第12話 夜汽車のサキュバス


 レンガ造りの重厚感あるお屋敷のような駅舎は、ずっと天井が高い吹き抜けの構造で、シシュウがそれを意味もなく見上げていたところ石炭の濃い臭いが鼻腔をくすぐった。視線を下ろすと、そこはもう汽車の乗降場だった。


 乗降場は駅舎の建物内から地続きに設けられており、確かに屋根は高いのだが壁はなく、代わりに果てのない線路がカラの街以外の何処かを目指し伸びている。そして何故だか、線路は紫や緑、赤などの色を曖昧に帯びていた。 ……改めて天井を見上げてその理由が分かった。乗降場の天井部分にはステンドグラスが散りばめられている。そこに、満月の光が一身にされているのだ。


 ………………。

 

「綺麗だね」

「え? あぁ、うん」

「そしてウンザリするほどに静か」

「……ハルシネ、やっぱ怒ってる?」

「怒ってはないよ。ただ、しゃくに障っているだけ」


 それは怒っていることと何が違うんだ? と尋ねられるほどシシュウは無神経じゃない。それにハルシネの心情は分からないでもなかった。


 果てまで伸びてゆく線路……それを追いかけるように細長い形状をした乗降場には、ハルシネ以外の人影はない。その代わりに、いまだ濃く残る石炭の臭いが、ベンチ周辺に散らばったクッキーの破片が、燃えつきた葉巻の先端が……つい先ほどまでそこに人々が居たという事実を事実知らしめている。あの円形広場に集まった人々は皆、23時発の夜汽車に乗ってすでに旅立ってしまったのだ。


 そして出来上がった得も言えない静けさの中、ハルシネはトレンチコートのポッケから2枚の切符を取り出す。


「私たち専用の汽車、か」

「まぁ……状況的にそういうことだよな」

「広場で絡んできたことといい、愉快魔は何がしたいんだろ」

「……あいつって、本当に愉快魔なのか?」

「私たちの到着を待っていた。あなたがテディベアになったことを知っている。少なくとも愉快魔の関係者であることは確かでしょ」

「それは、まぁ…………ん?」


 ふと言葉では表せない違和感を覚えたシシュウは、思わずショルダーバッグの中から外へと出てしまった。おもむろに顔を見上げると、すでにハルシネの目はずっと遠くの方を観ていたのだ。まるでそこに何かがあるように。そしてその”何か”とは、ほとんど間を空けることなく姿を現した。


「来たみたいだね」


 初めに何かを叩くような音が聞こえてきた。規則正しいリズムでいて、無機質な音だ。その音は次第に大きくなってゆき……悪く言えば、得体の知れない怪物が迫ってくるようだった。現に、真っ暗闇のトンネルに灯った強い黄色の光とは、動物の目に見えないでもなかったのだ。当然、実際はそんなものじゃない。


 声色をそのままに、ハルシネは目に映る事実そのままを言葉にする。


「汽車だ」


 

 ポオーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 約4秒間に及ぶ鈍く冷たい汽笛がステンドグラスの乗降場に響き渡る。そして、その余韻を一切感じさせないままに汽車は、シシュウとハルシネの前を遠慮なしに横切っていった。


 

 ガタン ゴトン ガタン ゴトン ガタン ゴトン


 ガタン     ゴトン         ガタン     


 

 ゴトン


 

 そうしてせわしない一連の時間は流れていって、気が付いた時にはもう、色彩の線路上にその汽車があった。


 光沢のある真っ黒な車体と、車窓を遮るえんじ色のカーテン。濁った色をした高温の煙。残滓ざんしとは比べ物にならないほど濃い石炭の臭い。


 十数にも及ぶ車両をけん引する汽車の、その存在感にシシュウは思わず気圧けおされ、後退あとずさりした。かつて、こんなにも間近で汽車を見たことは無かった。さらに言えば、極端に背が縮んだからだろうか? この汽車を途方もなく大きく感じ、あながち“怪物”という例えは間違いではないかと思えてしまったのだ。


 …………


 …………


 ……………………。


 ふと、耳に残る革靴の足音が聞こえてきた。


「シシュウ様、ハルシネ様。既にこちらでお待ちになっていましたか。ええ、構いませんとも。広場でも乗降場でも、発着時刻までにいらっしゃっていただけたなら」

「……愉快魔」

「フフフ、わたくしはただの駅員でございますよ」

「貴方とまともに話し合うつもりはない。きっと徒労だから。 ……この汽車に乗ればいいの? それで貴方の気は晴れる?」


 冷ややか且つ鋭利なハルシネの口調と言葉は、とても平常から程遠いものであったが、駅員は笑顔ポーカーフェイスを崩すことなく「荷物をお持ちいたします」とだけ言った。当然ハルシネは怪訝な表情を浮かべたが、最後にはそのスーツケースの持ち手を駅員へと預けたのだった。


「確かにお預かりしました。お部屋まで運んでおきましょう。 ……っと、そちらのバッグは座席まで」

「ぇ、あ」

「シシュウ様、どうかなさいましたか?」

「い、いや……何でも」

「左様でございますか。 ――どうぞ、こちらでございますよ」


 大きなスーツケースと半開きのショルダーバッグを携えた駅員は、扉とほぼ同色である棒状の留め具へ手をかける。駅員がソレを扉と平行方向にスライドさせると、小気味よい金属の音と共に扉はドアレールを滑った。そして、車内から漏れ出る淡い橙の光……優しくもどこか冷たい光が目に飛び込んだその時、乗車を促すように駅員はその手を広げたのだった。


 ハルシネが露骨にため息を漏らす。


「行こう。もう乗るしかない」

「……」


 ハルシネの真っ黒なブーツがシシュウのすぐ目の前を横切っていく。そして呆気もなく、橙の光の中へ飛び込んでしまった。思わず見上げたシシュウの視線の先……そこには底が見えない赤の目が宝石みたく輝いている。


 ハルシネが小さく首を傾げつつ言った。


「ほら、あなたも」

「……俺も」

「他に誰が居るの?」

「いやまぁ、そうなんだけどさ。 ――今から俺は、汽車に乗るんだ」

「うん」

「それは出来ないと――」


 その言葉が口を突き、シシュウはすぐに後悔をしたが、もう自分を止めることは出来なかった。せめてシシュウはハルシネからぎこちなく視線を逸らす。


「――やっぱり出来ないと言ったら……どうする?」



『シシュウくんって、全然お父さんと違うよね』


 

 (ああ、本当にそうだよな)

 

 

 …………


 …………


 …………。



「分かったよ」

「……え」

「別に、無理なんてしなくてもいいから」

「い、いいのか?」

「うん。あなたが決めたことでしょ」

「あぁ……そうだな」

「だったら、ほら」


 そう呼びかけるように言ったハルシネは、おもむろにその場へしゃがみ込んだ。そして、その細くしなやかな指先をシシュウへと差し出したのだった。


 …………?

 

「ハル、シネ?」

「少し段差があるし、ホームと列車の隙間も少し空いてるからね」

「な、何を言っているんだ……?」

「? その体だと一人で汽車に乗れないんでしょ? 手を引っ張ってあげる」


 何が違うの? と言わんばかりに小さく首を傾げつつ言うハルシネ。そこでシシュウは先ほどの発言と行動の意図に1テンポ遅れて気がついたのだった。どうやら今、言葉の取り方に食い違いが起きているらしい。


 シシュウはゆっくりとかぶりを振った。

 

「違う、そうじゃない。そうじゃないんだハルシネ」

「別に強がらなくてもいいのに」

「いやだから! 出来ないってそういうことじゃ――」


 ないんだって、と言い終えるより先にシシュウへ走ったのは、抗いようのない引力だった。腕がグググと引っ張られ、シシュウの足は成すすべなく前へと進んでしまう。


 間もなくして。自身の腰ほどの段差の前でふわり体が浮かんだとき、あろうことか、そこは汽車の中だったのだ。後ろを振り返り、こちらにひらひらと手を振る駅員を見つけた時、シシュウの口から声にならない声が漏れた。


「ハルシネはさ……肝心なところで鈍いよな」

「鈍いのはあなたの方でしょ? 早く手伝ってって言えばいいのに」

「いやそれは……あぁもういいや」

「あと、あなたは色々と考えすぎてしまうようだから、年老いとして言わせてもらうけど」


 相変わらずの冷たく淡々としたハルシネの口調と言葉。これはまた小言を貰う感じかな、とシシュウは内心で身構えかけたが、“年老い”という単語が後から引っかかった。しかし実際にはその言葉の意味を深く考えるより先に、再び抗いのようのない引力が……今度はアゴ下を襲ったのだった。


 指でグイと引っ張られ、シシュウの視線がカクンと上を向く。すると、目の前には真剣味を帯びたハルシネの顔があり……抗いようなくシシュウは見惚れた。


 その桜色の唇を、ハルシネは小さく動かす。

 

「一人で全てこなすことって、そんなに大切なことじゃないから」

「…………」

「黙って、どうしたの?」

「あんた……サキュバスみたいだなって」


 すぐにシシュウはハッとした表情を浮かべ、自身の口元を肉球で塞いだ。当然そんなことではこの狼狽ろうばいを抑えられる筈がなくて、その口は勝手に誤魔化しの言葉を紡いだ。


「いや違うんだハルシネ! 今のは夢を見ているみたいだって思っただけで……! だから、あの夜のサキュバスと重ねちまって……!」

「うん」

「ハルシネはあのサキュバスより美人だし、それにエロくないし! ……いやエロいとこもあるけどさ!」

「うん。 ――ところでさ」

「それにハル…………なんで、しょうか?」


 恐る恐る……本当に恐る恐ると、シシュウはすっかりと逸らしきっていた視線を見上げた。

 

 見上げて、絶句した。



「そのサキュバスってこういう見た目?」



 二つ括りを解いたあでやかで長い黒髪と、レンズの分厚いメガネを取ったことで一層の輝きを増した赤い瞳。 ……そして何より、おとぎ話に出てくる悪魔のような丸みを帯びた短い角。


 淡く橙の車内灯に照らされたハルシネは、蛇の尻尾のような舌で唇を潤した後、甘やかな声色にて遠慮なしにささやいたのだった。



「私、サキュバスなんだよね」



 ポオーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 ガタン                 ゴトン


 ガタン     ゴトン     ガタン ゴトン    


 ガタン ゴトン ガタン ゴトン ガタン ゴトン



 ………………。


「…………ぁえ?」



 慣性により呆気なく床に転がったデディベアの声とは、これ以上ないほどに情けないものだった。


 夜汽車の旅はこのようにして始まった――。



 

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