第11話 フフフの駅員
時刻は9の針を回り、汽車の発車時刻がいよいよと近づいてきた。
カラの街のちょうど中心くらいに位置する大きな敷地は、まともに歩いたとて一周するのに20分程度はかかる巨大な円形広場となっている。聖夜祭や貴人の結婚式などの催し事の際には、盛大なパレードや
しかしながら年がら年中お祭りがある筈はないし、ましてや、とっくに
「ハルシネ、もう体調は平気か?」
「ん? うん。夜風に当たったから。もう平気」
「そっか。 ……えっと、ああいうことはよくあるのか? ナンパみたいなさ」
おそるおそるの調子でシシュウが尋ねると、ハルシネは新聞を読む手を止め、人差し指で自身の頬を数度突いた。それから少し間を空けて、体のラインをなぞるようにその手を下ろす。
「まぁ割と。私は顔が良くて、胸も大きいから」
「ぉ、おう。 ……おう?」
「なに。その煮え切らない返事」
「いや、その。自分で言うのかってさ」
「ただの事実だから。 ……男と話すことは苦手なんだ」
ボソリ呟くように言ったハルシネの目線は既に新聞へと落ちていた。「そっか」とだけ空返事気味に返したシシュウだって、ショルダーバッグの中へすっぽり頭を入れてしまう。
なんというか、話をするほどにハルシネとの距離が離れてゆくのを感じた。男と話すことが苦手ならば、シシュウの方から話しかけることは自重するべきだろうか? いやしかし、沈黙が続くことには気まずさを覚えるだろう。だがつい先ほどのナンパ男とのやり取りを見ていると……。
そんなシシュウの葛藤など
その
言い換えればそれは、”旅の始まりの予感”である。
………………。
………………!
つぶらな瞳を静かに見開く。後でもなければ先でもなかった。円形広場に集まった様々な人々を観た今この瞬間、初めてシシュウは本当の意味でソレを自覚したのだ。 ……綿詰めの心臓に、確かな鼓動の高まりを感じる。そして血の気が引いてゆく感覚を。 ……シシュウは自身の胸へとそっと肉球を置いた。
(そうか、今から俺は汽車に乗るんだ)
「お待ちしておりました。ハルシネ様」
その瞬間だった。どこからともなくこちらを呼ぶ声が聞こえてきたのだ。男の声で、随分と穏やかな口調の声である。当然シシュウには心当たりなんてものはなくて、だからバッグの隙間からその正体をおそるおそる見上げようとした。もし先ほど同様にナンパ目的であれば、どうしたものだろうか……なんて懸念を抱きつつ。
――すぐに蒼色の瞳をした金髪の男と目が合い、そして男は
「おや? シシュウ様はそちらに居らしたのですね。ええ、お顔はそのままで構いません」
「なっ……!? え? え!?」
「うるさいよ。声のボリューム落として」
「いやハルシネ! だってこいつ……なんで俺がテディベアなこと――」
シャーーーーーーーー
言葉を言い終えるが先に、そんな
………………。
ジジジジジジ
「反省した?」
「……すみませんでした」
「ん」
「ただ……その、チャック閉めて黙らせるって方法は――」
ジジジ
「いや、何でもないです」
食い気味にシシュウが謝ると、ハルシネはジトリと細めていた目をようやく開いた後、小さく息をついたのだった。そんなシシュウたちの様子を見ていた金髪の男は、なぜか笑みを浮かべ、小さく頷く。
「フフフ、お二方は仲がよろしいのですね」
「私たちのことは今、どうでもいいから。それよりあなたのことを教えて」
「おっと。これは大変失礼いたしました。とは言うものの、わたくしはただの駅員でございますよ」
そう言うと駅員の男は
しかしハルシネはこの駅員の答えには納得出来なかったようで、冷たい口調を解こうとはしなかった。きっとハルシネは自分と同じ気持ちなのだろう。つまり、まだ重要なことが聞けていないのだ。
ハルシネは周囲に目線をやった後、手元のコーヒーを一口
「率直に聞くけれど……私のことはともかく、なぜこの子がテディベアになったことまで知っているの?」
「『姿形はその者の本質にあらず』は二足種間の社会通念ですよ」
「答えになっていないね」
「フフフ、わたくしはただ頼まれたことを
シシュウは首を傾げる。頼まれたというのは、今のように、ハルシネとシシュウの2人を迎えに行くことをだろうか? それは分かった。 ……しかしながら、ならば誰がこの駅員に頼んだというのだ?
そんな疑問を初対面の駅員へとぶつけるには勇気が足りなくて……少し経ってから駅員は「さて」と言わんばかりにコホンと咳を払ったのだ。そして手持ちの懐中時計を
「そろそろでございますね」
「……そろそろって、何がだよ」
「ええ、シシュウ様。1本目の汽車の搭乗時間でございますよ。ほら」
ギギギギギ
ガシャン
その駅員が目配せをした方向を見ると、どうやら同じ駅関係者らしき人影が、円形広場と駅入口を隔てる巨大な鉄門を開扉していたのだ。するとぎこちない金属音が広場を響き渡り、大荷物の人々が駅の中へとぞろぞろと入ってゆく。反射的にシシュウは時計塔の針を見上げた。うっすらとした照明が照らすその時刻はちょうど22の針を指している。
シシュウはただでさえ丸いその目を、さらに丸くした。
「出発までまだ2時間もあるのに、もう汽車に乗るのか……」
「いえいえシシュウ様。あちらは23時発の夜汽車でございます。お二方は0時発分でございますゆえ」
「あぁそうなんだ。 ……どうしたんだハルシネ。さっきからずっと黙ってて」
「フフフ、色々と思うところがあるのかも知れませんね。 ……っと、わたくしは駅舎の応援へと向かいます。旅前の高揚感は今しばらく
そんなどこか鼻につく言葉を残した駅員は、深々とお辞儀をした後に、実に混雑している駅舎周りへと駆け足に離れていった。人混みへ紛れてしまうまで見送ったシシュウは、再びその視線をハルシネへと向ける。先ほどから沈黙を続けるハルシネは、どこか難しい表情を浮かべていた。
「ハルシネ?」
「……ねぇ。あの駅員と少し話してみて、どう思った?」
「えっ…………雲を掴んでいるっていうのかな、よく分からないやつだなって」
「少しでも頭を
「何が、だよ」
それこそ要領を得ないハルシネの問いに、シシュウはおそるおそる尋ね返した。するとハルシネはずっとアゴ元に当てていた手の甲を下ろし、そして唇を舌先で軽く濡らす素振りを見せる。そして駅舎周りの群衆を見据え、このように言おうとしたのだ……曰く。
「もしかして、あの駅員自身が愉快魔なんじゃ――」
「1つだけ、申しそびれていたことがございました」
ドキッと。綿詰めの心臓が跳ね上がる。見ると、すっかりと群衆に溶けてその姿が見えなくなっていたはずの駅員は、なんとハルシネのすぐ側に立っていたのだ。その表情にはニコニコと笑みを浮かべており……しかしシシュウには、どうしてもその笑みが取り繕いの
そんなシシュウの思考なぞ知る由ない駅員は、白の手袋を付けた両手を大袈裟に広げると、このようなことを言ってみせたのだった。
「我々の役割は、お客様を安全に目的地まで運ぶことでございます。そこに一切の他意はございません。そのことをお忘れなきようお願いします」
「…………何が言いたいの?」
「フフフ。今までも、そしてこれからも。自らの旅路を刻むのは自らの足だけだということでございますよ。ハルシネ様、シシュウ様」
駅員はそんな意味深な
………………
………………
………………。
………………あいつ、マジで愉快魔?
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