通釈② 三、仏の御石の鉢 四、蓬莱の玉の枝
1、『古活字十行甲本』を底本にしています。
2、おおむね、『評註竹取物語全釈』松尾 聰著(武蔵野書院)を参考書にしています。本文中、『評註』と表記しています。
3、底本の変体仮名等解釈は、『竹取物語』翻刻データ集成 https://taketori.himegimi.jp/ の『古活字十行甲本』を信頼して利用しています。
4、解読にあたって、『全訳読解古語辞典』(第三版)鈴木一雄 他著(三省堂)を用いた。
5、私説を参考として掲げる場合、★印をつけた。
三、仏の御石の鉢
●7裏の続き
猶此女見ては世にあるましき心ちのし
けれは天竺に有物ももてこぬ物かはと思ひ
めくらして石つくりの御子はこころの
○
①なほ、この女見では、世にあるまじき心地のし
ければ、②
めぐらして、
①「なほ」は色々な意味があるが、この場合、「そうはいってもやはり」をとった。かぐや姫は、この世にない物をわざと所望して、五人に自分を諦めさせようとしたのは明白だからである。
②「
③「かは」は、文末に用いられて、反語の意をあらわす。
◎
そうはいってもやはり、この女を見ないでは、この世にとどまれそうもない心地がしたので、
●8表
したくある人にて天竺に二となきはち
を百千万里の程いきたりともいかてか取
へきと思ひてかくや姫のもとにはけふ
なん天ちくへ石のはちとりにまかると
きかせて三年はかり大和の國とをちの
こをりにある山寺にひんするのまへ
なるはちのひたくろにすみつきたるを
とりてにしきのふくろに入て作り花の
枝につけてかくやひめの家にもてきて
みせけれはかくや姫あやしかりて見れ
○
①
を、百千万里の程行きたりとも、いかでか取る
べきと思ひて、かぐや姫のもとには、「
なむ天竺へ石の鉢取りに②まかる」と
聞かせて三年ばかり、大和の
③
なる鉢の⑤ひた
取りて、
枝につけて、かぐや姫の家に持て来て
見せければ、かぐや姫、あやしがりて見れ
①「
②「まかる」は、「去る」の謙譲語。丁寧語でもある。
③底本「こをり」を、歴史的仮名遣い「こほり」に改めた。
④底本「ひんする」を、「ひんつる」に改めた。
⑤「ひた
◎
備えがある人なので、
●8裏
ははちの中に文ありひろけて見れは
うみ山の道に心をつくし果ないしの
はちの涙なかれきかくやひめ光やあると
見るにほたるはかりの光たになし
をく露の光をたにもやとさましを
をくらの山にて何もとめけんとて返し
いたすはちを門にすてゝこの哥のか
へしをす
しら山にあへはひかりのうするかと
はちをすてゝも頼まるゝかなとよみて
○
ば、鉢の中に
①海山の道に心をつくし果てないしの
はちの涙流れき かぐや姫、光やあると
見るに、
②をく露の光をだにもやどさましを
をくらの山にて何もとめけむ とて返し
しをす。
③しら山にあへばひかりのうするかと
はちをすてても頼まるるかな と、よみて
①「海山の道に心をつくし果てないしのはちの涙流れき」
「ないし」は「なきし」の音便だろう。「泣きし」と「無き死」をかけているか。
「海山の道に心を尽くし果てて、泣いて鉢いっぱいの涙が流れた((鉢が)無い死ぬほどの恥の涙が流れた)」
②「おく露の光をだにもやどさましををくらの山にて何もとめけむ」
底本「をく露の」は「おく露の」に改めた。「おくつゆの」は枕詞。
「まし」は、「~てほしかった・~だろう」。
「葉の露の光ばかりも宿していてほしかったのに、うす暗い山(小倉山)で何を探したのでしょう」
③「しら山にあへばひかりのうするかとはちをすてても頼まるるかな」
「頼む」と「手飲む」をかけている。和歌ではよくある手法だという。
「白山の様なあなたに会うと、この鉢も光が薄れるのだろうかと、この鉢を捨てたとしても、水が手でも飲めるように、あなたに会うことをあてにできるのだ」
ここで注意したいのは、「はちをすてても」を「鉢を捨てても」と解釈しても、「恥を捨てても」と解釈することはできないということである。なぜなら、この後、「かの鉢をすてて、また言ひけるよりぞ、おもなきことをば、
◎と、鉢の中に
「海山の道に心をつくし果てないしのはちの涙流れき」(海山の道に心を尽くし果てて、泣いて鉢いっぱいの涙が流れた((鉢が)無い死ぬほどの恥の涙が流れた))とある。
かぐや姫が(この鉢に)光はあるかと見るけれど、蛍ほどの光さえない。
「おく露の光をだにもやどさましををくらの山にて何もとめけむ」(葉の露の光ばかりも宿していてほしかったのに、うす暗い山(小倉山)で何を探したのでしょう)と返して出す。
(皇子は、)鉢を門に捨てて、この歌の返しをする。
「しら山にあへばひかりのうするかとはちをすてても頼まるるかな」(白山の様なあなたに会うと、この鉢も光が薄れるのだろうかと、この鉢を捨てたとしても、水が手でも飲めるように、あなたに会うことをあてにできるのだ)と詠んで
●9表
入たりかくやひめかへしもせす成ぬ耳
にも聞いれさりけれはいひかゝつらひて
帰りぬ彼はちをすてゝ又いひけるより
そおもなきことをははちをすつるとは
云ける
(四、蓬莱の玉の枝)
くらもちの御子は心たはかりある
人にておほやけにはつくしの國にゆあ
みにまからんとていとま申てかくや姫
の家には玉のえたとりになんまかると
いはせてくたり給につかふまつるへき
人\/みな難波まて御送りしける御子
○
入れたり。かぐや姫、
にも聞きいれざりければ、①言ひかかづらひて
帰りぬ。かの鉢をすてて、また言ひけるより
ぞ、②おもなきことをば、
言ひける。
(四、蓬莱の玉の枝)
人にて、④おほやけには、⑤
みに⑥まからむとて、
の家には、「玉の枝取りになむまかる」と
⑦言はせて、
人々、皆、⑨
①「言ひかかづらふ」は、「いいかかる・言い寄る」。「かかづらふ」は、「こだわる・つきまとう」の意がある。この前の文、「(かぐや姫が)耳にも聞きいれざりければ」とのつながりを考えると、
②「おもなし」は、「面目ない・恥知らずだ・あつかましい」等の意。
③「たばかり」は、「計画・工夫・計略・策略」。
④「おほやけ」は、「朝廷」とした。
⑤「
⑥「まかる」は、「去る・行く」の謙譲語。「行く」の丁寧語。
⑦「言はせて」を使役ととることもできるが、尊敬の助動詞「す」を用いると考える。
➇「
⑨「
⑩底本「御送りしける」。「御送り」の「送り」は名詞で「御見送り」の意味もあるというが、ここではただ「おつきそい」の意味だろう。「けり」の連体形「ける」で文が終わるのは変なので「御送りしけり」の誤かもしれない。しかし、見送りの人たちの謙譲は必須とみて「御送りし奉る」の誤とした。
◎
入れた。
かぐや姫は、(歌の)返しもしなくなった。耳にも聞き入れなかったので、しつこく歌をかぐや姫に向けて音読したが帰っていった。
かの鉢を捨てて、さらに言い寄ったことから、あつかましいことを「恥を捨てる」と言ったそうだ。
四、蓬莱の玉の枝
皇子は、
●9裏
いと忍ひてとの給はせて人もあまたゐ
ておはしまさすちかうつかふまつる限
して出給ひ御送りの人\/み奉をくり
てかへりぬおはしましぬと人には見え
給ひて三日はかりありてこきかへり給
ぬかねてこと皆仰たりけれは其時ひとつ
のたからなりけるかちたくみ六人を召
とりてたはやすく人よりくましき家を
作りてかまとを三へにしこめてたくら
を入給つゝ御子もおなし所に籠り給て
○
「いと忍びて」とのたまはせて、人もあまた
ておはしまさず。
して
て、
給ひて、三日ばかりありて、
ぬ。かねて、
の
とりて、たはやすく人寄り
作りて、
を入れ給ひつつ、皇子も同じ所に籠もり給ひて、
①底本「をくり」を、歴史的仮名遣い「おくり」に改めた。
②底本「其時ひとつのたからなりけるかちたくみ六人を召とりて」は、従来的に、「その時ひとつの宝なりける鍛冶匠六人を召しとりて」としてきたが、「ひとつ」の「つ」を「都」とみて、「その時、人、
③「まじき」は、打ち消し推量の助動詞「まじ」の連体形。
④「しこむ」は、「垣などをめぐらす・取り囲む」こと。
⑤底本「たくら」は、従来「たくみら」の誤とするが、あえて「
◎
「ごく質素に」とおっしゃられて、人を全員連れておいでにならない。近くに仕える者だけにして出航なされ、おつきそいの人々はお見送りさしあげて帰っていった。
行ってしまわれたと人にはお見せになられて、三日ほどたって漕ぎ帰られた。
あらかじめ、やる事は全て命じていたので、その(命じた)時に、(皇子が遣わせた)人が都の外から鍛冶の匠六人を雇って、たやすく人が寄って来れない(所に)家を作って、竈を三重に垣根などで囲って、(材料の宝が入った)手金庫を持ち込みながら、皇子も(手金庫と)同じ部屋にお籠もりになられて、
●10表
しらせ給たる限十六そをかみにくとを
あけて玉の枝を作り給かくや姫の給ふ
やうにたかはす作り出ついとかしこくた
はかりて難波にみそかにもて出ぬ舩にの
りて帰りきにけりと殿につけやりてい
といたくくるしかりたるさましてゐ給
へり迎へに人おほく参たり玉の枝をは
なかひつに入て物おほひてもちて参る
いつか聞けんくらもちの御子はうとん
くゑの花もちてのほり給へりとのゝし
○
①
上げて、玉の枝を作り給ふ。かぐや姫のたまふ
やうに
ばかりて、難波に
りて、「帰り
といたく苦しがりたるさまして
へり。迎へに
いつか聞きけむ。「
の花、持ちて
①底本「しらせ給たる限十六そをかみにくとをあけて」の解釈は未だ定説をみない。これを、領有している十六箇所の
②「かしこく」はこの場合、「賢明に」が当てられようが、「緻密に」とも訳されようか。
③「殿」は「(貴人の)家・屋敷」のこと。「との」と読んでおくが、「でん・てん」とも。
④「
*****
『今昔物語第三十一』の「竹取翁見付女児叢語、第卅三」にみえる、翁が上達部殿上人に出す難題三つ中の一つ「優曇花ト云フ花有リケリ、其レヲ取テ持来レ」と、必ず何らかの関係があるであろう。
*****
と註される。
⑤「ののしる」は大声でさわぐこと。
◎
(玉の枝について)お知りになる限りの各方面を、紙に工図にしたてて、玉の枝をお作りになる。(そして、)かぐや姫のおっしゃる通りのものにできあがった。
非常に緻密に計画して、
迎えに多くの人が参上した。玉の枝を
(誰が)いつ聞いたのだろうか。「
●10裏
りけり是をかくや姫きゝて我は此御子
にまけぬへしとむねつふれて思ひけり
かゝる程に門をたゝきてくらもちの御
子おはしたりとつく旅の御姿なからお
はしたりといへはあひ奉る御子の給は
く命をすてゝかの玉のえたもちて来る
とてかくやひめにみせ奉り給へとい
へは翁もちていりたり此たまのえたに
文そつけたりける
いたつらに身はなしつ共たまの枝を
○
りけり。これをかぐや姫聞きて、「我はこの皇子
に負けぬべし」と、胸つぶれて思ひけり。
かかる程に、門をたたきて、「
子おはしたり」と告ぐ。「旅の御姿ながらお
はしたり」と言へば、会ひ奉る。「皇子のたまは
く、『命を捨てて、かの玉の
とて、かぐや姫に見せ奉り給へ」と言
へば、翁、②持ちて入りたり。この玉の枝に
③いたづらに身はなくつとも玉の枝を
①「来たる」は連体形で閉じている。本来「来たり」でなければならないので、一応「(ぞ)」を括弧書きで補った。
②「持ちて入れたり」は、翁が家に入ったことを意味するとすると、翁がかぐや姫に先んじて、玉の枝につけられた
③底本「たをして」だが、「たおらて」の誤だろう。
底本「身はなしつ」は、「つ」は連体形につくので、「無し」は「無く」の誤と見て、「身はなくつ」とした。
「いたづらに身はなくつとも玉の枝をたをらでさらに帰らざらまし」
「むなしくこの身がなくなったとしても、玉の枝を
◎
これをかぐや姫が聞いて、「私はこの皇子に屈服するに違いない」と、胸がつぶれて思ったという。
こうしているうちに、門をたたいて、「
「皇子がおっしゃるには『命を捨てて、かの玉の枝を持って来た』と言って、かぐや姫にお見せになってくださいませ」と(皇子の側近の者が)言うので、翁は(玉の枝を)持って家に入った。
(翁が見ると)この玉の枝に
「いたづらに身はなくつとも玉の枝をたをらでさらに帰らざらまし」(むなしくこの身がなくなったとしても、玉の枝を
●11表
たをしてさらに帰らさらましこれをも
哀とも見てをるに竹とりの翁はしり入
ていはく此御子に申給ひしほうらい
のたまのえたをひとつの所あやまたすも
ておはしませり何をもちてとかく申へ
きたひの御すかたなからわか御いゑへ
もより給すしておはしましたりはやこ
の御子にあひつかうまつり給へといふ
に物もいはすつらつゑをつきていみし
くなけかしけにおもひたり此御子今
○
たをらでさらに帰らざらまし これをも
①あはれと
ていはく、「この皇子に申し給ひし
の玉の
ておはしませり。何をもちて、とかく申すべ
き。旅の
も寄り給はずして、おはしましたり。はや、こ
の皇子に③会ひ
に、物も言はず、つら
くなげかしげに思ひたり。この皇子、「今
①底本「哀とも見てをるに」を、「あはれと
②底本「わか御いゑへも」の「いゑ」は、歴史的仮名遣い「いへ」に改め、「我が御家へも」とした。「我が」は、この場合、「皇子自身の」。
③「会ひ
◎
(玉の枝もそうだが)これをも感慨深いものだと(
この皇子は、「今
●11裏
さへ何かといふへからすと云まゝに
えんにはひのほり給ぬ翁理に思ふ此國
に見えぬ玉の枝なり此度はいかてかいな
ひ申さん人さまもよき人におはすなと
いひゐたりかくや姫のいふやうおやの
の給ふことをひたふるにいなひ申さむ
事のいとおしさに取かたき物をかくあ
さましくもて来る事をねたく思ひおき
なはねやの内しつらひなとす翁御子に
申やういかなる所にか此木は候けん
○
さへ何かと言ふべからず」と言ふままに
①
に見えぬ玉の枝なり。この
び申さむ。
言ひ
のたまふことを、③ひたぶるにいなび申さむ
事の④いとおしさに、取りがたき物を、かく⑤あ
さましく持て来たる事を⑥ねたく⑦思ひ置き
なば、➇
申すやう、「いかなる所にか、この木は
①「
②「いなぶ」は、「断る」こと。
③「ひたぶる」は「ひたすら」の意。
③~➇まで、★『仮名の魔性「思ひ翁は」は「思ひ置きなば」である』を一読願いたい。
④底本「いとおし」を歴史的仮名遣い「いとほし」に改めた。「かわいそうだ・気の毒だ・いとしい」等の意。
⑤「あさまし」は、「情けない・見苦しい・みすぼらしい」などの意だが、「驚きあきれる・意外だ」の意味もある。
⑥「ねたし」は、「しゃくだ・にくらしい・くやしい」の意だが、「ねたましいほど立派だ・すぐれている」の意味もある。
⑦「思ひ置く」は、「心に決める・思い込む・思い残す・気に掛ける」等の意だが、この場合、「心にとどめる」とした。
➇「
⑨「しつらひ」は、特に屏風や几帳、衝立などで部屋を仕切って整えることだという。
◎
となって何かと言うべきではない」と言うが早いか縁側に(階段を)おのぼりになってしまった。
翁は、「道理に思う。この国にはない玉の枝です。この度はどうやってお断りできましょうか。人柄もよい人においでになります」など言っている。
かぐや姫が言うには、「親(であるあなた)のおっしゃることをひたすらお断り申し上げる事もお気の毒なので、取りがたい物を、このように意外にも持って来ている事をねたましいほど立派だと心にとどめたなら、部屋の中の支度などします」。
(それで、)翁が皇子に申し上げるには、「どのような所に、この木は生えていたのでしょう。
●12表
あやしくうるはしくめてたき物にもと
申御子こたへての給はくさおとゝしの
きさらきの十日比に難波より舩にのり
て海の中に出ていかん方もしらすおほえ
しかと思ふことならて世中にいきて何
かせんと思ひしかはたゝむなしき風に
まかせてありく命しなはいかゝはせんい
きてあらん限かくありきてほうらいと
いふらん山にあふやとうみにこきたゝ
よひありきてわか國のうちをはなれて
○
申す。皇子、答へてのたまはく、「①さをととしの
②
て、海の中に
しかど、思ふこと
かせむと思ひしかば、ただむなしき風に
まかせてありく。命死なばいかがはせむ。生
きてあらむ限り、かくありきて、
いふらむ山に
ひありきて、わが国の
①底本「さおとゝし」は、歴史的仮名遣い「さをととし」と改めた。「一昨昨年」。
②「
③底本「十日比に」は「十日頃に」とした。
④「行かむ
◎
皇子が答えておっしゃるに、「一昨昨年の
命がなくなればしかたがない。生きてある限りはこのように進み、
●12裏
ありきまかりしにある時は波あれつゝ
海のそこにも入ぬへくある時には風に
つけてしらぬ國に吹よせられて鬼の
やうなる物出きてころさんとしきある
時にはきしかた行すゑもしらすうみに
まきれんとしきある時にはかてつきて
草のねをくひ物としきある時はいはん
方なくむくつけけなる物きてくひかゝ
らんとしきある時にはうみの貝をとり
て命をつく旅のそらにたすけ給へき人
○
ありき①まかりしに、ある時は波荒れつつ、
海の底にも入りぬべく、ある時には、風に
つけて知らぬ国に吹き寄せられて、鬼の
やうなる
時には、
草の根を
方なくむくつけげなるもの来て、
らむとしき。ある時には、海の貝を取り
て命を
①「まかる」は、この場合、「行く」の丁寧語だろう。
このあたりの一節について、★『庫持の皇子の嘘の冒険談(百日の誤差の理由)』を一読願いたい。
◎
進んでいったのですが、ある時は波が荒れに荒れて、海の底に(船が)のみこまれそうになり、ある時には、風にあおられ、知らない国に吹き寄せられて、鬼のような者が出てきて殺そうとした。ある時には、来た方、行く方もわからない。海に遭難しそうになった。ある時には、食糧が尽きて、草の根を食べ物とした。ある時は、言葉にできないほど気持ちの悪いものが来て、食いかかろうとした。ある時には、海の貝を取って命をつないだ。
旅の空に、助けてくださる人
●13表
もなき所に色\/のやまひをして行
方空もおほえす舩のゆくにまかせて海
にたゝよひて五百日と云たつの時はかり
にうみの中にはつかにやま見ゆ舟の内
をなんせめてみる海の上にたゝよへる
やまいとおほきにてありその山のさま
高くうるはし是やわかもとむる山なら
むと思ひてさすかにおそろしくおほえ
て山のめくりをさしめくらして二三日
はかり見ありくに天人のよそほひしたる
○
もなき所に、色々の
方、空もおぼえず。船の
に
に、海の中に、②はつかに山見ゆ。船の内
をなむ、③
山、いと
高く、
む、と思ひて、④さすがに恐ろしくおぼえ
て、山のめぐりを⑤さしめぐらして、二三日
ばかり見ありくに、天人の
①「行く方、空もおぼえず」。ここの「空」は「気持ち・心地」と考える。直訳「行く末は心地さえわからない」を、意訳「生きた心地もしない」とした。
②「はつか」は、「ほのか・かすか」、あるいは時間が短いさまをいう。
③「
④「さすがに」は、「そうはいってもやはり」の意。
⑤「さし」は強意の接頭語。
◎
もない所に、色々な病気をして、生きた心地もしない。船の進むにまかせて、海に漂って、五百日という辰の時(現在の午前八時頃)ぐらいに、海の中にかすかに山が見える。船の内をぴったり体につけて見る。海の上に浮かぶ山は非常に大きくそびえる。その山のさまは高く麗しい。
これが私の求める山であろうか、と思ったものの、そうはいってもやはり恐ろしく思えて、山の周りをぐるりと回って、二、三日ばかり見てまわると、天人の装いをした
●13裏
女山の中より出きてしろかねのかなま
るをもちて水をくみありく是をみて舩
よりおりて此山の名を何とか申ととふ
女こたへていはくこれはほうらいの山
なりとこたふ是をきくに嬉しき事限
なし此女かくの給は誰そととふ我名は
うかんるりといひてふとやまの中に入
ぬ其やま見るにさらにのほるへきやう
なし其やまのそはひらをめくれは世中
になき華の木共たてり金しろかねるり
○
女、山の中より
を持ちて水を汲みありく。これを見て、船
よりおりて、『この山の名を何とか申す』と問ふ。
女、答へていはく、『これは
なり』と答ふ。これを聞くに嬉しき事、限り
なし。②『この女、かくのたまふは誰ぞ』と問ふ。『我が名は
③うかんるり』と言ひて、ふと山の中に入り
ぬ。その山見るに、さらに登るべき④用
なし。その山のそばひらをめぐれば、世の中
になき花の木ども立てり。
①底本「かなまる」を「かなまり」とした。金属製の椀。
②「『この女、かくのたまふは誰ぞ』と問ふ。」。「この女、『かくのたまふは誰ぞ』と問ふ。」と説くものもある。しかし、女がすぐに自分の名を名乗っているので、辻褄が合わない。皇子と女の距離もそう遠くなければ、「この女」も可能ではなかろうか。
③「うかんるり」あるいはその前の「は」を加えて「はうかんるり」という女の名は意味的に諸説あって、不明である。「る」を「り」の誤とみて「
④「やう」は「様」であるが、「よう」すなわち「用」の誤とみる。これについては、★『庫持の皇子の嘘の冒険談(百日の誤差の理由)』を一読願いたい。
◎
女が、山の中から出てきて、銀の
これを見て、船からおりて、『この山の名はなんと言うのでしょう』と問う。
女が答えて言うには、『これは
これを聞いて、嬉しさはとほうもない。
『この女、そのようにおっしゃるのははどなたでしょう』と問ふ。
『我が名は、うかんるり』と言って、すっと山の中に入ってしまった。
その山を見れば、改めて登る必要はない。その山の周辺をめぐれば、世の中にはない花の木々が立っていた(からだ)。
金、銀、瑠璃
●14表
いろの水山より流出たるそれには色々の玉
のはしわたせり其あたりにてりかゝや
く木とも立り其中に此とりてもちて
まうてきたりしはいとわろかりしかと
もの給しにたかはましかはと此花を折
てまうて来る也山は限なく面白し世
にたとふへきにあらさりしかと此枝を
おりてしかはさらに心もとなくて舟に
のりて追風吹て四百余日になんまうて
きにし大願力にや難波より昨日なむ都
○
色の水、山より流れ
の橋渡せり。そのあたりに、照りかがや
く木ども立てり。その中に、この取りて持ちて
まうで
も、のたまひしに
てまうで
にたとふべきにあらざりしかど、この枝を
①
乗りて、
①底本「おりて」を、歴史的仮名遣い「をりて」に改めた。
②「心もとなし」は、気持ちだけが先行して落ち着かないの意。
③「四百余日になむ」。13表に「五百日といふ
④「難波より
◎
色の水が山から流れ出ているそれ(川)には、色々の宝石で飾った橋を渡していた。そのあたりに、照り輝く木々が立っていた。その中から、このように取って持ってまいったものは、非常に貧弱であったけれども、おっしゃるものにまず違わなければと、この花を折って参りました。
山はこのうえなく興味深い。世にたとえるべきものではなかったけれど、折ってしまったからは、とてもこうしてはおれない気持ちがして、船に乗って、追い風が吹いて、なんと四百日あまりで帰ってきました。(それは)大願の力(のおかげ)だろうか。
●14裏
にまうてきつるさらにしほにぬれたる
衣たにぬきかへなてなんたちまうてき
つるとの給へはおきなきゝてうちなけ
きてよめる
呉竹の世々のたけとり野山にもさや
はわひしきふしをのみ見し是を御子聞
てこゝらの日比おもひわひ侍つる心は
けふなむおちゐぬるとの給ひて返し
わかたもとけふかはけれはわひしさ
の千くさのかすも忘られぬへしとの給
○
に①まうで
衣だに脱ぎ②
つる」とのたまへば、翁聞きて、うちなげ
きて
呉竹の世々のたけとり野山にも④さや
はわびしきふしをのみ見し これを皇子聞き
て、「ここらの⑤日頃、思ひわび
けふなむ、⑥落ち
わかたもとけふかはけれはわひしさ
の千くさのかすも忘られぬへし とのたまふ。
①「まうで
②「
③「立ちまうで
④「さやは」は、反語の意を表す。「そのように~だろうか(いや、ない)」。
⑤底本「日比」は「日頃」とした。
⑥「落ち
◎
に(向かって)出てしまった。そのうえ、
「呉竹の世々のたけとり野山にもさやはわびしきふしをのみ見じ」
(代々の竹取りでも野山でそのようにわびしい節(話し)だけは見た(聞いた)ことはない)
これを皇子が聞いて、「これまでの年月、悲嘆に暮れました心は、今日こそ報われました」とおっしゃって、(歌の)返し。
「わがたもとけふかはければわびしさの千ぐさのかずも忘られぬべし」
(私の袂も今日乾いたので、わびしい目に遭った数々も忘れられるに違いない)
とおっしゃる。
●15表
かかる程に男とも六人つらねて庭に
出きたり一人の男ふはさみに文をはさ
みて申くもんつかさのたくみあやへ
のうちまろ申さく玉の木を作りつかふ
まつりしこと五こくをたちて千余日
に力をつくしたる事すくなからす然
にろくいまた給はらす是を給てわろき
けこに給せんと云てさゝけたる竹とり
の翁此たくみらか申ことは何事そとかた
ふきをり御子はわれにもあらぬけしき
○
かかる程に男ども六人、
みて、申す。「①
の
まつりしこと、五穀を断ちて、千余日
に力を尽くしたる事、少なからず。
に
⑥
の翁、この匠らが申すことは何事ぞ、と➇かた
ぶき
①「
匠が現れてからの解釈は従来の解釈とはだいぶ異なるので、私説★『「そのときひとつのたからなりける」の新解釈の試み』を一読願いたい。
②底本「たくみ」だが、「ただみ」(本人・その人自身)の誤とみる。「
③底本「あやへのうちまろ」を、『評註』の表記に従い、「
④「
⑤「わろし」は、この場合、「みすぼらしく疲弊した」というほどの意味だろう。
⑥「
⑦「
➇「かたぶく」は、「傾く・衰える・首を傾げる」。
◎
そうしているうちに、男たちが六人が、ぞろぞろと庭に現れた。
一人の男が、
「(われら一族の)
竹取の翁は、この匠たちが言うことはどういうことだ、と首をかしげていた。
皇子は茫然自失の様子
●15裏
にてきもきえゐ給へり是をかくや姫聞
て此奉る文をとれといひて見れは文に
申けるやう御子の君千日いやしきた
くみらともろ共におなし所に隠ゐ給て
かしこき玉の枝をつくらせ給ひてつか
さもたまはんとおほせ給ひき是を此比
安するに御つかひとおはしますへき
かくや姫のえうし給ふへきなりけり
と承て此みやよりたまはらんと申てた
まはるへきなりと云を聞てかくやひめ
○
にて、
て、「この
申しけるやう、「皇子の君、
らともろともに同じ所に
かしこき玉の枝を作らせ給ひて、①
も
③案ずるに、④御つかひとおはしますべき
かぐや姫の
と承りて、この
はるべきなり」と言ふを聞きて、かぐや姫、
①底本「つかさ」は、「
の
②底本「此比」を「この頃」とした。
③底本「安する」を「案ずる」とした。
④「御つかひ」は、「側室」との従来説に従っておく。
◎
で、魂が消えたようにおいでになった。
これをかぐや姫が聞いて、「その捧げた
●16表
くるゝまゝにおもひわひつる心ちわら
ひさかへて翁をよひとりていふやう誠
ほうらいの木かとこそ思ひつれかくあ
さましき空ことにてありけれははや返
し給へといへは翁こたふさたかにつ
くらせたる物ときゝつれはかへさん事
いとやすしとうなつきをりかくや姫の
心ゆきはてゝありつる哥のかへし
まことかと聞て見つれはことのはを
かされる玉の枝にそありけると云てた
○
①
ひ
さましき空ごとにてありければ、はや返
し給へ」と言へば、翁、
らせたる物と聞きつれば、返さむ事、
いとやすし」と、うなづき
③
まことかと聞きて見つればことのはを
かざれる玉の枝にぞありける と言ひて、玉
①「
②底本「わらひさかへて」を「わらひさかえて」とした。
③「こころゆきはつ」は、心がすっかり晴れること。
④「ありつる」は、「さきほどの」の意。
◎
日が暮れるのと同じように沈み込んでいた心持ちが、ぱっと晴れやかになって、翁を呼び寄せて言うには、「真実、
かぐや姫が、心がすっかり晴れ渡って、さきほどの歌の返し、
「まことかと聞きて見つればことのはをかざれる玉の枝にぞありける」
(本当かと話を聞いて見たら、言の葉を飾った玉の枝であったのですね)
と返して、玉
●16裏
まのえたもかへしつ竹とりの翁さはかり
かたらひつるかさすかにおほえてねふり
をり御子はたつもはしたゐるもはした
にてゐ給へり日の暮ぬれはすへり出給
ぬ彼うれへせしたくみをはかくやひめ
よひすへて嬉しき人ともなりと云てろ
くいとおほくとらせ給ふたくみらいみ
しくよろこひて思ひつるやうにもある
かなと云て帰る道にてくらもちの御子
ちのなかるゝまて調せさせ給ふろくえし
○
の枝も返しつ。竹取の翁、さばかり
にて、
ぬ。かの②
呼び③据ゑて、「嬉しき人どもなり」と言ひて、
いと多く取らせ給ふ。匠ら、いみ
じく喜こびて、「思ひつるやうにもある
かな」と言ひて帰る道にて、
血の流るるまで
①「日の暮れぬれば、すべり
②「うれへ」は、「なげき訴えること・悲しみ・心配」。この場合「訴え」でよいと考える。
③底本「すへて」を、歴史的仮名遣い「すゑて」に改めた。
◎
の枝も(一緒に)返してしまった。
竹取の翁は、あれほど(皇子と)語らっていたのに、やはりそうはいってもと思われて、眠ったふりをしている。
皇子は、立つのもどうか、座るのもどうかという状態で座っておいでだった。(それで、)日が暮れたのをみはからって、這うように出ていかれた。
あの訴えをした匠らを、かぐや姫は(家に)呼び入れて、「ありがたい人たちです」と言って、褒美を非常にたくさんお取らせになる。
匠らがたいそう喜んで、「思っていたとおりであったよ」と言って帰る道で、
●17表
かひもなく皆取捨させ給てけれはにけ
うせにけりかくて此御子は一しやうの
はち是に過るはあらし女をえすなり
ぬるのみにあらす天下の人のみ思はん
事のはつかしき事との給ひてたゝ一所
ふかき山へ入給ひぬみやつかささふらふ
人々みな手をわかちてもとめ奉れとも
御しにもやし給ひけんえみつけ奉らす
なりぬ御子の御ともにかくし給はん
とて年比見え給はさりける也けり是を
○
失せにけり。かくて、この皇子は、「
ぬるのみにあらず。天下の人の、見思はむ
事の恥づかしき事」と、のたまひて、ただ一所、
深き山へ入り給ひぬ。②
人々、みな手をわかちて求め
御死にもやし給ひけむ、え見つけ
なりぬ。皇子の
とて、④年頃見え給はざりけるなりけり。これを
◎
甲斐もなく、(皇子が)全部取り上げになってしまったそうで、(匠たちは)逃げ失せてしまったということだ。
かくして、この皇子は、「一生の恥に、これ以上のことはない。女を得られなかっただけではない。世の中の人が(私を)見て思うだろう事の恥ずかしさ」とおっしゃって、ただ一人、深い山へお入りになった。
皇子が、お供にお隠しになろうとして、長年お見えにならなくなったのだった。これを
①「取り捨つ」は、他動詞「取り除く・片づける・さしひく・減ずる」の意。「取り捨てさせ給ひて」の「させ」は使役でなく尊敬だろう。皇子が取り上げたということ。
②「
③「
④底本「年比」は、「年頃」とした。
●17裏
なむ玉さかるとはいひはしめける
○
なむ、①「たまさかる」とは言ひ始めける。
①底本「玉さかる」である。「たまさかる」については諸説ある。「玉」は天皇の子である皇子をさす可能性がある。「さかる」は「離る」または「下がる」の可能性がある。「
◎して、「
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