第23話 後ろめたさ


「此処は少しばかり埃臭くないかね」


 ブランの父、”メディ”は帰ってくるなりドカリと椅子に腰を掛けた。そして片眼鏡をかけ直しつつ、悪態をついた。


「……今日は来客があったのよ。お菓子化のことを調査してくださるハルシネさんという方よ」

「ほう。まさかそんな大事な客の事を事後報告かね。僕が応対した方が適切だったのではないか?」

「急な来訪だったのよ。それに明日も来てくださると言っていたわ」

「そうか。であるならば、僕も往診のシフト変更を調整して――」

「その必要はないわ」

「ん?」

「医師は街の血液らしいじゃない。あなたが毎日夜遅くまで働いてくれているおかげで、私は劇団員として日々稽古に励めるんですもの」

「……売れない役者は時間が有り余るだろう? もう少し家を綺麗に保ってみたらどうだ?」

「だから! 今日は来客があったって言っているじゃない!」


 …………。


 ブランの両親の声が屋敷の窓越しに聞こえてくる。シシュウとテイルテイルはそれをイチョウの枝木の上でひっそりと聞いていた。テイルテイルが大きく欠伸をする。


「相変わらずやり合っているわねぇ。どう? 何か気づくことはなぁい?」

「どうって言われても、単に仲が悪いとしか――あだっ」

「察しが悪いわね。あたしが此処まで君を連れてきた意味を考えなさいよ」

「……分かったって」


 尻尾で顔を叩かれたことへの苛立ちはあったが、シシュウは素直にうなずいた。確かにこの夫婦の関係性がエフェメル一家の抱える問題の根幹なのだから、もっと注意深く聞いた方がいいだろう。

 

 シシュウは改めて作り物の耳を傾けた。マリーヌはおしゃべりな方らしく、メディが食事を続ける間もずっと話を続けていた。今日屋敷でお菓子になったモノのことや、立ち話をして聞いてきたこと、あとは来週に劇団で行われるオーディションのことなど。メディは基本的に適当な相槌を打つばかりだったが、たまにボソリと言葉をこぼすと、ソレが火種となるように皮肉めいた言葉の争いへと発展した。


 まもなくして、マリーヌは肩を落として居間から出ていってしまった。


「あら、こうなってしまったら今日はもう終わりね。いつも大体こんな感じなんだけど、そろそろ気づいたでしょ?」

「ああ。 ……ブランのことに一切触れていなかった」

「正解」

「実の娘なのに」

「せいかーい」

「ブランはあんなに両親のことを考えているのに……」

「だーいせいかーい」


 何故か頭を撫でようとしてくるテイルテイルの手を払いのけると、シシュウは困惑気味に尋ねた。


「今日が偶々ってわけじゃ……?」

「いつも通りって言ったじゃなぁい。あの二人はブランを話題にすることを避けている。意地悪な言い方をすると居ないものとして意識的に扱っているのよ」

「なぜ!」

「声」

「……なぜそんな事が起き得るんだ」

「さぁ? 独り身のあたしにはよく分かんないけどさぁ、要するにブランに後ろめたさがあるからじゃなぁい? 夫婦間のいざこざに娘は巻き込みたくないもの」


「一種の愛よねぇ」なんてテイルテイルは軽々しく吐き捨てる。いや、本当に感情の籠っていない言い方だった。


 シシュウは自身の額に肉球を押し当てた。後ろめたさの真偽はどうあれ、これはかなりマズい事態である。なにせブランはこいつらの会話を密かに聴いているのだから。それはシシュウが屋敷に転がりこむ以前から、ずっと。


 チッ、とシシュウは小さく舌打ちをした。

 

「くそっ。マジでどうすればいいんだよ」

「プーさんはどうしたいのぉ?」

「ブランを救う。このまま放っておけるはずないだろう」

「んで? 具体的には?」

「なんとかしてハルシネと……サキュバスと相談するべきだ」


 相談出来たらいいんだけれど。心の中で改めて呟いてから、シシュウは意味もなく空を見上げた。すると真横から流れてきた鼻唄が耳につく……いや鼻につく。


「なんだよ」

「いやぁ? 猫の手も借りたい様子みたいだからにゃー」

「お前はただの猫じゃないだろ。 ……手伝ってくれるのか?」

「んー? 手伝うってほどじゃないよぉ。君とサキュバスを会わせてあげる、ただそれだけ」

「それじゃダメなんだ。だってハルシネは俺のことを捨てたんだから――おい、何を笑ってるんだ」

「笑ってない、笑ってない。ウケてるだけ」

「何が違うんだよ」

「ぜーんぜん違うよ。 ……君はアレだねぇ」


 またも頭を撫でようとしてきたテイルテイルの肉球を払いのける。するとテイルテイルは2本の尻尾を操り、シシュウの背後から掠めとるように頭を撫でてきた。それはまるで幼い子供をあやすかのように。

 

 ついにシシュウが抵抗を止めたところで、テイルテイルはこう続けた。


「他人のことには過敏なのに、自分自身は放っぽりなのね。それともまさか、気づかない振りぃ?」

「……何が言いたい」

「ハルシネというサキュバスは、別に君のことを――」



「――別に捨てた訳じゃないけど」

「え?」

「ぬいぐるみとしてブランちゃんの様子を見てもらってただけ」



 え? ……え?

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夜汽車のサキュバス しんば りょう @redo

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