下ろすのになぜ引くのか(自業自得説から考える)
一、下ろすのになぜ引くのか
しかし、やらせてみたが何もなかったと倉津麻呂から報告を受けた中納言は苛つき、取り方が悪いのだと自らそれを取ろうとして籠に乗り、燕の巣がある天井まで吊られて上がるが、けっきょく籠から落下して大けがを負ってしまう。
ここまでのいきさつについては、『「まうでこ」は「まうでく」でなければならない』で私の説を述べているので参照いただければと思う。
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「われ上りて探らむ」とのたまひて、籠に乗りて吊られ上りて、
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さて、問題は傍点部「綱を引き過ぐして、綱絶ゆる」、現代語に訳するならば、「綱を引き過ぎて、綱が切れる」である。
中納言は籠に乗り天井まで吊り上げられている。探る燕の巣の中に手応えがあった中納言の「下ろしてくれ」という声で、下の男たちが引き綱の根本に集まる。それで「とくおろさむとて」すなわち「早く下ろそうとして」綱を引き過ぎてしまい、綱が切れたというのである。
しかし、引っ張り上げている物を下ろす場合、ふつうは緩めるのであって、引くという表現はしない。この「綱を引き過ぐ」の記述は、首をかしげてしかるべきものであろう。
これはすでに従来より問題視されてきた大難題なのである。
『評注竹取物語全釈』松尾聡著(武蔵野書院)では、
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作者不用意の誤りか。強いて考えれば、綱をゆるめようとする時に、いったん強くひっぱって調子をつけるのを「引き
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と評し、次いで丸括弧書きで、岸上・伊奈氏の注を参考に挙げている。
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つり上げた籠を下そうとするには、綱を緩めてやるべきであるのに、それをあわてて反対に強く引き過ごして、籠が物にぶつかり、綱が切れてしまったのである。
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この両者の考え方が納得できるものかどうかという前に、中納言が吊り上げられたときの状況を、詳細にする必要があるだろう。
二、荒籠の構造と、引き上げる機構について
それで、話は戻るが、倉津麻呂が新たな提案をする前の、中納言に家来が
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「
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傍点部「つゝ」は従来「つく」とされてきたが誤りと考えてよい。『これまで「つゝ」を「つく」と二か所読み間違えてきた』を参照のこと。
「
「棟」とは屋根の一番高い背を言うらしい。これを杓子定規に考えると、「つゝの穴」は想像しづらい。しかし、「棟」を天井の骨組み全体と考え、さらに建物の高所ととらえれば、「つゝの穴」については、換気のために壁の高所に空けられた穴と考えてもいいだろう。
さて、この計画は、その換気口まで足場を組んで見張らせようというのである。なるほど誰でも考えつきそうなもっともな提案である。
さっそくこの計画は実行されたのだが、人がたくさん天井に上って見張っていると燕が寄りつかない。それで、どうしようかと悩んでいるところに、倉津麻呂という翁が中納言の前に現れ、その解決策を次のように進言した。
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この
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足場を撤去し、天井から人々をどけて、信頼できる人を一人だけ荒籠に乗せて座らせ、数人が綱を持って構えて、燕が卵を産もうとする間に綱を吊り上げて取らせるのがよいというのである。
ここで状況を察するに、綱は屋内の天井の梁に渡して籠を引っ張り上げるという方法以外に考えられるだろうか。燕が驚かないように人一人を籠に乗せようというのだから、梁の上から数人が引っ張り上げたとは考えにくい。
また、荒籠(目を荒く編んだ籠)について、その素材が竹なのか綱なのか、また、その構造はいかなるものであっただろうか。
中納言が
綱で編んだ籠はすっぽり体を覆うだろうから、綱が切れても垂直に落ちるだけでのけざまには落ちない。同じ理由で、竹で編んだ籠でも体を覆うようなものではないはずである。だいたい体を覆うようでは子安貝を取るのに手が不自由になるだろう。おそらく、丸底の竹籠のへりに綱を数本くくりつけ、それを束ねて元綱に結びつけたものだろう。
こうした籠の構造と吊り上げる機構を考えると、上げた籠を下ろす場合、下で操作する者はどうあっても引くという行為はあり得ないと言える。
ただし、ただしである。力学に疎くとも気づくことであろうが、籠を下ろすために綱を送り出している瞬間以外は、実質的に綱を引っ張っている状態であることは確かである。このことから、早くおろそうと多く送り出した綱をより強く引くという動作が起こった瞬間に綱が切れたという解釈もできる。これは前記した『評注竹取物語全釈』の著者の想像とほぼ同じと考えてよい。しかし、綱が切れただけでは籠は垂直にしか落ちないだろうから、やはり「のけざまに」落ちたということがネックになる。
その点、岸上・伊奈両氏の考え方は、この「のけざまに」を意識した想像となっていると思う。綱をゆるめるところを誤って引いてしまい、籠が何かにぶつかって籠のひとつの縛り目が切れてしまったと考えると、籠はひっくり返り、中納言が仰向けに落下するという想像が可能である。ただし、早くおろそうといかに焦っていたにせよ、ゆるめるところを誤って引いてしまうという説明には、どうにも同調しがたい。この想像は、本文から読み取るべき以上に複雑に過ぎるといわざるをえない。
また、そもそも、そう簡単に綱が切れるものだろうかという疑問が私にはあるのだ。どんな力が掛かれば綱は切れるのだろう。そんな弱い綱なら、上げるときにすでに切れているだろう。たとえ俄づくりだったにせよ、それなりの設計はしていただろうから。
三、自業自得説
また、私はここで、家来たちが行った操作において過ちがあったとすれば、家来たちは処罰を免れまいという指摘をしたい。引いたにせよ緩めたにせよ、中納言に怪我をさせたのだからただではすまないはずだ。しかし、私はそうであってはならないと考えるのである。
この中納言以外の四人について、不運な結末になってしまったのは完全に自業自得と言える。
一話目の
二話目の
また、三話目の大臣に関しては、財力にものをいわせて中国人の貿易商に「火鼠の皮衣」を探させ、けっきょく高い値段で贋物をつかまされたわけだが、本物かどうかも確かめずに購入した本人に非がある。焼いてみなければ本物かどうか確かめられない火鼠の皮衣であるから、確かめることは難しい。そこを中国人商人につけこまれたのである。
四話目の大納言は、「竜の頚の玉」を取ってくるまでは帰ってくるなと家来たちに無理な命令を押しつける。しかたなく家来たちは各々好き勝手な場所に身を潜めてしまう。いつまで経っても帰って来ない家来たちにしびれを切らせた大納言は、自ら竜を探しに海に出て、嵐に遭い命からがら逃げ帰ったが病にかかってしまう。命令を遂行しなかった家来たちにも非があろうが、因縁から言えば、無理難題を押しつけた大納言の独善的思考が招いた自業自得である。また、大納言が竜の首の玉をとるのに失敗したと聞いて、もはや咎めはあるまいと家に戻ってきた家来たちをこの大納言は罰せず、そればかりか褒美を取らせているのである。つまり、大納言は家来たちが各々好き勝手な場所に潜んでいたなどとは微塵も疑わず、今の今まで海に出て竜の玉を探していたと最後まで信じ切っていたのである。これは大納言の底なしの愚かさを表現するばかりでなく、責任が家来たちに及ぶことを避け、大納言の失敗を自業自得に持ち込む作者の意図と考えても無理はなかろう。
このように他の四話をみれば、この中納言の段も主人公の失敗は自業自得に持ち込まれていなければならないはずと考えるべきだろう。
中納言の落下の原因が家来たちに転嫁されてしまうような失敗談を作者が書くはずはないと私は思うのである。
もし、責任が家来たちにも及び、罰せられるようなことがあったとすれば、かぐや姫の責任も問われるかもしれない。そうまでならなくとも、かぐや姫自身に自責の念が生じるだろう。そうなっては、物語として洒落にならないのではあるまいか。
その意味で、従来の解釈
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「われ、物にぎりたり。今はおろしてよ。翁、し得たり」とのたまひて、集まりて、とくおろさむとて、綱を引き過ぐして、綱絶ゆるすなはちに、
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は、下に居た人々が集まって綱を引き過ぎたことが原因で綱が切れたことになり、自業自得とはなりえない。人々の不注意は責められるべきものとなるだろう。よって、従来の解釈は自業自得説から見れば、まずありえないのである。
四、新しい解釈のこころみ
①綱たゆみ説
ここからは私説であるが、いくつか考えられる。
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「われ、物にぎりたり。今はおろしてよ。翁、し得たり」とのたまひて、「集まりて、とくおろさむ」とて、
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つまり、「綱たゆる」は「綱たゆむ」の誤写であるとする説となる。
従来、「集まりて、とくおろさむ」は、下で綱を引く家来たちについての記述とされていたが、私のこの解釈では、引き続き中納言の言葉ということになる。
実は、従来の解釈の
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「われ、物にぎりたり。今はおろしてよ。翁、し得たり」とのたまひて、集まりて、とくおろさむとて、
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で、「とのたまひて、」と「て」で次の「集まりて」に接続しているので、「集まりて、とくおろさむとて、」が下に居る者たちに移行するのは唐突の感がぬぐえない。その意味で、この説において、中納言の言葉として続くのは自然にも思える。
手に子安貝らしい手応えがあり有頂天になった中納言はすっかり興奮状態になって、早く手の中のものを見たい一心で、「集まりて、とくおろさむ」すなわち「集まって早く下ろしたらどうだ」という苛立ちを下の家来たちに見せたと解釈するのである。それで、下から家来たちが引っ張っている綱を中納言は激しくたぐり引いた。それで綱がゆるんで籠が傾き、中納言はバランスを崩して、のけざまに落下したというものである。
しかし、問題がないわけではない。「「集まりて、とくおろさむ」とて、」と家来たちに言ったことと、「
②「熱まりて」説(+綱たゆみ説)
それで、次のような説を考えてみる。
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「われ、物にぎりたり。今はおろしてよ。翁、し得たり」とのたまひて、熱まりて、とくおろさむとて、
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「集まりて」を「熱まりて」としてみた。つまり、中納言が熱くなり、気持ちがたかぶったとするのである。こうすることで、ここは家来たちへの言葉ではなくなるので、①で述べた「
ただし、「熱まる」という言い方が当時あったかどうかは疑わしい。これがかなり飛躍した考えなのは私もわかっている。
この物語の中で「集まる」は、五人にかぐや姫が難題をもちかける場面で、
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日暮るる程、例のあつまりぬ。
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と使われているし、また他の古典でも「集まる」は使われているので、ここも「集まる」とするのは当然とも思う。
しかし、「集まる」は他動詞である「あつむ(集む)」が「まる」によって自動詞「あつまる(集まる)」と変化すると考えられるのだが、そうすると、「あつし(熱し)」の形容詞に接尾「む」がついて「あつむ(熱む)」と他動詞化したものが「あつまる(熱まる)」と自動詞化するのは無いことではない。
当時、「う(生)まる」、「かしこまる」、「つまる」、「とどまる」、「せまる」、「をさまる」等、「まる」によって自動詞化して定着したと思われる語があった。「まる」は他動詞を簡単に自動詞化できる便利なもので、「集まる」も次第に「つどふ」を凌駕してきたものかもしれない。
現在は、「埋まる」、「固まる」、「閉まる」、「染まる」、「溜まる」等、普通に使われるが、時代が移るにつれ成語化していったものだろう。
成語化はしなかったにせよ、「熱まる」がごく短期間存在した可能性を私は否定しない。
③手綱説(+「熱まりて」説)
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「われ、物にぎりたり。今はおろしてよ。翁、し得たり」とのたまひて、熱まりて、とくおろさむと、
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握っていた手綱(つり革のような役目の細い綱)を強く引いて体を上下に何度もゆすったのであろう。早く下ろせという苛立ちの意思表示、あるいは自らの重さで早く下ろそうとした、ある意味子供じみた行動であった。
手綱は握れるほどの太さだろうから、何度も全体重がかかれば切れることも想像に難くない。体を支えていた手綱が切れたのだから、中納言が籠から「のけざまに」落ちる図を想像することも難しくあるまい。
「引き過ぐし」たのは、家来たちの引き綱ではなく、中納言の掴んでいた手綱であるのだから、下ろすのになぜ引くのかの完全な解決になるだろう。
ただ、この説に問題がないわけではない。
「手綱」を「てつな」あるいは「てづな」と読ませるわけだが、そうしたつり革のような機能をする綱をそう呼んだかどうかは確信の持てるものではない。「手綱」は通常「たづな」と読むわけだが、「たづな」は馬具の名称であり、それと区別するため、作者は「てつな」としたのかもしれない。
あるいは、もともと「たづな」のつもりで「手つな」とあったものが、書写が繰り返される中で、漢字であった「手」が「て」と仮名に解釈された経緯を想像することもできよう。この経緯には特に、「とくおろさむと」より「とくおろさむとて」の方がおさまりがよいので、「とくおろさむと」から「て」に対して吸引力が働いた可能性を十分想像することができる。
ところで、私の説では、「とくおろさむ」を「とて」ではなく「と」で受けることになるのだが、問題はないのだろうか。ここがもし「とて」でなければならないのなら、私のこの説は成立しない。しかし、ここはむしろ「とて」ではなく「と」で受けてよい、いや受けなければならないのではないかと考えている。
「とて」はもともと、格助詞「と」と接続助詞「て」が複合してできたもので、引用を受ける機能は格助詞「と」に具わっている。そして「て」が次の文脈への接続を促すのである。
さて、『竹取物語』の中で、「と」で受ける例は非常に多いが、ほとんどが「といふ」など会話文を閉じる場合に使われる。それでこの例だけを見ると、「と」だけで会話文を受けた場合次の文につながることはできそうもないように見える。
しかし、次の例を見ていただきたい。
①……のたまひしに違はましかばと、この花を折りてまうで来たるなり。
②「……この貝見む」と御頭もたげて、御手をひろげ給へるに……
③「……具して
このように、「と」の後に、ある行為を加えて「て」で次の文に続ける例が数箇所見られるのである。
これは、まさに、
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熱まりて、とくおろさむと、
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とする私の解釈にあてはまるのである。
この表現は、すでに掲げた三つの例からも推測できるが、「と」と「て」の間にあるある行為が、「と」で受けた言葉あるいは思ったことと同時に、あるいは共時的に起こっていることを表すものと考えられる。もしこれが「とくおろさむとて」であったら、「とくおろさむ」と言ってから手綱を引いたことになるが、手綱を引く行為は中納言の苛立ちの表れであり、「とくおろさむ」と思うことと共時的に起こっていた行為だろうから、この表現でよいのだと私は考えるのである。
五、中納言の死ぬほど恥じた理由との関係
前節の考察から、手綱説(+「熱まりて」説)に至り着いたわけだが、「あつまりて」を「集まりて」ではなく「熱まりて」と解釈することに、そんなばかなと罵倒さえ免れないことを私は知っている。
しかし、この説があながち無いものではないということが、別方面からの考察でわかるのである。
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中納言は、いゝいけたるわざしてやむことを人に聞かせじとし給ひけれど、それを
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中納言は、「いゝいけたるわざ」を人に知らせることを極度に嫌い、落ちた怪我より、むしろその恐れによって弱ってしまう。「いゝいけたるわざ」は、従来難読箇所で知られるが、いったい何を意味していたのだろう。
これを考えることから、手綱説(+「熱まりて」説)が否定できないものであることが知られるのだが、この後に用意した『中納言の段「いゝいけたる」の問題』を是非続けて読んで頂きたいと思う。
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