通釈⑦ 九、姫の昇天

1、『古活字十行甲本』を底本にしています。

2、おおむね、『評註竹取物語全釈』松尾 聰著(武蔵野書院)を参考書にしています。本文中、『評註』と表記しています。

3、底本の変体仮名等解釈は、『竹取物語』翻刻データ集成 https://taketori.himegimi.jp/ の『古活字十行甲本』を信頼して利用しています。

4、解読にあたって、『全訳読解古語辞典』(第三版)鈴木一雄 他著(三省堂)を用いた。

5、私説を参考として掲げる場合、★印をつけた。



九、姫の昇天


●39裏の続き

かやうにて御心をたかひになくさめ


かやうにて、御心をたがひになぐさ


 このようにして、お心を互いにお楽しませ


●40表

給ふ程に三年はかりありて春のはしめ

よりかくや姫月のおもしろう出たるを

見てつねよりも物思ひたるさま也ある

人の月かほ見るはいむこととせいし

けれ共ともすれはひとまにも月をみて

はいみししくなき給ふ七月十五日の

月に出ゐてせちに物思へるけしきなりち

かくつかはるゝ人々竹とりの翁につけて

いはくかくやひめれいも月をあはれかり

たまへとも此ころと成てはたゝ事にも


給ふ程に、三年ばかりありて、春のはじめ

より、かぐや姫、月のおもしろうでたるを

見て、つねよりも物思ひたるさまなり。ある

人の、「つきかほ見るは、むこと」と制し

けれども、ともすれば、ひとにも、月を見て

は、①いみじく泣き給ふ。七月十五日の

月にて、せちに物思へるけしきなり。近

使つかはるる人々、竹取の翁に告げて

いはく、「かぐや姫、れいも月を②あはれがり

給へども、このごろとなりては、ただ事にも


①底本「いみししく」を、「いみじく」とした。

②「あはれがる」について、「賞賛する・同情する・歎き悲しがる」等、色々な意味があるが、あとに「このごろとなりては、ただ事にも侍らざめり」とあるので、「歎き悲しがる」であろう。


になっているうちに、三年ほどが過ぎて、春の初めから、かぐや姫は、月がすばらしくよく出ているのを見て、いつもよりも物憂げにしているようだ。

 (かぐや姫の)侍女が、「月の顔を見るのはおやめください」と制したのだけれど、ともすれば、人がいるところでも、月を見ては、激しくお泣きになる。

 七月十五日の月(の出た晩)に(部屋の外の欄干)に出て、しきりに悩む様子である。侍女たちが、竹取の翁に告げて言うには、「かぐや姫、いつものように月を嘆き悲しがりになるのですが、この頃では、ただ事では


●40裏

侍らさめりいみしくおほしなけく事

あるへし能々見奉らせ給へといふを聞

てかくやひめにいふやうなんてうこゝ

ちすれはかく物をおもひたるさまにて

月を見給そうましき世にといふかくや

ひめみれはせけん心ほそく哀に侍るな

てう物をかなけき侍るへきといふかく

や姫のある所に至りて見れは猶物思へ

るけしきなり是をみてあるほとけ何事

思給そおほすらん事何事そといへは


はべらざめり。いみじくおぼし嘆く事

あるべし。よくよくたてまつらせ給へ」と言ふを聞き

て、①かぐや姫に言ふやうに、「②なんでふ、ここ

すれば、かく物を思ひたるさまにて、

月を見給ふぞ。③うましき夜に」と言ふ。④「かぐや

姫見れば、けん、心細く哀れに侍る。⑤な

でふ物をかなげはべるべき」と言ふ。かぐ

や姫のある所に至りて見れば、なほ、物思へ

るけしきなり。これを見て、「⑥有る仏、何事

思ひ給ふぞ。おぼすらむ事、何事ぞ」と言へば、


①「かぐや姫に言ふやう」というのは翁の言葉であるが、のちに、「かぐや姫のある所に至りて見れば」とあり、そのとき、「あるほとけ、何事思ひ給ふぞ。おぼすらむ事、何事ぞ」と、同じような事を再び聞いている。どうもちぐはぐである。それで、ここは翁がかぐや姫に言うように侍女たちの前で独り言のように言ったと考え、「かぐや姫に言ふやうに」と、あえて「に」を加えた。

②底本「なんてう」を「なんでふ」とした。「何という・どんな・どれほどの」の意。また、「どうして」という疑問・否定・反語の副詞的用法もある。

③底本「うましき世に」は、あまりに唐突な言葉と思われる。「うましき夜に」の後世の誤解だろう。

④「「かぐや姫見れば、けん、心細く哀れに侍る。なでふ物をかなげはべるべき」は、①で述べた翁のかぐや姫に対する独り言を受けての侍女の言葉と考える。

⑤底本「なてう」を「なでふ」とした。意味は①と同じ。

⑥底本「あるほとけ」を「吾が仏」として、「私の大切な人」とする解釈が一般的であるが、●4裏の「我が子の仏変化の人」で「仏変化」すなわち「仏の化身」と解釈したと同じように、「有る仏」すなわち「生き仏」と私は解釈する。翁は、かぐや姫のことをわが子としながらも、仏の化身としてあがめていたと考える。


ございません。ひどく悩み嘆くことがあるに違いありません。よくよく見て差し上げて下さいませ」と言うのを聞いて、(翁は)かぐや姫に対する独り言のように、「どのような心地がすれば、このように悩み悲しむように月をご覧になるのだろう。(これほど)すばらしい夜に」と言う。(これに対し、侍女が)「かぐや姫(の今の境遇)に比べれば、世の中は不安で不憫にございます。何を嘆き悲しむことがあるでしょう」と言う。

 (翁が)かぐや姫の部屋に行ってみると、やはり物思いにふける様子である。

 これを見て、「生き仏よ、何をそんなに思い悩むのか。悩むことは何ですか」と言うが、


●41表

思事もなし物なん心ほそくおほゆる

といへは翁月な見給そ是を見給へは物

おほすけしきは有そといへはいかて月を

みてはあらんとて猶月出れは出ゐつゝ

歎思へり夕やみには物思はぬけしき也

月の程に成ぬれは猶時々は打なけき

なきなとすこれをつかふ物ともなを物

おほす事あるへしとさゝやけと親を

はしめて何事共しらす八月十五日はかり

の月にいてゐてかくやひめいといたく


「思ふ事もなし。物なむ心細くおぼゆる」

と言へば、翁、「①月な見給ひそ。これを見給へば、物

おぼすけしきはあるぞ」と言へば、「いかで月を

見ではあらむ」とて、なほ、月、ずれば、つつ、

嘆き思へり。②夕闇ゆふやみには、物思はぬけしきなり。

月の程になりぬれば、なほ時々は打ちなげき、

泣きなどす。これを、使つかふ者ども、「③なほ、物

おぼす事あるべし」とささやけど、親を

はじめて、何事ともしらず。八月十五日ばかり

の月にて、かぐや姫、いといたく


①「月な見給ひそ」。「な~そ」は、懇願的な禁止を表す。

②「夕闇ゆふやみには、物思はぬけしきなり。月の程になりぬれば、なほ時々は打ちなげき、泣きなどす。」は、なにか説明的な感じがあるが、これについては、★『かぐや姫のテレパシーによる月との交信について』を、一読願いたい。

②底本「なを」を、歴史的仮名遣い「なほ」に改めた。


(かぐや姫は)「思い悩むことなどないのです。(ただ)物寂しく感じられる」と言うので、翁は、「どうか月をご覧にならないでください。これをご覧になると、思い悩まれる様子がありますぞ」と言うが、(かぐや姫は)「どうして月を見てはいけないのでしょう」と言って、やはり月が出れば外(欄干)に出て、嘆き沈んでいる。

 夕闇の頃には悩むことはない様子である。(しかし)月の程になったならば、やはり時々は嘆き、泣いたりする。これを見て、使われる人たちは、「やはり、お悩みになることがあるに違いない」と囁くのだが、親をはじめ、それが何であるか知るよしもない。

 八月十五日に近い月に外(欄干)に出て、かぐや姫は、尋常でなく



●41裏

なき給ふ人目も今はつゝみ給はすなき

給ふ是をみておや共も何事そと問さは

くかくや姫なく\/云さき\/も申

さんとおもひしかとも必心まとはし給

はん物そと思ひて今まてすこし侍り

つる也さのみやはとて打いて侍ぬるそ

をのか身は此國の人にもあらすつきの都

の人也それをなむ昔の契有けるにより

なん此世界にはまうてきたりける今は

帰へきに成にけれは此月の十五日に


泣き給ふ。人目も今はつつみ給はず、泣き

給ふ。これを見て、親どもも「何事ぞ」と問ひ①さわ

ぐ。かぐや姫、泣く泣く言ふ。「先々さきざきも、申

さむと思ひしかども、必ずこころまどはし給

はむものぞ、と思ひて、今までごしはべ

つるなり。②さのみやはとて、打ちで侍りぬるぞ。

③をのが身は、この国の人にもあらず。月の都

の人なり。それをなむ、昔のちぎり有りけるにより

なむ、この世界には、まうでたりける。今は、

帰るべきになりにければ、この月の十五日に、


①底本「さはく」を、歴史的仮名遣い「さわぐ」に改めた。

②「さのみやは」、「そうばかり~だろうか」。

③底本「をのが」を、歴史的仮名遣い「おのが」に改めた。


お泣きになる。人目さえ今はお隠しにならず、お泣きになる。これを見て、(侍女はじめ)親たちも、「どうしたのか」と、問い詰める。

 かぐや姫が泣きながら言う。「前々から申し上げようと思っていたのですが、どうしてもお心を惑わしてしまうものであると思って、今まで(言わずに)過ごしてしまいました。そうもいかないでしょうから、打ち明けてしまうのです。私の身は、この国の人ではありません。月の都の人なのです。そうではあるものの、昔の約束があったからは、この世界にやって来たのでした。今は、帰らなければならないときになったので、今月の十五日に、


●42表

かのもとの國よりむかへに人々まうて

こんすさらすまかりぬへけれはおほし

なけかむかかなしき事を此春より思ひ

なけき侍るなりと云ていみしくなくを

翁こはなてうことをの給そ竹の中より

見つけ聞えたりしかとなたねのおほきさ

をおはせしをわかたけたちならふまて

やしなひ奉りたるわか子を何人かむ

かへきこえんまさにゆるさんやといひ

て我こそしなめとてなきのゝしる事


かのもとの国よりむかへに、人々まうで

①むず。②さらず、まかりぬべければ、おぼし

なげかむがかなしき事を、この春より思ひ

なげはべるなり」と言ひて、いみじく泣くを、

翁、「こは、③なでふことをのたまふぞ。竹の中より

見つけ④聞こえたりしかど、⑤たねおほきさ

を、お歯せしを、我がたけ、立ち並ぶまで、

やしなたてまつりたるわが子を、何人か迎

へ⑥こえむ。まさにゆるさむや」と言ひ

て、「われこそ死なめ」とて、泣きののしる事、


①「むず」は、「むとす」の変化。

②「さらず」は「らず」で、「避けることができず・しかたなく」の意。

③底本「なてう」を「なでふ」とした。

④⑥「きこゆ」は、動詞・助動詞の連用形について「お~申し上げる」などという謙譲を表す。

⑤底本「なたねのおほきさをおはせしを」は、従来、「おほきさを」の「を」を衍字として、「菜種の大きさおはせしを」とされてきた。しかし、菜種は比喩としても小さすぎだという批判はまぬがれない。「たねおほきさを、お歯せしを」は、一応私の提案的解釈としてしておく。


かの元の国から迎えに人々が来ることになっています。しかたなく去らなければならないので、(あなたがたが)悩み、お嘆きになるのを(私も)悲しく思うことを、この春より悩み嘆いておりました」と言って、ひどく泣くのを、翁は、「これは、なにをおっしゃっているのだろう。(あなたを)竹の中から見つけさせて頂いたのだけれど、菜種の大きさをお食べになったのを、私の背丈に立ち並ぶまでにお育て差し上げたわが子を、誰がお迎え申し上げに来るというのでしょう。絶対許すわけにはいかない」と言って、「(そんなことになったら)私は生きてはいけない」と、泣きわめくのが、


●42裏

いとたへかたけ也かくや姫のいはく月

の都の人にて父母ありかた時のあひた

とてかの國よりまうてこしかともかく

此くににはあまたの年をへぬるに

なんありけるかのくにの父母のことも

おほえすこゝにはかく久しくあそひ聞え

てならひ奉れりいみしからん心ちも

せすかなしくのみあるされとをのか心

ならすまかりなんとすると云てもろ共

にいみしうなくつかはるゝ人も年比なら


いとがたげなり。かぐや姫のいはく、「月

の都の人にて父母あり。片時かたときあひだ

とて、かの国よりまうでしかども、かく、

この国には、あまたの年をぬるに

なむありける。かの国の父母のことも

おぼえず。ここには、かく久しくあそび聞こえ

て、ならひ奉れり。いみじからむここ

せず、悲しくのみある。されぞ、①おのが心

ならず、まかりなむとする」と言ひて、もろとも

にいみじう泣く。使つかはるる人も、②年頃なら


①底本「をの」を、歴史的仮名遣い「おの」に改めた。

②底本「年比」を「年頃」とした。


実に耐え難いという様子である。

 かぐや姫が言うには、「月の都に、父母がいます。ちょっとの間ということで、かの国から参り来たのですが、このように、この国にはたくさんの年を経るに至ってしまいました。かの国の父母のことも懐かしく思わない。ここには、このように長い間、滞在申し上げて、慣れ親しみました。(月に帰ることを)楽しみにする心地などせず、ただ悲しいと思うだけです。しかし、私の心とはうらはらに、去らなければならないのです」と言って、皆と一緒になって激しく泣く。

 (かぐや姫の)侍女も、長年(かぐや姫と)慣れ親しんで、


●43表

ひてたち別なむことを心はへなとあて

やかにうつくしかりつる事を見ならひて

恋しからん事のたへかたくゆ水のまれす

おなし心になけかしかりけりこの事を

御門聞召て竹とりか家に御使つかは

させ給御つかひに竹とり出あひてなく

事限なし此事をなけくにひけも白く

こしもかゝまり目もたゝれにけり翁

今年は五十はかりなりけれとも物思ひ

にはかた時になん老に成にけりと見ゆ


ひて、立ち別れなむことを、心ばへなどあで

やかにうつくしかりつる事を①見ならひて、

恋しからむ事のへ難く、みず飲まれず、

おなじ心に嘆かしがりけり。この事を

御門、聞こし召して、竹取が家に御使ひつかは

させ給ふ。御使ひに竹取、で会ひて、泣く

事、限りなし。この事を嘆くに、髭も白く、

腰もかがまり、目もただれにけり。②翁、

今年は五十ばかりなりけれども、物思ひ

には、片時になむ老、《お》いになりにけりと見ゆ。


①「見ならふ」は、この場合、「見なれる・見て馴染む」こと。

②「翁、今年は五十ばかりなりけれども、物思ひには、片時になむ老、《お》いになりにけりと見ゆ」。寸時にして老いてしまったのは、心労のためばかりではないという私の説については、★『翁若返り説(物語にこめられたなぞなぞの解明)』を、一読願いたい。


離別してしまうことを、(かぐや姫の)気立てなど、あでやかで美しかったことを見慣れて、恋しく思う事に耐えがたく、湯水が飲めないほどで、(翁と)同じ心で嘆き悲しむのだった。

 このことを、御門がお聞きあそばして、竹取の翁の家に御使いを、おつかわせになる。御使いに翁が出て会うが、泣く涙が止まらない。このこと(かぐや姫との別れ)を嘆いて、髭も白く、腰も曲がり、目もただれてしまったという。翁は、今年は五十歳過ぎであったけれど、心労によって、寸時に老いぼれになってしまったのだとみえる。


●43裏

御使仰こととて翁にいはくいとこころ

くるしく物思ふなるはまことにかと仰

給ふ竹とりなく\/申此十五日に

なん月の都よりかくやひめのむかへに

まうてくなるたうとくとはせ給ふ此十

五日は人々給りて月のみやこの人まう

てこはとらへさせんと申御使かへり参

て翁のありさま申て奏しつる事共申を

聞召ての給ふ一目見給ひし御心にたに

忘給はぬに明暮見なれたるかくや姫を


御使ひ、おほごととて、翁にいはく、「いと心

苦しく、物思ふなるは、まことにか」と仰せ

給ふ。竹取、泣く泣く申す。「この十五日に

なむ、月の都より、かぐや姫の迎へに

まうでなる。①たふとはせ給ふ。この十

五日は、人々賜たまわりて、月の都の人、まう

ば、とらへさせむ」と申す。御使ひ、帰り参り

て、翁のありさま申して、奏しつる事ども申すを、

聞こし召して、のたまふ。「一目見給ひし御心にだに

忘れ給はぬに、明け暮れ見慣れたるかぐや姫を


①底本「たうとく」を、歴史的仮名遣い「たふとく」に改めた。


 御使いが(御門の)仰せごととして、翁に言うには、「非常に心を痛め、苦悩しているというのは本当か」と仰せになる。

 翁、泣く泣く申し上げる。「この十五日に、月の都から、かぐや姫を迎えにやってきます。まことにありがたく(御門はお使者を)訪問させてくだされました。この十五日には、(弓を使う)人々を賜って、月の都の人が参り来たら、お捕らえください」と申し上げる。

 御使いは、帰って(御門に)参上して、翁の様子を申し上げて、(翁が)奏上した事を申し上げるのをお聞きあそばされて、おっしゃる。「一日拝見した(私の)心にさえ忘れられないのに、明け暮れに見慣れたかぐや姫を


●44表

やりていかゝ思へき彼十五日つかさ\/

に仰て勅使少将高野のおほくにといふ

人をさして六衛のつかさあはせて二千

人のひとをたけとりか家につかはす

家にまかりてついちのうへに千人屋の

上に千人家の人々おほかりけるにあ

はせてあける隙もなくまもらす此守る

人\/も弓矢をたいしておもやの内には

女とも番におりてまもらす女ぬりこめ

の内にかくや姫をいたかへてをり翁も


りて、いかが思ふべき」。かの十五日、つかさつかさ

に仰せて、勅使少将高野のおほくにといふ

人をして、六衛のつかさあはせて二千

人の人を竹取が家につかはす。

家に①まかりて、②築地ついぢうへに千人、

上に千人、家の人々多おほかりけるにあ

はせて、けるひまもなくまもらす。③この

人々も弓矢をたいして、おも、の内、には

④女(媼)ども、番にりてまもらす。女(媼)、⑤塗籠ぬりごめ

の内にかぐや姫をいだかへてり。翁も


①「まかる」は「去る」の謙譲語だが、「行く」の謙譲・丁寧語でもある。

②「築地ついぢ」は、土を突き固めて、土手のようにした塀。

③底本は「此守る」だが、「このる」とした。私説★『「この守る人々も弓矢を帯して」の解釈の可能性』を参照のこと。

④底本「女とも」の「女」について、ただの「女」ではなく「女(媼)」である可能性については、★『「女」=「媼」についての覚え書き』を、一読願いたい。

⑤「塗籠ぬりごめ」は、回りを厚い壁で塗りこめた小部屋。


遠くにやったら、いかほどに思うだろうか」

 その十五日、つかさつかさに仰せになって、勅使少将高野のおほくにを任命して、六衛のつかさあはせて二千人の人を、翁の家にお遣わせになった。

 家におもむいて、築地ついぢ(土を突き固めて、土手のようにした塀)の上に千人、家の上に千人、(翁の)家の人々が多く居るのに合流して、空ける隙もなく守らせる。

 この隙間に漏れる人々も弓矢を帯して、正面、家の中、庭、女(媼)たち(かぐや姫とその侍女たち)を番するために、降りて守らせる。女(媼)は、塗籠ぬりごめ(回りを厚い壁で塗りこめた小部屋)の部屋の中にかぐや姫を抱きかかえている。翁も、


●44裏

ぬりこめの戸さして戸口にをり翁のい

はくかはかり守る所に天の人にもま

けんやといひて屋の上にをる人々にい

はく露も物空にかけらはふといころし

給へまもる人\/のいはくかはかりし

て守る所にかはり一たにあらはまつい

ころして外にさらさんと思侍るといふ

おきな是をきゝて頼もしかりをり是

を聞てかくやひめはさしこめてまもり

たゝかふへきしたくみをしたり共あの


塗籠ぬりごめの戸、して、戸口にり。翁のい

はく、「かばかり守る所に、天の人にも負

けむや」と言ひて、屋の上にる人々にい

はく「露も物、空にかけらば、ふと殺し

給へ」。守る人々のいはく、「かばかりし

て守る所に、はり一つだにあらば、まづ射

殺して、①ほかさらさむと思ひ侍る」と言ふ。

翁、これを聞きて、頼もしがりをり。これ

を聞きて、かぐや姫は、「めて、守り

戦かふべきしたみをしたりとも、あの


①底本「外」を「ほか」と読むことにする。他の人の意味だろう。


塗籠ぬりごめの戸を閉ざして、その戸口にいる。

 翁が言うには、「これだけ守るところであれば、天の人にも負るはずがない」と言って、家の上に居る人々に向かって言うには、「少しでも物が空を横切ったなら、さっと射殺してくだされ」。

 (これに対し)守る人々が言うには、「これだけのことをして守るところに、変わりがひとつでもあれば、まずは射殺して外の人々に見せつけようと思っております」と言う。翁は、これを聞いて、心強く思っている。

 これらの話を聞いて、かぐや姫は、「閉じ込めて、守り戦う準備をしたとしても、あの


●45表

國の人をえたゝかはぬなりゆみ失して

いられしかくさしこめてありとも彼

國の人こはみなあきなんとすあひたゝ

かはんとす共かの國のひときなはたけ

き心つかう人もよもあらし翁のいふ

やう御むかへにこん人をはなかきつめ

してまなこをつかみつふさんさかゝみ

をとりてかなくりおとさんさかしりを

かき出てこゝらのおほやけ人に見せて

はちを見せんとはらたちをるかくや姫


国の人を、①えたたかはぬなり。ゆみして

られじ。かくし籠めてありとも、かの

国の人、ば、みなきなむとす。あひたたか

はむとすとも、かの国の人、なば、たけ

き心、③使つかふ人も、④よもあらじ」。翁のいふ

やう、「御迎へにむ人をば、長きつめ

して、まなこをつかみつぶさむ。さがかみ

を取りて、かなぐり落とさむ。さがしり

かきでて、ここらのおほやけびとに見せて、

はぢを見せむ」と、腹立ちをる。かぐや姫


①「えたたかはぬなり」は、「戦わないことができるのだ」と訳せる。以下、かぐや姫はその説明をしている。月の都の人、いわゆる天人は、地上で輪廻を繰り返すうちに徳を積んで、月すなわち涅槃に生まれた人なので、地上の人と戦ったり、殺したりはしない。それを実現するのが、いわば各種の霊力である。★『かぐや姫のテレパシーによる月との交信について』など参照のこと。

②底本「失」を「矢」にした。

③底本「つかう」を、歴史的仮名遣い「つかふ」に改めた。

④「よもあらじ」は、「よも~じ」の形で、「よもや~ない」。


国の人なので、戦わないことができるのです。弓矢をもってして射ることができない。このように閉じ込めてあっても、かの国の人が来れば、みな開いてしまう。相手取って戦おうとしても、かの国の人が来たなら、勇猛な心を持った人はもはやいない」

 翁が言うには、「お迎えに来る人を、長い爪でまなこを掴み潰してやる。その髪をつかんで引きづり落としてやろう。その尻を丸出しにして、ここにいるおおやけの人たちに見せて恥をかかしてやろう」と、腹を立てている。

 かぐや姫が


●45裏

いはくこはたかになの給そ屋のうへに

をる人ともの聞にいとまさなしいます

かりつる心さしともを思ひもしらてま

かりなんする事の口おしう侍けりな

かき契のなかりけれは程なくまかりぬへ

きなめりと思ひかなしく侍也おやたち

のかへりみをいさゝかたにつかうまつ

らてまからん道もやすくもあるましき

に日比も出ゐてことしはかりのいとま

を申つれとさらにゆるされぬによりて


いはく、「こはだかにな、のたまひそ。屋のうへ

る人どもの聞くに、①いとまさなし。います

かりつるこころざしどもを思ひも知らで、ま

かりなむする事の②くちしう侍りけり。長

ちぎりのなかりければ、程なくまかりぬべ

きなめりと思ひ、悲しくはべるなり。親たち

のかへりみを、いささかだにつかうまつ

らで、まからむ道もやすくもあるまじき

に、③日④頃もて、今年ことしばかりのいとま

を申しつれど、さらに許されぬによりて


①「まさなし」は、「予想外だ・思いもかけない・びっくりだ」あるいは、「期待に反する・常識外れだ・よくない」と辞典にある。つまり、ただ「みっともない」とかとは解釈できない。普段おだやかな翁が、これほどまでに怒り狂うことについて、「意外だ」というのだろう。

②底本「口おし」を、歴史的仮名遣い「口をし」に改めた。

③「日頃もて、今年ことしばかりのいとまを申しつれど、さらに許されぬによりて」と、ここで、この断章のはじめで、かぐや姫が月を見て嘆いていた理由がやっと明かされる。★『かぐや姫のテレパシーによる月との交信について』を、一読願いたい。

④底本「比」を「頃」にした。


言うには、「声高こわだかにおっしゃいますな。屋根に居る人たちが聞けば、(いつもと違うあなたに)びっくりします。それほどまでの真心を思いもしないで、去ろうとする事が口惜しく思われます。長い約束(の時間)がなかったので、ほどなく去らねばならないだろうと思い、悲しく思っております。(親である)あなたがたへの恩返しを少しもして差し上げないで、去り行く道も容易ではないだろうと思い、ここ数日来、外に出て、せめて今年いっぱいの猶予を(月に向かって)申し上げたのですが、やはり許されないので、


●46表

なむかく思ひなけき侍る御心をのみま

とはしてさりなん事のかなしくたへ

かたく侍る也彼都の人はいとけうらにお

いをせすなん思ふ事もなく侍る也さる

所へまからんするもいみしく侍らす老

おとろへ給へるさまをみ奉らさらんこそ

恋しからめと云て翁むねいたき事

なし給そうるはしき姿したるつかひに

もさはらしとねたみをりかゝる程に宵

打過てねの時はかりに家のあたりひるの


なむ、かく思ひ嘆き侍る。御心をのみまど

はして、去りなむ事の悲しく、耐へ

難く侍るなり。かの都の人は、いとけうらに、

いをせずなむ、思ふ事もなく侍るなり。さる

所へまからむするも、いみじく侍らず。老い

おとろへ給へるさまを、たてまつらざらむこそ、

恋しからめ」と言ひて、翁、「胸痛きこと

なし給ひそ。うるはしき姿したる使つかひに

さわらじ」と、ねたみをり。かかる程に、宵

打ち過ぎて、の時ばかりに、家のあたり、昼の


このように嘆いております。お心を惑わせるだけで去り行くことが悲しく、耐えがたく思っています。かの都の人は、非常に清らかで、老いることがなく、悩むこともなくいます。そんな所へ行こうとするも、すばらしいとは思いません。老い衰えになるあなたのお世話をして差し上げることの方を大切におもうでしょう」と言うので、翁は、「胸が痛いことをおっしゃいますな。(どうせ、私は)麗しい姿をした使いの妨げにもならないです」と、いまいましく思っている。

 そうこうしているうちに、宵も過ぎて、子の刻(現在の午前0時頃)頃に、家のあたりが昼の


●46裏

あかさにもすきて光たりもち月のあ

かさを十合せたるはかりにてある人のけ

の穴さへ見ゆる程なりおほそらより人

雲に乗ておりきてつちより五尺はかり

あかりたる程にたちつらねたりうち

となる人の心とも物におそはるゝやうに

てあひたゝかはん心もなかりけりからう

しておもひおこして弓矢をとりたてん

とすれ共手に力もなくなりてなへかかり

たる中に心さかしきものねんしていん


あかさにも過ぎて、光りたり。①もちづきあか

さを十、合わせたるばかりにて、ある人の毛

の穴さへ見ゆる程なり。おほぞらより人、

雲に乗りてり来て、土より五尺ばかり

あがりたる程に、立ちつらねたり。うち

なる人の心ども、物におそはるるやうに

て、あひたたかはむ心もなかりけり。からう

して、思ひ起こして、弓矢を取り立てむ

とすれども、手に力もなくなりて、へかかり

たる中に、心②さかしき者、念じて


①「もちづき」は、満月のこと。

②「さかし」は、「かしこい・すぐれている・しっかりしている・気が強い」などの意。


明るさより強く光った。満月の明るさを十、合わせたぐらいで、あたりに居る人の毛の穴さえ見える程である。

 大空から人が雲に乗って降りて来て、地面から五尺(1.5mぐらい)ほど上がったところに立ち連ねた。

 内と外にいる人々の心が、物に襲われるようになって、戦おうという心もなくなってしまった。なんとか(戦意)を思い起こして、弓矢を取って立てようとするのだが、手に力もなくなって、(弓の弦が)萎えかかっている中に、心がしっかりしている者が、念をこめて射よう


●47表

とすれ共ほかさまへいきけれはあれも

たゝかはて心ちたゝしれにしれて守り

あへりたてる人ともはさうそくのきよ

らなる事物にも似すとふ車一くし

たりらかいさしたりその中にわうと

おほしき人家に宮つこまろまうてこと

いふにたけく思ひつる宮つこまろも物

にゑいたる心ちしてうつふしにふせり

いはくなんちをさなき人いさゝかなる

切徳を翁作りけるによりてなんちかた


とすれども、ほかざまへ行きければ、れも

戦かはで、心地、ただれにれて、①守り

あへり。立てる人どもは、装束さうぞくきよ

らなる事、物にも似ず、飛ぶ車、一つ

たり。②がいさしたり。その中に、わう

おぼしき人、家に、「みやつこ麻呂、まうで」と

ふに、たけく思ひつるみやつこ麻呂も、物

に③ひたる心地して、うつぶしにせり。

④いはく、「なむぢをさなき人。いささかなる

どくを、翁、作りけるによりて、なむぢたす


①「まもりあふ」は、「互いに見つめ合う」ほどの意とする解説書もあるが、「守り合う」とした。

②「がい」は、薄い絹で作った日傘で、貴人にさしかける。

③底本「ゑいたる」を、歴史的仮名遣い「ゑひたる」に改めた。

④ここからの月の王とおぼしき天人の言葉を、これまで翁に対するだけの言葉としてきた過ちのために、物語全体の把握ができずにいた。これについては、★『本当の『竹取物語』を閉ざしていたもの』を、是非、一読願いたい。

⑤底本「切徳」を、「功徳」とした。


とするのだが、他の方へ(飛んで)行ってしまったので、その者も戦わないで、(皆)心持ちは、ただただぼんやりとして、互いに守り合っている。

 立っている人たちは、装束の美しいことは見たこともなく、飛ぶ車一台を引いていた。(その車に)がい(薄い絹で作った日傘で、貴人にさしかける)をさしている。

 その(車の)中に、王とおもわれる人が、家に(向かって)、「みやつこ麻呂、出て来るのだ」と言うのだが、猛々しく思っていたみやつこ麻呂も、(天人の敵愾心を持った者を萎えさせる霊力により)物に酔ったような気分がして、うつぶせに伏せている。

 (王とおもわれる人が、かぐや姫に対して)言うには、「汝、幼い人よ。いささかの功徳を翁が積んでいたので、汝の助け


●47裏

すけにとてかた時の程とてくたししを

そこらの年ころそこらのこかね給ひて

身をかへたるかこと成にたりかくや姫

はつみを作り給へりけれはかくいやしき

をのれかもとにしはしをはしつるなり

つみの限はてぬれはかくむかふる翁は

なきなけくあたはぬ事也はや返し奉れ

と云翁答て申かくやひめをやしなひ

奉事廿餘年になりぬかた時との給ふ

にあやしく成侍ぬ又こと所にかくや姫


けにとて、片時かたときの程とてくだししを、

そこらの年頃としごろ、そこらの黄金こがねたまひて、

身をへたるがごとなりにたり。かぐや姫

は、罪を作り給へりければ、かくいやしき

おのれがもとに、しばし、②おはしつるなり。

罪の限り果てぬれば、かくむかふる、翁は

なきなげく、あたはぬ事なり。はや、返したてまつれ」

と言ふ。翁、答へて申す。「かぐや姫をやしな

奉る事、廿余年になりぬ。片時とのたまふ

に、あやしくなり侍りぬ。又、ことどころに、かぐや姫


①底本「をのれ」を、歴史的仮名遣い「おのれ」に改めた。

②底本「をはし」を、歴史的仮名遣い「おはし」に改めた。


にと(翁を信頼して)、片時の間ということで(地上の翁の所に)下したのにもかかわらず、多くの年齢、多くの黄金を(翁に)お与えになって、(九センチほどだったあなたが)身を変えたように(大きく)なってしまった」(翁に対し)「かぐや姫は、罪をお作りになったので、このように(若返りや黄金目当ての)卑しいおのれのもとに、しばらくおいでになってしまったのだ。(かぐや姫の)罪のすべてが果てたのだから、このように(弓矢で)迎える、翁は泣き嘆く、(それらは)無意味なことである。はやく、(かぐや姫を)お返しになれ」と言う。

 翁が、答えて申し上げる。「かぐや姫を養って差し上げたのは、二十年あまりになります。片時とおっしゃるので、疑わしくなりました。また、違うところに、かぐや姫


●48表

と申人そをはしますらんと云こゝに

おはするかくや姫はおもきやまひをし

給へはえ出をはしますましと申せは其

返事はなくて屋の上にとふ車をよせ

ていさかくや姫きたなき所にいかてか久

しくおはせんと云たてこめたる所の

戸すなはちたゝあきにあきぬかうし

共も人はなくしてあきぬ女いたきてゐ

たるかくやひめとに出ぬえとゝむま

しけれはたゝさしあふきてなきをり竹と


と申す人ぞ①おはしますらむ」と言ふ。「ここに

おはするかぐや姫は、おもやまひをし

給へば、えで②おはしますまじ」と申せば、その

かへごとはなくて、屋の上に、飛ぶ車を寄せ

て、「いざ、かぐや姫。きたなき所に、いかでか久

しくおはせむ」と言ふ。たてめたる所の

戸、すなはちただ空きに空きぬ。かう

どもも、人はなくして空きぬ。女(媼)いだきて

たるかぐや姫、でぬ。えとどむま

じければ、たださしあふきて泣きをり。竹取


①②「をはし」は歴史的仮名遣い「おはし」に改めた。


とおっしゃる人がおいでになるのでは」と言う。(さらに)「ここにおいでになるかぐや姫は、重い病でおいでになるので、出ておいでにはなれますまい」と申し上げれば、その返事はなくて、家の上空に飛ぶ車を寄せて、「さあ、かぐや姫。この汚い所に、どうして長くおいでになれよう」と言う。

 閉めきった所の戸は、ただちに全て開いた。各所の格子も、ひとりでに開いてしまった。

 女(媼)が抱きかかえていたかぐや姫は、(塗籠の)外に出た。とどめることができないので、(女(媼)は)ただ(かぐや姫の方を)見上げて泣いている。

 翁が(塗籠の戸口の前で)


●48裏

り心まとひてなきふせる所によりてか

くやひめいふこゝにも心にもあらてか

くまかるにのほらんをたにみ送り給へ

といへとも何しにかなしきに見送奉らん

我をいかにせよとて捨てはのほり給ふそ

くしてゐておはせねとなきてふせれは

御心まとひぬ文をかきをきてまからん

恋しからん折\/取いてゝ見給へとて

うちなきてかくことはは此國に生ぬると

ならはなけかせ奉らぬ程まて侍らて過別


心惑ひて、泣き伏せる所に寄りて、か

ぐや姫、言ふ。「①ここにも、心にもあらで、か

くまかるに、のぼらむをだに見送り給へ」

と言へども、「何しに、悲しきに、見送りたてまつらむ。

れをいかにせよとて、捨ててはのぼり給ふぞ。

してておはせね」と、泣きて伏せれば、

「御心、まどひぬ。文を書き②きて、まからむ。

恋しからむ折々、取りでて見給へ」とて、

うち泣きて書く言葉は、「③かの国に生まれぬると

ならば、嘆かせ奉らぬ程まで侍らで、過ぎ別れ


①「ここにも」。「ここ」は自称代名詞でもある。「この身・わたくしの方」。

②底本「をきて」を、歴史的仮名遣い「おきて」に改めた。

③底本「此國」では文章が通じないので、「かの国」の誤としておく。賛否は、後の研究者の考察に任せたい。


心を乱し、泣き伏せる所に寄って、かぐや姫が言う。「この身にも、心にもなく、このように去りゆくのですから、せめて昇り行くのだけは見送ってください」と、言うのだけれど、「どうして、悲しいのに、見送り差し上げられようか。私を(この先)どのように生きよといって、捨てて、お昇りになるのでしょうか。(どうか一緒に)連れていってください」と、泣いて伏せるので、「お心が乱れてしまっている。ふみを書き置きして、ゆきます。恋しく思う折々、取り出して読んで下さい」と言って、泣いて書く言葉は、

「かの国に生まれたとあれば、お嘆かせ申し上げないほどまでとどまらずに、時が過ぎ、別れ


●49表

ぬる事かへす\/ほいなくこそ覚侍れ

ぬきをくきぬをかたみとみ給へ月の出

たらん夜はみをこせたまへ見すて奉り

てまかる空よりも落ぬへきこゝちする

とかきをく天人の中にもたせたるはこ

ありあまのは衣いれり又あるはふしの

薬入りひとりの天人いふつほなる御く

すり奉れきたなき所の物きこしめし

たれは御心ちあしからん物そとてもて

よりたれはいさゝかなめ給ひて少かた


ぬる事、かへすがへす、本意ほいなくこそおぼはべれ。

脱ぎ①きぬかたと見給へ。月の

たらむ夜は見②おこせ給へ。見捨てたてまつ

てまかる空よりも落ちぬべき心地する」

と、書き③く。天人の中に、持たせたる箱

あり。あまごろも入れり。また、あるは、不死ふし

薬、入れり。ひとりの天人言ふ。「つぼなる御薬

奉れ。汚き所の物、聞こし

たれば、御心地、しからむものぞ」とて、持て

寄りたれば、いささかめ給ひて、少しかた


①③底本「をく」を、歴史的仮名遣い「おく」に改めた。

②底本「をこせ」を、歴史的仮名遣い「おこせ」に改めた。


てしまうこと、かえすがえすも本意ではないと思っております。脱ぎ置く衣を形見として下さい。月の出ている夜は、(それに)目を向けて下さい。(あなたを)後にお残しして去り行く空から落ちてしまいそうな(後ろ髪を引かれる)気持ちがします」と、書き置く。

 天人のひとりに、持たせた箱がある。天の羽衣が入っている。また、あるいは、不死の薬が入っている。

 ひとりの天人が言う。「壺のお薬を召してください。汚い地上の物をお召し上がりになったので、お気分が、さぞお悪いことでしょう」と言って、持ち寄ったのだが、(かぐや姫は)それを少しだけお嘗めになって、少し形


●49裏

みとてぬきをくきぬにつゝまんとす

れはある天人つゝませす御そをとり出

てきせんとす其時にかくやひめしはし

まてと云きぬきせつる人は心ことに成

なりと云物一こといひをくへき事有

けりといひて文かく天人をそしとこゝろ

もとなかり給かくや姫物しらぬことな

の給ひそとていみしくしつかにおほやけ

に御文奉り給ふあはてぬさま也かく

あまたの人を給ひてとゝめさせ給へと


見とて、脱ぎ①きぬに包まむとす

れば、ある天人、包ませず。おんを取り

て、着せむとす。その時に、かぐや姫、「しばし

待て」と言ふ。「きぬ着せつる人は、心、ことになる

なりと言ふ。物、一言ひとこと言ひ②置くべき事、あり

けり」と言ひて、ふみ、書く。天人、「③おそし」と、こころ

もとながり給ふ。かぐや姫、「物知らぬことな、

のたまひそ」とて、いみじく、しづかに、おほやけ

に御文、奉り給ふ。④あわてぬさまなり。「かく

あまたの人をたまひて、とどめさせ給へど、


①②底本「をく」を、歴史的仮名遣い「おく」に改めた。

③底本「をそし」を、歴史的仮名遣い「おそし」に改めた。

④底本「あはて」を、歴史的仮名遣い「あわて」に改めた。


見として脱ぎ置いた衣に包もうとするが、(箱を持つ)天人が包ませない。(箱から)衣を取り出して着せようとする。そのとき、かぐや姫、「少し待て」と言う。「衣を着せてしまった人は、心が違うものになるのだという。物を、一言、言っておかなければならないことがあったのだ」と言って、ふみを書く。

 (王と思われる)天人が、「遅い」と言って、じれったくお思いになる。

 かぐや姫、「物を知らないようなことを、おっしゃいますな」と言って、たいへん静かに、御門におふみをお書きになる。慌てない様子である。

「このように、たくさんの人を送って頂き、(私を)おとどめになられるけれど、


●50表

ゆるさぬむかへまうてきてとりいてま

かりぬれは口おしくかなしき事宮仕つ

かうまつらす成ぬるもかくわつらはし

き身にて侍れは心えすおほしめされつ

らめとも心つよく承らすなりにし事

なめけなる物におほしめしとゝめられ

ぬるなん心にとまり侍ぬとて

 今はとてあまのは衣きる折そ君を哀

と思ひ出けるとてつほのくすりそへて

頭中しやうよひよせて奉らす中しやう


許さぬ迎へ、まうでて、取り①て、ま

かりぬれば、②くちしく、悲しきこと…、宮仕へ、つ

かうまつらずなりぬるも、かくわづらはし

き身にてはべれば、心得ず、おぼし召されつ

らめども、心強くうけたまわらずなりにしこと、

なめげなる者におぼしめし、とどめられ

ぬるなむ、心にとまり侍りぬる」とて、

 「今はとてあまのは衣きる折ぞ君を哀れ

と思ひでける」とて、つぼくすり、添へて、

とう中将ちゆうじやう、呼び寄せて、たてまつらす。中将ちゆうじやう


①底本「いて」を、歴史的仮名遣い「ゐて」に改めた。

②底本「口おしく」を、歴史的仮名遣い「口をしく」に改めた。

③「とう中将ちゆうじやう」について、御門に責任者として指名された「勅使少将高野のおほくに」ではなく、唐突に出場する名前なのだが、このあたりについて問題にする研究者もあるだろうが、私は門外漢である。


(それを)許さない迎えがやってきて、(私を)引き戻し、連れ去ってしまうのですから、くやしく、悲しいこと…。宮仕えをお断りすることになってしまったのも、このように煩わしい身でございますので、納得できずお思い召されてしまったでしょうが、かたくなにお断り申し上げたこと、なまいきな者だとお思い召されたままに心にとどめられてしまっていることが、気がかりでございます」として、

「今はとてあまのは衣きる折ぞ君を哀れと思ひでける」

(「しかたない思いで天の羽衣を着るときになって、あなたを恋しく思い出すのでした」)

と書いて、壺の薬を添えて、とう中将ちゅうじょうを呼び寄せて、(御門に)献上させる。中将


●50裏

に天人取てつたふちうしやうとりつれ

はふとあまのは衣うちきせ奉りつれは

翁をいとおしかなしとおほしつる事も

うせぬ此きぬきつる人は物思ひなく成

にけれは車に乗て百人はかり天人くして

のほりぬ其後翁女ちの涙をなかしてま

とへとかひなしあのかきをきし文を

よみてきかせけれとなにせんにか命も

惜からんたかためにか何事もようもなし

とて薬もくはすやかておきもあからて


に、天人、取りてつたふ。①中将ちゆうじやう、取りつれ

ば、ふと、あまの羽衣うち着せたてまつりつれば、

翁を②いとほし、かなしとおぼしつる事も

せぬ。このきぬ着つる人は、物思ひなくなり

にければ、車に乗りて、百人ばかり天人具して

のぼりぬ。そののち、翁、女(媼)、の涙をながしてまど

へど、なし。あの③書ききしふみ

読みて聞かせけれど、「なにせむにか命も

惜しからむ。がためにか何事もようもなし」

とて、④薬もはず、やがて、きもあがらで、


①底本「ちうしやう」は、ルビとして「ちゆうじやう」に改めた。

②底本「いとおし」を、歴史的仮名遣い「いとほし」に改めた。

③底本「かきをきし」は、歴史的仮名遣い「書ききし」に改めた。

④「薬もはず」の「薬」は、中将から勧められた不死の薬だった可能性がある。


に、天人が(かぐや姫から)取って渡す。

 中将がそれを受け取ったところで、(その天人が)さっと、天の羽衣を(かぐや姫に)お着せになってしまうと、翁をいとおしく、あわれだとお思いになっていたことも消えた。この衣を着た人は、何かを悩むということがなくなってしまったのだから、(飛ぶ)車に乗って、百人ほどの天人を従えて昇って行った。

 その後、翁と女(媼)は、血の涙を流して取り乱したが、どうにもならない。あの書き置きしたふみを読んで聞かせたのだが、「何のために、命を惜しく思うだかろうか。誰がために、何かすることに意味があろうか」と言って、薬(不死の薬か?)も口にせず、やがて、起き上がれなくなり、


●51表

やみふせり中しやう人々ひきくして

かへり参てかくや姫をえたゝかひとめ

すなりぬるこま\/と奏す薬のつほに

御文そへてまいらすひろけて御覧して

いとあはれからせ給ひて物もきこしめ

さす御あそひなともなかりけり大臣上達

部をめしていつれの山か天にちかきとゝ

はせ給にある人そうすするかの國に

あるなる山なんこの都もちかく天もち

かく侍るとそうす是をきかせ給て


み伏せり。中将ちゆうじやう、人々引きして

かへり参りて、かぐや姫を、えたたかひ、

ずなりぬる、こまごまと奏す。薬の壺に

御文おんふみ添へて①まゐらす。広げて御覧じて、

いとあはれがらせ給ひて、物も聞こしめ

さず、御遊びなどもなかりけり。大臣だいじん上達かんだち

を召して、「いづれの山か、天に近き」と、問

はせ給ふに、ある人、奏す。「駿河の国に

あるなる山なむ、この都も近く、天も近

く侍る」と奏す。これを聞かせ給ひて、


①底本「まいらす」を、歴史的仮名遣い「まゐらす」に改めた。「参らす」は、この場合、「あたふ」の謙譲語、「献上する」。


病の床に伏せってしまった。

 中将は、人々を引き連れて帰って(御門に)参上し、戦って(かぐや姫を)留めることができなかったことを、細部にわたって奏上する。

 (また、不死の)薬の壺におふみを添えて献上する。広げてご覧になって、非常にしみじみとお感じになられて、食事もおあがりにならず、管弦などの遊びもしなかったという。

 大臣だいじん上達かんだちを招喚して、「どこの山が、一番天に近いか」と、お問いになるのに、ある人が奏上する。「駿河の国にあるという山が、この都にも近く、天にも近くてございます」と奏上する。

 これをお聞きになられて、


●51裏

 あふ事も涙にうかふ我身にはしな

ぬくすりも何にかはせんかのたてまつる

ふしのくすりに又つほくして御使に

たまはす勅使には月のいはかさと云

人をめしてするかの國にあなる山の

いたゝきにもてつくへきよしおほせ

給みねにてすへきやうをしへさせ給ふ

御文ふしのくすりのつほならへて火を

つけてもやすへきよしおほせ給ふその

由承てつは物ともあまたくしてやまへ


 あふ事も涙にうかぶ我が身には死な

ぬくすりも何にかはせむ かの、たてまつる

①不死の薬に、また壺具して、御使ひに

たまはす。ちよく使には、月のいはかさと言ふ

人を召して、駿河の国にあなる山の

頂きに持て着くべきよしおほ

給ふ。みねにてすべきやう、をしへさせ給ふ。

御文おんふみ、不死の薬の壺並べて、火を

つけて燃やすべきよし、おほせ給ふ。その

よしうけたまわりて、つはものども、あまた具して、山へ


①「不死の薬に、また壺具して」の「また」は、「もうひとつ」の意だろう。また、後に、「御文おんふみ、不死の薬の壺並べて、火をつけて燃やすべきよし」とあるので、その壺には先に読んだ御門の歌が入れられていただろう。


「あふ事も涙にうかぶ我が身には死なぬくすりも何にかはせむ」

(「もう会うこともない海のような涙に浮かぶ私の身には、不死の薬も役には立たないのだ」)

 あの献上された不死の薬(の壺)に、それとは別の(御門の歌を入れた)壺を添えて、御使いにお渡しになる。勅使には「月のいはかさ」という人をお召しになり、駿河の国にあるという山の頂きに持って行くようにとの仰せをつかわす。(そして、その山の)頂上で、するべきことをお教えなさる。

 (その内容は)御文(御門の歌の壺)と、不死の薬の壺とを並べて、火をつけて燃やすようにとの仰せである。

 そのことを承って、(月のいはかさ)は、勇士をたくさん引き連れて、山へ


●52表

のほりけるよりなん其山をふしの山

とは名つけけるそのけふりいまた雲の

なかへ立のほるとそいひつたへたる


登りけるよりなむ、その山を、ふしの山

とは名づけける。そのけぶり、いまだ雲の

中へ立り昇るとぞ言ひ伝へたる。


登ったというので、その山を「ふしの山」(不死・富士)と名づけたという。

 その(山の)煙は、いまだに雲の中へ立ち昇ると言い伝えられている。

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