通釈② 三、仏の御石の鉢 四、蓬莱の玉の枝

1、『古活字十行甲本』を底本にしています。

2、おおむね、『評註竹取物語全釈』松尾 聰著(武蔵野書院)を参考書にしています。本文中、『評註』と表記しています。

3、底本の変体仮名等解釈は、『竹取物語』翻刻データ集成 https://taketori.himegimi.jp/ の『古活字十行甲本』を信頼して利用しています。

4、解読にあたって、『全訳読解古語辞典』(第三版)鈴木一雄 他著(三省堂)を用いた。

5、私説を参考として掲げる場合、★印をつけた。



三、仏の御石の鉢


●7裏の続き

猶此女見ては世にあるましき心ちのし

けれは天竺に有物ももてこぬ物かはと思ひ

めくらして石つくりの御子はこころの


①なほ、この女見では、世にあるまじき心地のし

ければ、②天竺てんぢくに有る物もぬもの③かは、と思ひ

めぐらして、いしつくりは、心の


①「なほ」は色々な意味があるが、この場合、「そうはいってもやはり」をとった。かぐや姫は、この世にない物をわざと所望して、五人に自分を諦めさせようとしたのは明白だからである。

②「天竺てんぢく」は、インドのこと。

③「かは」は、文末に用いられて、反語の意をあらわす。


 そうはいってもやはり、この女を見ないでは、この世にとどまれそうもない心地がしたので、天竺てんじく(インド)にある物でも持ってこないでなるものか、と思いを巡らせて、いしつくりは、心の


●8表

したくある人にて天竺に二となきはち

を百千万里の程いきたりともいかてか取

へきと思ひてかくや姫のもとにはけふ

なん天ちくへ石のはちとりにまかると

きかせて三年はかり大和の國とをちの

こをりにある山寺にひんするのまへ

なるはちのひたくろにすみつきたるを

とりてにしきのふくろに入て作り花の

枝につけてかくやひめの家にもてきて

みせけれはかくや姫あやしかりて見れ


支度したくある人にて、天竺に二つとなき鉢

を、百千万里の程行きたりとも、いかでか取る

べきと思ひて、かぐや姫のもとには、「今日けふ

なむ天竺へ石の鉢取りに②まかる」と

聞かせて三年ばかり、大和の国十市とをち

こほりにある山寺に、④賓頭盧びんづるまへ

なる鉢の⑤ひたぐろに墨つきたるを

取りて、にしきの袋に入れて、作り花の

枝につけて、かぐや姫の家に持て来て

見せければ、かぐや姫、あやしがりて見れ


①「支度したく」は、「準備・心づもり・計画」。

②「まかる」は、「去る」の謙譲語。丁寧語でもある。

③底本「こをり」を、歴史的仮名遣い「こほり」に改めた。

④底本「ひんする」を、「ひんつる」に改めた。賓頭盧びんづるは、十六羅漢のひとり。ここでは、その像。

⑤「ひたぐろ」は、一面黒いこと。


備えがある人なので、天竺てんぢくに二つとない鉢を、百千万里ぐらい行ったとしても、どうやって取れるだろう、と思って、かぐや姫の所には、「今日、天竺へ石の鉢を取りに参ります」と報せて三年ほど、大和の国、十市とおちこおりにある山寺で、賓頭盧びんづる像の前にある一面黒くすすけた鉢を取って、にしきの袋に入れ、作り花の枝につけて、かぐや姫の家に持って来て見せたなら、かぐや姫は不審に思って見る


●8裏

ははちの中に文ありひろけて見れは

 うみ山の道に心をつくし果ないしの

はちの涙なかれきかくやひめ光やあると

見るにほたるはかりの光たになし

 をく露の光をたにもやとさましを

をくらの山にて何もとめけんとて返し

いたすはちを門にすてゝこの哥のか

へしをす

 しら山にあへはひかりのうするかと

はちをすてゝも頼まるゝかなとよみて


ば、鉢の中にふみあり。広げて見れば、

 ①海山の道に心をつくし果てないしの

はちの涙流れき かぐや姫、光やあると

見るに、ほたるばかりの光だになし。

 ②をく露の光をだにもやどさましを

をくらの山にて何もとめけむ とて返し

だす。鉢を門にすてで、この歌のかへ

しをす。

 ③しら山にあへばひかりのうするかと

はちをすてても頼まるるかな と、よみて


①「海山の道に心をつくし果てないしのはちの涙流れき」

 「ないし」は「なきし」の音便だろう。「泣きし」と「無き死」をかけているか。

 「海山の道に心を尽くし果てて、泣いて鉢いっぱいの涙が流れた((鉢が)無い死ぬほどの恥の涙が流れた)」

②「おく露の光をだにもやどさましををくらの山にて何もとめけむ」

 底本「をく露の」は「おく露の」に改めた。「おくつゆの」は枕詞。

 「まし」は、「~てほしかった・~だろう」。

 「葉の露の光ばかりも宿していてほしかったのに、うす暗い山(小倉山)で何を探したのでしょう」

③「しら山にあへばひかりのうするかとはちをすてても頼まるるかな」

 「頼む」と「手飲む」をかけている。和歌ではよくある手法だという。

 「白山の様なあなたに会うと、この鉢も光が薄れるのだろうかと、この鉢を捨てたとしても、水が手でも飲めるように、あなたに会うことをあてにできるのだ」

 ここで注意したいのは、「はちをすてても」を「鉢を捨てても」と解釈しても、「恥を捨てても」と解釈することはできないということである。なぜなら、この後、「かの鉢をすてて、また言ひけるよりぞ、おもなきことをば、はちつるとは言ひける。」とあり、この歌が「はちつ」の語源となったとされるからである。


◎と、鉢の中にふみがあった。広げて見ると、

「海山の道に心をつくし果てないしのはちの涙流れき」(海山の道に心を尽くし果てて、泣いて鉢いっぱいの涙が流れた((鉢が)無い死ぬほどの恥の涙が流れた))とある。

 かぐや姫が(この鉢に)光はあるかと見るけれど、蛍ほどの光さえない。

「おく露の光をだにもやどさましををくらの山にて何もとめけむ」(葉の露の光ばかりも宿していてほしかったのに、うす暗い山(小倉山)で何を探したのでしょう)と返して出す。

 (皇子は、)鉢を門に捨てて、この歌の返しをする。

「しら山にあへばひかりのうするかとはちをすてても頼まるるかな」(白山の様なあなたに会うと、この鉢も光が薄れるのだろうかと、この鉢を捨てたとしても、水が手でも飲めるように、あなたに会うことをあてにできるのだ)と詠んで


●9表

入たりかくやひめかへしもせす成ぬ耳

にも聞いれさりけれはいひかゝつらひて

帰りぬ彼はちをすてゝ又いひけるより

そおもなきことをははちをすつるとは

云ける

(四、蓬莱の玉の枝)

  くらもちの御子は心たはかりある

人にておほやけにはつくしの國にゆあ

みにまからんとていとま申てかくや姫

の家には玉のえたとりになんまかると

いはせてくたり給につかふまつるへき

人\/みな難波まて御送りしける御子


入れたり。かぐや姫、かへしもせずなりぬ。耳

にも聞きいれざりければ、①言ひかかづらひて

帰りぬ。かの鉢をすてて、また言ひけるより

ぞ、②おもなきことをば、はちつるとは

言ひける。

(四、蓬莱の玉の枝)

  庫持くらもちの皇子は、心、③たばかりある

人にて、④おほやけには、⑤筑紫つくしの国に湯浴ゆあ

みに⑥まからむとて、いとま申して、かぐや姫

の家には、「玉の枝取りになむまかる」と

⑦言はせて、くだり給ふに、➇つかふまつるべき

人々、皆、⑨難波なにわまで⑩御送りしたてまつる。皇子、


①「言ひかかづらふ」は、「いいかかる・言い寄る」。「かかづらふ」は、「こだわる・つきまとう」の意がある。この前の文、「(かぐや姫が)耳にも聞きいれざりければ」とのつながりを考えると、ふみの返しを得られない皇子は、その後、いくつかの歌をかぐや姫に向けて音読したものと考えている。

②「おもなし」は、「面目ない・恥知らずだ・あつかましい」等の意。

③「たばかり」は、「計画・工夫・計略・策略」。

④「おほやけ」は、「朝廷」とした。

⑤「筑紫つくしの国」は、九州、主に北九州を指すという。

⑥「まかる」は、「去る・行く」の謙譲語。「行く」の丁寧語。

⑦「言はせて」を使役ととることもできるが、尊敬の助動詞「す」を用いると考える。

➇「つかふまつるべき人々」は、旅に同行すべき人々。

⑨「難波なにわ」は、大阪の古名。

⑩底本「御送りしける」。「御送り」の「送り」は名詞で「御見送り」の意味もあるというが、ここではただ「おつきそい」の意味だろう。「けり」の連体形「ける」で文が終わるのは変なので「御送りしけり」の誤かもしれない。しかし、見送りの人たちの謙譲は必須とみて「御送りし奉る」の誤とした。


入れた。

 かぐや姫は、(歌の)返しもしなくなった。耳にも聞き入れなかったので、しつこく歌をかぐや姫に向けて音読したが帰っていった。

 かの鉢を捨てて、さらに言い寄ったことから、あつかましいことを「恥を捨てる」と言ったそうだ。


四、蓬莱の玉の枝

 庫持くらもち皇子みこは、心に計略のある人なので、朝廷には筑紫(主に北九州地方)の国に湯浴みに参りますと休暇を頼み申し上げて、かぐや姫の家には,「玉の枝を取りに参ります」とおっしゃって、都をお離れになるところに、(この旅に)おつきそいすることになっている人々が皆、難波なにわ(の港)まで御送りをしてさしあげた。

 皇子は、


●9裏

いと忍ひてとの給はせて人もあまたゐ

ておはしまさすちかうつかふまつる限

して出給ひ御送りの人\/み奉をくり

てかへりぬおはしましぬと人には見え

給ひて三日はかりありてこきかへり給

ぬかねてこと皆仰たりけれは其時ひとつ

のたからなりけるかちたくみ六人を召

とりてたはやすく人よりくましき家を

作りてかまとを三へにしこめてたくら

を入給つゝ御子もおなし所に籠り給て


「いと忍びて」とのたまはせて、人もあまた

ておはしまさず。ちかつかふまつる限り

してで給ひ、御送りの人々、見奉り①おく

て、かへりぬ。おはしましぬと人には見え

給ひて、三日ばかりありて、ぎ帰り給ひ

ぬ。かねて、こと、皆仰せたりければ、②その時、人、みやこ

からなりける鍛冶かぢたくみ六人を召し

とりて、たはやすく人寄り③まじき家を

作りて、かまど三重みへに④しこめて、⑤くら

を入れ給ひつつ、皇子も同じ所に籠もり給ひて、


①底本「をくり」を、歴史的仮名遣い「おくり」に改めた。

②底本「其時ひとつのたからなりけるかちたくみ六人を召とりて」は、従来的に、「その時ひとつの宝なりける鍛冶匠六人を召しとりて」としてきたが、「ひとつ」の「つ」を「都」とみて、「その時、人、みやこからなりける鍛冶かぢたくみ六人を召しとりて」とした。詳しくは、★『「そのときひとつのたからなりける」の新解釈の試み』を読んで頂きたい。

③「まじき」は、打ち消し推量の助動詞「まじ」の連体形。

④「しこむ」は、「垣などをめぐらす・取り囲む」こと。

⑤底本「たくら」は、従来「たくみら」の誤とするが、あえて「くら」としたい。庫持の皇子という名にちなむとすれば、ここでしかないからである。★『次第接近説から求婚者初期三人説を考える+五人の名前内容反映説』の「五人の名前内容反映説」をお読みいただきたい。また、「たくら」は、あるいは「たから」かもしれない。


「ごく質素に」とおっしゃられて、人を全員連れておいでにならない。近くに仕える者だけにして出航なされ、おつきそいの人々はお見送りさしあげて帰っていった。

 行ってしまわれたと人にはお見せになられて、三日ほどたって漕ぎ帰られた。

 あらかじめ、やる事は全て命じていたので、その(命じた)時に、(皇子が遣わせた)人が都の外から鍛冶の匠六人を雇って、たやすく人が寄って来れない(所に)家を作って、竈を三重に垣根などで囲って、(材料の宝が入った)手金庫を持ち込みながら、皇子も(手金庫と)同じ部屋にお籠もりになられて、


●10表

しらせ給たる限十六そをかみにくとを

あけて玉の枝を作り給かくや姫の給ふ

やうにたかはす作り出ついとかしこくた

はかりて難波にみそかにもて出ぬ舩にの

りて帰りきにけりと殿につけやりてい

といたくくるしかりたるさましてゐ給

へり迎へに人おほく参たり玉の枝をは

なかひつに入て物おほひてもちて参る

いつか聞けんくらもちの御子はうとん

くゑの花もちてのほり給へりとのゝし


らせ給ひたる限り、六所ろくしょを、紙に工図くと

上げて、玉の枝を作り給ふ。かぐや姫のたまふ

やうにたがはず作りでつ。いと②かしこくた

ばかりて、難波にみそかにでぬ。船に乗

りて、「帰りにけり」と③殿とのげやりて、い

といたく苦しがりたるさまして

へり。迎へに人多おほく参りたり。玉の枝をば

長櫃ながびつに入れて、物おほひて持ちて参る。

いつか聞きけむ。「庫持くらもちの皇子は④優曇華うどんぐゑ

の花、持ちてのぼり給へり」と、⑤ののし


①底本「しらせ給たる限十六そをかみにくとをあけて」の解釈は未だ定説をみない。これを、領有している十六箇所のかみ(領主)に倉の鍵を開けさせてという類いの解釈を無難とするが、玉の枝を作るのに、それほどの大金が必要だったとは思えないし、隠密に事をすすめる皇子の行動としてはありえない。私の今のところの解釈として、「らせ給ひたる限り、六所ろくしょを、紙に工図くとを上げて」をあてておく。「六所ろくしょ」を、物を見る場合の各方面と仮定する。「工図くと」も、当時使われた語かは不明。

②「かしこく」はこの場合、「賢明に」が当てられようが、「緻密に」とも訳されようか。

③「殿」は「(貴人の)家・屋敷」のこと。「との」と読んでおくが、「でん・てん」とも。

④「優曇華うどんぐゑ」は、辞典には「うどんげ」とあるが、底本のままとした。三千年に一度花が咲き、そのとき仏が出現するというインドに多い木、またはその花だという。『評註』は、

*****

『今昔物語第三十一』の「竹取翁見付女児叢語、第卅三」にみえる、翁が上達部殿上人に出す難題三つ中の一つ「優曇花ト云フ花有リケリ、其レヲ取テ持来レ」と、必ず何らかの関係があるであろう。

*****

と註される。

⑤「ののしる」は大声でさわぐこと。


(玉の枝について)お知りになる限りの各方面を、紙に工図にしたてて、玉の枝をお作りになる。(そして、)かぐや姫のおっしゃる通りのものにできあがった。

 非常に緻密に計画して、難波なにはに密かに持って来た。船に乗って、「帰って来た」と屋敷にしらせてやって、非常に苦しがるようにしておいでになられた。

 迎えに多くの人が参上した。玉の枝を長櫃ながびつに入れて、布で被って持って来る。

 (誰が)いつ聞いたのだろうか。「庫持くらもちの皇子が、優曇華うどんげの花を持って(都に)お上りになった」と、(人々が)大声で叫んだのだった。


●10裏

りけり是をかくや姫きゝて我は此御子

にまけぬへしとむねつふれて思ひけり

かゝる程に門をたゝきてくらもちの御

子おはしたりとつく旅の御姿なからお

はしたりといへはあひ奉る御子の給は

く命をすてゝかの玉のえたもちて来る

とてかくやひめにみせ奉り給へとい

へは翁もちていりたり此たまのえたに

文そつけたりける

 いたつらに身はなしつ共たまの枝を


りけり。これをかぐや姫聞きて、「我はこの皇子

に負けぬべし」と、胸つぶれて思ひけり。

かかる程に、門をたたきて、「庫持くらもちの皇

子おはしたり」と告ぐ。「旅の御姿ながらお

はしたり」と言へば、会ひ奉る。「皇子のたまは

く、『命を捨てて、かの玉のえだ(ぞ)持ちて①来たる』

とて、かぐや姫に見せ奉り給へ」と言

へば、翁、②持ちて入りたり。この玉の枝に

ふみぞ、つけたりける。

 ③いたづらに身はなくつとも玉の枝を


①「来たる」は連体形で閉じている。本来「来たり」でなければならないので、一応「(ぞ)」を括弧書きで補った。

②「持ちて入れたり」は、翁が家に入ったことを意味するとすると、翁がかぐや姫に先んじて、玉の枝につけられたふみを読んだことになる。これは考えにくいが、そういうことなのだろう。次の「この玉の枝にふみぞ、つけたりける」からは、かぐや姫主体の事柄ではなく、引き続き翁のことだろう。

③底本「たをして」だが、「たおらて」の誤だろう。

 底本「身はなしつ」は、「つ」は連体形につくので、「無し」は「無く」の誤と見て、「身はなくつ」とした。

 「いたづらに身はなくつとも玉の枝をたをらでさらに帰らざらまし」

 「むなしくこの身がなくなったとしても、玉の枝をらないでは絶対帰らなかっただろうに」。


 これをかぐや姫が聞いて、「私はこの皇子に屈服するに違いない」と、胸がつぶれて思ったという。

 こうしているうちに、門をたたいて、「庫持くらもちの皇子がおいでになった」と(皇子の側近の者が)告げる。「旅のお姿のままおいでになった」と言うので、(翁は庭まで)お出迎えさしあげる。

 「皇子がおっしゃるには『命を捨てて、かの玉の枝を持って来た』と言って、かぐや姫にお見せになってくださいませ」と(皇子の側近の者が)言うので、翁は(玉の枝を)持って家に入った。

 (翁が見ると)この玉の枝にふみがつけられていた。

「いたづらに身はなくつとも玉の枝をたをらでさらに帰らざらまし」(むなしくこの身がなくなったとしても、玉の枝をらないでは絶対帰らなかっただろうに)。


●11表

たをしてさらに帰らさらましこれをも

哀とも見てをるに竹とりの翁はしり入

ていはく此御子に申給ひしほうらい

のたまのえたをひとつの所あやまたすも

ておはしませり何をもちてとかく申へ

きたひの御すかたなからわか御いゑへ

もより給すしておはしましたりはやこ

の御子にあひつかうまつり給へといふ

に物もいはすつらつゑをつきていみし

くなけかしけにおもひたり此御子今


たをらでさらに帰らざらまし これをも

①あはれとみてるに、竹取の翁、走り入り

ていはく、「この皇子に申し給ひし蓬莱ほうらい

の玉のえだをひとつの所あやまたず、持

ておはしませり。何をもちて、とかく申すべ

き。旅のおん姿すがたながら、②我がおんいへ

も寄り給はずして、おはしましたり。はや、こ

の皇子に③会ひつかうまつり給へ」と言ふ

に、物も言はず、つらつゑをつきて、いみじ

くなげかしげに思ひたり。この皇子、「今


①底本「哀とも見てをるに」を、「あはれとみてるに」とした。「あはれ」は、「すぐれている・しみじみと風情がある」の意。「みてる」は、ふみを巻き戻したということだろう。次に「竹取の翁、走り入りていはく」とあり、翁は、玉の枝ばかりでなくこの歌もすぐれていると感慨を持ち、たまらずに、かぐや姫の部屋に走り入ったものだろう。

②底本「わか御いゑへも」の「いゑ」は、歴史的仮名遣い「いへ」に改め、「我が御家へも」とした。「我が」は、この場合、「皇子自身の」。

③「会ひつかうまつり給へ」の「つかうまつる」は、先の「会ふ」の連体形「会ひ」について「お会い申し上げる」の意となる。この場合の「会ふ」は、結婚とか、そこまでの意味ではなく、ただ「会う」ことだと考える。


 (玉の枝もそうだが)これをも感慨深いものだと(ふみを)巻き戻して、竹取の翁が(かぐや姫の)部屋に走って入って来て言うことに、「この皇子に(あなたが)お願い申し上げなさいました蓬莱の玉の枝を、ひとつところも違わずに持っておいでになりました。何をしてあれこれ申し上げることができましょう。旅のお姿のまま、ご自分の家へもお寄りにならずに、おいでになられたのです。はやく、この皇子にお会いなされてください」と言うので、(かぐや姫は)物も言わず、頬杖をついて、ひどく悩ましげに思っていた。

 この皇子は、「今


●11裏

さへ何かといふへからすと云まゝに

えんにはひのほり給ぬ翁理に思ふ此國

に見えぬ玉の枝なり此度はいかてかいな

ひ申さん人さまもよき人におはすなと

いひゐたりかくや姫のいふやうおやの

の給ふことをひたふるにいなひ申さむ

事のいとおしさに取かたき物をかくあ

さましくもて来る事をねたく思ひおき

なはねやの内しつらひなとす翁御子に

申やういかなる所にか此木は候けん


さへ何かと言ふべからず」と言ふままに

えんのぼり給ひぬ。翁、「ことわりに思ふ。この国

に見えぬ玉の枝なり。このたびはいかでか②いな

び申さむ。人様ひとざまもよき人におはす」など

言ひたり。かぐや姫の言ふやう、「親の

のたまふことを、③ひたぶるにいなび申さむ

事の④いとおしさに、取りがたき物を、かく⑤あ

さましく持て来たる事を⑥ねたく⑦思ひ置き

なば、➇ねやの内⑨しつらひなどす」。翁、皇子に

申すやう、「いかなる所にか、この木はさぶらひけむ。


①「えん」は縁側。「のぼり給ひぬ」とあるので、翁の居る母屋正面の階段の上の板敷きだろう。

②「いなぶ」は、「断る」こと。

③「ひたぶる」は「ひたすら」の意。

 ③~➇まで、★『仮名の魔性「思ひ翁は」は「思ひ置きなば」である』を一読願いたい。

④底本「いとおし」を歴史的仮名遣い「いとほし」に改めた。「かわいそうだ・気の毒だ・いとしい」等の意。

⑤「あさまし」は、「情けない・見苦しい・みすぼらしい」などの意だが、「驚きあきれる・意外だ」の意味もある。

⑥「ねたし」は、「しゃくだ・にくらしい・くやしい」の意だが、「ねたましいほど立派だ・すぐれている」の意味もある。

⑦「思ひ置く」は、「心に決める・思い込む・思い残す・気に掛ける」等の意だが、この場合、「心にとどめる」とした。

➇「ねや」は、「寝室・女性の居室」。

⑨「しつらひ」は、特に屏風や几帳、衝立などで部屋を仕切って整えることだという。


となって何かと言うべきではない」と言うが早いか縁側に(階段を)おのぼりになってしまった。

 翁は、「道理に思う。この国にはない玉の枝です。この度はどうやってお断りできましょうか。人柄もよい人においでになります」など言っている。

 かぐや姫が言うには、「親(であるあなた)のおっしゃることをひたすらお断り申し上げる事もお気の毒なので、取りがたい物を、このように意外にも持って来ている事をねたましいほど立派だと心にとどめたなら、部屋の中の支度などします」。

 (それで、)翁が皇子に申し上げるには、「どのような所に、この木は生えていたのでしょう。


●12表

あやしくうるはしくめてたき物にもと

申御子こたへての給はくさおとゝしの

きさらきの十日比に難波より舩にのり

て海の中に出ていかん方もしらすおほえ

しかと思ふことならて世中にいきて何

かせんと思ひしかはたゝむなしき風に

まかせてありく命しなはいかゝはせんい

きてあらん限かくありきてほうらいと

いふらん山にあふやとうみにこきたゝ

よひありきてわか國のうちをはなれて


あやしく、うるはしく、めでたき物にも」と

申す。皇子、答へてのたまはく、「①さをととしの

如月きさらぎの③十日頃に、難波より船に乗り

て、海の中にでて、④行かむかたも知らず、おぼえ

しかど、思ふことらで、世の中に生きて何

かせむと思ひしかば、ただむなしき風に

まかせてありく。命死なばいかがはせむ。生

きてあらむ限り、かくありきて、蓬莱ほうらい

いふらむ山にふやと、海に漕ぎただよ

ひありきて、わが国のうちを離れて、


①底本「さおとゝし」は、歴史的仮名遣い「さをととし」と改めた。「一昨昨年」。

②「如月きさらぎ」は、旧暦二月。

③底本「十日比に」は「十日頃に」とした。

④「行かむかたも知らず」の後に「と」が省かれていると考える。


あやしく、麗しく、立派な物でありますものを」と申し上げる。

 皇子が答えておっしゃるに、「一昨昨年の如月きさらぎ(旧暦二月)の十日頃、難波から船に乗って、海に出て、行くあてもなく思ったけれど、思う事が成就しないでは、世の中に生きて何をすることがあろうかと思ったからは、ただ空しい風にまかせて進む。

 命がなくなればしかたがない。生きてある限りはこのように進み、蓬莱ほうらいといわれる山に行き着くかもと、海の上に漕ぎ漂い進み、わが国の内を離れて、


●12裏

ありきまかりしにある時は波あれつゝ

海のそこにも入ぬへくある時には風に

つけてしらぬ國に吹よせられて鬼の

やうなる物出きてころさんとしきある

時にはきしかた行すゑもしらすうみに

まきれんとしきある時にはかてつきて

草のねをくひ物としきある時はいはん

方なくむくつけけなる物きてくひかゝ

らんとしきある時にはうみの貝をとり

て命をつく旅のそらにたすけ給へき人


ありき①まかりしに、ある時は波荒れつつ、

海の底にも入りぬべく、ある時には、風に

つけて知らぬ国に吹き寄せられて、鬼の

やうなる者出で来て殺さむとしき。ある

時には、かた行くすゑも知らず。海に

まぎれむとしき。ある時には、かて尽きて、

草の根をひ物としき。ある時は、いはむ

方なくむくつけげなるもの来て、ひかか

らむとしき。ある時には、海の貝を取り

て命をぐ。旅のそらに、助け給ふべき人


①「まかる」は、この場合、「行く」の丁寧語だろう。

このあたりの一節について、★『庫持の皇子の嘘の冒険談(百日の誤差の理由)』を一読願いたい。


進んでいったのですが、ある時は波が荒れに荒れて、海の底に(船が)のみこまれそうになり、ある時には、風にあおられ、知らない国に吹き寄せられて、鬼のような者が出てきて殺そうとした。ある時には、来た方、行く方もわからない。海に遭難しそうになった。ある時には、食糧が尽きて、草の根を食べ物とした。ある時は、言葉にできないほど気持ちの悪いものが来て、食いかかろうとした。ある時には、海の貝を取って命をつないだ。

 旅の空に、助けてくださる人


●13表

もなき所に色\/のやまひをして行

方空もおほえす舩のゆくにまかせて海

にたゝよひて五百日と云たつの時はかり

にうみの中にはつかにやま見ゆ舟の内

をなんせめてみる海の上にたゝよへる

やまいとおほきにてありその山のさま

高くうるはし是やわかもとむる山なら

むと思ひてさすかにおそろしくおほえ

て山のめくりをさしめくらして二三日

はかり見ありくに天人のよそほひしたる


もなき所に、色々のやまひをして、①行く

方、空もおぼえず。船のくにまかせて、海

ただよひて、五百日といふたつの時ばかり

に、海の中に、②はつかに山見ゆ。船の内

をなむ、③めて見る。海の上にただよへる

山、いとおほきにてあり。その山のさま、

高く、うるはし。これや、わがもとむる山なら

む、と思ひて、④さすがに恐ろしくおぼえ

て、山のめぐりを⑤さしめぐらして、二三日

ばかり見ありくに、天人のよそほひしたる


①「行く方、空もおぼえず」。ここの「空」は「気持ち・心地」と考える。直訳「行く末は心地さえわからない」を、意訳「生きた心地もしない」とした。

②「はつか」は、「ほのか・かすか」、あるいは時間が短いさまをいう。

③「めて見る」。「む」は「ぴったりと身につける」の意。

④「さすがに」は、「そうはいってもやはり」の意。

⑤「さし」は強意の接頭語。


もない所に、色々な病気をして、生きた心地もしない。船の進むにまかせて、海に漂って、五百日という辰の時(現在の午前八時頃)ぐらいに、海の中にかすかに山が見える。船の内をぴったり体につけて見る。海の上に浮かぶ山は非常に大きくそびえる。その山のさまは高く麗しい。

 これが私の求める山であろうか、と思ったものの、そうはいってもやはり恐ろしく思えて、山の周りをぐるりと回って、二、三日ばかり見てまわると、天人の装いをした


●13裏

女山の中より出きてしろかねのかなま

るをもちて水をくみありく是をみて舩

よりおりて此山の名を何とか申ととふ

女こたへていはくこれはほうらいの山

なりとこたふ是をきくに嬉しき事限

なし此女かくの給は誰そととふ我名は

うかんるりといひてふとやまの中に入

ぬ其やま見るにさらにのほるへきやう

なし其やまのそはひらをめくれは世中

になき華の木共たてり金しろかねるり


女、山の中よりで来て、しろかねの①かなまり

を持ちて水を汲みありく。これを見て、船

よりおりて、『この山の名を何とか申す』と問ふ。

女、答へていはく、『これは蓬莱ほうらいの山

なり』と答ふ。これを聞くに嬉しき事、限り

なし。②『この女、かくのたまふは誰ぞ』と問ふ。『我が名は

③うかんるり』と言ひて、ふと山の中に入り

ぬ。その山見るに、さらに登るべき④用

なし。その山のそばひらをめぐれば、世の中

になき花の木ども立てり。こがねしろかね瑠璃るり


①底本「かなまる」を「かなまり」とした。金属製の椀。

②「『この女、かくのたまふは誰ぞ』と問ふ。」。「この女、『かくのたまふは誰ぞ』と問ふ。」と説くものもある。しかし、女がすぐに自分の名を名乗っているので、辻褄が合わない。皇子と女の距離もそう遠くなければ、「この女」も可能ではなかろうか。

③「うかんるり」あるいはその前の「は」を加えて「はうかんるり」という女の名は意味的に諸説あって、不明である。「る」を「り」の誤とみて「かむなり」という解釈も可能かもしれない。

④「やう」は「様」であるが、「よう」すなわち「用」の誤とみる。これについては、★『庫持の皇子の嘘の冒険談(百日の誤差の理由)』を一読願いたい。


女が、山の中から出てきて、銀のかなまり(金属製の椀)を持って水を汲んで歩いている。

 これを見て、船からおりて、『この山の名はなんと言うのでしょう』と問う。

 女が答えて言うには、『これは蓬莱ほうらいの山です』と答える。

 これを聞いて、嬉しさはとほうもない。

 『この女、そのようにおっしゃるのははどなたでしょう』と問ふ。

 『我が名は、うかんるり』と言って、すっと山の中に入ってしまった。

 その山を見れば、改めて登る必要はない。その山の周辺をめぐれば、世の中にはない花の木々が立っていた(からだ)。

 金、銀、瑠璃


●14表

いろの水山より流出たるそれには色々の玉

のはしわたせり其あたりにてりかゝや

く木とも立り其中に此とりてもちて

まうてきたりしはいとわろかりしかと

もの給しにたかはましかはと此花を折

てまうて来る也山は限なく面白し世

にたとふへきにあらさりしかと此枝を

おりてしかはさらに心もとなくて舟に

のりて追風吹て四百余日になんまうて

きにし大願力にや難波より昨日なむ都


色の水、山より流れでたるそれには、色々の玉

の橋渡せり。そのあたりに、照りかがや

く木ども立てり。その中に、この取りて持ちて

まうでたりしは、いとわろかりしかど

も、のたまひしにたがはましかばと、この花を折り

てまうでたるなり。山は限りなく面白し。世

にたとふべきにあらざりしかど、この枝を

りてしかば、さらに②心もとなくて、船に

乗りて、追風おひかぜ吹きて、③四百余日になむ、まうで

にし。大願力だいぐわんりきにや。④難波より昨日きのふなむ、都


①底本「おりて」を、歴史的仮名遣い「をりて」に改めた。

②「心もとなし」は、気持ちだけが先行して落ち着かないの意。

③「四百余日になむ」。13表に「五百日といふたつの時ばかりに、海の中に、はつかに山見ゆ。」とあり、皇子の旅の期間は、合わせて「九百余日」となるが、後に匠たちが、15表「玉の木を作りつかふまつりしこと、五穀を断ちて、千余日に力を尽くしたる事、少なからず。」と言っており、百日の誤差が生じる。この誤差について、★『庫持の皇子の嘘の冒険談(百日の誤差の理由)』を書いたので、一読願いたい。

④「難波より昨日きのふなむ、都にまうでつる。」の「きのふ」について、「夜明け前」とする私説、★『背中合わせの「あした」と「きのふ」(「たちまうでく」の問題)』を、一読願いたい。


色の水が山から流れ出ているそれ(川)には、色々の宝石で飾った橋を渡していた。そのあたりに、照り輝く木々が立っていた。その中から、このように取って持ってまいったものは、非常に貧弱であったけれども、おっしゃるものにまず違わなければと、この花を折って参りました。

 山はこのうえなく興味深い。世にたとえるべきものではなかったけれど、折ってしまったからは、とてもこうしてはおれない気持ちがして、船に乗って、追い風が吹いて、なんと四百日あまりで帰ってきました。(それは)大願の力(のおかげ)だろうか。

 難波なにわから日の出前に、都


●14裏

にまうてきつるさらにしほにぬれたる

衣たにぬきかへなてなんたちまうてき

つるとの給へはおきなきゝてうちなけ

きてよめる

 呉竹の世々のたけとり野山にもさや

はわひしきふしをのみ見し是を御子聞

てこゝらの日比おもひわひ侍つる心は

けふなむおちゐぬるとの給ひて返し

 わかたもとけふかはけれはわひしさ

の千くさのかすも忘られぬへしとの給


に①まうでつる。さらにしほれたる

衣だに脱ぎ②へなでなむ、③立ちまうで

つる」とのたまへば、翁聞きて、うちなげ

きてめる、

 呉竹の世々のたけとり野山にも④さや

はわびしきふしをのみ見し これを皇子聞き

て、「ここらの⑤日頃、思ひわびはべりつる心は、

けふなむ、⑥落ちぬる」とのたまひて、返し、

 わかたもとけふかはけれはわひしさ

の千くさのかすも忘られぬへし とのたまふ。


①「まうでつる」を、難波から来たとする私説、★『背中合わせの「あした」と「きのふ」(「たちまうでく」の問題)』を、一読願いたい。

②「へなでなむ」は、「ふ」の連用形「へ」+完了の助動詞「ぬ」の未然形「な」+打ち消しの接続助詞「で」+係り助詞「なむ」。

③「立ちまうでつる」は、①の説により、難波を出立したということ。

④「さやは」は、反語の意を表す。「そのように~だろうか(いや、ない)」。

⑤底本「日比」は「日頃」とした。

⑥「落ちる」は、「心が落ち着く・心が静まる」こと。


に(向かって)出てしまった。そのうえ、しおに濡れた衣を脱ぎ替えないで(急ぎ)出立してきてしまいました」とおっしゃられれば、翁が(それを)聞いて、同情に涙して詠む歌。

「呉竹の世々のたけとり野山にもさやはわびしきふしをのみ見じ」

(代々の竹取りでも野山でそのようにわびしい節(話し)だけは見た(聞いた)ことはない)

 これを皇子が聞いて、「これまでの年月、悲嘆に暮れました心は、今日こそ報われました」とおっしゃって、(歌の)返し。

「わがたもとけふかはければわびしさの千ぐさのかずも忘られぬべし」

(私の袂も今日乾いたので、わびしい目に遭った数々も忘れられるに違いない)

とおっしゃる。


●15表

かかる程に男とも六人つらねて庭に

出きたり一人の男ふはさみに文をはさ

みて申くもんつかさのたくみあやへ

のうちまろ申さく玉の木を作りつかふ

まつりしこと五こくをたちて千余日

に力をつくしたる事すくなからす然

にろくいまた給はらす是を給てわろき

けこに給せんと云てさゝけたる竹とり

の翁此たくみらか申ことは何事そとかた

ふきをり御子はわれにもあらぬけしき


かかる程に男ども六人、つらねて庭に

たり。一人の男、はさみにふみをはさ

みて、申す。「①公文くもんつかさの②ただみ、③あや

うち麻呂まろまうさく、『玉の木を作りつかふ

まつりしこと、五穀を断ちて、千余日

に力を尽くしたる事、少なからず。しか

ろく、いまだたまはらず。これをたまひて、⑤わろき

家子けこたまはせむ』」と言ひて、⑦ささげたる。竹取

の翁、この匠らが申すことは何事ぞ、と➇かた

ぶきり。皇子は、われにもあらぬけしき


①「公文くもんつかさ」。公文所は国司の役所で公文書を扱った役所。

 匠が現れてからの解釈は従来の解釈とはだいぶ異なるので、私説★『「そのときひとつのたからなりける」の新解釈の試み』を一読願いたい。

②底本「たくみ」だが、「ただみ」(本人・その人自身)の誤とみる。「あやうち麻呂まろ」は、公文官であり匠ではありえない。ただし、後に五人を「家子けこ」と言っているので、これら一族の長と考えられ、公文官を任されていたとすれば、彼自身「匠」であった可能性は否定できない。

③底本「あやへのうちまろ」を、『評註』の表記に従い、「あやうち麻呂まろ」とした。

④「まうさく」は、「いはく」の謙譲語。「~が申し上げることには」。

⑤「わろし」は、この場合、「みすぼらしく疲弊した」というほどの意味だろう。

⑥「家子けこ」は、「一族・眷属」。

⑦「ささげたる。」は「たり」の連体形「たる」で終止しているが、ままとした。

➇「かたぶく」は、「傾く・衰える・首を傾げる」。


 そうしているうちに、男たちが六人が、ぞろぞろと庭に現れた。

 一人の男が、はさみにふみをはさんで申し上げる。

「(われら一族の)公文くもんかん本人、あやうち麻呂まろの伝言として申し上げることには、『玉の木をお作りさしあげた事、五穀を断って、千日余りに(及んで)力を尽くした事、並大抵の苦労ではない。それなのに、褒美を未だに頂戴していない。これを(こちら様がかわりに)お与えになって、疲弊した一族の者にお与えになられたらいかがでしょう』」と言って、(はさみを)捧げた。

 竹取の翁は、この匠たちが言うことはどういうことだ、と首をかしげていた。

 皇子は茫然自失の様子


●15裏

にてきもきえゐ給へり是をかくや姫聞

て此奉る文をとれといひて見れは文に

申けるやう御子の君千日いやしきた

くみらともろ共におなし所に隠ゐ給て

かしこき玉の枝をつくらせ給ひてつか

さもたまはんとおほせ給ひき是を此比

安するに御つかひとおはしますへき

かくや姫のえうし給ふへきなりけり

と承て此みやよりたまはらんと申てた

まはるへきなりと云を聞てかくやひめ


にて、きも消え給へり。これをかぐや姫聞き

て、「このたてまつふみを取れ」と言ひて、見れば、ふみ

申しけるやう、「皇子の君、千日賤いやしき匠

らともろともに同じ所にかく給ひて、

かしこき玉の枝を作らせ給ひて、①つかさ

たまはむ、とおほせ給ひき。これを②この頃

③案ずるに、④御つかひとおはしますべき

かぐや姫のえうじ給ふべきなりけり、

と承りて、この御屋みやよりたまはらむ」と申して、「たま

はるべきなり」と言ふを聞きて、かぐや姫、


①底本「つかさ」は、「つかさ」とした。公文官であるあや

うち麻呂まろに、五人の匠を貸し出せば、その上の官職を与えると皇子は約束していたのである。

②底本「此比」を「この頃」とした。

③底本「安する」を「案ずる」とした。

④「御つかひ」は、「側室」との従来説に従っておく。


で、魂が消えたようにおいでになった。

 これをかぐや姫が聞いて、「その捧げたふみを持って来なさい」と言って、それを見れば、ふみに(あやうち麻呂まろが)書き申し上げたには、「皇子の君、千日間、身分の賤しい匠らと一緒に同じ所に隠れてお住みになって、尊い玉の枝をお作りになって、(私に)官職も与えると仰せになられた。これをこの頃、あれこれと考えるに、御側室とおなりになるに違いないかぐや姫のご所望されたものに違いないのでは、と承知いたしまして、このお家より頂ければと思うのです」と申し上げるのを読んで、「きっと、くださるだろう」と、(匠ら)が言うのを聞いて、かぐや姫は、


●16表

くるゝまゝにおもひわひつる心ちわら

ひさかへて翁をよひとりていふやう誠

ほうらいの木かとこそ思ひつれかくあ

さましき空ことにてありけれははや返

し給へといへは翁こたふさたかにつ

くらせたる物ときゝつれはかへさん事

いとやすしとうなつきをりかくや姫の

心ゆきはてゝありつる哥のかへし

 まことかと聞て見つれはことのはを

かされる玉の枝にそありけると云てた


るるままにおもひわびつるここ、②わら

さかえて、翁を呼び取りて言ふやう、「まこと

蓬莱ほうらいの木かとこそ思ひつれ。かくあ

さましき空ごとにてありければ、はや返

し給へ」と言へば、翁、こたふ。「さだかに作

らせたる物と聞きつれば、返さむ事、

いとやすし」と、うなづきり。かぐや姫の、

心行き果てて、④ありつる歌のかへし、

 まことかと聞きて見つればことのはを

かざれる玉の枝にぞありける と言ひて、玉


①「るるままに」は、「日が暮れるのと同じように」というような意味だが、匠らがやってきたのが、すでに暗くなった時分だったとわかる。匠らが居る庭からは、縁に上がった皇子と側近数名の姿はよく見えず、まして潮に濡れたみすぼらしい格好をしていたので、匠らは、それが皇子たちだとは気がつかない状況が予想される。

②底本「わらひさかへて」を「わらひさかえて」とした。

③「こころゆきはつ」は、心がすっかり晴れること。

④「ありつる」は、「さきほどの」の意。


日が暮れるのと同じように沈み込んでいた心持ちが、ぱっと晴れやかになって、翁を呼び寄せて言うには、「真実、蓬莱ほうらいの木かと思ってしまいました。このように情けない作り話であったならば、はやく返してください」と言えば、翁が答えて言う。「明らかに作らせた物と聞いてしまったからは、返すことに何の問題もないです」と、うなずいている。

 かぐや姫が、心がすっかり晴れ渡って、さきほどの歌の返し、

「まことかと聞きて見つればことのはをかざれる玉の枝にぞありける」

(本当かと話を聞いて見たら、言の葉を飾った玉の枝であったのですね)

と返して、玉


●16裏

まのえたもかへしつ竹とりの翁さはかり

かたらひつるかさすかにおほえてねふり

をり御子はたつもはしたゐるもはした

にてゐ給へり日の暮ぬれはすへり出給

ぬ彼うれへせしたくみをはかくやひめ

よひすへて嬉しき人ともなりと云てろ

くいとおほくとらせ給ふたくみらいみ

しくよろこひて思ひつるやうにもある

かなと云て帰る道にてくらもちの御子

ちのなかるゝまて調せさせ給ふろくえし


の枝も返しつ。竹取の翁、さばかり

かたらひつるが、さすがにおぼえて、ねぶり

り。皇子は、立つもはした、るもはした

にて、給へり。①日の暮れぬれば、すべりで給ひ

ぬ。かの②うれへせしたくみをば、かぐや姫、

呼び③据ゑて、「嬉しき人どもなり」と言ひて、ろく

いと多く取らせ給ふ。匠ら、いみ

じく喜こびて、「思ひつるやうにもある

かな」と言ひて帰る道にて、庫持くらもちの皇子、

血の流るるまで調てうぜさせ給ふ。ろく得し


①「日の暮れぬれば、すべりで給ひぬ」。暗い中だったので、匠たちには、それが皇子一行であることが気づかれなかったと考える。

②「うれへ」は、「なげき訴えること・悲しみ・心配」。この場合「訴え」でよいと考える。

③底本「すへて」を、歴史的仮名遣い「すゑて」に改めた。


の枝も(一緒に)返してしまった。

 竹取の翁は、あれほど(皇子と)語らっていたのに、やはりそうはいってもと思われて、眠ったふりをしている。

 皇子は、立つのもどうか、座るのもどうかという状態で座っておいでだった。(それで、)日が暮れたのをみはからって、這うように出ていかれた。

 あの訴えをした匠らを、かぐや姫は(家に)呼び入れて、「ありがたい人たちです」と言って、褒美を非常にたくさんお取らせになる。

 匠らがたいそう喜んで、「思っていたとおりであったよ」と言って帰る道で、庫持くらもちの皇子は血が流れるまで(匠らを)お懲らしめになる。褒美を得た


●17表

かひもなく皆取捨させ給てけれはにけ

うせにけりかくて此御子は一しやうの

はち是に過るはあらし女をえすなり

ぬるのみにあらす天下の人のみ思はん

事のはつかしき事との給ひてたゝ一所

ふかき山へ入給ひぬみやつかささふらふ

人々みな手をわかちてもとめ奉れとも

御しにもやし給ひけんえみつけ奉らす

なりぬ御子の御ともにかくし給はん

とて年比見え給はさりける也けり是を


甲斐かひもなく、皆、①取り捨てさせ給ひてければ、逃げ

失せにけり。かくて、この皇子は、「一生いつしやう

はぢ、これに過ぐるはあらじ。女を得ずなり

ぬるのみにあらず。天下の人の、見思はむ

事の恥づかしき事」と、のたまひて、ただ一所、

深き山へ入り給ひぬ。②みやづかさ、③さぶら

人々、みな手をわかちて求めたてまつれども、

御死にもやし給ひけむ、え見つけたてまつらず

なりぬ。皇子のともに隠し給はむ

とて、④年頃見え給はざりけるなりけり。これを


甲斐もなく、(皇子が)全部取り上げになってしまったそうで、(匠たちは)逃げ失せてしまったということだ。

 かくして、この皇子は、「一生の恥に、これ以上のことはない。女を得られなかっただけではない。世の中の人が(私を)見て思うだろう事の恥ずかしさ」とおっしゃって、ただ一人、深い山へお入りになった。

 みやづかさ(皇子の邸の役人)、近くに仕える人々皆が、手わけして探し求めさしあげたのだけれど、お亡くなりになったものだろうか、見つけてさしあげることができなかった。

 皇子が、お供にお隠しになろうとして、長年お見えにならなくなったのだった。これを


①「取り捨つ」は、他動詞「取り除く・片づける・さしひく・減ずる」の意。「取り捨てさせ給ひて」の「させ」は使役でなく尊敬だろう。皇子が取り上げたということ。

②「みやづかさ」は、『評註』によれば「宮は皇子の邸。司は役人。皇子の邸の事務を行っている役所の長をさす。」とある。

③「さぶらふ人々」は、皇子に近く仕える人々。

④底本「年比」は、「年頃」とした。


●17裏

なむ玉さかるとはいひはしめける


なむ、①「たまさかる」とは言ひ始めける。


①底本「玉さかる」である。「たまさかる」については諸説ある。「玉」は天皇の子である皇子をさす可能性がある。「さかる」は「離る」または「下がる」の可能性がある。「たまさかる」についても、「魂が浮遊する」という説、また、私としては、「たまふ」(お互いの魂がひとつに結ばれる)の逆の意味があるものかとも考えているが、はっきりしない。


◎して、「たまさかる」と言い始めたという。

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