔を顰める。口腔内に入ったそれは、一気に香りを爆発させ、口の中を一気に侵食していく。店で一番の安酒と言うだけあり、その香りは何とも言えない。芳醇ではなく、ただ酒精の強さだけを感じる。直後嚥下すれば喉はひりつくような痛みを訴え、胃に落ちるその瞬間まで、焼けた小石が落ちていくような、錯覚を覚えるほどだ。


 思わずゲフと小さく漏らし、グラスをテーブルに置くと、不意に後ろの声がはっきりと聞こえてきた。


「その話は本当か?」

「またツマンねぇガセじゃねえのか?」

「……いや、今回のはガセじゃねぇ、何しろマフィア側のリークだからな」

「マフィアって、イタリア野郎のトッテリアファミリーか?」

「馬鹿野郎! 声がデケェ。話はそれだけじゃねぇんだ――」

「す、すまねぇ――」


 思わず声量が上がったという事だろう。そのスタンドテーブルにはいつものハンチングがボソボソ話す中、三人の男がテーブルを囲んでいた。チラと覗き見るとやはりと言うか、見知らぬ若い男が二人と、賑やかしのニックが下手な演技をしながら話し込んでいた。


 ニックは所謂だ。ハンチングの話を持ち上げ、大袈裟な言葉でもって、さもその仕事が儲かるように囃し立てる。そうしてハンチングが連れて行った男の人数に合わせここで酒を恵んでもらう。このダウンタウンには、そう言った連中が複雑に絡み合ったシマ争いでしょっちゅう小競り合いが絶えない。ギャングは大きな所で二つ。マフィアはイタリア系と中国系が幾つか。ガキどものチームに至っては幾つ有るのか数えるのも馬鹿らしい。昨日出来たところがその日の午後には無くなっているなんて当たり前だからだ。




 自由な国とは謳っているが、所詮は金と暴力が幅を利かせる。俺の爺さんはバッグひとつでこの国へと移民してきた。産業革命が起こり、ゴールドラッシュと正に一攫千金が実現できる国だった。だが世界大戦も終え、気がつくと総てはもう決まっていた。富裕層はどんどん富み、貧困層は人権すら奪われた。親父は市民カードを得るためだけに働き続けて死んだ。母親は父が死ぬ思いで作った金を、若い男に貢いで捨てられ、凍える川に身を投げた。そんな俺がまともな職に就けるワケもなく、初めてひったくりをしたのは7つを迎える前だった。


 そんな道の隅に溜まったゴミ達が行き着く吹き溜まり。老朽化が進み、治安の要である、警官達すらギャングやマフィアの幹部が居る。ここはそんなクズとゴミが集まった街だ。


 一人、そんなつまらない思いに腐っていると、ニックがショットグラスを二つ持って隣に来る。


「よぉ、いつものおかわりだ」

「……気前がいいな」

「どうした、辛気臭い顔だぜ?」


 お前が持つそれをさっき呑んだばかりだからだとは言わなかった。この店で俺達のようなゴミが飲める唯一の酒だ。ボトルの底に残った幾本かの酒を、種類も何も関係なく一つに纏めた酒精だけがやたらキツイ酒のようなモノ。普通の人間が一口含めば、即トイレの便座にキスしに行く事になるだろう。


「……で、今日のはどうだったんだ?」

「ありゃ駄目だろうな。流れてきたの若造だったけど、保ってひと月ってところじゃねぇか?」

「……そうか。アジア系だったが、チャイナファミリーとは――」

「あぁ、違う違う。えぇと、イエロー「ヤクザ」って言ってたな。ジャパニーズだ」

「ヤクザ? なんだそれ?」

「さぁ?」


 ニックはそこまで興味が無いのか、それだけ言うと、ショットグラスをクイと煽る。直後顔を顰めて目を瞑り、「くはぁ~、効くなぁ」と零して酒精のキツイ口をこちらに寄せて、ボソボソ小さく呟いた。


「……それよりも、ハンチングからいい話を聞いた。ここじゃ話せねぇからよ」


周りを気にするように目線をぐるりと巡らせた後、残った一方を俺に握らせるように近づいて、「表でな」とひと声かけて、背中を軽く叩いて席を離れていく。


「……掃き溜めにはお似合いかもな」


 ――所詮、ここに集まるのは碌な者じゃない。それが例え「いい話」だとして……果たしてそれがマトモな話だなどとは、ハナから信じられる訳もない。握った小さなショットグラスを覗き込む。


 残った寄せ集めの濁りきったこの酒とおんなじだ。吐いて捨てるか、呑み込んでしまうか……。


 ――或いは呑まれて朽ち果てるか。


 一気に煽ったそれをカウンターに置き、せり上がってくるモノを無理やり抑えつけて、バーを出る。通りの向かいのガス灯の下、ニックはそこで煙草をふかしていた。




◆ ◆ ◆





 バーを出て暫く、二人で行き着いた先は廃墟のようなアパートだった。入口の階段にはホームレスが寝転び、息をしているのかも分からない。扉を開けると何とも言えないえた匂いが漂い、朽ち掛けた手摺に触れないよう軋む階段をゆっくり上がる。ニックのヤサは2階の奥、ドアの鍵は既に破壊されているのか、壁とドアを釘で打ち付け、鎖を巻いた南京錠がぶら下がっていた。


 部屋に入ってリビングのソファに座ると、ニックが奥のキッチンからウイスキーのボトルを持ってきて、テーブルに転がっているグラスを覗き、フッと息を吹きかける。琥珀色したその液体を少しだけ注いで俺に渡すと、奴はボトルのまま一口煽った。


「クハァ! 痺れるぜぇ」


 それを煽る気にはなれなかった俺をチラと見たニックは、空になったボトルをキッチンのカウンターに置くと、両の腕を広げてバンとカウンターを叩いた。


「なぁジェイムス! その酒は今の俺達だ。残り物を混ぜ合わせ、糞溜めに放り込んだ糞見てぇなものだ」


 抑揚をつけ、手振りまで大袈裟にして話し始めるニック。俺が胡乱な目で見詰めていると、奴はニヤリと笑って話を進める。


「……今回ばかりは与太じゃねぇ。……聞いたのはあの『イエローヤクザ』たちからだ」


 ニックはそう言って自慢気にドヤ顔を見せつけてくるが、ますます俺の顔は胡散臭いものを見る目に変わっていただろう。……コイツは何を言っている? ハンチングに話を聞きに来たのがそのイエローだろう? なら、そいつらはただのカモで、搾取される側なんじゃないのか? なのにそいつらから話を聞いた?


「ふふん。訳が分かんねぇって面だなジェイムス。そうだろうそうだろう。……だがな、今回の話は与太じゃねぇ。よ~く耳の穴かっぽじって聞きな」


 

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