第32話

 長谷部尚樹はタクシーを止めた。先に彼がタクシーに入り、俺はリュックサックを降ろしてタクシーに乗り込んだ。ドアが閉まると、長谷部尚樹は駅名を告げた。都心にあるお洒落な街の駅だった。時刻は21時となり、こんな時間までジムが開いているのか疑問だった。普段からスポーツジムなどに通ったことがないので、営業形態を知らないのだ。


「まだやってるの?」

「そりゃあ、プラチナヴィクトリーですから」

「プラチナヴィクトリーって聞いたことあるな」


 たしか、最大手のジムで、アメリカ発祥の日本に輸入されてきたジムと聞いた覚えがあった。興味はないが耳には入ってくるのだ。


「ヴィクトリは自分みたいな筋肉ではまだまだで、奥が深いですよ」

「奥が深いのか」


 俺はヴィクトリって呼ぶんだと略称のことに興味があった。まあ、それだけの話なのだが、筋トレをしている人達がどう呼んでいるのか、どうでもいいことが考えていた。


「自分、上腕二頭筋が、かなり鍛えてきたつもりなんですが、ダンベルの40キロを前腕で持ち上げている人がいたんですよ。たぶんこの時間に行けばいると思って、竹さんって言うんですが」

「その人やばいね」


 40キロのダンベルを持ち上げられるのだろうか。しかもこの、前腕で。俺は細い腕を眺める。長谷部尚樹の筋肉談話を聞いていると、タクシーは停車して、三千数百円を請求してきた。


「ここは自分が払います」


 俺は先にタクシーを出ると、高いビルを見上げた。明かりのついた窓から下を見下ろしている男がいた。タンクトップなのか、肩が露出している。あそこの階がスポーツジムだろうか。ビルの前にはプラチナヴィクトリーのロゴが入った看板が立っていた。エレベーターがあって、そこから上に行くのだろうか。と思っていると、長谷部尚樹が横に並んだ。


「今日は、友達としてゲスト利用ができるので、安心してください」


 長谷部尚樹はそう言ってエレベーターのボタンを押し込んだ。俺は彼の後ろに立った。箱が下りてくると、扉が開いた。先に彼が乗り込み、俺は後に続いた。七階のボタンが押される。扉が閉まり、そして扉が開くと、受付の女が目に入った。薄い化粧をした綺麗な女の人だった。ポニーテールにしているのは体育会系の人特有なのだろうか。


「券、券」


 長谷部尚樹はそう言いながら、機械の前に立ち、財布から千円札を取り出した。そこに入れると、券が出てきて、俺に手渡したのだ。俺は受付の女に券を見せると、代わりにロッカーキーを受け取った。


「自分が説明するんで」

「それは構いませんが、営業時間は22時までとなっております」

「残り30分もないけど」


 俺が言うと、長谷部尚樹はニコリとほほ笑んだ。


「まあまあ、話はついてるから」


 受付の女は不思議そうな顔を浮かべ、長谷部尚樹と俺はゲートを通り抜けていった。


 更衣室に入ると、背広や普段着らしき服に着替えている男達がいた。髪は多少濡れている人ばかりだった。もうシャワーも浴びて、これから帰るところなのだろう。俺はリュックから服を取り出すと、それに着替えた。一方で長谷部尚樹は短パンに黒のタンクトップだった。どうして、マッチョたちはタンクトップなんだ。


 室内履きの靴を持って、更衣室を出ると、階段を降りて六階のフロアに入った。そこにさきほどのタンクトップの男がいた。別の人かもしれないが、隆々な肩がさきほどビルの窓から見下ろしていた男と一致しているのだ。


「こんちは」

「お、尚樹くん、今日はお連れさんがいるのかな?」


 陽気な感じの竹という人が近寄ってきた。タンクトップの肩が隆々の男の人だ。


「スーパーマンを連れてきました」

「これは、ちょっといいかい?」


 竹さんは俺の前腕に触れてきたのだが、ぶっとい指でふにゃふにゃに俺の前腕を揉んできたのだ。


「なるほど。よろしくお願いします。竹と呼ばれています」

「藤川と言います」

 

 俺は彼の皴の入っているが引き締まった顔を見る。髪は軍人のように短髪で、頭の真ん中が盛り上がるようなソフトモヒカンだった。


「尚樹くん、今日は遅いけど一緒にやるかい?」

「藤川さんの、超人を見せたくて、今日は来たんです。あと開かずの扉を」

「超人って、本当にすごいのですか?」


 竹は俺を疑惑の目で見てきた。


「マジですごいんです」


 長谷部尚樹はそう言って、ウェイトエリアに足を運んでいった。竹さんがついていくので、、俺も一緒についていった。

 ウェイトエリアで、長谷部尚樹はバーベルに重りをセットしていく。


「おいおい、スクワット、200キロってほんとにできるのかい?」


 竹さんはそう言って、重りを外そうとしたが、長谷部尚樹はその手にそっと触れる。


「まあ見ていてください」

「さすがに無理だと思うのだが」

 

 俺が長谷部尚樹に言うと、彼は胸筋をぐっと膨らませた。


「やればいいのね」


 俺はバーベルの前に立ち、鏡に向かった。長谷部尚樹に言われるままに、バーベルを肩に回して足を踏ん張ってしゃがんだ姿勢から持ち上げた。

 バーベルを抱えたまま、すいすいと三回くらい屈伸していると、竹さんが溜め息を吐いた。


「とんだ、スーパーマンだ」


 恐らく、スキルで力のポイントを上げていたから、これくらいは持ち上がったのだろう。200キロがどれくらいかわからなかったが。

 バーベルの前から離れると、竹さんは俺の脚に触れてきた。


「この細そうな足は筋肉で詰まっているんだね」


 奥が深いと呟いて、竹さんは唸った。竹さんはそばにいたスタッフに声をかける。


「開かずの扉、ちょっと彼に紹介してもいいかな?」


 竹さんは俺を見る。スタッフとも目が合うが、その黒い服を着たスタッフさんは驚いた顔を隠してはいなかった。


「分かりました。あちらです」


 六階の階段を指差す。俺たちはスタッフの後をついていった。スタッフは六階の階段を降り、階段の踊り場で立ち止まった。絵が描かれている壁があった。絵は描かれているが、タオルが掛かっていたのだ。そのタオルを外すと、ドアノブが現れたのだ。


「この先に、何かがあるみたいなんですよ」


 長谷部尚樹はそう言って、得意げな顔を向けてきた。

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