現代語訳⑤ 七、燕の子安貝

『通釈⑤ 七、燕の子安貝』の現代語訳だけを抽出したものである。


七、燕の子安貝


中納言 石上いそのかみのまろたりの家に使われる男たちのもとに、「燕が巣を作ったら告げよ」とおっしゃるのを承って、「何にお使いなのでしょうか」と、申し上げる。

 (それに)答えておっしゃられるには、「燕の持っている子安貝を取るのに必要なのだ」とおっしゃる。

 男たちが答えて申し上げる。「燕をいくら殺してみても、腹にないものです。ただし、子(卵)をうむときに、どうやってか出すらしいはらでしょうか」と、申し上げる。(また、)「人が見れば消え失せてしまう」と、申し上げる。また、他の人が申し上げるには、「おほづかさいひかしの棟に、煙抜きの穴ごとに、燕は巣を作ります。それに、要領の良い男たちを連れて行きまして、櫓を組み上げて見張らせたら、たくさんの燕が(たまに)卵を産まないこともありません。そのようにしてお取らせなさいませ」と、申し上げる。

 中納言は、お喜びになって、「それはよい提案であることよ。なるほど、気がつかなかった。興味深いことを申したものだ」とおっしゃって、使えそうな男たち二十人ほどをお遣りになって、足場の上に配置なされたのだった。

 家から使いを、頻繁に通わせて、「子安の貝は取れたか」と、お問わせになった。

 燕は、人がたくさん上っていたのに怖がって、巣にも近づかない。(中納言に)このことを説明申し上げたならば、これをお聞きになって、どうしたらよいだろうと、お悩みになっているところに、かのおほづかさの官人であるくら麻呂まろという翁が申し上げるには、「子安貝を取ろうとお思いであれば、一計を案じましょうぞ」と言って、御前おんまえに参上したので、中納言は額を合わせてお向かいになった。

 倉津麻呂が申し上げるには、「この燕ですが、子安貝は(今は)悪く仕掛けてお取らせになっています。この状態のままでは、お取らせにはなれないでしょう。足場に大げさに二十人もの人が上っていれば、騒いで寄ってきません。おさせになるべき方法は、この足場をこわして、人はみな退いて、適すると思える人ひとりを、あらに乗せて、綱をかまえて、鳥が卵を生もうとする間に綱を吊り上げさせて、さっと子安貝をお取らせになるのがよいでしょう」と、申し上げる。

 中納言がおっしゃるには、「それはよい考えだ」ということで、足場をこわして、人は皆、帰って来た。

 中納言が倉津麻呂におっしゃるには、「燕は、どういう時に卵を生むと知って、人を上げるべきだろう」と、おっしゃる。

 倉津麻呂が申し上げるには、「燕が卵を生もうとする時は、尾をあげて、七度回って生み落とすようなのです。そうして、七度回ったとき(荒籠を)引き上げて、そのとき子安貝をお取らせになられませ」と、申し上げる。(※「子安貝をお取りなされ」と四回もしつこく耳にした中納言は、倉津麻呂が子安貝を取った経験さえあると思い込んでしまう)。

 中納言は、お喜びになって、(寮の官人なのに)誰にもお知らせにならず、密かにつかさにおいでになって、男どもの中に混じって、(男たちを指揮して)夜も昼もなくお取らせになる倉津麻呂が、このように申し上げるのを、非常に喜んでおっしゃる。「ここ(わが家)に仕える人でもないのに、(私の)願いを叶えてくれることのあっぱれさよ」とおっしゃって、(ご自分の)衣を脱いで、(倉津麻呂の左肩に)お掛けになった。そして(つけ加えて)、「夜になったら、(あなたの)つかさにうかがいます」とおっしゃって、(寮に)お遣わしになった。

 日が暮れたので、例の寮においでになって、ご覧になると、たしかに燕が巣を作っていた。

 (すでに寮で子安貝を取っていた)倉津麻呂が申し上げるには、「(燕が)尾を浮かせて回るので、荒籠に人を乗せて、吊り上げさせて、燕の巣に手を差し入れさせて探りましたが、何もありません」と(あっけない報告をあっさり)申し上げるのだが、中納言は、「(男たちが)下手に探るから無いのだ」と腹を立てて、「(あなたと私以外)誰もその見当(コツ)がわかろうはずはないから」ということで、「私が上って探ろう」とおっしゃって、籠に乗って、吊られて上って、じっとお待ちになっていると、燕が尾を上げて、ひどく回るのに合わせて、手を上げてお探りになると、手に平たいものがふれる時に、「私はそれを握った。今だ、下ろすのだ。翁、やったぞ」とおっしゃって、(気持ちが)あつくなって、速く下ろそうと、手持ち綱を引きすぎて、(その)綱が切れると同時に、しまかなへ(大釜)の上に、あお向けに落ちておしまいになった。

 人々は、びっくりして近づき、抱えて差し上げた。御目は白目に半開きでおられた。

 人々は、水をすくい(中納言の口に)含ませて差し上げる。なんとか息を吹き返されたので、かなへの上から、手取り足取りして下ろして差し上げる。やっとのことで、「ご気分はいかがあそばされますか」と問うと、荒い息の下から、「物は少しわかるのだけれど、腰が動かない。しかし、子安貝を思いがけず握り持ったので、嬉しく思われるのだ。まずは、そく(紙や布に油を浸して火をつけた棒状の小さな灯火)を持ってきなさい。この貝の顔を見よう」と、お首を持ち上げて、お手をお広げなさるのだが、燕がひり置いた古糞を、お握りなされていたのだそうだ。

 それを(中納言が)ご覧になって、(貝が自分で姿を変えたのだと思い)「あな、かひわざや」(「ああ、貝よ、おまえの仕業なのか」)とおっしゃったことにより、思うことと違うことを「甲斐なし」(「貝無し・貝為し」とかけている)と言ったのだった。

 貝ではないとご覧になると、ご気分も転じて、唐櫃からびつの蓋が、(そこに中納言を)お納めできそうもない。(その蓋からはみ出すほど)お腰は折れてしまったという。

 中納言は、非常に奇妙な行動(速く下ろそうと手持ち綱を強く引っ張ったこと)で怪我をしたことを、人に聞かせまいとなされたけれど、それを(気の)やまいとして、非常に衰弱なさってしまった。貝を取れずにおわってしまったことよりも、人が聞いて笑うだろうことを、日に日に(ますます)お悩みなされたのだから、ただ単に病気で死ぬよりも、人聞きを恥ずかしくお思いになるのであった。

 これをかぐや姫が聞いて、お見舞いに送る歌、

 「年をへて波立ちよらぬすみのえのまつかひなしときくはまことか」

 (「年を経て、波が寄せてくるだろう住の江で、松(待つ)貝(甲斐)が無いというのはほんとうでしょうか」)

とあるのを読んで聞かせる。

 非常に弱った心で、頭を(弱々しく)あげて、人に紙を持たせて、苦しい気分で、なんとか(返事を)お書きになる。

 「かひはかくありける物をわびはててしぬる命をすくひやはせぬ

 (「貝(かひ)はこのようにあったものを、しなびてしまって(おちぶれて)、死ぬだろう命を救う(掬う)ことができましょうか」)

と書き上げた。(そして)お亡くなりになられた。

 これをかぐや姫が聞いて、少しはしみじみと感じておられた。その時から、少し嬉しい事を、「甲斐かひあり」(最後の歌でもわかるとおり、中納言は最後まで古糞が子安貝が姿を変えたものと信じ込んでいたので「貝あり」とかけている)と言ったという。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る