第2話 寂れた骨董店で頬杖をつく

 

 何度も雨に打たれ、インクはにじみ、もはや文字か模様かさえ分からない木製看板を掲げる寂れた骨董店があった。最も人だかりの多い街角をはるかに望むその店には、一見すると何の価値もないガラクタが所狭しと並んでいる。 ……いや。”一見すると”とは言ったものの、その実ガラクタがほとんどだった。民族衣装を着た不細工な犬の置物だったり、流通しているレコードの大きさに対応していない蓄音機だったり、宝の眠る場所に×印が示された架空の大陸の地図だったり。そのどれもが一丁前に置き場所だけは取るものだから、床面積に対する足の踏み場とは、まるで海洋にポツンと浮かぶ孤島のようだった。


「……さすがにそれは言いすぎか」


 飾りつけか売り物なのか分からない物々がひしめく店内の奥。ささくれだった木製のカウンターに頬杖をついた体勢で、1冊の古書を読む少年が独りごちた。深緑ふかみどりのエプロンを身に着けた前髪の長い少年で、その胸元には骨董店の名称と『店長代理 シシュウ』と書かれた名札がげられている。


 ふと本から外したシシュウの視線が壁掛け時計へ止まる。先ほどと比べてわずかに角度が急になった分針を目にとらえ、シシュウはため息をついた。それとほぼ同時に思い返したことは、自分が今日1日何をしていたのかだ。


 指を折り、心の中で呟く。


(店の掃除して、商品の手入れをして、客の爺さんと”先生”を取次いで、菓子せびりに来た子供をあしらって……あぁ)


 目の端に捉えた2冊の本を持ち上げる。


「読書だけは充実するよな、ほんと」


 カラン カラン


 その言葉尻に重なるようにドアベルが揺れ、ぎこちない音を鳴らした。シシュウはすぐに姿勢を正し、素早く3冊の古書と空のマグカップをカウンター端に寄せようとしたが……それは未然に終わった。来訪者が誰かに気付いたからである。


「ただいま~シシュウ。どう? 繁盛している?」

「母さん……帰ってくるなら裏口からっていつも――」


 ドスン


 シシュウが小言を言い終えるより先に、目の前に巨大なトートバッグが置かれ、大きな振動が走った。アンバランスに積み重ねられていた古書の塔は呆気なく崩壊する。


「荷物多いから仕方なく、ねっ?」

「……いつもより少し早いじゃん。まだ店開いてるけど」

「あれ~昨日言ってなかったかしら? 今日はお仕事じゃないって」

「あぁ、えっと何だっけ。手芸の弟子が卒業するからとか……送別会がなんとかって」


 シシュウがゆっくりな口調でそう言うと、母親がほうれい線を刻みつつ小さく笑みを浮かべた。


「弟子じゃなくてアシスタントね〜。あんたも何回か会ったことあるでしょ? 茶髪の~ほら」

「分かるよ。そうか、あの人か」

「故郷で自分の店を開くって言ってたわ~。すごいわよね~まだ21歳なのに」

「……で、そのかばんの中には何が入ってるんだよ」


 訊いたはいいものの、母親の返事を待たずしてシシュウはトートバッグの中をガサゴソとあさり始めた。そしてすぐに怪訝な表情を浮かべる。


「オーナーがどうせなら盛大にやろうって言ったのよ。大通りにあるレストランを貸し切って、美味しかったわよ~ほんと」

「いやだからって……残り物を持って帰ってくるのはいいのかよ。ほら、マナー的にさ」

「ん~? 訊いてみたら、快く了承してくれたから」

「……初めから訊くなよ」


 呆れの感情を隠さないため息を吐いたシシュウは、改めてトートバッグの中を確認した。するとそこに、料理が詰められたビンや小鍋の類とは全く別のモノを見つけたのだ。リボンがあしらわれたひと抱えほどの袋である。それはトートバッグの中のセパレートを1つ占領していた。


「これは?」

「それは……あの子の卒業制作というか、最後に私へくれたものよ」

「ふーん」

「開けてもいいわよ〜。もう私は見せてもらったから」

「え? あぁそう……」


 さほど興味はなかったが、シシュウは赤いリボンの一端をつまむと、軽く引っ張った。すると、かすかな布切れの音と共に中身が露わになる。


 シシュウの口から自然と息が漏れた。


 袋の中はクマのぬいぐるみだった。テディベアと呼ぶのだろうか? その高さはシシュウが先ほどまで読んでいた古書を縦に2冊重ねたほどの大きさで、全身の色味は茶にしては少し暗い。しかし、何より特徴的だったのはその質感だ。ぬいぐるみと聞いてシシュウがイメージする全てのものと比べて、よっぽど”リアル”なのだ。ふわふわに空気を含んだ長い毛がその全身を覆っており、しかしながら手足と目鼻立ちはハッキリとしている。驚きだ。それこそ「今にも動き出しそう」なんて感想を無責任に思ってしまえるほどに。


「…………」

「要領のいい子だったからね~。それでいて努力もしていた。あの子はいい縫製師ほうせいしになるわ」

「…………」

「シシュウ?」

「あぁ、うん。まぁ俺も……そう思うよ」


 歯切れ悪く返事をしたシシュウの視線が再び壁時計を捉える。時刻はもう17時を回っていた。店じまいの時間だ。シシュウがその旨を伝えるより前に、母親はトートバッグの中から一回り小さな別の袋を取り出すと、そそくさとそこに料理類をまとめてしまった。


「あんたはそっちね〜」


 残りの荷物を持ち、カウンター裏の扉から内階段を上がる。2階は現在シシュウと母親が2人で暮らす住居だった。母親はリビングルームのテーブルに先ほどカウンターで広げた料理を取り出すと、慣れた手つきで冷蔵庫へと放り込んでいった。その光景を尻目に1階へ戻ったシシュウは骨董店の店じまいを始める……とは言うものの、玄関扉の立て札を裏返し、扉を施錠し、最後に天井照明の石油ランプを消してしまうだけだが。


 それがシシュウの、言うなればルーチンワークだった。必ず最後に天井照明を落とす……当然そうしなければ、薄暗い部屋の中で施錠をする羽目になってしまうのだから。


 「…………」

 

 でも今日は違った。手元の覚束おぼつかない闇の中で、鍵穴へさびかけの鉄を挿し込んだのだ。照明を落としてから鍵のかけ忘れに気付くケースはこれまでに数える程度あった。しかし、今日のように意図的な事は初めてかもしれない。自分でも何故そうしたのかは説明出来なかった。


 ……ただ、先ほどのテディベアが頭の先の方をぎり仕方なかった。頭にかかった蜘蛛の巣を払うように、シシュウは激しく首を振った。

 

 ガチャ


 そして音を立て。自分と外の世界とを遮断したのだ。

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