中納言の段「いゝいけたる」の問題

一、「いゝいけたる」の問題

 「いゝいけたる」の問題とは何なのか、とりあえずその場所まで、内容を見ていこう。

 『「まうでこ」は「まうでく」でなければならない』で示したように、中納言は倉津麻呂の「自分が提案したようにやってみたが、何もありませんでしたよ」というそっけない報告に腹を立て、自ら籠に乗って燕の子安貝を取ろうとする。

 籠に乗り、引っ張り上げられて、子安貝らしきものを掴んだので、下の者に下ろすように言い、下の者が集まって綱を引くが、強く引きすぎて綱が切れ、かなへ(大釜)の上に仰向けに落下してしまう。

 実はここのところは、大納言自らも早くおろそうと、籠の上で体を上下にゆすり、その拍子に掴んでいた手綱が切れて落下してしまうという、元綱ではなく手綱が切れたとする私説を『下ろすのになぜ引くのか(自業自得説から考える)』で書いた。今回の「いゝいけたる」問題には、この自説が大きくかかわるのだが、それは後の話しとして、とりあえずは元綱が切れたという従来の解釈で話しを進めよう。

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人々あさましがりて、寄りてかかへ奉れり。御目はしろにて伏し給へり。人々、水をすくひ入れ奉る。からうして生き出で給へるに、またかなへの上より、手取り足取りして下げおろし奉る。

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 下ろしている途中で綱が切れたにしても、そうとうな高さから落下したものだろう。白眼をむいて気絶してしまったのである。

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からうじて、「御心地はいかがおぼさるる」と問へば、息のしたにて、「物は少し覚ゆれど、腰なむ動かれぬ。されど、子安貝をふと握り持たれば、嬉しく覚ゆるなり。まずそくさして。この貝、顔見む」とぐしもたげて、御手をひろげ給へるに、燕のまり置ける古糞を握り給へるなりけり。

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 中納言は、「意識は朦朧としているが、腰が動かされない」と言っている。腰をしこたま打ったようだ。手明かりを持ってこさせ握った物を見てみると、それは燕の古糞だった。

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それを見給ひて、「あな、貝、のわざや」(※)とのたまひけるよりぞ、思ふにたがふことをば、「甲斐なし」と言いける。貝にもあらずと見給ひけるに、御心地も違ひて、唐櫃からびつふたの入れられ給ふべくもあらず、御腰は折れにけり。

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※「あなかいなのわざや」を「あな、貝、のわざや」と解釈する私説については、『大納言と中納言の段における鏡写しの構造』を一読願いたい。

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中納言は、わざしてやむことを人に聞かせじとし給ひけれど、それをやまひにて、いと弱くなり給ひにけり。貝をえ取らずなりけるよりも、人の聞き笑はむことを日にそへて思ひ給ひければ、ただにみ死ぬるよりも、人聞き恥づかしく覚え給ふなりけり。

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 さて、標題の問題箇所、傍点部「いゝいけたる」にたどりついたわけだが、その問題とは、『古活字十行甲文』でこのように書かれているものを、従来「わらはげたる」の誤写としていることである。



二、「いゝいけたる」のこれまでの誤写説

 たしかに「いゝいけたる」は解読できそうにない。

 これについて『評註竹取物語全釈』松尾 聰著(武蔵野書院)が詳しい。

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底本-「いゝいけたる」であるが、「わらはげたる」の誤写であろうとする説に従って仮りに改めた。「わらはけたる」が「はらはけたる」とうつされ、やがて「は」が「ハ」の字形を以て記されると「い」と誤まられて、「いらけたる」などとなり、さらにそのなかの「ら」がつづけがきの「ゝ」と誤られて、「いゝいけたる」となることはあえ得ないことではない。「わらはげ」は、下二段自動詞「童ぐ」の連用形。源氏、朝顔「小さきは童げてよろこびはしる」。

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 「わらはけたる」が「いゝいけたる」に至る数段階に及ぶ誤写説を説明しながら、「あり得ないことではない」とするのもどうだろうか。これではどんな場合であっても、あり得ないことはないと言えてしまいそうだ。

 松尾氏の解説は、次のように続く。

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戸川氏本「いたいける」武田氏本「いゝいける」前田氏本「いたくいけたる」島原本「いかゝいけたる」とある。古本「かくわらはけたる」は意改か。大秀は校本によるとて「いはけたる(幼稚ナ)」と改めている。

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 こうなってくると、いかようにも誤写説を唱えることができるようにみえるが、戸川氏本「いたいける」と武田氏本「いゝいける」は意味を汲みがたいし、前田氏本「いたくいけたる」は「非常に生かされている」、島原本「いかゝいけたる」は「どのように生かされている」と訳せるが、後文の「わざして」につながりにくいように思われる。

 ただ、大秀の「いはけたる(幼稚ナ)」については心に留め置くべきかもしれない。



三、従来説における「子供っぽい」行動は何を指すのか

 ところで、『評註竹取物語全釈』が仮に採用している「わらはげたる」にしても、大秀の「いはけたる」にしても、「子供っぽい」というほどの意味であるが、では、中納言はどんな子供っぽいことをしたのだろうかという疑問が湧く。 

 というのも、中納言が自ら籠に乗って吊り上げられたのを子供っぽい行動とは言いにくいからだ。それは、むしろ勇気ある行動ではなかったろうか。籠から落ちたのも、従来の解釈のように、綱が切れたのが中納言のせいではないとすれば、単なる事故であり、むしろ同情すべきできごとであって、子供っぽいと表現することができるだろうか。

 「子供っぽい行動」について、どうもその対象がはっきりしないが、あるいは、子安貝というあるかどうかもわからない物を本気になって取ろうとして失敗したことを子供っぽいことをしたと恥じたのだと考えられてきたのかもしれない。

 しかし、これを中納言が恥じたこととすることはできないのである。『大納言と中納言の段における鏡写しの構造』の最後の方で論じたように、中納言は死の間際まで、子安貝を確かに自分は取ったと確信していたからである。

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かひはかくありけるものをわび果てて死ぬる命をすくひやはせぬ

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と詠んで、中納言は息絶えている。「貝は確かにあったのだが、このようにひからびてしまって、弱り切って死んでいくこの身を何ら救いはしないのだ」と解釈できる。中納言は、子安貝が「人だに見れば失せぬ」という家来たちのかつての情報から、自分が取った子安貝が古糞に姿を変えたと最後まで思い込んでいたのだ。つまり、中納言が子安貝を取ることそのものについて恥じることはありえないのである。


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中納言は、いゝいけたるわざしてやむことを人に聞かせじとし給ひけれど、やまひにて、いと弱くなり給ひにけり。貝をえ取らずなりけるよりも、人の聞き笑はむことを日にそへて思ひ給ひければ、ただにみ死ぬるよりも、人聞き恥づかしく覚え給ふなりけり。

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 中納言は「それ」を人に知られることを恐れ、腰の病よりもその恐れによって衰弱してしまう。子安貝を取れずに終わったことを笑われるよりも、ただ病んで死ぬよりも、人に「それ」を知られる方が恥ずかしいと言っている。「それ」とはどれほど恥ずかしい行動であったのだろう。

 その「それ」とは何であったかについて、『下ろすのになぜ引くのか(自業自得説から考える)』で述べた私説が、光明を灯すものとなるかもしれない。

 その論説の結論として、手綱説(+「熱まりて」説)

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「われ、物にぎりたり。今はおろしてよ。翁、し得たり」とのたまひて、あつまりて、とくおろさむと、つなを引き過ぐして、綱絶ゆるすなはちに、八島のかなへの上に、のけざまに落ち給へり。

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という解釈を提案しておいた。

 つまり、従来の解釈のように元綱が切れたのではなく、中納言が握る手綱が切れたとする説である。早くおろそうとして、中納言は体を上下に何度も激しくゆすったのであろう。握っていた手綱はつり革のような役目の細い綱だっただろうから、体重を何度も掛ければ切れる可能性もあるだろう。早く下ろせという意思表示、あるいは何とか早くおろそうという子供じみた行動であった。また、力学的には、早く下ろすのにほとんど意味はなく、二重の意味で子供じみた行動であったと言える。

 『評註竹取物語全釈』が仮に採用している「わらはげたる」にしても、大秀の「いはけたる」にしても、これなら少し納得できるのではないだろうか。



四、中納言は何を恥じたのか(私説)

 しかし、そもそも、「わらはげたる」あるいは「いはけたる」というこの両者の解釈は正しいのだろうか。というか、この解釈を手放しで受け容れていいのだろうか。『古活字十行甲文』どおり、「いゝいけたる」では解釈できないのであろうか。

 そういうことで、私としても、いくらかの可能性を提示したいと思う。

①「拝位以下たるわざ」説

 『古活字十行甲文』で誤植しなかった場合、その元となった写本の書写者は、自身が誤写しない限り、ここを何らかの形で解釈(理解)していたはずではあるまいか。

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中納言は、わざしてやむことを人に聞かせじとし給ひけれど、それをやまひにて、いと弱くなり給ひにけり。

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 従来のこの解釈では「中納言は、」で切っているが、「中納言、」で切った場合、「中納言、はいゝいけたるわざして」となる。これは「中納言、拝位以下  いげたるわざして」と解釈できる。

 つまり、自分の賜った高い官位からは考えられないような下の者がやるべき危険なまねをして、そのあげく落下して怪我を負ったことを恥ずかしいと思ったとなる。有力な説にもみえるが、「拝位」という熟語の使用はあやしいし、すでに述べたように、自ら行動に出たことは勇気あるものとして、そこまで恥じ入ることでもなさそうだ。

②「沛艾はいがい蹴たる」説

 ①と同じように「中納言」で切り、「中納言、はいゝいけたるわざして」として、さらに「ゝ」を「か」の誤写とし、「はいかいけたるわざして」とした場合、これは「沛艾はいがい蹴たるわざして」と解釈される。

 「沛艾はいがい」とは「荒い性質の馬が暴れること、またはその馬」。つまり、暴れ馬が蹴ったようなことをしたということになるが、中納言が籠で上下に体を揺らしたとして、その比喩としては少し当たらない気がするし、また、中納言が恥じる理由を説明するものとしては的がはずれている感もある。とはいえ、ひとつの説だろう。

③「いと異げたる」説

 「いゝいけたる」の「ゝ」を「と」の誤写とみて「いといけたる」とし、「いと異げたる」とする説。「いと異げたるわざして」すなわち「非常に珍奇な行動をして」と訳したい。

 「異げ」が成立するかはやや自信はないが、手綱を引いて激しく体を上下させる子供じみた行動を表現するには遜色なく、中納言の強い羞恥心を説明するものとしても受け容れやすい。



五、「ただにみ死ぬるよりも」の解釈から

 これらの考察から、私は③の「いと異げたる」説を取りたい。ただし、この説は私説「手綱説(+「熱まりて」説)」との密接な絡み合いの中で、あくまで私の出した最良の説なのであって、確実だと言い得るものではない。

 しかし、ここで、この私の説に関わるひとつの解釈を示しておきたい。

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中納言は、いゝいけたるわざしてやむことを人に聞かせじとし給ひけれど、やまひにて、いと弱くなり給ひにけり。貝をえ取らずなりけるよりも、人の聞き笑はむことを日にそへて思ひ給ひければ、ただにみ死ぬるよりも、人聞き恥づかしく覚え給ふなりけり。

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 この中の、「ただにみ死ぬるよりも、人聞き恥づかしく覚え給ふなりけり。」の解釈についてである。

 ここは非常に意味が汲みにくい箇所である。

 『評註竹取物語全釈』松尾 聰著(武蔵野書院)は、

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たゞに-「病み死ぬる」にかけて解いておいたが、「人聞き恥づかし」にかけて、「ただもうひたすらに」の意と解く考えもある。

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としている。「ただに」は副詞的な用語であろうから、後者の説のように「人聞き恥づかし」に飛んでかかるのは難しそうだ。いずれにせよ、この一文はわかりにくいので、解釈に揺れが生じるのである。

 わかりにくいといえば、その前の「貝をえ取らずなりけるよりも、人の聞き笑はむことを日にそへて思ひ給ひければ、」もわかりにくい。しかし、これについては、「貝を取り得なくなってしまったよりも、(それを)人が聞いて笑うだろうことを……」と、「それを」を補えば理解できる。

 つまり、貝を取れなかったことよりも、人は「それ」の方を聞いて笑うだろうということだと考えられる。

 そうすると、「ただにみ死ぬるよりも、人聞き恥づかしく覚え給ふなりけり。」の解釈も同じように考えられるのではなかろうか。

 「ただ」は「普通に」と解釈すべきだと私は思っている。つまり、中納言は普通の事故として落下して怪我で死ぬことは確かに恥ずかしいことではあるが、それよりも、「それ」を知られることの方をより恥ずかしく思ったと考えられる。

 中納言の言う普通の事故とは、元綱が切れるとか、籠が偶発的に傾いて落ちるとか、そういうことであろう。つまり、「それ」とは、そういう事故ではなかったことを意味している。落下を引き起こした原因が中納言自身にあり、その行動は人に聞かせたくない恥ずかしいものであったということになる。

 たしかに、「ただにみ死ぬる」が「ふつうに病気になって死ぬ」の意なら、文字通り「普通に(何らかの)病気になって死ぬ」ことを指し、落下したことではない可能性も否定できない。しかし、それならば人々は笑うわけもなく、中納言も恥を感じるはずはない。つまり、「よりも」で比較される対象にならないのである。


 つまり、「ただにみ死ぬるよりも、人聞き恥づかしく覚え給ふなりけり。」の私の解釈が正しければ、「いと異げたる」説、「手綱説(+「熱まりて」説)」を後押しするものとなるはずである。

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