第5話 愉快魔


「すみませんでした……」


 ぎこちない調子でシシュウが謝る。昨日まで肘をついていた机に座ることはずいぶん複雑な心境であり、そしてそれ以上に二人の人間に見下ろされることには大きな威圧感を覚えた。不躾ぶしつけに額を撫でられる野良猫も同じような気持ちを抱いているのだろうか? そのようなことを考えつつシシュウはその三頭身の頭をあげる。するとハルシネの細い瞳と目があった。


「反省はしているみたいだね」

「そ、それはまぁ」

「ふーん」

「だからハルシネさん……その」


 シシュウはハルシネにソレが見えるように、おそるおそると両手を掲げてみせた。金属が擦れる音がわずかに鳴る。


「そろそろこれ……外してもらえないですか?」


 その両腕に装着されていたのは鈍色にびいろの手錠だった。先ほどハルシネに捕らえられた時にめられたもので、ふわふわな長毛の腕から外れないようきつめに付けられたものだから、ソーセージの継ぎ目みたくキュッと絞られており見た目は実に痛々しかった。現にそこそこ痛い。


 しかし、そんなシシュウの要望にハルシネはかぶりを振った。


「ダメ。あなたには訊きたいことがある。それに、野放しにした瞬間またケイトさんを襲うかも」

「いや、絶対にそんなことは――」

「キズモノにされかけたわ〜」

「……おい待てババア。何言ってるんだよ」


 突然口を開いたかと思えば洒落しゃれにならない爆弾を投下した母親に、思わずシシュウの口も悪くなる。その一方でハルシネは顔色をひとつ変えずに胸元からメモ帳とペンを取り出したのだった。


「発情テディベアによる淫行未遂、と」

「あんたも何書いてるんだよ!? マジでやめてくれって洒落にならないんだから!」


 シシュウはまくし立てるように言った後に、カッと見開いた目で母親の方を見た。そして胴体よりもやけに短い脚でよたよたと立ち上がったのだ。


「なぁ母さん。信じられないかもしれないけどさ、俺シシュウだよ。今朝起きたらこんな姿になってて……えっと、さっきはパニックであんなことしてしまって……ごめん」


 シシュウの声は尻すぼみに小さくなっていった。そして言葉を言い終えるとすぐ、自嘲気味に笑ったのだ。


「……こんな話を信じろって、そんなの無理だよな。何だよ朝起きたらテディベアって! 嘘にしたってもっとマシな嘘があるっつー話で!」

「シシュウ」

「だいたい昨日からおかしいんだよ! そうだ……クマのぬいぐるみなんかで変に落ち込んで、家飛び出たら知らないサキュバスが男とそういう行為してて……挙句の果てに俺自身がぬいぐるみになっちまって……! 何だよそれ! なんの魔法――」

「シシュウったら」

「……え?」


 確かに自分の名前が呼ばれ、シシュウは再び顔を上げる。すると、じわりと輪郭が滲んだ視界の先に柔和な笑みを浮かべる母親の姿を見つけた。


 母親がハルシネに小声で語りかける。それから二言三言のことばを交わした後、骨の浮いたその手には小さなナニカが握られたのだ。その手はゆっくりと、シシュウへ迫ってくる。



 カチャリ



 次に気がついた時には腕が見違えるほど軽くなっていた。あの締め付けられる感覚はもうない。見ると、手錠を装着されていた部分が水を吸ったスポンジのようにじわりじわりと戻っていた。そして足元に、先ほどまでシシュウを縛りつけていたかせを発見したのだ。


「ごめんね〜。私も驚いて、気づくのが遅くなっちゃった。 ……かわいい一人息子なのにね〜」

「か、母さん……あの……えっと」

「お腹空いていない?」

「いやそれは……うん。大丈夫だよ。ほら、腹の中、綿詰めだし」

「そう〜? お腹空いたらすぐに言いなさいよ〜シシュウ」


 ほうれい線を深く刻み、母親が笑った。


 


 ※※※※※




 この世界には魔法がある。でも誰もが等しく扱えるわけではなく、人間には使えないし、それ以外の種族には使えるものが居るものの、たいていの魔法は取るに足らない代物しろものだ。だから、単純に数の多い人間が我が物顔で胡座あぐらをかいているのが今の世界であり、一方で魔法と人外種族が肩身の狭い思いをしているのも今の世界なのだという。「知らなかった」というシシュウの言葉に「無理もない」とハルシネは答え、コーヒーを一口すすった。

 

「特にこの辺りの地域と風土は人間色が強いから。まともに外の世界へ出ていない人たちにはそういうモノへ触れる機会が無いに等しい」

「…………」

「どうしたの?」

「あぁいや……何でもないです。続けてください」

「? 分かった――だから基本的に、魔法と人以外の二足種は弱い立場に置かれている。でも人間世界にはそういうイメージがあまり浸透していない。特に魔法には強いイメージとか脅威、下手したら畏怖なんて言葉が付き纏っている。 ……それは、彼らの中に大きな例外がたった1つだけ存在するから」


 そう言って人差し指をピンと立てたハルシネ。次に、その目線がこちらへと寄越された。シシュウは少しだけ迷った挙句、小さく首を横に振った。母親も同様にする。それを確認したハルシネは一つ頷いた後、ゆっくりとした口調でその単語を述べたのだった。


「愉快魔」

「ゆかい、ま……」

「魔法の強いイメージを支える大きな例外。そして……あなたをテディベアの姿に変えた犯人でもある」

「愉快魔……」

 

 愉快魔。ガムを噛んだときのように、口の中でその単語を何度も繰り返す。何というかそれは不思議な響きをしていた。なにせ愉快犯でも通り魔でもなく、“愉快魔”だ。 ……だからなんだという話ではあるが。今はもっと考えねばならないことがあるだろう。


 その太く短い腕を組んだシシュウは、軽く目を閉じて小さく唸った。


「そいつが俺なんかをテディベアに……? 一体なんでそんなことを……?」

「さぁ。愉快魔について分かっていることは深海のように少ないから。ただ少なくとも今、伝えられることもある」


 ハルシネが3本の指を立てる。もしかしたら何かを説明するときの癖なのかもしれない、なんてシシュウは思った。しかし今度はシシュウと母親に目線を向けることなく、ハルシネは1人淡々と語り始めた。


「1つ目は魔法をかけた愉快魔だけが、あなたの魔法を解けるということ。2つ目はまず初めにあなた自身のことを色々調べる必要があること。そして3つ目はその調査のために少しの間だけ私を住まわせてほしいこと。 ……分かった?」


 ひとしきり話終えたのだろうか? ハルシネは再びコーヒーを啜り、ゆっくりと足を組み替える。そんな何気ない所作に自然と目がいっていたことに気付いたシシュウは慌てて視線を逸らした。その肉球で首元あたりの毛を繕うフリをする。



 ………………。



「……今なんて言いました? 住まわせてほしい?」

「屋根裏の怪奇現象の件も解決していないから。夜中も一緒に居たほうが合理的だと思う」

「ご、う、り、て、き」

「なぜ片言」

「か、母さん……そんな急に言われてもさ……無理だよな? 普通に」

「……ん〜そうねぇ〜」


 助けを求めるように元からつぶらな瞳をさらに丸くして、母親を仰ぎ見る。母親は歯の詰め物が取れかけている時のように、頬へ手を添え小さく唸った。そして間もなくして、申し訳なさそうな様子でこう言ったのだ。


「ハルシネさん、せっかくのところ申し訳ないんですけど……あまり広い部屋は用意できなくてね〜」

「……え?」

「でもちょうどシシュウの背が縮んだことだし……部屋の共用で良ければ構わないですよ~」

「うん、それでいいよ。ありがとう」

「え? え?」




 …………え?


 


 


 

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