通釈⑤ 七、燕の子安貝

1、『古活字十行甲本』を底本にしています。

2、おおむね、『評註竹取物語全釈』松尾 聰著(武蔵野書院)を参考書にしています。本文中、『評註』と表記しています。

3、底本の変体仮名等解釈は、『竹取物語』翻刻データ集成 https://taketori.himegimi.jp/ の『古活字十行甲本』を信頼して利用しています。

4、解読にあたって、『全訳読解古語辞典』(第三版)鈴木一雄 他著(三省堂)を用いた。

5、私説を参考として掲げる場合、★印をつけた。



七、燕の子安貝


●28表のづづき

中納言いそのか


中納言 石上いそのかみ


中納言 石上いそのかみ


●28裏

みのまろたかの家につかはるゝをのこ共

のもとにつはくらめの巣くひたらは告

よとの給ふを承てなしの用にかあらん

と申答ての給やうつはくらめのもたる

こやす貝をとらんれう也との給ふをの

こ共こたへて申つはくらめをあまたこ

ろしてみるたにもはらになき物也但子

うむときなんいかてかいたすらんはらく

かと申人たに見れはうせぬと申又人の

申やうおほいつかさのいひかしく屋の


の①まろたりの家に使はるるをのこども

のもとに、「つばくらめの巣くひたらば告げ

よ」とのたまふを承りて、「②なにの用にかあらむ」

と申す。答へてのたまふやう、「つばくらめの持たる

やす貝を取らむ③れうなり」とのたまふ。をのこ

ども、答へて申す。「つばくらめをあまた殺

してみるだにも、腹になき物なり。ただし、子

生むときなむ、いかでかだすらむ④はら

か」と申す。「人だに見ればせぬ」と申す。また、人の

申すやう、「⑤おほづかさいひかし


のまろたりの家に使われる男たちのもとに、「燕が巣を作ったら告げよ」とおっしゃるのを承って、「何にお使いなのでしょうか」と、申し上げる。

 (それに)答えておっしゃられるには、「燕の持っている子安貝を取るのに必要なのだ」とおっしゃる。

 男たちが答えて申し上げる。「燕をいくら殺してみても、腹にないものです。ただし、子(卵)をうむときに、どうやってか出すらしいはらでしょうか」と、申し上げる。(また、)「人が見れば消え失せてしまう」と、申し上げる。また、他の人が申し上げるには、「おほづかさいひかし


①底本「まろたか」だが、3裏には「もろたり」とある。ここの「まろたか」の「か」は、「り」に読めないこともない。「まろたり」とすると、「磯の神のまりたり(便をした)」と洒落に通じるので、「まろたり」に統一する。

②底本「なし」を「なに」とした。

③「れう」は、一言で言えば、「必要なもの」だろうか。

④底本「はらくか」を「はらか」と一応解釈しておく。

⑤底本「おほいつかさ」を、歴史的仮名遣い「おほひつかさ」に改めた。「おほづかさ」は、律令制で宮内省に属し、諸国から運ばれてくる穀物の収納や、それらを各官庁に分配などする役所。いひかしは、宮中に支給する食べ物を煮炊きする場所だろう。


●29表

むねにつゝのあなことにつはくらめは

巣をくひ侍るそれにまめならんをのこ共

をいてまかりてあくらをゆひあけてう

かゝはせんにそこらのつはくらめ子

うまさらむやはさてこそとらしめ給は

めと申中納言よろこひ給てをかしき

事にもあるかなもつともえしらさり

けり興ある事申たりとの給てまめなる

をのことも廿人はかりつかはしてあな

なひにあけすへられたりとのよりつか


むねに、①つつの穴ごとに、つばくらめ

巣をはべる。それに、まめならむをのこども

てまかりて、②あぐらをひあげて、う

かがはせむに、そこらのつばくらめ、子

まざらむやは、さてこそ取らしめ給は

め」と申す。中納言、喜び給ひて、「③をかしき

ことにもあるかな。もつとも、えしらざり

けり。きようある事、申したり」とのたまひて、まめなる

をのこども廿人ばかりつかはして、④あな

なひに上げ据へられたり。⑤殿とのより、使つか


①底本「つゝ」は、従来「つく」と読まれていたが、「つゝ」であることに、ほぼ間違いない。★『これまで「つゝ」を「つく」と二か所読み間違えてきた』を、一読願いたい。

②「あぐら」は、一応、櫓のこととした。

③「をかし」は、明るく晴れやかな感興を表す。

④「あななひ」は、一応、足場のこととした。

⑤「殿とのより、使つかひ、隙なく給はせて、「子安の貝取りたるか」と問はせ給ふ。」という一節によって、くら麻呂まろが表れた時点では、中納言は子安貝を取る現場には一度も行っていないことがわかる。★『「まうでこ」は「まうでく」でなければならない』を、一読願いたい。


棟に、煙抜きの穴ごとに、燕は巣を作ります。それに、要領の良い男たちを連れて行きまして、櫓を組み上げて見張らせたら、たくさんの燕が(たまに)卵を産まないこともありません。そのようにしてお取らせなさいませ」と、申し上げる。

 中納言は、お喜びになって、「それはよい提案であることよ。なるほど、気がつかなかった。興味深いことを申したものだ」とおっしゃって、使えそうな男たち二十人ほどをお遣りになって、足場の上に配置なされたのだった。

 家から使


●29裏

ひ隙なく給はせてこやすの貝とりたる

かと問せ給ふつはくらめも人のあまた

のほりゐたるにおちて巣にものほりこ

すかかるよしの返事を申たれは聞給

ていかゝすへきとおほしわつらふに彼

つかさの官人くらつまろと申翁申やう

こやすかいとらんとおほしめさはたは

かり申さんとて御前に参たれは中納言

ひたいを合てむかひ給へりくらつまろ

か申やう此つはくらめ子やすかいは


ひ、隙なく給はせて、「子安の貝取りたる

か」と、問はせ給ふ。つばくらめも、人のあまた

のぼたるにぢて、巣にものぼり

ず。かかるよしの返り事を申したれば、聞き給ひ

て、いかがすべきとおぼしわづらふに、①かの

つかさの官人、くら麻呂まろと申す翁、申すやう、

「子安②貝、取らむとおぼしめさば、たば

かり申さむ」とて、御前おんまへに参りたれば、中納言、

ひたひを合わせて向かひ給へり。倉津麻呂

が申すやう、「このつばくらめ、子安④貝は


①「かのつかさの官人、くら麻呂まろと申す翁」の「くら麻呂まろ」については、仮に漢字を当てた。倉津麻呂はその辺のおじいさんと見られがちであるが、おほづかさの官人であるからは、身分がそうとう高い人と考えるべきである。★『「まうでこ」は「まうでく」でなければならない』を、一読願いたい。

②④底本「かい」を、歴史的仮名遣い「かひ」に改めた。

③底本「ひたい」を、歴史的仮名遣い「ひたひ」に改めた。


いを、頻繁に通わせて、「子安の貝は取れたか」と、お問わせになった。

 燕は、人がたくさん上っていたのに怖がって、巣にも近づかない。(中納言に)このことを説明申し上げたならば、これをお聞きになって、どうしたらよいだろうと、お悩みになっているところに、かのおほづかさの官人であるくら麻呂まろという翁が申し上げるには、「子安貝を取ろうとお思いであれば、一計を案じましょうぞ」と言って、御前おんまえに参上したので、中納言は額を合わせてお向かいになった。

 倉津麻呂が申し上げるには、「この燕ですが、子安貝は


●30表

あしくたはかりてとらせ給ふ也さては

えとらせ給はしあななひにおとろ\/

しく廿人の人ののほりて侍れはあれて

よりまうてこすせさせ給へきやうは此

あななひをこほちて人皆しりそきてま

めならん人一人をあらたにのせすへてつ

なをかまへて鳥の子うまん間につなを

つりあけさせてふとこやす貝をとらせ

給はんなんよかるへきと申中納言の給

やういとよき事也とて穴ないをこほし


しくたばかりて取らせ給ふなり。①さては、

え取らせ給はじ。あななひにおどろおどろ

しく廿人の人ののぼりて侍れば、②あれて、

寄りまうでず。せさせ給ふべき③やうは、この

あななひを④こぼちて、人、皆、退しりぞきて、ま

めならむ人一人を、⑤あらに乗せへて、綱

をかまへて、鳥の子生まむ間に綱を

吊り上げさせて、ふと子安貝を取らせ

給はむなむよかるべき」と申す。中納言のたまふ

やう、「いとよきことなり」とて、あなないを⑥こぼして、


①「さては」は、「そのままでは・そのような状態では」の意。

②「あれて」。「ある」には、「散る」、「荒る」のふたつがあるが、どちらを選ぶか迷うところである。「荒る」を採っておく。

③「やう」には、「方法」という意味もある。

④「こぼつ」は、「こわす」の意。

⑤底本「あらたに」は、「あらこに」の誤りとみる。

⑥底本「こほし」を、「こぼして」とした。


(今は)悪く仕掛けてお取らせになっています。この状態のままでは、お取らせにはなれないでしょう。足場に大げさに二十人もの人が上っていれば、騒いで寄ってきません。おさせになるべき方法は、この足場をこわして、人はみな退いて、適すると思える人ひとりを、あらに乗せて、綱をかまえて、鳥が卵を生もうとする間に綱を吊り上げさせて、さっと子安貝をお取らせになるのがよいでしょう」と、申し上げる。

 中納言がおっしゃるには、「それはよい考えだ」ということで、足場をこわして、


●30裏

人皆かへりまうてきぬちう納言くらつ

丸にの給はくつはくらめはいかなる

時にか子うむとしりて人をはあくへき

との給ふくらつまろ申やうつはくら

め子うまむとする時はおをさゝけて七

とめくりてなむうみ落すめるさて七度

めくらんおりひきあけて其おりこやす

かいはとらせたまへと申中納言よろこ

ひ給ひて萬の人にもしらせ給はてみそ

かにつかさにいましてをのこ共の中


人、皆、かへりまうでぬ。①中納言、倉津麻呂

にのたまはく、「つばくらめは、いかなる

時にか、子生むと知りて、人をばぐべき」

とのたまふ。倉津麻呂、申すやう、「つばくらめ

子生まむとする時は、②をささげて、七

度めぐりてなむ生み落す③める。さて、七度

めぐらむ折り、引き上げて、その折り、④子安

⑤貝は取らせ給たまへ」と申す。中納言、よろこ

び給ひて、よろづの人にも⑥知らせ給はで、みそ

かにつかさにいまして、をのこどもの中


①底本「ちう納言」。

②底本「おをさゝけて」の「お」を、歴史的仮名遣い「を」とした。

③「める」は、係り助詞「なむ」を受けた「めり」の連体形。「めり」は、「~のようにみえる・~のようだ」。

④「子安貝は取らせ給たまへ」と、倉津麻呂は、これを含め、「子安貝取らむとおぼしめさば、たばかり申さむ」、「この燕の子安貝は、あしくたばかりて取らせ給ふなり」、「まめならむ人一人を荒籠に載せ据ゑて、綱を構へて、鳥の子生まむ間に綱を吊り上げさせて、ふと子安貝を取らせ給はむ、よかるべき」と、四度「子安貝をお取り下さい」と言っている。倉津麻呂には何の悪気はないのだが、こう何度も言われると、中納言は倉津麻呂が子安貝を取ったことがあるとまで思い込んでしまう。★『「まうでこ」は「まうでく」でなければならない』を、一読願いたい。

⑤底本「かい」を、歴史的仮名遣い「かひ」に改めた。

⑥「知らせ給はで」と、地の文は、ここから敬語が続くが、中納言ではなく、実は倉津麻呂のことを述べている。倉津麻呂はおほづかさの官人であり、低からぬ身分である。中納言の男たちに対して敬わせているのだろう。★『「まうでこ」は「まうでく」でなければならない』を、一読願いたい。


人は皆、帰って来た。

 中納言が倉津麻呂におっしゃるには、「燕は、どういう時に卵を生むと知って、人を上げるべきだろう」と、おっしゃる。

 倉津麻呂が申し上げるには、「燕が卵を生もうとする時は、尾をあげて、七度回って生み落とすようなのです。そうして、七度回ったとき(荒籠を)引き上げて、そのとき子安貝をお取らせになられませ」と、申し上げる。(※「子安貝をお取りなされ」と四回もしつこく耳にした中納言は、倉津麻呂が子安貝を取った経験さえあると思い込んでしまう)。

 中納言は、お喜びになって、(寮の官人なのに)誰にもお知らせにならず、密かにつかさにおいでになって、男どもの中


●31表

にましりてよるをひるになしてとらし

め給ふくらつまろかく申をいといたく

よろこひての給こゝにつかはるゝ人にも

なきにねかひをかなふることの嬉しさ

との給て御そぬきてかつけ給ふつさら

によさりこのつかさにまうてことの

たまふてつかはしつ日暮ぬれは彼つか

さにおはして見給ふに誠つはくらめ

巣つくれりくらつまろ申やうをうけて

めくるにあらこに人をのほせてつり


に混じりりて、①夜を昼になして、取らし

め給ふ倉津麻呂、かく申すを、いといたく

喜びてのたまふ。「ここにつかはるる人にも

なきに、願ひをかなふることの嬉しさ」

と、のたまひて、②おん脱ぎて、かづけ給ふつ。さら

に、「さり、このつかさにまうで③」と④の

たまひて、つかはしつ。⑤日、暮れぬれば、かのつかさ

におはして見給ふに、まことつばくらめ

巣⑥つづれり。倉津麻呂、申すやう、「けて

めぐるに、あらに人をのぼせて、


①「夜を昼になして」は、「夜も昼もなく」と解釈しておく。

②「かづく」は、この場合、衣服を褒美として左肩にかけてやること。

③底本「まうてこ」を、「まうてく」の誤とした。これについては、★『「まうでこ」は「まうでく」でなければならない』を、一読願いたい。

④底本「のたまふて」を、「のたまひて」としておく。

⑤「日、暮れぬれば、かのつかさにおはして見給ふに、まことつばくらめ、巣つづれり。」は、中納言が始めて寮に来たことを意味している。★『「まうでこ」は「まうでく」でなければならない』を、一読願いたい。

⑥「つつれり」は、これまで「つくれり」と読まれていた。★『これまで「つゝ」を「つく」と二か所読み間違えてきた』を、一読願いたい。


に混じって、(男たちを指揮して)夜も昼もなくお取らせになる倉津麻呂が、このように申し上げるのを、非常に喜んでおっしゃる。「ここ(わが家)に仕える人でもないのに、(私の)願いを叶えてくれることのあっぱれさよ」とおっしゃって、(ご自分の)衣を脱いで、(倉津麻呂の左肩に)お掛けになった。そして(つけ加えて)、「夜になったら、(あなたの)つかさにうかがいます」とおっしゃって、(寮に)お遣わしになった。

 日が暮れたので、例の寮においでになって、ご覧になると、たしかに燕が巣を作っていた。

 (すでに寮で子安貝を取っていた)倉津麻呂が申し上げるには、「(燕が)尾を浮かせて回るので、荒籠に人を乗せて、吊り


●31裏

あけさせてつはくらめの巣に手をさし

入させてさくるに物もなしと申に中

納言あしくさくれはなき也とはらたち

てたれはかりおほえんにとてわれのほり

てさくらんとの給ひてこにのりてつら

れのほりてうかゝひ給へるにつはくら

めおをさけていたくめくるにあはせて

手をさゝけてさくり給に手にひらめる

物さはる時にわれ物にきりたり今はお

ろしてよおきなしえたりとの給てあつ


上げさせて、つばくらめの巣に手を差し

入れさせて探るに、物もなし」と申すに、中

納言、「しく探れば無きなり」と腹立ち

て、「誰、計り、おぼえむに」とて、「われ、のぼ

さぐらむ」とのたまひて、に乗りて、吊ら

のぼりて、うかがひ給へるに、つばくらめ

を②ささげて、いたくめぐるに合はせて、

手を③ささげてさぐり給ふに、手にひらめる

物さはる時に、「われ、物にぎりたり。今はお

ろし④てよ。おきな、しえたり」とのたまひて、⑤あつ


①底本「お」を、歴史的仮名遣い「を」に改めた。

②底本「さけて」を、「ささげて」とした。

③「ささげて」は、腕を上げることなので、巣を探るのには疑わしい。「げて」ではないかと思うが、このままとする。

④「てよ」は、完了の助動詞「つ」の命令形。

⑤「あつまりて」を「集まりて」と解釈するのがふつうだが、「熱まりて」すなわち「(気持ちが)熱くなって」とした。★『下ろすのになぜ引くのか(自業自得説から考える)』を、一読願いたい。


上げさせて、燕の巣に手を差し入れさせて探りましたが、何もありません」と(あっけない報告をあっさり)申し上げるのだが、中納言は、「(男たちが)下手に探るから無いのだ」と腹を立てて、「(あなたと私以外)誰もその見当(コツ)がわかろうはずはないから」ということで、「私が上って探ろう」とおっしゃって、籠に乗って、吊られて上って、じっとお待ちになっていると、燕が尾を上げて、ひどく回るのに合わせて、手を上げてお探りになると、手に平たいものがふれる時に、「私はそれを握った。今だ、下ろすのだ。翁、やったぞ」とおっしゃって、(気持ちが)あつ


●32表

まりてとくおろさんとてつなをひき過

してつなたゆるすなはちにやしまのか

なへの上にのけさまに落給へり人々あ

さましかりてよりてかゝへ奉れり御目

はしらめにてふし給へり人\/水を

すくひ入奉るからうしていき出給へるに

又かなへの上より手とり足取してさけ

おろしたてまつるからうして御心ち

はいかゝおほさるゝとゝへはいきのした

にて物は少おほゆれとこしなんうこか


まりて、ろさむと、①つなを引き過ぐ

して綱絶ゆるすなはちに、②しまかなへ

の上にのけざまに落ち給へり。人々、あ

さましがりて、寄りて、かかへたてまつれり。御目

しらにて、伏し給へり。人々、水を

すくひ入れ奉る。からうじて、③生きで給へるに、

また、かなへの上より、手取り足取りして下げ

おろし奉る。④からうじて、「おんここ

は⑤いかがおぼさるる」と問へば、息の下

にて、「物は少しおぼゆれど、腰なむ動か


①底本「てつな」を「手綱」と解釈する。つり革のような役目の綱だと想像している。★『下ろすのになぜ引くのか(自業自得説から考える)』を、一読願いたい。

②「しまかなへ」は、『評註』によれば、「大炊寮にあって竈の神八座をあらわすかなえ」とある。かなへとは、大きな鍋釜。

③「いきいづ」は、「生き返る・息を吹き返す」こと。

④「からうじて」は、直前にもあり重複する感がある。書写上の誤りかとも思うが、そのままとする。

⑤「いかがおぼさるる」の「いかが」の元は「いかにか」であり、「か」が係り助詞であるため、「おぼさるる」と「る」の連体形「るる」でとじる。


くなって、速く下ろそうと、手持ち綱を引きすぎて、(その)綱が切れると同時に、しまかなへ(大釜)の上に、あお向けに落ちておしまいになった。

 人々は、びっくりして近づき、抱えて差し上げた。御目は白目に半開きでおられた。

 人々は、水をすくい(中納言の口に)含ませて差し上げる。なんとか息を吹き返されたので、かなへの上から、手取り足取りして下ろして差し上げる。やっとのことで、「ご気分はいかがあそばされますか」と問うと、荒い息の下から、「物は少しわかるのだけれど、腰が動か


●32裏

れぬされとこやす貝をふとにきりもた

れは嬉しく覚ゆる也先しそくしてこゝ

の貝かほ見んと御くしもたけて御手

をひろけ給へるにつはくらめのまり

をけるふるくそをにきり給へる也けり

それを見給てあなかひなのわさやとの

給ひけるよりそ思ふにたかふ事をは

かひなしと云けるかいにもあらすとみ

給ひけるに御心ちもたかひてからひつの

ふたのいれられ給へくもあらす御こしは


れぬ。されど、子安貝を①ふと握り持た

れば、嬉しくおぼゆるなり。まず、②そくして。こ

の貝、かほ見む」と、ぐしもたげて、御手

を広げ給へるに、つばくらめ

ける古糞ふるくそを、にぎり給へるなりけり。

それを見給ひて、④「あな、かひわざや」と、の

たまひけるよりぞ、思ふにたがふ事をば、

⑤「甲斐かひなし」と言ひける。⑥かひにもあらずと見

給ひけるに、御心地もたがひて、唐櫃からびつ

ふたの、入れられ給ふべくもあらず。御腰は、


①「ふと」は、「すばやく・さっと」、「思いがけず・不意に」の意。

②「そく」は紙や布に油を浸して火をつけた棒状の小さな灯火

③底本「をける」を、歴史的仮名遣い「おける」に改めた。

④「あな、かひわざや」の解釈については、★『大納言と中納言の段における鏡写しの構造』を一読願いたい。この解釈は、中納言が子安貝を取れたと最後まで信じ込んでいたことに由来する。また、「あな、甲斐無のわざや」の解釈は、これにより「甲斐なし」という言葉が生まれたとするのだから、ありえない。

⑤「甲斐かひなし」は、「貝無し・貝為し」とかけている。

⑥底本「かい」を、歴史的仮名遣い「かひ」に改めた。


ない。しかし、子安貝を思いがけず握り持ったので、嬉しく思われるのだ。まずは、そく(紙や布に油を浸して火をつけた棒状の小さな灯火)を持ってきなさい。この貝の顔を見よう」と、お首を持ち上げて、お手をお広げなさるのだが、燕がひり置いた古糞を、お握りなされていたのだそうだ。

 それを(中納言が)ご覧になって、(貝が自分で姿を変えたのだと思い)「あな、かひわざや」(「ああ、貝よ、おまえの仕業なのか」)とおっしゃったことにより、思うことと違うことを「甲斐なし」(「貝無し・貝為し」とかけている)と言ったのだった。

 貝ではないとご覧になると、ご気分も転じて、唐櫃からびつの蓋が、(そこに中納言を)お納めできそうもない。(その蓋からはみ出すほど)お腰は


●33表

をれにけり中納言はいゝいけたるわさ

してやむことを人にきかせしとし給ひ

けれとそれをやまひにていとよはく成

給ひにけり貝をえとらす成にけるより

も人のきゝわらはんことを日にそへて

思ひ給けれはたゝにやみしぬるよりも

人聞はつかしくおほえ給ふなりけり是

をかくや姫聞てとふらひにやる哥

 年をへて波立よらぬすみのえのまつ

かひなしときくはまことかとあるをよ


れにけり。中納言は、いと異げたるわざ

してむことを、人にかせじとし給ひ

けれど、それをやまひにて、いと②よわくなり

給ひにけり。貝をえ取らずなりにけるより

も、人の聞き笑はむことを、日にそへて

思ひ給ひければ、ただに病み死ぬるよりも、

人聞き恥づかしくおぼえ給ふなりけり。これ

を、かぐや姫聞きて、とぶらひにる歌、

 年をへて波立ちよらぬすみのえのまつ

③かひなしときくはまことか とあるを読


①底本「いゝいけたる」を「いと異げたる」とする私の解釈について、★『中納言の段「いゝいけたる」の問題』を、一読願いたい。

②底本「よはく」を、歴史的仮名遣い「よわく」に改めた。

③「かひなし」を「貝がない」と「甲斐がない」とかけるのは、すでに「甲斐なし」の語源説が前にあるので可能だろう。


折れてしまったという。

 中納言は、非常に奇妙な行動(速く下ろそうと手持ち綱を強く引っ張ったこと)で怪我をしたことを、人に聞かせまいとなされたけれど、それを(気の)やまいとして、非常に衰弱なさってしまった。貝を取れずにおわってしまったことよりも、人が聞いて笑うだろうことを、日に日に(ますます)お悩みなされたのだから、ただ単に病気で死ぬよりも、人聞きを恥ずかしくお思いになるのであった。

 これをかぐや姫が聞いて、お見舞いに送る歌、

 「年をへて波立ちよらぬすみのえのまつかひなしときくはまことか」

 (「年を経て、波が寄せてくるだろう住の江で、松(待つ)貝(甲斐)が無いというのはほんとうでしょうか」)

とあるのを読


●33裏

みてきかすいとよはき心にかしらもた

けて人にかみをもたせてくるしき心ち

にからうしてかき給ふ

 かひはかくありける物をわひはてゝし

ぬる命をすくひやはせぬとかきはつる

たえ入給ぬ是を聞てかくや姫少あはれと

おほしけり其よりなむ少嬉しき事をは

かひありとはいひける


みて①聞かす。いと②よわき心に、かしらもた

げて、人に紙を持たせて、苦しき心地

に、からうじて書き給ふ。

 ③かひはかくありける物をわびはててし

ぬる命をすくひやはせぬ と書きつる。

え入り給ひぬ。これを聞きて、かぐや姫、少しあはれと

④おぼしけり。それよりなむ、少し嬉しき事をば、

甲斐かひあり」とは、言ひける。


①この「聞かす」は、「聞かせる」の意だが、尊敬が添っていないので、女房が聞かせたものか。

②底本「よはき」を、歴史的仮名遣い「よわき」に改めた。

③「かひはかくありける」を「甲斐はかくありける」と解釈することはできない。この歌から「甲斐かひあり」が言われるようになったとされるからである。また、中納言はここで、はっきり「貝があった」と言っている。燕の古糞が子安貝自身が身を変えたものだと最後まで信じて、手元に置いていたのである。★『中納言の段「いゝいけたる」の問題』を、一読願いたい。

④「おぼしけり」は、かぐや姫に尊敬語を使っている。地の文は、かぐや姫と中納言を同じ位置に見ているのだろう。


んで聞かせる。

 非常に弱った心で、頭を(弱々しく)あげて、人に紙を持たせて、苦しい気分で、なんとか(返事を)お書きになる。

 「かひはかくありける物をわびはててしぬる命をすくひやはせぬ

 (「貝(かひ)はこのようにあったものを、しなびてしまって(おちぶれて)、死ぬだろう命を救う(掬う)ことができましょうか」)

と書き上げた。(そして)お亡くなりになられた。

 これをかぐや姫が聞いて、少しはしみじみと感じておられた。その時から、少し嬉しい事を、「甲斐かひあり」と言ったという。



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