第3話 この道2度と使えない

 

 送別会の余りもの料理を摘み、母手製のシチューをすする。シシュウが息を止めて大粒のブロッコリーを飲み込んだとき、母親が両手をパチンと合わせ、「そういえば!」と叫んだ。その目線は壁掛けのカレンダーに向けられている。カレンダーはテーブルを挟んだ母親の背後に掛けられているため、シシュウからはまともに見えなかった。


「明日だったね〜、すっかり忘れてたわ」

「何が?」

「ほら、天井裏のことよ」

「……あぁ。怪奇現象の件か」


 シシュウが思い出したのは埃臭ほこりくさい天井裏の空間を手持ちランタンで照らした記憶だった。というのもシシュウ家では最近、正体不明の物音が頭上から聞こえてくるのだ。小さな生き物が走り回っているような音で、昼間なら大して気にならないのだが、真夜中はそういう訳にもいかない。この音にシシュウも母親もすっかり辟易へきえきしていた。


 天井裏の隙間という隙間をふさいでみたり、ネズミ捕りを仕掛けまくってみたり、聖水を撒いてみたり(水漏れした)。いろいろと試行錯誤をした結果、たどり着いたのは就寝時に耳栓をつけることだった。しかし神経質気味なシシュウはそれだと上手く眠ることが出来ず……そんな中、母親が先ほどみたく両手をパチンと合わせ言ったのだ。


『ひょっとして魔法の仕業じゃない? ほら~骨董品の』

 

 シシュウが母親の代理で店長を務める骨董店、そこにある品物はすべて収集家であり旅人だった父親が集めたものだ。それらには魔法がかかっている、と父親は度々に言ってたらしいが……。とにもかくにも、母親はわらにもすがる思いで一通の手紙を送ったのだ。その宛先とは……


「魔法管理協会、ねぇ」


 オイル漬けしたイワシの腹にフォークを突き刺しつつ、シシュウは細い目を母親へ向ける。


「そもそも魔法かどうかなんて……というか魔法の実在すら怪しいのにさ。そんな思いつきで手紙なんか出してよかったのかよ」

「イタズラだと思われたら相手されないでしょ~? 良かったじゃない。来てくれることになったのだから」

「そういう心配じゃねえって。そんな胡散うさん臭い組織? 集まり? にホイホイ連絡してさ――」

「あ~、紅茶の葉が切れてた気がする〜」

「……」

「シシュウ?」

「なんでもない。母さん、明日仕事入れてるだろ? 俺が応対しておくよ。どうせまともに客なんて来ないんだから」


 鼻から長めのため息を吐き出したシシュウは、シチューの具材を口いっぱいに頬張った。母親の方もそれ以上に言葉を重ねようとはせず、ただスプーンとフォークがお皿をたたく音だけが、食卓の上で鳴り続ける。


 ………………


 ………………


 ………………。


「ねぇ、シシュウ」

「さっきの件は、分かったって」

「そうじゃなくって〜。 ……前々から言ってるけど、無理に続ける必要なんてないのよ」

「……なんの話」

「骨董店。お父さんも生前、言ってたよ〜? 要らないならあの道具はすぐに処分していい~って」

「いや急に何? 脈絡なさすぎ」

「だってあんた、すぐに話題を逸らすじゃない。 ……あのねシシュウ。今のあんた見ていると母さん少し心配なの」


 母親の様子はのほほんとした普段のものではなかった。声色も口調も、真剣な話を持ち出すときのものだった。 ……もっぱら最近は今のシシュウについて話すときに。そんな母親の視線が一瞬だけ棚上のぬいぐるみを映したことをシシュウは見逃さなかった。


 意味もなく自身の手の甲あたりをさすりながら、シシュウは努めて冷静に言う。


「……確かに収益は少ないけどさ。意外と物好きの爺さんとか、小金持ちって結構いてさ。客入りにしては稼げているほうだって、母さんも知っているだろ?」

「母さん別にね? お金のことを心配していないのよ」

「じゃあ問題ないじゃん」

「そうじゃなくって……今のシシュウって全然楽しそうに見えないから。ただ毎日を消費しているだけな感じがして……お父さんのことばかり気にかける必要はないのよ〜? シシュウはシシュウなのだから、あんたの好きなように歩い――」



 ダンッ


 

 二人暮らしの家の中には似つかわしくない音が鳴った。激しく立ち上がったシシュウの瞳に、こちらを見上げる母親の顔が映る。


 …………。


 シシュウはまくし立てるように言った。


「紅茶の葉が無いって言ってたよな? いいよ買ってくる」

「……もうお店なんてどこも――」

「いってきます」


 財布を入れっぱなしのコートを羽織り、逃げるように家を飛び出た。 ……いや、実際に逃げ出した。そのようにして肌寒い外の世界へその身を投げたのだ。




 ※※※※※※




『シシュウくんって、全然お父さんと違うよね』



 その言葉が当時の自分にはひどくショックで、ひどくしゃくだった。でもそういうことを言われた経験が1度きりだったなら、些細な傷を心に負うだけでなんなく耐えられただろう。しかし「ちりも積もれば」という言葉があるように、数が重なるともはやどうすることも出来なかった。 ……陰口は決して本人に知られてはならないのだと、この時シシュウは学んだ。


 父親はそこそこに有名人だった。若い頃から世界中を旅していたという。この街で母親と結婚してからもそれは収まることを知らず、各地で人や人以外と盛んに交流を続けてきたのだとか。特に後者との交流は顕著で、現地の人間と人外種族間の和解に大きく貢献したこともあったそうだ。


 もっとも、これらはすべて人伝ひとづてに聞いたことだが。物心がつく前に、父親は知らない国で知らない病気を患い勝手に死んでしまった。父との思い出なんてものはシシュウの記憶にはまともに存在しない。


「気持ち悪いな」


 躊躇ためらいなくそう吐き捨てたシシュウは、ドスンと腰を下ろした一脚のベンチで静かに目を閉じる。すると街灯の明かりがまぶたを透けてきたので、バサリとフードを被った。


 大通りの方まで出て小1時間ほど歩いたが、開いている店は酒場がほとんどで、閉店が間際のレストランがぽつぽつ。飲んだくれに水を売りつける露天商が数人と迷信を刷り込ませる自称宝石商の女性が1人。結局、アールグレイ香る洒落しゃれた紙袋はその手に握られることなく。代わりにシシュウは左手の腹を右手の爪で程よく痛めつけていた。


「気持ち悪いな……俺」


 テーブルに握りこぶしを下すと共にグラスの水面が勢いよく揺れたとき、シシュウは「あぁやってしまった」とすぐに後悔した。そして母親に申し訳ないとも。それは理不尽にキレてしまったこともそうだし、学校を辞めて空回りし続けていることも含めてそうだ。


 ……“シシュウ”ではなく“あの父親の息子”という目で見られることが心底に嫌だった。しかし、悪い方向にこじらせていた当時のシシュウは変に意固地になったのだ。どうせ周りはまともに自分を見てくれない。ならいっそのこと「偉大な男の子供はどうしようもなく期待外れなやつだった」なんて印象を与えてやろう、そう考えてしまったのだ。だから手始めに学校を辞めた。今になって思い返すと、呆れるほど愚かな思考だ。 ……だが、最も愚かなのは当時から何も変わらない、変われない今のシシュウなのだ。なにせそんなことはとっくの前から気が付いているのだから。


 …………。


 張り付いたまぶたを開きフードの隙間から空を見上げる。街灯のほんの端にだけかかっていた満月はすっかり灯具を呑み込んでしまっていた。途端に孤独感でむせ返りそうになり、それをため息と同時に吐き出したつもりになった。


(……いっそ死んでしまえば、何もかも楽になるか)


 そんなバカげた思考が一瞬だけ頭を巡り、すぐにかぶりを振った。


「帰ろ。母さんが心配してる」


 蚊の鳴く声で耳と心を満たす。ほつれまみれのポケットに両手を突っ込み、これからも送り続ける予定のモノトーンな日常へ通ずる暗い路地裏をシシュウは右に曲がったのだ……。



 ………………


 ………………


 ………………。



「…………は?」


 だがその瞬間、何もかもをぶっ壊された。それこそ何の脈絡もなく。ゆえに頭のショートしたシシュウは、愚かにもその光景を目に焼き付けてしまったのだ。



 ……脚色を加えることなく見たままを説明すると、男の上に馬乗りとなった全裸のサキュバスがその小さな羽をバタつかせながらあでやかに腰を振っていたのだ。

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