第20話 おい、待て。


 拝啓、母さん。


 季節が変わり、気温が下がり、半袖を着る機会もめっきり少なくなりましたが、いかがお過ごしでしょうか?

 

 もちろん体調を崩すこともですが、それ以上に『クマになっちゃったし人間の服は要らないよね〜』等と、軽い気持ちで一人息子の服をほどいていないか心配です。どうか勿体がらず糸や布地は新調ください。


 さて。そんな貴方の一人息子であるシシュウですが、アイツはもうダメです。同行人のハルシネに見事棄てられました。きっと怒らせてしまったのだと思います。いくらか心当たりはありますし、もともと良好な関係という訳でもありませんでしたから。


 なので、ハルシネのことをあまり責めないであげてください。自分の心情としても『やっぱりこうなったか』といった具合ですので。 ……いえ、悪い癖が出ました。白状すると今のは強がりです。相当落ち込んでいたりします。なにせ、こうして心の中で届き様のない手紙をしたためている程なのですから。

 

 ただ不幸中の幸いだったのは、道端や川にポイと棄てられたのではなく、一人の女の子に譲られたことでしょう。

 

 受取人はブランという名前の10歳の女の子です。礼儀正しく、受け答えのしっかりした良い子で、令嬢と呼んで差し支えないでしょう。それに、実に真面目です。今だって机に向かってひっきりなしにペンを動かしています。机には分厚い本が何冊も積み上がっていますし、落ち着いたクラシックの音楽がチリチリと聞こえてきています。


 ……よくよく考えると、これはこれで自適に過ごせるかもしれません。到底、他人からの贈り物を無碍むげに扱うような女の子とは思えませんし、何より家が太いです。屋敷ですよ屋敷。母さんと住んでいた二階建ての家、あの家の5倍は広いと思います。極めつきには3食のおやつ付き。夜汽車での生活もなかなかのものでしたが、流石にこれは敵いません。


 ええ。ええ。ええ…………貴方の一人息子は案外上手くやっていけそうです。どうか安心していてください。また機会があればこうして手紙を書きます。


 

(どうかお身体には気をつけてください。かしこ。 ……そういえば、”かしこ”ってどういう意味なんだろ)



 可愛らしい白の丸テーブルの上。ブランの小さな背中を見つめながらシシュウはそんなことを考えていた。それは別に能天気という訳ではなかった。むしろ、現実逃避的なそういう思考だった。


 吐き出したいため息を飲み込んで、シシュウはこれまでの短い旅路へと思いを馳せた。そうして『みんなに会いたい』だなんて辛気臭く心の中で呟こうとしたその時、ブランが大きく伸びをしたのだった。


「んんんんん〜〜〜!」


 溜め込んでいた余分なものを全て引っこ抜いたような脱力の声とともに、ブランは勢いをつけて椅子から立ちあがった。そして机の上にある空のグラスを手に取ると、飲み口の方を部屋の扉へと押し当てたのだ。グラスの底側にはブランの左耳がペタリとくっ付いている。ブランはやけに真剣な表情を浮かべていた。


 …………。


 同じ要領で今度は壁、その次に床へとブランはグラスを押し当てる。最後にカーテンのかかっている窓をめくり、外を眺めたブランは人知れずコクリと頷いたのだった。


「よし。オッケーね」


 ……何やってるんだ、この子。


 突然の行動にシシュウは困惑する。思わず首を傾げそうになったのを我慢して目線のみを動かすと、今度は部屋のクローゼットの中をガサゴソと。間もなくして中からは焦茶色の大きな箱が取り出された。ブランの手によって蓋の片側がパカリと持ち上げられる。


(おも、ちゃ……? おもちゃというかぬいぐるみ、人形……?)


 陽気な鼻唄とともに箱の中から取り出されたのは人や動物、あとは家や食べ物を模された縫い物……つまりはぬいぐるみの数々だった。それらを十個近く取り出したブランは、最後にシシュウの背の半分ほどはある分厚い本をドシンと床に置いた。めくられたページに書かれていたのは……いや、飛び出してきたのは、いかにもなお城と星空が書かれた絵であった。


 その飛び出し絵を背景とするように、冠をかぶった男とドレスを着た女の人形がぽつぽつと置かれた。するとどうだろう、そこには即席の小さな劇場が出来上がっていた。


「コホン」


 ブランは可愛らしく咳ばらいをした。そして……


「カーン、カーンと夜の0時を知らせるお城の鐘が響きます。その鐘の音といっしょに『王子様、王子様』とサファイア王子のことを探す大臣たちの声が聞こえてきました。シュタタタ……。 『こっちだブラン! いいから速く走るんだ!』『きゃっ! 腕を強く引っ張りすぎよ、サファ!』『これだから平民上がりは……!』『その平民上がりと駆け落ちなんてしようとしているのはどこの王子様?』『口が減らない娘だ!』 そう言うとサファイア王子はブランの背中とひざの裏にうでを回しました。そう、お姫様抱っこです。『この先の納屋なやに馬を隠してある。それに乗っていくんだ』『馬に乗ってどこに行くっていうの?』『ふん、どこだっていいだろう! ……お前と一緒に居られるなら、どこだって』『ちょっと! 最後の方が聞き取れなかったわ! もう1回言って!』 ブランの言葉に王子は顔を真っ赤にさせます。そして口の中をもぐもぐとさせた後に、ブランへと口づけをしました。 『……2回目は言わん』 こうして王子たちは夜の闇の中に消えてゆくのでした――ふへ、へへへ」


 男女の人形の顔同士を重ね合わせながら、ブランは口元を吊り上げるようにして笑い声を漏らしていた。突発的に行われた人形劇はとりあえず終わったらしい。ブランは他に箱の中から取り出したぬいぐるみ達を手に取ったり、手のひらサイズのドレスを選んでいるようだった。 ……ふとその時、灰青の目がこちらを捉えた。


(……え?)


 白の丸テーブルにちょこんと置かれたテディベアにブランが近づいてくる。パチクリと開かれたその目とわずかに開いた小さな口元からはその心情を読み取れないが、絶対に動いてはならないというプレッシャーがひたすらにシシュウへと圧し掛かっていた。そんな一方的なにらめっこが何秒間か続いた後、ブランはシシュウの腕へと手を伸ばしたのだった。もしゅもしゅと体毛を揉むようにして触れる。


「この毛って何の素材なのかな? 細くて、やわらかくて、あったかいな。おかーさん、こんな感じの素材のコート着てた気がするな」


 次にブランはシシュウのことを抱き上げ、頭上へと掲げた。


「わたしが持ってるぬいぐるみのどれよりもすごいよく出来てる。今にでも動き出しちゃいそう」

「…………」

「ふへへ、今度は君のことも出してあげるからね。 ――名前どうしようかな」


 シシュウを掲げた体勢のままにごろんと仰向けに寝転がったブランは、ぶつぶつと言葉を口にしてはすぐにかぶりを振った。一方のシシュウは息を詰まらせることしか出来なかったが、それでも頭の片隅では、やはりあの人形劇が思い返された。人形劇の内容ではない。そうではなくてソレを行うブランの自然体の表情である。


(てっきり”深窓の令嬢”みたいなしとやかな子だと思っていたんだけどな)


 心の中で呟き、全身を脱力させる。なんにせよ、意志が宿ったテディベアであることを気づかれるわけにはいかない。自身の命運の全てはブランにゆだねられるからだ。とにかく何をされても、何を言われても動じることなく、この場はただのぬいぐるみとして耐え凌いで……。


「うん、決めた! 黄色のパーカーと赤色のリュックサック……君は今日から”プーさん”ね」

「おい、待て。誰が”プーさん”だ」



 ………………。



 あ。

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