通釈④ 六、龍の首の玉

1、『古活字十行甲本』を底本にしています。

2、おおむね、『評註竹取物語全釈』松尾 聰著(武蔵野書院)を参考書にしています。本文中、『評註』と表記しています。

3、底本の変体仮名等解釈は、『竹取物語』翻刻データ集成 https://taketori.himegimi.jp/ の『古活字十行甲本』を信頼して利用しています。

4、解読にあたって、『全訳読解古語辞典』(第三版)鈴木一雄 他著(三省堂)を用いた。

5、私説を参考として掲げる場合、★印をつけた。



六、龍の首の玉


●21裏の続き

     大伴のみゆきの大納言は

我家にありと有人あつめての給はく、


     おほとものみゆきの大納言は、

わが家にありとある人集めて、のたまはく、


 おほとものみゆきの大納言は、家に仕える人全部を集めて、おっしゃるには、


●22表

たつのくひに五色の光ある玉あなり其

をとりて奉たらん人にはねかはん事を

かなへんとの給おのこ共仰のことを承

て申さく仰の事はいともたうとしたゝ

し此玉たはやすくえとらしをいはん

や龍のくひにたまはいかゝとらんと申

あへり大納言の給ふてんのつかひとい

はん物は命をすてゝもをのか君の仰こ

とをはかなへんとこそ思へけれ此國に

なき天竺もろこしの物にもあらす此國


たつの首に、五色の光ある玉①あなり。それ

を取りてたてまつりたらむ人には、ねがはむ事を

かなへむ」と、のたまふ。②をのこども、おほせのことを承り

て申さく、「仰せのことはいとも③たうとし。ただ

し、この玉、たはやすくえ取らじを、いはむ

や、竜の首に玉はいかが取らむ」と申し

合へり。大納言、のたまふ。「④殿てんの使ひと言

はむ者は、命を捨てても、⑤をのが⑥君のおほごと

をば、かなへむとこそ思ふべけれ。この国に

なき、天竺、唐土もろこしの物にもあらず。この国


①「あなり」は、「あんなり」の「ん」の無表記。「あるなり」の音便。

②底本「おのこ」を、歴史的仮名遣い「をのこ」に改めた。

③底本「たうとし」を、歴史的仮名遣い「たふとし」に改めた。

④底本「てんのつかひ」の「てん」について、「天」か「殿」で迷うが、やはり「殿」とするのが無難だろう。「てん」あるいは「でん」である。中納言の家、邸宅をいうが、後に「殿の内のきぬ綿わたぜになど」と漢字の「殿」が使われており、こちらも「との」ではなく、「てん・でん」と読むべきかもしれない。あるいは、ここだけ仮名でわざと示したのは、中納言が家来に対して「天」を意識させたとする作者の意向だった可能性もなきにしもあらずだろう。

⑤底本「をの」を、歴史的仮名遣い「おの」に改めた。

⑥「君」は、この場合、「主君」のこと。


「竜の首に五色の光ある玉がある。それを取って持って来た人には、願う事を叶えよう」と、おっしゃる。

 男たちが、仰せの言葉を承って申し上げるには、「仰せの言葉は非常にすばらしい。ただ、この玉はたやすく取れないものを、ましてや、竜の首の玉などどうやって取れましょう」と、口々に申し上げている。

 大納言がおっしゃる。「天の使いと言おう者は、命を捨てても、おのれの主君の仰せの言葉を必ず叶えようと思うはずである。この国にない、天竺、唐土もろこしの物でもない。この国


●22裏

の海山よりたつはをりのほる物也いかに

思ひてかなんちらかたき物と申へきお

のことも申やうさらはいかゝはせん

かたき物なり共仰ことにしたかひてもと

めにまからんと申に大納言みわらひ

てなんちらか君の使と名をなかしつ君

のおほせ事をはいかかはそむくへきと

の給ひてたつのくひの玉とりにとて

出したて給ふ此人々の道のかてくひ

物に殿の内のきぬわたせになとある限


の海山より竜は①のぼるものなり。いかに

思ひてか、なむぢら、かたき物と申すべき」。②お

のこども、申すやう、「さらば、いかがはせむ。

かたき物なりとも、おほごとに従ひて、求

めに③まからむ」と申すに、大納言、④見笑ひ

て、「⑤なむぢらが君の使ひと名を流しつ。君

おほごとをば、いかがは背くべき」と

のたまひて、竜の首の玉、取りにとて、

だし立て給ふ。この人々の道のかて、⑥食ひ

物に、殿の内のきぬ綿わたぜになど、ある限り


①底本「をり」を、歴史的仮名遣い「おり」に改めた。

②底本「②おのこ」を、歴史的仮名遣い「をのこ」に改めた。

③「まからむ」。「まかる」は主に「去る・行く」の謙譲語。

④「見笑ひて」。大納言がここでどうして笑ったのか諸説ある。まあ、家来たちが決心したことに満足してと説くのが穏当だろう。その後、家来たちのために必要な物を存分に与えているので、家来達との相互信頼を大納言は疑わなかったことの表れだろう。

⑤「なむぢらが君の使ひと名を流しつ。」の「が」を主格とすることに『評註』は疑問を呈している。連体修飾として「の」と訳すべきか。「お前たちの主君である私に仕える者として、(お前たちは)名を知られた。」と、一応訳しておく。

⑥「食ひ物」は、その前の「道のかて」と重複するように見えるが、「道のかて」は、旅のための食糧等の意味であるので、「食ひ物」は、さしあたってのものとした。


の海山から竜は下り上るものである。どう思って、お前たちは、難しいことだと言えるであろうか」。

 男たちが申し上げるには、「それならば、どういたそう。難しい物であっても、仰せの言葉に従って、取りにまいりましょう」と申し上げるので、大納言は、それを見て笑って、「お前たちの主君である私に仕える者として、(お前たちは)名を知られた。主君の仰せの言葉に、どうやって逆らえよう」とおっしゃって、竜の首の玉を取って来いと、家からお出しになられた。

 この人々の道中の食糧、(さしあたっての)食い物に、家の中にある絹、綿、銭など、全てを


●23表

とり出てそへてつかはす此人々とも帰

まていもゐをしてわれはをらん此玉取

えては家にかへりくなとの給はせけり

各仰承てまかりぬたつのくひの玉とり

えすは帰くなとの給へはいつちも\/

足のむきたらんかたへいなむすかかる

すき事をしたまふ事とそしりあへり

給はせたる物各分つゝとる或はをのか

家にこもりゐ或はをのかゆかまほしき

所へいぬおや君と申ともかくつきなき


取りでて、添へてつかはす。「この人々ども、帰る

まで、①いもひをして、われはらむ。この玉、取り

えでは、家に帰りな」とのたまはせけり。

おのおの、仰せ承りてまかりぬ。「竜の首の玉、取り

えずば、帰りな、とのたまへば、②いづちもいづちも、

足の向きたらむかたへ③いなむず。④かかる

すき事をし給ふ事」と、そしり合へり。

賜はせたる物、おのおの、分けつつ取る。あるいは⑤おの

家に籠もりあるいは⑥おのかまほしき

所へいぬ。⑦親、「君と申すとも、かく⑧つきなき


①底本「いもゐ」を、歴史的仮名遣い「いもひ」に改めた。

 「いもひ」は、心身を清め、穢れを避けること。精進潔斎。

②「いづち」は、「どちらの方向・どちら・どこ」の意。

③「いなむず」は、「いなむとす」のつまった言葉だという。

④「かかるすき事をし給ふ事」。「すき事」について、『評注』は、「「色好みのしわざ」の意につかわれることが多いので、ここでもその意とする説がある。」としている。最後の方で大納言が、「かぐや姫てふ、おほぬす人のやつが、人を殺さむとするなりけり。」と毒ついているので、家来たちは、竜の首の玉が、あらかじめかぐや姫の要求であったことを知っていたはずだろうから、この説を取る。

⑤⑥底本「をの」を、歴史的仮名遣い「おの」に改めた。

⑦「親、「君と申すとも…」」は、「親、君と申すとも…」とする考えもあるが、ほとんどの者が家へ帰ったと想像できるから、この考えにした。

⑧「つきなし」は、「手立てがない・ふさわしくない」の意。


取り出して、それを加えて、お与えになった。

「おまえたちが帰るまで、いもひ(心身を清め、穢れを避ける精進潔斎)をして私はいよう。この玉を取れなかったら、家に帰ってくるでない」とおっしゃられた。

 各々、仰せを承って出て行った。

「竜の首の玉を取れなければ、帰ってくるな、とおっしゃられるので、どこになりと足の向く方へ去るとしよう。(かぐや姫相手に)このような、物好きをなされることよ」と、ののしりあった。

 頂いた物を、各々が分けて取る。ある者は自分の家に籠もり、ある者は自分の行きたい所へ行ってしまった。(この者らの)親も、「君主と申せども、なんて理不尽な


●23裏

事を仰給事とことゆかぬ物ゆへ大納言

をそしりあひたりかくや姫すへんには

れいやうには見にくしとの給ひてうる

はしき屋を作り給てうるしをぬりまき

ゑしてかへし給ひて屋の上には糸をそめ

て色々ふかせてうち\/のしつらひには

いふへくもあらぬ綾をり物にゑをかきて

誠はりたりもとのめともはかくや姫を

必あはんまうけしてひとりあかし暮し

給つかはしし人はよるひるまち給ふに


事を仰せ給ふ事」と、①ことゆかぬもの②ゆゑ、大納言

をそしりあひたり。「かぐや姫③ゑむには、

例様れいやうには見にくし」とのたまひて、うるは

しきを作り給ひて、うるしを塗り、まき

して、④かへし給ひて、屋の上には、糸を染め

て、色々葺かせて、うち々のしつらひには、

ふべくもあらぬあやをり物にをかきて、

ごとりたり。もとのどもは、かぐや姫を

必ずあはむまうけして、ひとりかし暮らし

給ふ。つかはしし人は、夜昼よるひる待ち給ふに、


①「ことゆく」は、「思い通りになる・うまくいく」の意。

②底本「ゆへ」を、歴史的仮名遣い「ゆゑ」に改めた。

③底本「すへ」を、歴史的仮名遣い「すゑ」に改めた。

④底本「かへし給ひて」を、「壁し給ひて」とする説もあるが、「かへし給ひて」として、「何度も塗り返す」意とした。漆は何度も塗り返すものである。

⑤底本「誠はりたり」の「誠」は、「ごと」の誤とした。


ことを仰せになるものだ」と、納得がいかないので、大納言を非難しあった。

 (大納言は、)「かぐや姫を住まわせるには、ありきたりでは見苦しい」とおっしゃって、立派な家をお作りになって、漆を塗り、蒔絵を描いて、何度も塗り返しなされ、家の屋根には、糸を染めて、色とりどりにおかせになって、(家の)部屋部屋のしつらえには、言葉にはできないあや織物に絵を描いて、部屋ごとに貼った。

 元からの妻たちは、かぐや姫を必ず妻にしようという(いきごみの)準備として(遠ざけて)、(大納言は、)ひとりで夜を明かし、お暮らしになる。

 お遣わしになった者たちは、夜に昼にお待ちになるのに、


●24表

年こゆるまて音もせす心もとなかり

ていと忍ひてたゝとねり二人めしつき

としてやつれ給て難波の邊におはし

ましてとひ給ふ事は大伴の大納言の

人や舩にのりて龍ころしてそかくひ

の玉とれるとや聞とゝはするに舟人答

ていはくあやしき事哉とわらひてさる

わさするふねもなしとこたふるにをち

なき事する舩人にもあるかなえしらて

かくいふとおほしてわか弓の力はたつ


年越ゆるまで音もせず。①心もとながり

て、②いとしのびて、ただ③舎人とねり二人、④召次めしつぎ

としてや、連れ給ひて、難波なにはあたりにおはし

まして、問ひ給ふ事は、「大伴の大納言の

人や、船に乗りて、竜殺して、そが首

の玉取れるとや聞く」と、④問はするに、船人、答へ

ていはく、「あやしきことかな」と笑ひて、⑤「さる

わざする船もなし」と答ふるに、⑥「をぢ

なきことする船人にもあるかな。え知らで

かく言ふ」とおぼして、「わが弓の力は、竜


①「心もとなし」は、「待ち遠しい・じれったい・気がかりだ」の意。

 このあたりからのことについては、★『大納言は船人ばかりか楫取りの言葉をも曲解した』を、一読願いたい。

②底本「いと忍ひて」を、「いとしのびて」とした。「偲ぶ」は、本来「恋こがれる」の意だが、家来たちを心配する心情と考えている。「いと忍びて」で、「ひっそりと」あるいは「こじんまりと」と考えてもよいが、すでに家の者は家から全員出てしまっているので、あえて「いと忍びて」とするかどうか迷う。

③「舎人とねり」は、天皇や皇族の雑用や警護をした近衛府に属する下級官人で、貴族にも与えられる場合もあったという。しかし、「牛車の牛飼い。または馬屋の番人」という意味もある。すでに家の者は家から全員出てしまっているので、後者の意味になるだろう。

④「召次めしつぎとして、連れ給ひて」の「や」は疑問の係り助詞だろう。本来「連れ給ふ」と連体形で閉じるところを、「連れ給ひて」と「て」によって後文へと続けることで消失していると考える。召次めしつぎとは、貴人の雑用や取次ぎをする人のこと。

④「問はするに」は、舎人を召次役として使って問わせたと思われるので使役と考える。

⑤「さるわざする船もなし」という船人の言葉を、「そんなことができる船などない」と、大納言は勘違いする。

⑥「をぢなし」は、「臆病である・いくじがない・劣っている」の意。


年を越えても音信がない。待ち遠しくて、非常に心配になって、たった舎人とねり二人を召次めしつぎのつもりなのか、お連れになって、難波なにわのあたりにおいでになりまして、(舎人を召次として使って)お聞きになることには、「大伴の大納言の家の人が、船に乗って、竜を殺して、その首の玉を取ったと耳にしたか」とお問いになると、船人が答えて言うには、「妙な言葉であることよ」と笑って、「そのようなことをする船はない」と答えたのに(「そんなことができる船などない」と大納言は勘違いして)、「臆病なことを言う船人であるものよ。(私の力を)知らないからそのように言うのだ」とお思いになられて、「私の弓の威力は、竜


●24裏

あらはふといころしてくひの玉はとり

てんをそくくるやつはらをまたしとの

給てふねにのりてうみことにありき

給ふにいと遠くてつくしのかたのうみ

にこき出給ひぬいかゝしけんはやき

風吹て世界くらかりてふねをふきもて

ありくいつれのかた共しらすふねを海中

にまかり入ぬへくふきまはして波はふ

ねに打かけつゝまき入神は落懸るやう

にひらめきかかるに大納言はまとひて


あらば、ふと殺して、首の玉は取り

①てむ。②おそく来る奴ばらを待たじ」との

たまひて、船に乗りて、海ごとにありき

給ふに、いと遠くて、筑紫つくしかたの海

で給ひぬ。いかがしけむ。はやき

風吹きて、世界、くらがりて、船を吹き

ありく。いづれのかたとも知らず。船を海中うみなか

に③まかり入りぬべく吹きまはして、波は船

に打ちかけつつ巻き入れ、④かみは落ちかかるやう

にひらめきかかるに、大納言はまどひて、


①「てむ」は、色々な意味があるが、この場合、確実な推量「きっと~するだろう」と考える。

②底本「をそく」を、歴史的仮名遣い「おそく」に改めた。

 「おそく来る奴ばらを待たじ」は、海から家の者が戻ってくるのを待たないということ。大納言は彼らが海に出たものと信じ切っていたのである。これについて、★『大納言は船人ばかりか楫取りの言葉をも曲解した』を、一読願いたい。

③底本「まかり入ぬへく」を「まかり入りぬべく」だろうが、これを「(海の中に)引き込まれる」と、「まかる」が謙譲語あるいは丁寧語なので、よくわからない。「まかり入る」が「死ぬ」の謙譲語とすると、「(海のただ中で)お死にになるほどに」と解釈されると考える。

④底本「神」を「雷」と書き換えた。


が出たら、さっと射殺して、首の玉をきっと取るだろう。遅く(海から戻ってこない)奴らを待ってはおれない」とおっしゃって、船に乗って、海をあちこちお渡りになると、非常に遠く筑紫つくしの方の海においでになった。

 (そうすると)どうしたことだろう。はやい風が吹いて、空全体が暗くなって、船を吹き運ぶ。どちらの方向かもわからない。(風が)船を海のただ中で(大納言が)死にそうになられるほどに吹き回して、波は船に打ちかけながら(船を)巻き入れ、雷は(今にも)落ちるかのように閃きかかるので、大納言は動揺して、


●25表

またかゝるわひしきめ見すいかならん

とするそとの給ふかちとり答て申こゝ

ら舟にのりてまかりありくにまたかゝ

るわひしきめを見すみふね海のそこに

いらすはかみおちかゝりぬへし若さい

はひに神のたすけあらは南海にふかれ

おはしぬへしうたてあるぬしのみもと

につかうまつりてすゝろなるしにをす

へかめるかなとかちとりなく大納言是

を聞ての給はく舩に乗てはかちとりの


「まだ、かかる侘びしき目見ず。①いかならむ

とするぞ」とのたまふ。かぢとり、答へて申す。「ここ

ら船に乗りてまかりありくに、まだ、かか

る侘びしき目を見ず。み船、海の底に

らずば、かみ落ちかかりぬべし。もし、さいはひ

に、神の助けあらば、②南海なんかいに吹かれ

おはしぬべし。③うたてあるぬしのみもと

つかうまつりて、すずろなる死にをす

べかめるかな」と、かぢとり泣く。大納言、これ

を聞きて、のたまはく、「船に乗りては、かぢとり


①「いかならむ」は、「どんなであろう」ほどの意。

②「南海なんかい」は、『評註』によれば、『六国史』に、漂着した船が賊と闘ったり、人が殺されたりしたことがしきりに書かれているという。「南海」と言えば、恐ろしいイメージがあったと思われる。このことが、後に播磨に漂着して助かったにもかかわらず、大納言が船底から出てこられなかった理由であるので、記憶しておきたい。

★『大納言は船人ばかりか楫取りの言葉をも曲解した』を、一読願いたい。

③「うたてあるぬしのみもとにつかうまつりて、すずろなる死にをすべかめるかな」は、「(あなたのような)情けない方のもとに仕えて、あっけない死に方をするのだなあ」と楫取りが言っているのを、大納言は、「気味の悪い(南の国・島の)主(族長)の許で(奴隷のように)お仕えして、無意味な死を迎えるに違いないのだなあ」と曲解していると考える。②で述べたように、大納言が船底で怯えていたのは、このせいだと考えられる。


「まだ、こんなつらい目を見たことがない。どうなってしまうのだ」とおっしゃられる。

 かじ取りが、答えて申しあげる。「長年、船に乗っておりますが、まだ、このようなつらい目にはあっていません。お船が海の底に沈まなければ、雷がきっと落ちるでしょう。もし幸いに、神の助けがあれば、南海に吹かれていかれるに違いありません。(あなたのような)情けない方のもとに仕えて、あっけない死に方をするのだなあ(大納言は、この楫取りの言葉を「気味の悪い(南の国・島の)主(族長)の許で(奴隷のように)お仕えして、無意味な死を迎えるに違いないのだなあ」と曲解している)」と、楫取りは泣く。

 大納言は、これを聞いておっしゃるには、「『船に乗りては、かぢとり


●25裏

申事をこそたかき山とたのめなとかく

たのもしけなく申そとあをへとをつき

ての給かち取こたへて申神ならねは

なにわさをかつかうまつらん風ふき波

はけしけれ共かみさへいたゝきに

落かかるやうなるはたつをころさんとも

とめ給候へはある也はやてもりうのふ

かする也はやかみにいのりたまへと云

よき事也とてかちとりの御神きこしめ

せをとなく心をさなく龍をころさむと


申す事をこそ、高き山とたのめ。①など、かく

たのもしげなく申すぞ」とあを反吐へどをつき

てのたまふ。楫取、答へて申す。「神ならねば、

何業なにわざをか、つかうまつらむ。風ふき、波

はげしけれども、かみさへいただきに

落ちかかるやうなるは、竜を殺さむと②求

め給ひさぶらへば、あるなり。疾風はやてりうのふ

かするなり。はや、神に祈り給へ」③と言ふ。

「よき事なり」とて、「楫取の御神おんかみこし

せを」と泣く。「心をさなく、竜を殺さむと


①「など」は、例示・引用の「など」ではなく、「なにと」の変化形。「どうして・どうして~なのか」の意。

②「求め給ひさぶらへば」は、「求め給ふ」が大納言に楫取りが尊敬を示しており、「さぶらへば」は、竜に対して楫取りが大納言を謙譲させていると考える。

③「と言ふ。」は、「答へて申す。」で始まる会話文として、本来「と申す」でなければならないはずなので、例外とする。あるいは、大納言と楫取りの位置関係がここから逆転したということか。

④「こしせを」の「を」は強調とみる。


申す事をこそ、高き山とたのめ』。(と言うが、)どうして(おまえは)このように頼もしげもなく申すのか」と、あお反吐へどをついておっしゃる。

 楫取りが答えて申しあげる。「神でなければ、どんな業を(あなたに)してさしあげられるでしょう。風が吹き、波が激しいけれども、(そのうえ)雷さえ頭上に落ちそうなのは、竜を殺そうとお求めになっているからなのです。疾風はやてりうが吹かすのです。はやく、神にお祈りください」と言う。

(大納言は、)「よいことだ」と言って、「楫取りの御神おんかみ、お聞き下さいませよ」と泣く。「思慮分別がたりず、竜を殺そうと


●26表

思けり今より後はけの一すちをたにう

こかしたてまつらしとよことをはなち

てたちゐなく\/よはひ給ふ事千度

はかり申給ふけにやあらんやう\/神なり

やみぬ少光て風は猶はやく吹かちとり

のいはく是はたつのしわさにこそあり

けれ此ふく風はよきかたの風なりあしき

かたのかせにはあらすよきかたにおも

むきてふく也といへ共大納言はこれを

聞入給はす三四日ふきてふきかへしよ


思ひけり。今より後は、毛の一筋すぢをだに動

かしたてまつらじ」と、祝詞よごとはな

て、立ち、泣く泣くよばひ給ふ事、千度

ばかり申し給ふ。①げにやあらむ。やうやうかみなり

みぬ。少し光りて、風はなほはやく吹く。楫取

のいはく、「これは竜の②しわざにこそあり

けれ。この吹く風は、よきかたの風なり。しき

かたの風にはあらず。よきかたにおも

むきて吹くなり」と言へども、大納言はこれを

③聞き入れ給はず。三四日吹きて、吹き返し寄


①「げにやあらむ」の「げに」は「実に」の意。「実にどうしたことか」と訳した。

②「しわざ」は、「行為・はたらき」の意。

③「聞き入れる」は「聞き入る」の他動詞。この場合、「承知する」ほどの意味か。

 

思ってしまった。今から後は、(竜に向かって)毛の一筋でさえ動かしません」と、謝辞の言葉を大声を出して、立ち、座り、泣きながらお唱えになること千度ぐらい申しあげになる。

 (そうすると、)実にどうしたことか。次第に雷が止んだ。少し明るくなったが、風はまだはやく吹いている。

 楫取りが言うには、「これは(やはり)竜のしわざであったのですね。この吹く風は、よい方向の風です。悪い方向の風ではありません。よい方向に向かって吹いているます」と言うのだが、大納言はこれを、お聞き入れにならない。

 (風は)三日四日吹いて、吹き返し、(船を陸に)寄せ


●26裏

せたり濱をみれははりまのあかしのは

まなりけり大納言南海のはまにふき

よせられたるにやあらんとおもひてい

きつきふし給へり舩にあるをのこ共

國につけたれとも國のつかさまうて

とふらふにもえおきあかり給はて舩そ

こにふし給へり松原に御むしろしきて

おろし奉る其時にそ南海にあらさり

けりと思ひてからうしておきあかり

給へるをみれは風いとおもき人にてはら


せたり。浜を見れば、①播磨はりま明石あかしの浜

なりけり。大納言、②南海の浜に吹き

寄せられたるにやあらむ、と思ひて、③いき

づき臥し給へり。④船にあるをのこども、

国に告げたれども、国のつかさまうで

とぶらふにも、え起き上がり給はで、船底

に臥し給へり。松原に御筵むしろ敷きて、

下ろし奉る。その時にぞ、南海にあらざり

けりと思ひて、からうじて起き上がり

給へるを見れば、⑤風、いと重き人にて、腹


①「播磨はりま明石あかし」は、現在の兵庫県明石市。

②「南海の浜に吹き寄せられたるにやあらむ」と思って大納言は怯えている。後に、息荒く船底に臥している尋常でない怯えようについては、★『大納言は船人ばかりか楫取りの言葉をも曲解した』を、一読願いたい。

③「いきづく」は、「呼吸をする」の他に、「荒い呼吸をする・あえぐ」の意がある。

④「船にあるをのこども」について、船人の誰かかもしれないが、難波に連れてきた舎人とねりの二人とも考えられる。

⑤「風」という病が、単に風邪なのか、そうでないのかわからない。立つのもやっとということから、船底に長く居たため、ビタミンD欠乏症にかかったのかもしれない。


たのだった。

 浜を見ると、播磨はりま(現在の兵庫県)の明石あかしの浜だったという。

 大納言は、南海の浜に吹き寄せられたのではないか、と思って、荒い息でお臥せになられている。

 船にいた男たちが国(の役所)に報告したのだが、国司がお見舞いに参っても、起き上がりにはなれず、船底にお臥せになられていた。

 松原にむしろを敷いて、下ろして差し上げる。その時に(やっと)南海ではなかったと知って、なんとか起き上がりになるのを見ると、風という病が重い症状で、腹が


●27表

いとふくれこなたかなたのめにはすもゝ

を二つけたるやう也是を見奉りてそ國

のつかさもほうゑみたる國におほせ給

てたこしつくらせ給ひてによう\/

になはれて家に入給ぬるをいかてか聞

けんつかはししをのこ共参て申やう龍

のくひの玉をえとらさりしかは南殿へも

え参らさりし玉の取かたかりし事を

しり給へれはなんかんたうあらしとて参

つると申大納言おきゐての給はくなん


いとふくれ、こなたかなたの目には、すもも

を二つつけたるやうなり。これを見奉りてぞ、国

つかさも①ほほゑみたる。国におほせ給ひ

て、②輿ごし作らせ給ひて、③にようによう

になはれて、家に入り給ひぬるを、いかでか聞き

けむ、つかはししをのこども、参りて申すやう、「竜

の首の玉を、え取らざりしかば④なむ、殿へも

え参らざりし。玉の取りかたかりし事を

知り給へればなむ、⑤勘当かんだうあらじとて、参り

つる」と申す。大納言、起きて、のたまはく、「なむぢ


①底本「ほうゑみ」を、歴史的仮名遣い「ほほゑみ」に改めた。

②「輿ごし」は、数人が手で持ち上げて人を乗せて運ぶもの。

③底本「によう\/」を定説に従って、「によふによふ」とした。「によふ」は「うなる」こと。

④底本「南殿へも」の「南」は、「なむ」とした。

⑤「勘当かんだう」は、親子関係の縁を切る意味もあるが、この場合は「おとがめを受けること・処罰されること」。


非常にふくれ、こちらあちらの目には、すももを二つつけたようである。これを見て、国司も笑みをもらした。

 (播磨の)国に仰せつけになって、輿ごしをお作らせになって、うなりうなり担がれて、(ご自分の)家にお入りになったのを、どうやって聞いたのだろう、お出しになっていた男たちが参上して申しあげるには、「竜の首の玉を取り得なかったので、お家にも参れませんでした。玉の取り難いことをお知りになられたなら、(もはや)おとがめを受けることはないだろうと、参上いたしました」と申しあげる。

 大納言は(これに)、(横になった体を)起こして、おっしゃるには、「おまえ


●27裏

ちらよくもてこす成ぬたつはなるかみ

のるいにこそ有けれそれか玉をとらん

とてそこらの人々のかいせられんとし

けりましてたつをとらへたらましかは又

こともなく我はかいせられなましよく

とらへすなりにけりかくや姫てふおほ

ぬす人のやつか人をころさんとする也

けり家のあたりたに今はとをらしをの

こ共もなありきそとて家に少残たり

ける物共はたつのたまをとらぬ物共に


ら、①よく持てずなりぬ。竜は、鳴る神

るいにこそありけれ。それが玉を取らむ

とて、そこらの人々のがいせられむとし

けり。まして、竜をとらへ②たらましかば、また、

こともなく、われは害せられなまし。よく

とらへずなりにけり。かぐや姫③てふ、おほ

ぬす人のやつが、人を殺さむとするなり

けり。家のあたりだに、今は④とほらじ。をのこ

どもも、なありきそ」とて、家に少し残りたり

ける物どもは、竜の玉を取らぬ者どもに


①「よく持てずなりぬ。」と同じようなことを、この後、「よくとらへずなりにけり。」と繰り返している。これにより、大納言が、家来たちが海に出ていたものと信じて疑わなかったことがわかる。★『大納言は船人ばかりか楫取りの言葉をも曲解した』を、一読願いたい。

②「たらましかば~まし」のかたちで、「~していたなら、~ただろう」。

③「てふ」は「といふ」の約。

④底本「とをらし」を、歴史的仮名遣い「とほらし」に改めた。


たち、よく持って来ずに終わった。竜は、(まさに)鳴る神のたぐいであったのだ。その玉を取ろうとして、たくさんの人々が殺されそうになった。まして、(もし)竜を捕らえていたならば、きっと簡単に私は殺されていただろう。(おまえたちは)よく捕らえずに終わったものだ。かぐや姫という大盗人の奴が、人を殺そうとしたのだった。(あの)家の周辺をもう(絶対に)通るものか。おまえたちも歩くでないぞ」と言って、家に少し残っていた物は、竜の玉を取らない者たちに


●28表

たひつこれを聞てはなれ給ひしもとの

上ははらをきりてわらひ給ふ糸をふか

せ作りし屋はとひからすの巣に皆くひ

もていにけり世界の人のいひけるは大

伴の大納言はたつのくひの玉や取てお

はしたるいなさもあらすみまなこ二に

すもゝのやうなる玉をそそへていまし

たると云けれはあなたへかたといひける

よりそ世にあはぬことをはあなたへか

たとはいひはしめける


びつ。これを聞きて、①離れ給ひしもと

上は、腹を切りて笑ひ給ふ。糸を

せ作りし屋は、とびからすの巣に皆食ひ

持ていにけり。世界の人の言ひけるは、「大

伴の大納言は、竜の首の玉や取りてお

はしたる」。「いな、さもあらず。まなこ二つに、

すもものやうなる玉をぞ添へていまし

たる」と言ひければ、「あな食べがた」と言ひける

よりぞ、世にあはぬことをば、「あながた

とは言ひ始めける。


お与になってしまった。これを聞いて、(大納言が)お離れになっていたもとからの奥方は、腹をかかえてお笑いになる。

 糸を葺かせ作った家は、とびからすの巣材として、みな食いちぎられてしまった。

 都の人々が言ったことには、「大伴の大納言は、竜の首の玉を取っておいでになるか」。「いや、そうならなかった。おん目ふたつにすもものような玉をつけていらっしゃる」と言ったので、「あな食べがた」と言ったことにより、世の中で(普通と)合わないことを、「あながた」と言い始めたという。


①「離れ給ひしもとの上は」の「離れ給ひし」は、元の上が離れたのではなく、大納言が離れたと解する。「(大納言が)お離れになった元の上は」と訳した。23裏に、「もとのどもは、かぐや姫を必ずあはむまうけして、ひとりかし暮らし給ふ。」とあり、元のから離れたのは皇子であるから、文脈的に、ここもそう判断される。


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