現代語訳② 三、仏の御石の鉢 四、蓬莱の玉の枝

『通釈② 三、仏の御石の鉢 四、蓬莱の玉の枝』の現代語訳だけを抽出したものである。


 そうはいってもやはり、この女を見ないでは、この世にとどまれそうもない心地がしたので、天竺てんじく(インド)にある物でも持ってこないでなるものか、と思いを巡らせて、いしつくりは、心の備えがある人なので、天竺てんぢくに二つとない鉢を、百千万里ぐらい行ったとしても、どうやって取れるだろう、と思って、かぐや姫の所には、「今日、天竺へ石の鉢を取りに参ります」と報せて三年ほど、大和の国、十市とおちこおりにある山寺で、賓頭盧びんづる像の前にある一面黒くすすけた鉢を取って、にしきの袋に入れ、作り花の枝につけて、かぐや姫の家に持って来て見せたなら、かぐや姫は不審に思って見ると、鉢の中にふみがあった。広げて見ると、

「海山の道に心をつくし果てないしのはちの涙流れき」(海山の道に心を尽くし果てて、泣いて鉢いっぱいの涙が流れた((鉢が)無い死ぬほどの恥の涙が流れた))とある。

 かぐや姫が(この鉢に)光はあるかと見るけれど、蛍ほどの光さえない。

「おく露の光をだにもやどさましををくらの山にて何もとめけむ」(葉の露の光ばかりも宿していてほしかったのに、うす暗い山(小倉山)で何を探したのでしょう)と返して出す。

 (皇子は、)鉢を門に捨てて、この歌の返しをする。

「しら山にあへばひかりのうするかとはちをすてても頼まるるかな」(白山の様なあなたに会うと、この鉢も光が薄れるのだろうかと、この鉢を捨てたとしても、水が手でも飲めるように、あなたに会うことをあてにできるのだ)と詠んで入れた。

 かぐや姫は、(歌の)返しもしなくなった。耳にも聞き入れなかったので、しつこく歌をかぐや姫に向けて音読したが帰っていった。

 かの鉢を捨てて、さらに言い寄ったことから、あつかましいことを「恥を捨てる」と言ったそうだ。



四、蓬莱の玉の枝


 庫持くらもち皇子みこは、心に計略のある人なので、朝廷には筑紫(主に北九州地方)の国に湯浴みに参りますと休暇を頼み申し上げて、かぐや姫の家には,「玉の枝を取りに参ります」とおっしゃって、都をお離れになるところに、(この旅に)おつきそいすることになっている人々が皆、難波なにわ(の港)まで御送りをしてさしあげた。

 皇子は、「ごく質素に」とおっしゃられて、人を全員連れておいでにならない。近くに仕える者だけにして出航なされ、おつきそいの人々はお見送りさしあげて帰っていった。

 行ってしまわれたと人にはお見せになられて、三日ほどたって漕ぎ帰られた。

 あらかじめ、やる事は全て命じていたので、その(命じた)時に、(皇子が遣わせた)人が都の外から鍛冶の匠六人を雇って、たやすく人が寄って来れない(所に)家を作って、竈を三重に垣根などで囲って、(材料の宝が入った)手金庫を持ち込みながら、皇子も(手金庫と)同じ部屋にお籠もりになられて、(玉の枝について)お知りになる限りの各方面を、紙に工図にしたてて、玉の枝をお作りになる。(そして、)かぐや姫のおっしゃる通りのものにできあがった。

 非常に緻密に計画して、難波なにはに密かに持って来た。船に乗って、「帰って来た」と屋敷にしらせてやって、非常に苦しがるようにしておいでになられた。

 迎えに多くの人が参上した。玉の枝を長櫃ながびつに入れて、布で被って持って来る。

 (誰が)いつ聞いたのだろうか。「庫持くらもちの皇子が、優曇華うどんげの花を持って(都に)お上りになった」と、(人々が)大声で叫んだのだった。

 これをかぐや姫が聞いて、「私はこの皇子に屈服するに違いない」と、胸がつぶれて思ったという。

 こうしているうちに、門をたたいて、「庫持くらもちの皇子がおいでになった」と(皇子の側近の者が)告げる。「旅のお姿のままおいでになった」と言うので、(翁は庭まで)お出迎えさしあげる。

 「皇子がおっしゃるには『命を捨てて、かの玉の枝を持って来た』と言って、かぐや姫にお見せになってくださいませ」と(皇子の側近の者が)言うので、翁は(玉の枝を)持って家に入った。

 (翁が見ると)この玉の枝にふみがつけられていた。

「いたづらに身はなくつとも玉の枝をたをらでさらに帰らざらまし」(むなしくこの身がなくなったとしても、玉の枝をらないでは絶対帰らなかっただろうに)。

 (玉の枝もそうだが)これをも感慨深いものだと(ふみを)巻き戻して、竹取の翁が(かぐや姫の)部屋に走って入って来て言うことに、「この皇子に(あなたが)お願い申し上げなさいました蓬莱の玉の枝を、ひとつところも違わずに持っておいでになりました。何をしてあれこれ申し上げることができましょう。旅のお姿のまま、ご自分の家へもお寄りにならずに、おいでになられたのです。はやく、この皇子にお会いなされてください」と言うので、(かぐや姫は)物も言わず、頬杖をついて、ひどく悩ましげに思っていた。

 この皇子は、「今となって何かと言うべきではない」と言うが早いか縁側に(階段を)おのぼりになってしまった。

 翁は、「道理に思う。この国にはない玉の枝です。この度はどうやってお断りできましょうか。人柄もよい人においでになります」など言っている。

 かぐや姫が言うには、「親(であるあなた)のおっしゃることをひたすらお断り申し上げる事もお気の毒なので、取りがたい物を、このように意外にも持って来ている事をねたましいほど立派だと心にとどめたなら、部屋の中の支度などします」。

 (それで、)翁が皇子に申し上げるには、「どのような所に、この木は生えていたのでしょう。あやしく、麗しく、立派な物でありますものを」と申し上げる。

 皇子が答えておっしゃるに、「一昨昨年の如月きさらぎ(旧暦二月)の十日頃、難波から船に乗って、海に出て、行くあてもなく思ったけれど、思う事が成就しないでは、世の中に生きて何をすることがあろうかと思ったからは、ただ空しい風にまかせて進む。

 命がなくなればしかたがない。生きてある限りはこのように進み、蓬莱ほうらいといわれる山に行き着くかもと、海の上に漕ぎ漂い進み、わが国の内を離れて、進んでいったのですが、ある時は波が荒れに荒れて、海の底に(船が)のみこまれそうになり、ある時には、風にあおられ、知らない国に吹き寄せられて、鬼のような者が出てきて殺そうとした。ある時には、来た方、行く方もわからない。海に遭難しそうになった。ある時には、食糧が尽きて、草の根を食べ物とした。ある時は、言葉にできないほど気持ちの悪いものが来て、食いかかろうとした。ある時には、海の貝を取って命をつないだ。

 旅の空に、助けてくださる人もない所に、色々な病気をして、生きた心地もしない。船の進むにまかせて、海に漂って、五百日という辰の時(現在の午前八時頃)ぐらいに、海の中にかすかに山が見える。船の内をぴったり体につけて見る。海の上に浮かぶ山は非常に大きくそびえる。その山のさまは高く麗しい。

 これが私の求める山であろうか、と思ったものの、そうはいってもやはり恐ろしく思えて、山の周りをぐるりと回って、二、三日ばかり見てまわると、天人の装いをした女が、山の中から出てきて、銀のかなまり(金属製の椀)を持って水を汲んで歩いている。

 これを見て、船からおりて、『この山の名はなんと言うのでしょう』と問う。

 女が答えて言うには、『これは蓬莱ほうらいの山です』と答える。

 これを聞いて、嬉しさはとほうもない。

 『この女、そのようにおっしゃるのははどなたでしょう』と問ふ。

 『我が名は、うかんるり』と言って、すっと山の中に入ってしまった。

 その山を見れば、改めて登る必要はない。その山の周辺をめぐれば、世の中にはない花の木々が立っていた(からだ)。

 金、銀、瑠璃色の水が山から流れ出ているそれ(川)には、色々の宝石で飾った橋を渡していた。そのあたりに、照り輝く木々が立っていた。その中から、このように取って持ってまいったものは、非常に貧弱であったけれども、おっしゃるものにまず違わなければと、この花を折って参りました。

 山はこのうえなく興味深い。世にたとえるべきものではなかったけれど、折ってしまったからは、とてもこうしてはおれない気持ちがして、船に乗って、追い風が吹いて、なんと四百日あまりで帰ってきました。(それは)大願の力(のおかげ)だろうか。

 難波なにわから日の出前に、都に(向かって)出てしまった。そのうえ、しおに濡れた衣を脱ぎ替えないで(急ぎ)出立してきてしまいました」とおっしゃられれば、翁が(それを)聞いて、同情に涙して詠む歌。

「呉竹の世々のたけとり野山にもさやはわびしきふしをのみ見じ」

(代々の竹取りでも野山でそのようにわびしい節(話し)だけは見た(聞いた)ことはない)

 これを皇子が聞いて、「これまでの年月、悲嘆に暮れました心は、今日こそ報われました」とおっしゃって、(歌の)返し。

「わがたもとけふかはければわびしさの千ぐさのかずも忘られぬべし」

(私の袂も今日乾いたので、わびしい目に遭った数々も忘れられるに違いない)

とおっしゃる。

 そうしているうちに、男たちが六人が、ぞろぞろと庭に現れた。

 一人の男が、はさみにふみをはさんで申し上げる。

「(われら一族の)公文くもんかん本人、あやうち麻呂まろの伝言として申し上げることには、『玉の木をお作りさしあげた事、五穀を断って、千日余りに(及んで)力を尽くした事、並大抵の苦労ではない。それなのに、褒美を未だに頂戴していない。これを(こちら様がかわりに)お与えになって、疲弊した一族の者にお与えになられたらいかがでしょう』」と言って、(はさみを)捧げた。

 竹取の翁は、この匠たちが言うことはどういうことだ、と首をかしげていた。

 皇子は茫然自失の様子で、魂が消えたようにおいでになった。

 これをかぐや姫が聞いて、「その捧げたふみを持って来なさい」と言って、それを見れば、ふみに(あやうち麻呂まろが)書き申し上げたには、「皇子の君、千日間、身分の賤しい匠らと一緒に同じ所に隠れてお住みになって、尊い玉の枝をお作りになって、(私に)官職も与えると仰せになられた。これをこの頃、あれこれと考えるに、御側室とおなりになるに違いないかぐや姫のご所望されたものに違いないのでは、と承知いたしまして、このお家より頂ければと思うのです」と申し上げるのを読んで、「きっと、くださるだろう」と、(匠ら)が言うのを聞いて、かぐや姫は、日が暮れるのと同じように沈み込んでいた心持ちが、ぱっと晴れやかになって、翁を呼び寄せて言うには、「真実、蓬莱ほうらいの木かと思ってしまいました。このように情けない作り話であったならば、はやく返してください」と言えば、翁が答えて言う。「明らかに作らせた物と聞いてしまったからは、返すことに何の問題もないです」と、うなずいている。

 かぐや姫が、心がすっかり晴れ渡って、さきほどの歌の返し、

「まことかと聞きて見つればことのはをかざれる玉の枝にぞありける」

(本当かと話を聞いて見たら、言の葉を飾った玉の枝であったのですね)

と返して、玉の枝も(一緒に)返してしまった。

 竹取の翁は、あれほど(皇子と)語らっていたのに、やはりそうはいってもと思われて、眠ったふりをしている。

 皇子は、立つのもどうか、座るのもどうかという状態で座っておいでだった。(それで、)日が暮れたのをみはからって、這うように出ていかれた。

 あの訴えをした匠らを、かぐや姫は(家に)呼び入れて、「ありがたい人たちです」と言って、褒美を非常にたくさんお取らせになる。

 匠らがたいそう喜んで、「思っていたとおりであったよ」と言って帰る道で、庫持くらもちの皇子は血が流れるまで(匠らを)お懲らしめになる。褒美を得た甲斐もなく、(皇子が)全部取り上げになってしまったそうで、(匠たちは)逃げ失せてしまったということだ。

 かくして、この皇子は、「一生の恥に、これ以上のことはない。女を得られなかっただけではない。世の中の人が(私を)見て思うだろう事の恥ずかしさ」とおっしゃって、ただ一人、深い山へお入りになった。

 みやづかさ(皇子の邸の役人)、近くに仕える人々皆が、手わけして探し求めさしあげたのだけれど、お亡くなりになったものだろうか、見つけてさしあげることができなかった。

 皇子が、お供にお隠しになろうとして、長年お見えにならなくなったのだった。これをして、「たまさかる」と言い始めたという。

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