第35話

「デッドリフトは戦場で戦死した亡骸を運ぶために名付けた」


 マッスルフェアリーはバーベルの前に立ち、説明をした。彼はバーベルをしならせながらも、400キロの重量を持ち上げたのだ。


「浩太の挑戦だ」


 彼はバーベルの前から離れてそう言った。俺はバーベルの前に立ち、しゃがみ込んでバーベルを手で掴んだ。かなりの重量がある。持ち上げようとするが、腕が千切れそうになるだけだった。


「どうした? 浩太の力をその程度か?」


 まだバーベルから手を離してはいない。再度バーベルを膝上まで上げようとした。背中の骨が折れそうになるくらいの力みを入れる。その時だ。


『腕力が2上がりました』


 俺は例の機械音を聞いた。バーベルが微妙に浮いた。


「すげえ。浩太さんすごすぎる」


 長谷部尚樹が絶叫する。


「うおおおおおりゃあ」


 バーベルは膝上まで上がりすぐに地面に叩きつけられた。腕がどうにかなりそうだったのだ。


「見事だ」


 マッスルフェアリーはそう言って、バーベルを元の位置に直した。そして別のバーベルを運んできた。


「こっちのは1000キロまで重量をあげられる。一トンだ」


 俺は手汗をズボンで拭いた。


「一トンは人間の範囲を超えてる」


 長谷部尚樹が言うと、マッスルフェアリーは高笑いをした。


「今から自己新記録が更新されそうだよ」


 マッスルフェアリーはそう言って重量を加えていくのだ。


「600キロから行こうか。行けるだろ戦友よ」


 俺は頷いた。スキルが上がっていけば、いくらでも可能性がある。さきほどの機械音を聞いて、俺は勝利を確信していた。マッスルフェアリーは600キロを上げると、苦笑いを浮かべた。


「僕の記録は890キロだからね」

「人間業じゃねえ」


 長谷部尚樹が言うが、元々見た目からして人間ではない。名前からして妖精か何かだろう。俺がバーベルの前に立つ。バーベルは思っていた通りびくりともしなかった。けれども先ほどと同じ要領で、全身全霊をかける。


「デッドリフト、そう名前を付けたのは僕なんだ」


 俺はマッスルフェアリーを見る。彼は薄目でこちらを見ていた。腕の血管がはちきれそうになるくらい力を込めた。


『腕力が2上がりました』


 機械音を聞いて、俺はバーベルを膝上まで上げるのに成功した。


「何か、トリックがありそうだね。というよりもあれか」


 マッスルフェアリーはそう言って、バーベルの前に立った。


「いや、知ってるよ。ずるをしているわけではないんだろ」


 俺は一瞬、言葉に詰まる。ずるはしてないけど、チートみたいなもんだろう。


「なんか」

「ストップ。謝ったら、それはそれで暴力みたいなもんだ。暴力はだめだからね」


 マッスルフェアリーはバーベルに重りを付け足していく。それは一トンはありそうな重量だった。


「一トンだ」

「一トンなんて」


 長谷部尚樹が言うが、俺の顔を見ると悔しそうに彼は顔を歪めていた。マッスルフェアリーはバーベルの前に立ち、一トンの重量を上げようとした。けれどもぴくりともバーベルは持ち上がらなかった。


「私はここで負けるわけにはいかないんだよ」


 マッスルフェアリーは叫んだ。全身の血管が浮き出て、体がほんわかと赤くなっていく。そのまま全身が黒くなり、体が変形していったのだ。天使の羽のような白いものは黒くなり、体はもう二回り近く大きくなった。頭から二本の角が生えたが、すぐにその角は引っ込んだ。羽は元の白に戻り、体の大きさも元に戻ったのだ。


「今のは」


 長谷部尚樹が言うと、マッスルフェアリーは首を振った。


「バーベルを破壊してしまったよ。戦争を思い出すね。やれやれだよ」


 彼はそう言って、重りを壊れたバーベルから取り外す。


「今のはなしだ。あの姿は本来の僕ではないからね。でも勝負はつかなかった。引き分けだ。いや、僕を変身させたのだから、君の勝ちでいいよ。ありがとう」


 マッスルフェアリーは苦々しい表情をした。


「尚樹と言ったね。あと浩太も、元の世界に戻りたまえ」


 彼はそう言って呪文のようなものを唱え始めた。その時だった。


「ちょっと待ってください。自分を鍛えさせてください」


 長谷部尚樹がそう言うのだ。


「なんというか、悔しいんです」

「分かるよ」


 マッスルフェアリーは同意した。


「浩太、君の能力は素晴らしいが、時に残酷だ」

「たしかに」


 俺は同意せざるを得なかった。


「でも尚樹くんいいのか?」


 俺が言うと、長谷部尚樹は首を振るだけだった。


「マッスルフェアリーさん、一緒に修行させてください」

「分かった。浩太は帰るかね?」


 俺が黙っていると、マッスルフェアリーは再度呪文を唱えた。次の瞬間、俺は階段の踊り場に立っていた。隣には長谷部尚樹もいた。竹さんや、スタッフもいるのだ。


「時間が経っていないのか」


 俺は答えを出した。長谷部尚樹は修行をしてきたはずだ。なのに同時に戻ってきたということは時間の経過はない。つまり竹さんやスタッフにも違和感はなかったということだ。それにしても長谷部尚樹はどんだけの修業を積んだのだろうか。


「扉が開いたって言うのは嘘なんだろ?」


 竹さんが言うが、長谷部尚樹はそれには答えなかった。 


「久しぶりに牛丼食いたいすね」

「まあ、いいか。でも牛丼はいいねぇ。久しぶりにチートデイにしよかな」

 

 竹さんは明るく言うのだった。

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