第19話 出来すぎた子


 吹き抜け階段を昇り、大人2人が手を広げられる幅の廊下を進む。エフェメル家の一人娘に割り当てられた部屋の場所はすぐに分かった。一番奥の扉に【ブラン】とげられていたからだ。


「ブラン、少しだけいいかしら?」


 ノックをしつつ、マリーヌがそう呼び掛ける。すると十数秒後、控えめな解錠音と共に扉は開かれた。

 

「なんでしょうか、お母様。 ――まあ、お客様でございますか?」


 しとやかな声とともに扉の先から現れた1人の少女……ブランはハルシネの姿を見るや否や、丁寧な所作でぺこりと頭を下げた。同時に金混じりの長い白髪がはらりと垂れる。頭を上げたブランは柔和かつ親和な笑みをハルシネへと向けた。


「初めまして。わたし、ブランと言います。遠路はるばるおこしくださり、ありがとうございます。ぜひゆっくりしていってください」

「ブラン、こちらのお方はハルシネさん。魔法捜査官というお仕事をしていて、家がお菓子になる理由を調べにきて下さったのよ」

「まあ……まあまあそうだったのですね! お母様もお父様もお困りでおいででしたからとても助かります!」


 マリーヌの言葉にぺチリと手を合わせ、ブランはその灰青はいあおの目でハルシネのことを見上げる。羨望、期待、あるいは感謝がその目に込められていることはショルダーバックの狭い視界からでも容易に分かった。


 そんな光り輝いた、悪く言えば強烈な眼差しにまともに当てられたハルシネは……しかし流石ハルシネである……ブランの視界に合うように中腰になると、いつもと同じ程度の熱感で語りかける。


「こんにちはブランちゃん。君のことが気になって挨拶に来たんだ。あとは下の階が少しうるさくなるかもしれないからそれを伝えにね」

「お心づかいありがとうございます! わたしのことはお気になさらないでください。にぎやかなのも好きですから」

「そう。ブランちゃんはしっかりしているね。歳はいくつ?」

「今年で10歳になりました」


(じゅっ……!?)


 思わず口に出てしまいかけた声を直前で留める。ほんとうに10歳なのか? という疑問が、疑いよりも驚愕に近いニュアンスで脳内を駆け巡った。


 確かにその容姿は年相応だ。背に関してはむしろ低い方かもしれない。しかしながら、レースがあしらわれた白ブラウスと目の色にほど似ているフレアスカートが……いや、服装というよりは節々の所作である……(当然シシュウも含め)大人顔負けのその礼儀正しいその振る舞いと落ち着き様がブランという年端のいかない少女を3つか4つは上に見せていた。


 そんなブランの衝撃的な発言にハルシネも「へえ」と眉を上げる。


「若いね。私はもうすぐ399歳になるよ」

「うふふ、面白いご冗談ですね」

「まあね。 ――ねえブランちゃん。もう一つだけ聞きたいことがあるんだけど」

「はい、なんでしょうか?」


 朗らかな調子でブランが答えると、ハルシネはコクリと頷いた後に小さく咳を払ったのだった。

 

「君は平気なのかな。家の中がお菓子になることは大変でしょ?」

「そう、ですね。お菓子化が始まってから、お父様とお母様が難しいお顔をうかべることが増えました。だから、早く解決してほしいと――」

「うん、それは君の両親のことだ」


 ハルシネがその言葉を切り捨てる。シシュウならともかく初めましての少女をだ。容赦無さすぎないか? と思ったが、しかし言わんとしていることは理解できた。


「ブランちゃんの気持ちはどうなのかな」

「わたしは…………」


 そこで言葉を詰まらせたブランは、わずかに顔を俯かせ、目線を左右に泳がせた。それはあまり楽しそうな表情ではなかった。まるで気の利いたその場凌ぎを考えているようで。


 間もなくして、


「わたしは……確かにお菓子になっちゃうことは大変ですけど、でもこのお家にはたくさんの思い出がありますから」


 そのようにまとまり良く纏めたのだった。


「そう、分かったよ」

 

 ずいぶんと素っ気のない声色と共にハルシネが立ち上がる。首をぐるりと一回転させ、小さく息を吐き出した。そしておもむろにショルダーバッグの中に手を突っ込むと、中から1つのテディベアを取り出したのである。つまり、シシュウをだ。

 

 

 …………?


 

「ブランちゃん、賢い君には少し子供っぽいかもしれないけれど、友好の印に受け取ってほしい。クマのぬいぐるみだ」



 …………???


 

「まあハルシネさん、いいのですよ。むしろあなたには報酬を渡す立場なのに……」

「気にしないで。マリーヌさん。このクマだって、私のことよりブランちゃんのことを知りたがっているはずだから。 ……はいどうぞ、ブランちゃん」 


 そっとした手つきでハルシネの手からブランへとテディベアが渡される。ソレを受け取ったブランは、自身の胸元とハルシネの顔を2回、3回と往復して最後には、


「ありがとうございます……ハルシネさん。ずっと大切にします」


 淑やかに笑みを浮かべ、ひしとシシュウを抱きしめたのだった。



 …………?????



 ギィィィィィ


 バタン



 

 ※※※※※


 


「いい子だね、ブランちゃん」

「えぇ、本当に。とは言うものの、あの人……主人の影響が大きいのでしょうけれど。私はそういうちゃんとした躾を受けませんでしたし、出来ませんから」

「私も敬語が苦手だから分かるよ」

「ブランは出来すぎた子なんです。あの丁寧で大人びた振る舞いはハルシネさんに限った話ではありません。私や主人にも例外なくそうですから」

「へぇ、良いことだね」


 何気なく発したハルシネの言葉に、階段を降りるマリーヌの足が止まる。ゆっくりと瞬きを2回。そして一時的にウエハースと化した階段の手すりをザラザラ撫でたのだった。


「失礼を承知で伺いますが……ハルシネさんにはお子さんがいらっしゃいますか?」

「居ないよ。たぶん、これからも」

「そうですか。ですが、子供の頃の自分自身と重ね合わせられるでしょう? 純粋で、あどけなくて、悪戯が大好きで、誰彼構わず構って欲しくて仕方がなかったあの頃を」

「……うん」


 魔で編まれることで”命”を手にしたサキュバスハルシネに、幼少期なるものは存在しない。だからこうして嘘にほど似た相槌を打つ他なかった。一方のマリーヌはぎこちないソレを気に留めることなく、ただやるせない調子で、ため息混じりにこう続けたのだ。


「おかしな話かもしれませんが、手を焼かないことにも手を焼くものなんですよね」

 

 マリーヌが劇団員だからだろうか。その背中には丸いスポットライトが当たっている様にハルシネは感じた。今の呟きは、さしずめ独白モノローグといったところか?

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